ハイドンのピアノソナタに — マルカンドレ・アムラン [音楽]

フランツ・ヨーゼフ・ハイドンのピアノ曲のことを、私はやや揶揄した表現で 「寂しいモーツァルト」 と言ったりする。ハイドンさん、ごめんなさい。
つまりモーツァルトに較べると、なんとなく音数が足りないような気がするし、きらびやかなモーツァルトと違って彩度が無くてモノクロームのようで、くすんでいて単純で重層的でないような感じがしてしまうからなのだ。随分と否定的な表現を重ねてしまったものだが、もちろんこれは皮相的な見方である。でも最初、幼稚だった私は心底そう思っていたのかもしれないと振り返ると面映ゆい。
ハイドンという人はどのジャンルにおいても曲数が多くて、まさに職業的作曲家の鑑といってもよくて、しかも全てにおいて堅実な作風である。堅実という表現はつまり少し退屈みたいなニュアンスもその裏側に秘められているわけだが、その退屈さも自分の読みが浅かっただけであることがだんだんとわかってくる。
マルカンドレ・アムラン Marc-André Hamelin のハイドンを聴いてみたのはたまたまで、その頃私にとってアムランがマイブームだったからである。アムランは超絶技巧のピアニストと呼ばれ、近代・現代の難曲を弾きこなすことで知られているが、私は彼をあまりそういうふうな尺度で聴こうとしなかった。なぜハイドン? という好奇心があったことは事実である。
単純にピアニストとして聴いてみた場合、やはりアムランにも得意不得意というか、むしろ私のリスナーとしての好き嫌いというのがあって、たとえばアルベニスの場合、定評のあるアリシア・デ・ラローチャよりアムランのほうが私にはアルベニスを理解しやすかったということもあった。でもタカーチ・カルテットとのシューマンのピアノ五重奏曲はなんとなくざわざわとしているだけで馴染めなかった。
ハイドンの場合、アムランは音の構造が明快にわかるし、細部までくっきりと構成されている点では安心して聴ける演奏だと思う。でもたとえばスヴャトスラフ・リヒテルの演奏と較べてみると、あぁ確かにリヒテルは味があるよなぁと感じるわけで、けれど私にとってはリヒテルはやはり古色蒼然として聞こえてしまう部分もあって、多少違和感があってもアムランのほうが耳に馴染んでしまう。
つまりアムランは音楽に対するアプローチがこれまでのピアニストとはやや異なるのだと思う。それは何も超テクだから異なるのではなくて、楽譜から見えているものが違うのだろうと感じる。
例えていえば、これは近年よくあることなのだが、いままで長らく定評のある翻訳と思われていた作品が、若く新しい翻訳者によって間違いを指摘され、そして最近の研究の成果としての新しい翻訳を見せられると確かに納得できる翻訳ではあるのだが、その作品が、しいてはその作家が、いままでとはイメージがちょっと違って見えてしまうような、そういう現象と似ている。これがつまり私が違和感と形容した意味である。
ピアノソナタ第34番 e-moll Hob.XVI-34 はハイドンのピアノソナタの中でも有名な曲のひとつであるが、第1楽章の冒頭から繰り返されるほの暗いテーマ——まるでモーツァルトのK.310のソナタのように、ハイドンとしては異質で愁いがある。清冽でひとつの無駄な音もない。音数が少なくてシンプルである分、その寂しさも悲しみも際だつのである。ゆっくりとした第2楽章から、くるっと回転するかのように速度を上げて第3楽章に突入して行くアムランのピアニズムはとてもクリアで、その澄んだ響きの中にハイドンの誠実な心が何百年の時を経て甦ってくるように感じる。そしてこの短い第3楽章の、上品で軽やかにさえ聞こえる、しんとした孤独な表情は何であろうか。
この曲がソナタ集の中の1曲として出版された頃、ハイドンはモーツァルトと出会いその才能を素直に認め絶賛した。モーツァルトもハイドンを尊敬し、弦楽四重奏曲・ハイドンセットを作曲してハイドンに献呈したのである。音楽史的に考えたら、その頃がまさに人類の音楽の頂点だったのではないだろうか。優れた作曲家がいきいきと生活していた時代の、栄華を極めていた当時のアイゼンシュタットに、遠く思いを馳せるばかりである。
画像:エステルハージ宮のハイドンホール (アイゼンシュタット)
Marc-André Hamelin/Haydn: Piano Sonatas II
第34番の入っている第2集。

Marc-André Hamelin/Haydn: Piano Sonatas I
第1集もあります。

尚、2012年6月には第3集が発売される予定のようです。
Marc-André Hamelin/Haydn: Piano Sonatas III (CDA67882)

第34番ソナタ (WUE 第53番)
http://www.youtube.com/watch?v=xGp5R8OhwaI&feature=results_main&playnext=1&list=PLBC573EA3532F73DE
コメント 0