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カーニヴァルの夜に — レイ・ブラッドベリ [本]

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今、ちょっと辟易しながら義務みたいにシェリー・プリーストを読んでいるのだが、ここのところハヤカワはポケットブックス版のSFシリーズも復活させて好調そうに見えるとはいえ、出すすべての作品が良いわけではない。プリーストは名前に欺されてしまったなぁ。クリストファー・プリーストとは関係ないみたいで。

そんな中で『SFマガジン』の今月号はレイ・ブラッドベリ追悼特集になっているのだが、掲載されている何人かの追悼文で、ブルース・スターリングのものが目をひいた。
スターリングはややシニカルにブラッドベリについて語り始める。

 たとえ、ママが〈サタデイ・イヴニング・ポスト〉誌で読んでいるよう
 な作家だったとしてもだ。ぼくたちがちがちのハードコアSF仲間にとっ
 ては、ちょっと恥ずかしくなるようなことではあるけれど。(小川隆訳・
 以下同じ)

この際スターリングががちがちのハードコアなのかどうかは措くとして、ブラッドベリというとあまりにもビッグネームだが、斜めから見る視点からだと 「恥ずかしい」 とか 「初心者向け」 とか 「軟弱」 とか、どうしてもそういったイメージだけの言葉で語られやすい。でもそれはモーツァルトとかルノアールを大雑把に語ってしまうのと同じように表層的な見方に過ぎない。

スターリングによると、ブラッドベリは大恐慌の頃にアメリカ中西部から西に流れていった一人であったという。貧乏で雑誌を買うこともできず、タイプライターも持っていなかったので『華氏451度』の原稿はコインで動く 「貸しタイプライター」 で打たれたのだとのことだ。
やがて好景気になり、小説が売れるようになっても、その貧しい原体験のようなものはブラッドベリの中にずっと残っていたのではないだろうか。

 仕事場にしていた地下室がブラッドベリの宇宙だった。ぼろぼろになっ
 たパルプ雑誌、書き下ろしペーパーバック、ファンタシイ映画のパンフ
 など、大恐慌時代の子供が楽しみにして育った思い出のイコンの数々。
 それでも、そうした文化に属していたくせに、振り返ってみれば、彼は
 つねにその外にいた。

物語的なイマジネーションのほとんどはそうしたガジェットにこそ宿る。それを物品崇拝にとどめてしまえばマニアであって昇華させるのがライターである。
手触りのよさそうなファンタシィに見せながらブラッドベリには必ず何かしらの毒があって、最後のどんでん返しのような、時として後味の悪い結末は、ブラッドベリが一筋縄ではいかない作家であることを示している。
ハーラン・エリスンの 「ジェフティは五つ」 みたいにラジオ・デイズなオタク系が前面に出て来るわけではないけれど、ブラッドベリが自身のノスタルジアをノスタルジアだけで消化させないポジションが、スターリングの 「つねにその外にいた」 という形容なのだろう。
たとえば 「とうに夜半を過ぎて」 のような一種のキモチ悪さみたいなものは、普通のホラーなどよりかえって不気味な感触を読者に残してくれるように思える。つまり〈サタデイ・イヴニング・ポスト〉的普遍性を持ちながら安易に消費されない芯のようなものがブラッドベリの真髄なのだ。

ブラッドベリのアイテムのひとつとしてカーニヴァルがあるが、カーニヴァルはハロウィーン的で、非キリスト教的なルーツを持っている。日本編集の『黒いカーニバル』は初期の作品集であるが、奇妙で神秘的で悲しみをたたえた印象がより濃厚であり、それは彼の神秘体験などから触発されているものもあるのかもしれないし、そうした精神性はブラッドベリの生涯にわたって変わらず毅然として持続しているように思える。


レイ・ブラッドベリ/黒いカーニバル (早川書房)
黒いカーニバル (ハヤカワ文庫 NV 120)




レイ・ブラッドベリ/とうに夜半を過ぎて (河出書房新社)
とうに夜半を過ぎて (河出文庫)




S-Fマガジン 2012年10月号 (早川書房)
S-Fマガジン 2012年 10月号 [雑誌]

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コメント 2

U3

名前はもちろん知っていたけれど読んだことは一度も無い作家でした。
by U3 (2012-09-16 09:54) 

lequiche

>>U3様
シャレた作品が多いので、おヒマなときにでも是非どうぞ。(^^)
by lequiche (2012-10-31 15:53) 

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