ピリスのモーツァルト [音楽]

ピアノを習う多くの子供たちにとって練習曲の次にまず目標となるのはモーツァルトのソナタであったりする。一番わかりやすいのが 「トルコ行進曲」 だろう。「トルコ行進曲」 が弾ければ、ちょっと箔が付いたみたいな、ピアノやってます!と言えるような雰囲気があって、そのようにあまりに人口に膾炙し過ぎているので、ドヴォルザークやチャイコフスキーと違った意味で俗に流されてしまっているかもしれない。
それで私も 「モーツァルトなんて音階練習だ!」 みたいな先入観がなかったといえなくもない。すると戸口で誰かがささやく。「グレン・グールドのモーツァルトはいいよ」 という神の声。いや悪魔の声か。
グレン・グールドというのはすごいピアニストなのだけれど、その曲を最初に聴くのに選ぶピアニストじゃない、と思う。私はクラシック音楽は、まず作曲家ありきだと考えるので、なるべく作曲家からのメッセージが加工されないで伝わってくる演奏者のほうがいい。
マリア・ジョアン・ピリスのモーツァルトのソナタは、一般的な鑑賞にも耐え、ピアノのおけいこのお手本としても使える演奏だと思う。基本的に音が明るくて緻密だ。
たとえばK.310のA-mollのソナタだったら、リパッティのほうがいいかもしれない。でもソナタ全曲が揃っている音源として考えるのなら、きれいに粒立ちの揃っているのは絶対ピリスだ。若き日のピリスの輝きが聞こえる。
このピリスのピアノソナタはDENONの第1回目の録音のことを指しているが、もう少し齢を重ねてからの、グラモフォンへの2回目のソナタ全曲録音がある。こちらのほうは少し大人向けの音だ。というよりなんとなく憂いがある。人生の深みを知った音なのかもしれないが、でも私の聴くのは結局、若い頃のDENON盤になってしまう。
ピアノ協奏曲も、やはり若き日のエラート盤がいい。グシュルバウアー/リスボン・グルベキアン管弦楽団とのコンビによるものだが、まだアナログディスクだった頃のフランス・エラート盤はジャケットからしてそこはかとなく品があった。その中で1曲をとるとしたら第9番のK.271《ジュノム Jeunehomme》だろう。モーツァルトがヴィクトワール・ジュナミ Victoire Jenamy というピアニストのために書いた曲だが、それは最近の研究の成果であり、これまではずっとジュノムという女性のための曲として伝えられてきた。ジュナミが口伝えでジュノムになってしまったのか。それともjeune hommeとは若き男、つまり青年のこと——Jenamyに似た発音でJeunehommeとしたモーツァルトの茶目っ気なのだろうか。
そして若き日のピリスにはその曲の出自も、名前も、ぴったりな曲のような気がする。
21世紀になってからのピリスの協奏曲には、2003年のリスボン・ジェロニモス修道院で行われたブーレーズ/ベルリン・フィルのコンサートでの20番K.466の演奏がある (DVD)。ブーレーズの的確なサポートによる美しい協奏曲。素晴らしい建物だけれど柱のかげになってしまったお客さんは悲劇だなぁというのが気になってしかたがなかったコンサート映像なのだが、ピリスはがんばって弾いているけれど音量がもひとつ出ないな、と思いながら弾いているように私には見える。建物の構造上の制約のためだろうか。
NHKの2008年頃に放映されたスーパーピアノレッスンでも、講師のひとりとしてピリスのシリーズが設けられた。生徒はかなりの上級者なので、いちいち手にとって教えるというような方法ではなかったし、とてもフレキシブルで面白い教え方だったが、なんとなく疲労感というか憂いのようなものがチラリと見える瞬間が時に見られた。私の気のせいだろうか。それはモーツァルトの2回目のソナタ全集で感じたのと同じ憂いだ。
ピリス本人は現在、若い頃の1回目のソナタ演奏をどう思っているのだろうか。本人に聞いてみなければわからないが否定的な気持ちでいる可能性もある。でもモーツァルトのソナタは限りなく明るくあって欲しいと私は思う。なぜならそれがふっと翳ったとき (短調に転調したとき)、本当の悲しみの影があらわれるからである。
Maria João Pires/W.A. Mozart: Complete Piano Sonatas (1974)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1414356
Maria João Pires/W.A. Mozart: Deux concertos pour piano
Nº9 “JEUNEHOMME” K.271, Nº17 K.453
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4073376
ユーロ・アーツ2012年版カタログ (DVD)
Pires/Mozart: Piano Concerto No.20 K.466 etc.
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4211399
2012-02-04 01:00
nice!(2)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0