カラインドルーの Wedding Waltz — アンゲロプロス《蜂の旅人》に寄す [音楽]

テオ・アンゲロプロスの映画の中でエレニ・カラインドルー Eleni Karaindrou の音楽はサントラに留まらずあまりにも映画そのものと結びついていて、でもそれでありながら単独でも屹立する音楽として稀有の例なのかもしれない。
私が最初にECMのディスク《Eleni Karaindrou/Music For Films》を聴いていた頃、まだ私の中でアンゲロプロスとカラインドルーは結びついておらず、たぶんパーソネルにヤン・ガルバレクの名前があったので買ってみたのだったと思う。
映画は監督ひとりではなく、多くのアクター/アクトレスとスタッフとの集積でできあがるものである。だからそれは誰にとっても不満足で、完全に100%の完成品であることは絶対に無く、その満たされなさゆえに奥が深い。
アンゲロプロスの映画の中でカラインドルーの占めていたスペースは大きく、そしてアンゲロプロスが突然喪われてしまった悲しみも同様に大きい。その音楽は奇跡だったが、でも優秀な監督には自然と有能なスタッフが集まってくるものなのかもしれない。
〈Wedding Waltz〉はアンゲロプロスの《蜂の旅人》(1986) の中で使われている音楽だ。最初に結婚式の場面が出てくるが、そこでほんの薄くピアノで流れる。この曲は映画の中にいろいろなパターンで繰り返し出てくるが、ラウドに使われることはなく、しかもか細いピアノによる音である。
めでたいはずの結婚式は死の旅への始まりである。養蜂のための 「花の道の旅」 に突然厄介な少女 (ナディア・ムルージ) が現れ、スピロス (マルチェロ・マストロヤンニ) はつきまとわれる。主人公がうろたえながらも徐々にその状況を受け入れていくのはリュック・ベッソンの《レオン》(1994) と同じであり、遡ればルキノ・ヴィスコンティの《家族の肖像》(1974) と同じである。

スピロスが辿るのは過去の清算の旅であり、やがて少女にはスピロスの未来が読めてしまう。そして少女は言う。「“過去の旅人” さん 私には過去がない」。
過去が無いのはもちろん若さを象徴しているはずなのだけれど、もしかしたら少女には《ブレードランナー》(1982) のレイチェルのように過去そのものがないのかもしれない。繰り返しあらわれるヤン・ガルバレクのサックスの音色に私はブレードランナーの Love Theme を連想してしまう。
ただアンゲロプロスには愛といえるものさえない。愛に見えるのは死にゆくものへの憐憫に過ぎない。少女は蜂の暗喩であり、さすことによって蜂は死ぬ。アンゲロプロスに較べればリドリー・スコットの死のイメージは、ずっとバラ色だ。
アンゲロプロスに出てくる建物はすべてが一定の美学に基づいている。鉄道がすぐ横を通る廃屋となったパンテオン。人も、文学も、映画も、すべて死に逝くものなのかもしれないということを予感させるショット。
YouTube にはこの Wedding Waltz のカヴァーがいろいろあって、このところ憑かれたように繰り返し聴いていた。ヨーゼフ・シュトラウスのワルツもカラインドルーのワルツも、ワルツとは悲しい曲なのである。
テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX III (紀伊國屋書店)

Wedding Waltz
http://www.youtube.com/watch?v=y-UtUDQi4aY
top tracks for Eleni Karaindrou
http://www.youtube.com/watch?v=0V3kfjORqqM&list=AL94UKMTqg-9D8IIj6bCwfeGKZYfItfTip
(7曲目のWaltz of the Bride も悲しいワルツである)
ワルツとは悲しい曲なのである…に全面的に賛成します。そのものずばりのシベリウス「悲しきワルツ」に聞かれるように、ワルツの甘美なリズムは、手から離れていく「時」とそれに抗い押しとどめようとする人間の桎梏の象徴としてあるのではないでしょうか。映画でいうとこの曲はプルトニウム最終処理場をめぐるマドセンの「10万年後の安全」にも使われていましたが、キューブリックのシュトラウスとか、ソクーロフのグンリカとか、みなこの桎梏をめぐっているようにも思い出されます。
by koga (2013-01-24 22:25)
>> koga様
桎梏の象徴ですか。
私はそこまで深く考えてはいませんでしたが、
でもウィンナワルツにも感じられるように、
甘美で通俗に見えるものはその裏側に常に退廃の影を伴っています。
そもそも奇数拍子のリズムというものは人工的ですし、
本来の人間の生理的リズムと相容れない要素を持っていると思います。
その異質感が人間の感情に突き刺さるのではないでしょうか。
BISレコードには大全集である 「シベリウス・エディション」 以前に出た
シベリウス選集のようなセットがあって、私はこれを持っていますが、
この中に 「悲しきワルツ」 も入っています。シベリウスらしい音ですね。
マドセンはその人も映画も知りませんでしたが、
そういうふうな題材に使われているのも象徴的だと思います。
ワルツに限らず音楽には、むしろ明るい音楽の中にこそ、
明るさの中に潜む、ふと翳るようなはかなさがあって、
その最も典型的な例はモーツァルトですが、
時として言葉以上の訴求力を持つものです。
音楽は抽象的ですけどそれゆえにかえって直接的です。
by lequiche (2013-01-25 05:35)