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Ladies of the Canyon と Blue — ジョニ・ミッチェル・2 [音楽]

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なぜ私がフォークソング系の音楽から距離をとるようになっていたかと考えていたら思い出したことがある。過去の話だが、音楽が好きで、大量のメディアを所有しているという人がいて、何人かの人たちと一緒にその自宅に行ったことがあった。そこで宴たけなわとなった頃、彼等が見始めたのはザ・バンドの解散コンサートをとらえた《ラスト・ワルツ》という映画で、これが非常に有名な映画だということくらいは私も知っていたが、観たのは初めてだった。

それでその映像を見ながらその場はさらに盛り上がっていたのだったが (ザ・バンドとかその種類の音楽が好きな人には申し訳ないのだけれど)、私には曲も内容もなんだか全然わからず、はっきりいってしまうと、どう盛り上がればいいのかわからない状態で、かなり当惑してしまって苦しかった記憶がある。思えば長い忍耐の時間だった。
曲が良い悪いとか、これは誰、とかいうことがわからないのもあるのだが、その、何というか、全体から醸し出されて来る 「お祭り」 状態にノルことができなかったのだと思う。別にお祭りとかコンサート自体が悪いわけではないのだけれど、そもそもそうした騒ぎ方が私はあまり好きではないのかもしれない。
それはひとつフォークソングに限らず、ロックでも同様なのだが、なぜかフォークの根源はアジテートする音楽だという先入観を私が持っているような気がする。

これは《ラスト・ワルツ》の話とは離れて、一般論でいうのだけれども、手拍子とか観客総立ちとかコール&レスポンスとか、そうした反応が自然に発生するのならともかく、強要されてルーティンワークのようになってしまうのは、人によっては却って疎外感を持ってしまうし、そうした 「音」 は 「楽」 しくない。
ただ、そうしたいわゆる 「大騒ぎ」 も音楽の楽しみ方のひとつであることも確かなのだろうとは思う。私には無縁なだけで。
かくして私の興味はどうしても密室の音楽に向かいがちになってしまう。

さて、そうしたフォークソング嫌いの私が見出したジョニ・ミッチェルの2である (1は→2012年12月31日ブログ)。《The Studio Albums 1968-1979》の3枚目と4枚目を聴いてみた。
この前のブログを書いた後、何人かのひとからそれぞれのジョニ・ミッチェル観を聞くことができたが、ベーシックな部分で人気がある歌手なのだなぁと改めて思ったものである。そうした中で推されたアルバムには4枚目の《Blue》が多かった。

私は今回、彼女のこれらのアルバムをほとんど初めて聴いているわけで、つまり同時代的なシンパシィは無いし、いままでの世間的な評価とはちょっと違うことを書くかもしれないのでそんな場合は初心者の戯れ言と聞き流していただきたい。

最初に結論から書いてしまうと、3枚目の《Ladies of the Canyon》と4枚目の《Blue》を続けて聴いてみて、私が感じたのはこの2枚の間の落差である。その落差とは何かというと、それは声である。《Ladies of the Canyon》と《Blue》では1年きり違わないのに、その声質が変わっている。これはごく些細な違いなのかもしれないが、私の印象ではそれは愕然とするほどの違いで、つまり3枚目までの声はピュアで、まるで少女の声なのだが《Blue》から彼女の声はオトナの声になっている。
私はすでに以前、《Hejira》や《Mingus》は聴いたことがあると前のブログにも書いたが、《Blue》の声はそうしたアルバムでお馴染みのジョニ・ミッチェルの声に違いなかった。
これはきっと異論があるかもしれない。皆、同じ声といえばその通りなのかもしれない。だが私にとっては1〜3枚目のピュアな声質は特別なことのように思える。
別に若い声が良いということではないし、また年齢を重ねても声質がそんなに変化しない歌手もいる。逆に年齢以外の原因でも声質が激変する歌手もいて (たとえばマリアンヌ・フェイスフル)、それはそれとして面白いと思うのだが、ジョニ・ミッチェルの場合は、きっと単に声質だけでなく、その歌として展開されている精神的な世界を含めて《Blue》からは何かの変化があったのではないだろうか、と私は考える。そうしたものも含めた総体が声質に影響しているように思えてならない。

たとえば松田聖子の声は、ごく初期の頃、ものすごく透明でピュアな、芯のある声質だった。だがそれはすぐに失われ、その後もずっと松田聖子ではあるのだけれど、あのピュアな声質は初期の数曲でしか聴くことができない。惜しいけれどこれは仕方がないのだろう (でもこのことはあまり言われていないように思う)。《Ladies of the Canyon》と《Blue》を続けて聴いて感じたのは、この松田聖子の激変に似た印象だった。ジョニ・ミッチェルの実際の変化はごく微小なのかもしれない。でも声質のほんのちょっとした 「ずれ」 はすぐに気づくものだ。
それと引き換えに《Blue》からジョニ・ミッチェルは憂いの表情を見せてくれる。その獲得したスタイルは以後の彼女にトータルで感じる表情であって、表情というよりも端的にいえば彼女の哲学であって、だからこれがジョニ・ミッチェルの本質であり、1〜3枚目は彼女の未熟な (稚拙という意味でなく、新鮮で純粋なという意味で) 魅力と見ることもできるのかもしれない。

《Ladies of the Canyon》の中で私が最も気に入っているのは8曲目の〈The Priest〉である。音の連なりと、歌詞と、その韻と緻密な歌い回しから醸し出される風景は完璧である。アナログディスクでは、おそらく7曲目からがB面なのだろうが、このB面の完成度の高さはすごいと思う。有名曲の〈Big Yellow Taxi〉や〈The Circle Game〉もすべてこのB面に入っているが、その中からあえて〈The Priest〉を選んでしまうのが私の感覚の特徴なのかもしれない。


Joni Mitchell/Studio Albums 1968-79 (Warner Bros UK)
Studio Albums 1968-79




Joni Mitchell/Ladies of the Canyon (SHM-CD: Warner Music Japan)
レディズ・オブ・ザ・キャニオン(紙ジャケット仕様)




Joni Mitchell/Blue (SHM-CD: Warner Music Japan)
ブルー(紙ジャケット仕様)




Joni Mitchell/The Priest (Live)
http://www.youtube.com/watch?v=tUi6aTtn7Sk
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Loby

いっしょにノレないことほど辛いものはありませんね…
それかと言って、さっさと帰るわけには行かないし。
難しいところです。

by Loby (2013-04-05 21:37) 

lequiche

>> Loby様

音楽といっても色々ありますので、
たまたま知らないジャンルだと入りにくいです。
こういうのはちょっと苦手、というのってありますよね〜。
でも、そうはいえませんから
顔はニコニコ、心の中はどよ〜ん・・・です。(^^;)
by lequiche (2013-04-06 03:35) 

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