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アダージョの闇 — バルトークのピアノ協奏曲を聴きながら [音楽]

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ベラ・バルトークは私にとって特別な作曲家で、何か書こうと思いたっても、その前にあれを聴いてからにしようとか、これをとりあえずチェックしておいたほうが、というように妙なブレーキがかかってしまって、かえって書くことができないでいる。
でもどうせたいしたことは書けないので、もっと気軽に、とりあえず書いてみようということにしてみた。そう思って聴き始めてみたのだが、でもなかなか書き進められず、すぐにバルトーク漬けになってしまう。

バルトーク Bartók Béla Viktor János は作曲家であると同時に優秀なピアニストで、3つのピアノ協奏曲があるが、第1番は自らのコンサートに使うために、という目的で作曲されたといわれる。
第1番 Sz.83は1926年に作曲され、初演はその翌年、バルトーク自身のピアノとフルトヴェングラーの指揮により演奏された。第2番 Sz.95は1930〜31年に作曲され、1933年にバルトークとハンス・ロスバウト指揮により初演されている。
第3番 Sz.119は1〜2番とはずっと離れて、バルトーク最晩年の1945年に作曲された。作曲家本人によって完全に完成されてはおらず、ほんの少し他人の手が入っている。

私が今聴いているのはマウリツィオ・ポリーニ/クラウディオ・アバド&シカゴ交響楽団 (1979) と、ゾルターン・コチシュ/イヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭オケのフィリップス盤 (1984〜86) である。たまたま手にとれるのがこの2種類だったということに過ぎない。ポリーニは1〜2番のみで3番は録音していない。
最近のコチシュの活動は指揮がメインになりつつあり、フンガロトンでSACDの新しいバルトークのシリーズが進行中のようだ。最終的にはこれがフンガロトンの新全集になるのだろうか。まだこのSACD盤は聴いていないのであるが、今のところピアノ協奏曲は出ていない。

上述のポリーニとコチシュの演奏は両方とも良いと思うが、オーケストラはやはりアバド/シカゴのほうがパワーがあるし、この時期のポリーニはすごくカッコイイ。それはバルトークの楽曲自体にもいえて、つまりカッコイイところだけが上滑りしてしまって中身が無いというような感想を書くリスナーもいて、そういうふうに聞こえてしまうこともあるのかもしれない。かえってその人の感性のレヴェルがわかってしまうともいえるのだけれど。
つまりピアノの先生に言わせるとバルトークというのは両刃の剣で、ヘタに生徒にバルトークを弾かせるとピアニズムが乱暴になってしまうこともあるのだそうだ。こうした現象もやはりバルトークの表層だけを捉えてしまうための弊害だろう。

第3番だけは時代が異なるため傾向が異なるが、1番と2番は似ていて、つまり管楽器がかなり活躍する曲であることと、そして1番が作曲された頃からクロニクル的には 「新古典主義」 だという形容もされるが、バルトークのバッハ的技法への傾斜というか、バッハへのリスペクトもこのあたりから始まっているような気がする。
たとえばコチシュ盤には《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》も収録されているが、これを最初に聴いたとき 「うわぁ、バッハだ」 という強い印象を受けたからだ。

協奏曲1番と2番の速い楽章は前述したようにカッコよくて、特に第1番の最後などキマりすぎていて、こういう構成は通俗なんじゃないかと思ってしまうほどである。
第2番の第1楽章の途中で突如出現してくる、まるでバッハのパロディみたいな個所とか、ショスタコーヴィチ的な管楽器の扱いかた、暴力的とも思えるカデンツァ、これらもまた十分に刺激的なので乱暴な好戦的とでもいえる感覚で聴いてしまいがちだ。

だが私がポリーニ盤を聴いていて深入りしたのは緩い第2楽章であった。
1番の第2楽章は Andante — Allegro — attacca: と表記されていて、訥々と入ってくるピアノがちょっと対位法的風味を見せる。ピアノに絡む悪魔の囁きのようなバスクラ (だと思う)。暗く行進するような一定のリズムが続き、再び溶暗へ。
そして、楽譜を見ていないのでよくわからないのだが、突然始まるドラムの部分がほんの数小節 Allegro で、曲はすぐにアタッカで第3楽章の Allegro molto に突入していく。

