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ランチに出かけた人のこと [本]

間章01_de.jpg

書店で真っ黒い本が平積みになっていた。
それは間章著作集第1巻で、間章は 「あいだ・あきら」 と読む。

間章は音楽評論家/プロデューサーで、一時期のアヴァンギャルド・ジャズに関する評論家としてのカリスマである (と思う)。こう言い切ってしまうと何となく後ろめたいのだけれど。
それは後からだんだんとわかってきたことで、あちこちに残された足跡を総合していってその全体像が見えてきたような気もするし、でもきっと私はいまだにその全体像を把握できてはいない。

スティーヴ・レイシーやデレク・ベイリーを日本に紹介したのは彼だし、エリック・ドルフィー論の翻訳は大変役にたったし、そしてなによりブリジット・フォンテーヌのライナーノーツは単なる解説でなくて文学作品に近かった。その蒼い色がそのままフォンテーヌの音楽の暗喩でもあった。後年、サラヴァの録音の拾遺集のタイトルが《サラヴァの屋根裏部屋》だったことから私はそのグルニエの描写を思い出す。
ただ、手がけた音楽がメインストリームでなかったために、間章という名前すらそんなに知られていない。著作も入手しにくい状態だった。

googleで検索したら 「松岡正剛の千夜千冊」 の第342夜にすでにこの本の書評が載っていて、これを読んでしまうと私が書けるようなことは何もない (リンクするのは畏れ多いので検索してください)。
ただ、私はたぶん、彼の文章のスタイルに最初惹かれたのではないかと思う。良いか悪いかは別として、その独特の言い回しに暗いパッションを感じた。同様に独自のスタイルを持っていたのは若い頃の蓮實重彦で、二人のスタイルは異なるのだけれど、ある意味似ている。というか私の文章はこの二人のパターン認識から、むしろ模倣から始まったといってもいい。レトリックというと意味としては狭すぎて、もっと抽象的なポジションというかスタンスに対するミーハーである。
ただ、今の目で読んでみた場合どのような感想が得られるのか、ある時代を超えた普遍性を持っているのかどうか確かめてみたいし、自分自身に対してもちょっとした踏み絵のような気もする。

間章は32歳で急逝してしまったがそれまでの彼の業績は広く多彩だ。すべての著作は死後に出版されたものだが、『僕はランチにでかける』というエッセイ集のタイトルはエリック・ドルフィーのアルバム《Out to Lunch!》を指し示している。ランチに出かけただけなのだから、そのうち帰ってくるのかもしれない。

今回の著作集は、真っ黒なところを含めて最初に出版されたイザラ書房のデザインに似せている。イザラ書房版は菊判布装貼函入り (画像左) だったが、今回の月曜社版 (画像中央) は四六判カバー装で、これまでに出された著作を統合し全3巻とのことである。
尚、イザラ書房版には、後に機械函入りにした再版本を見かけたことがある。

画像右は、うちの書架の隅で見つけた『ヴァリエテ』という誌名の古い雑誌で、間章の 「フィルムと死体置場」 という文章が掲載されていた。この雑誌についてはよくわからないが雑誌『エピステーメー』が終刊になった頃の発売日になっている。
雑誌はちょっと黴臭いけれど、まだ本というメディアにパワーが備わっていた頃だったはずだ。


時代の未明から来たるべきものへ 間章著作集 I (月曜社)
時代の未明から来たるべきものへ (間章著作集)




月曜社サイト
http://getsuyosha.jp/kikan/isbn9784901477697.html
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CROSTON

ん~~~。最近まともに本を読んでいない・・
しっかり本読んで考えたりする時間作らないと・・
by CROSTON (2013-02-02 16:06) 

lequiche

>>CROSTON様

コメントありがとうございます。

読書って一度サボッてしまうと億劫になりますね〜。
ジョギングなんかと同じで習慣にするのがいいのかもしれません。
でも無理して読んでも楽しくないですから。(^^
by lequiche (2013-02-03 01:52) 

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