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遠い森の彼方から — バルトーク《コシュート》 [音楽]

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ジャズにおけるインプロヴィゼーションは結局 「手くせ」 の延長でしかなくて、それは緻密に書かれたクラシックの展開部とかカデンツァより劣ると思ってしまってから、私はあまりジャズを真剣に聴かなくなってしまった。
だが逆に、たとえばジョージ・アンタイル George Antheil のジャズ・ソナタ (Piano Sonata No.4) みたいなのは、どんなにテクニック的に高度で難曲であったとしても、その構造はジャズのテイストをコラージュしただけであって、むしろ諧謔でしかなくて、どこまでいってもそれはジャズそのものではない。昨日、アムランのDVD《It’s all about the music》を見ていてそう思った。

バルトークの初期の交響詩《コシュート》(Kossuth) も、その 「交響詩」 という名称から受ける先入観で、なんとなく散漫でインスピレーションのコラージュみたいな方法論なのではないかという漠然とした印象を持っていた。まだ若書きという思い込みもあったのかもしれない。
私がいままで主に聴いていたのは Hungaroton の《Bartók Complete Edition》というグリーンのパッケージの全集で、コシュートのデータを見てみると録音は1964年になっている (György Lehel/Budapest Symphony Orchestra)。
さすがに50年も前の録音だから聴いてみても古色蒼然とした感があるのは否めない。フンガロトンでもそう思ったのか、最近新しいパッケージの、Bartók New Series というのを出し始めていて、ゾルターン・コチシュを中心とした21世紀の音になっている。コシュートの場合、2006年11月の録音だ (Zoltán Kocsis/Hungarian National Philharmonic Orchestra)。

このコチシュのコシュートは音がクリアであるだけでなく、その解釈においてもクリアで、この曲全体の構成がはっきりとわかる演奏になっていると思う。
私はエル=バシャのプロコフィエフのソナタ第2番について書いたとき (→2012年06月17日ブログ)、比較してリヒテルの演奏を 「それらの音がなぜそこにあるのかという必然性が弱いような気がする」 とごくソフトな表現で指摘したが、これと同様のことがこの古い全集盤のコシュート演奏にもいえるような気がする。だから私は散漫でコラージュのような印象を持ってしまったのだ。
バルトークがコシュートを作曲したのは22歳の時だが、バルトーク的な音の特徴がまだ少なく、リヒャルト・シュトラウスに刺激されてこの曲を書いたということでそうした影響が感じられるにせよ、コチシュの演奏からは、すでにバルトークが彼自身の語法を完全に持っていることがよくわかる。それはレヘルの指揮からは感じられなかったことだ。

コシュートは10の部分に分かれているが、たとえばレヘルの場合、V: Majd rosszra fordult sorsunk... の6連符の音のつらなるあたりが妙にセンチメンタルで印象に残ってしまう。実は私が好きな部分だからそういうふうに聞こえるのかもしれないが。だがこの曲は時間的にも最も長いVII〜VIIIの部分に向かっていかなければならないはずだ。レヘルの音はリニアで、そうした求心性があまり感じられない。なにより全体を覆うぼんやりとした霞みたいな物憂さのようなイメージがつきまとう。
だがコチシュ盤だとそもそも最初から霞がないし 「もこもこ感」 がない。この曲の重要なキャラクターとしてファゴットとホルンがあるが、というか全体的に管が重要視されている曲であって、そのへんのコントロールに格段の違いがある。
だからVも大仰にセンチメンタルでなくさらっと通り過ぎてしまう。
ただVIIIからIX、Xへと収束していく最後のあたりは、バルトークのスコアにやや 「なごみ感」 があって通俗の匂いがする (通俗が悪いといっているのではない)。そのあたりの映画音楽的な急転直下の解決をかえってキモチイイと感じる人もいるのかもしれない。

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Kossuth [V] の後半部 (110小節〜) の管の動き
6連符の音群の中に、たまに5連符が混じる

そのコチシュ盤の後で、もう一度レヘル盤を聴くと、いままでわからなかった部分がそれなりにわかって聞こえてきて、古いけれどこういう音もこれでそれなりにいいな、とも思ってしまう。つまりコチシュのトレースがコシュート理解へのきっかけを与えてくれたような気がする。

コシュートというタイトルはハンガリーの伝説的革命家ラヨシュ・コシュートへのバルトークのリスペクトであって、そこにヤン・ガルバレクのとき取り上げたチェ・ゲバラへの讃歌〈Hasta Siempre〉に似たものを感じる (→2012年11月02日ブログ)。ハプスブルクから独立しようとしたコシュートのハンガリー革命は結局成功せず、亡命した彼は世界各地を転々とした末にトリノで客死する。そのコシュートへの熱き思いが若きバルトークを駆り立てたことは確かである。

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hu.wikiのコシュートの画像は妙に哲学者風だ。
それともオーギュスト・ブランキ風?

トップの画像:18歳のベラ・バルトーク


Zoltán Kocsis/Bartók: Kossuth・The Wooden Prince (Hungaroton)
Wooden Prince (Hybr)




Marc-André Hamelin/It’s All About the Music (Hyperion)
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