2番の第2楽章の場合はもっと過激で、構成は Adagio — Presto — Adagio となっていて、もやもやとした弦をバックに独白するような鈍いスピードでのピアノが続く。ところが突然くるくる走り回るものすごく速い波がやってきて、そしてトランペットの一閃により、また Adagio に戻ってゆく。後半の Adagio は随分毅然としたピアノ。ピアノが静かになったときの重いオーケストラの暗い輝き。ドラムをきっかけに第3楽章 Allegro molto が始まるのも2番と同様だ。
こうした速い部分でのバルトークのピアノの書法は 「打楽器的」 と表現されることが多いが、音がそういうふうに作られているのでそう弾いてしまいがちなのだろうけれど、バルトークに乗せられないでなるべく緻密に冷静に弾くべきだと私は思うし、ポリーニもコチシュもそのあたりは当然解っているのだろう。

バルトークに関してはレンドヴァイの有名な分析があるが (エルネ・レンドヴァイ『バルトークの作曲技法』)、スリルがあって面白い評論なのでその内容をそのまま受け売りしてしまったりしている人もいるくらいなのだけれど、一種のブラフに過ぎないのかもしれなくて、つまり実作との比較検証の点で弱いと思われる。
中心軸システムという考え方は数学の裏・逆・対偶を連想させるし、つまり12音技法があるのだからそういうシステムとしての考え方もあり、と思わせるのだけれど、それは論理としてはちょっと雑で、バルトークがそんな雑な作曲家だったとはとても考えられない。
レンドヴァイの場合、自分の理論に合わせて強引にこじつけていった部分があって、すごく非礼な言い方をすればレンドヴァイは推理小説だと思って読めば楽しめる。

バルトークがその美学の中でトーナリティを完全に無くすことをしなかったのは、言い方がむずかしいのだけれど、ごく大雑把に考えるのならば彼は12音が必ずしも均質ではないと思っていたからで、それが新古典主義といわれる意味でもあるし、それはバルトークの限界ではなくて 「こだわり」 だったと私はとりたい。

それとバルトークの音楽の根底にはコダーイとの作業による民族音楽のフィールドワークがあったという見方もされるが、もちろんハンガリーの土俗的な音構造も作品には反映されているが、民族音楽をベースにしているとする見方は安直で、なんとなくそぐわない部分があって、これだって一種のバルトークの 「はったり」 なのかもしれない、と思ってしまうと言ったら言いすぎだろうか。
バルトークのめざした地点は絶対音楽的で最終的には民族的土壌とは無縁だ。ただ、そうして自己規制していながらも、たまにチラリと無意識に出てしまう瞬間があって、それはフランツ・リストの後裔に連なるハンガリーの血のなせる技なのだと感じる。
ピアノ協奏曲第2番の初演は1933年1月23日、ちょうど80年前の今日であった。


Maurizio Pollini・Claudio Abbado/Bartók: Klavierkonzerte Nos.1&2
(Deutsche Grammophon)
バルトーク:ピアノ協奏曲第1番、第2番




Zoltán Kocsis, Iván Fischer & Budapest Festival Orchestra/
Bartók: Piano Concerto No.1 (Poligram Records)
Piano Concerto 1




Zoltán Kocsis, Iván Fischer & Budapest Festival Orchestra/
Bartók: Piano Concerto No.2 (Poligram Records)
Piano Concerto 2 / Rhapsody




Bartók: Piano Concerto No.1
Maurizio Pollini, Pierre Boulez, Orchestre de Paris
http://www.youtube.com/watch?v=XMwH3011tTk
http://www.youtube.com/watch?v=0eGH826Y3CI
http://www.youtube.com/watch?v=Ijc90fbi9kY
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