ナタリオ・ゴリン『ピアソラ 自身を語る』を読む [音楽]
Astor Piazzolla, Amelita Baltar, Horacio Ferrer
アストル・ピアソラ (Astor PIazzolla/1921〜1992) のブエノスアイレスへの偏愛については以前書いたことがあるが (→2013年10月04日ブログ)、それはピアソラに限らず、アルゼンチンの人たちのこの都市への特有で特殊な熱情はたとえばホルヘ・ルイス・ボルヘスの書き綴った言葉の中にも同様にあって、その自分が生息する都市に対する共感のようなものは、かつて久生十蘭が生きていた頃、彼が魔都と呼んだ東京にはあったのかもしれないが、今は絶えて久しい。
ピアソラの言葉を収録したナタリオ・ゴリンの『ピアソラ 自身を語る』という本の中には、ピアソラの次のようなブエノスアイレスへの述懐がある。
私には二人の偉大なマエストロがいた。ナディア・ブーランジェとアル
ベルト・ヒナステラだ。三番目を私は、下宿の寒い部屋とか、一九四〇
年代のキャバレーとか、舞台と楽団付きのカフェとか、過去と現在の人
々とか、町の音とかの中に見いだした。その三番目のマエストロの名は
ブエノスアイレス。私にタンゴの極意を教えてくれた。(p.17)
きっとブエノスアイレスは、アルゼンチンの中のひとつの都市としてのブエノスアイレスではなく、ひとつだけ突出した都市として屹立しているのに違いない。少なくともピアソラやボルヘスの意識の中では。
それはアメリカ人におけるニューヨーク、フランス人におけるパリ、日本人における東京とは少しニュアンスが違うような気がする。アルゼンチンという国における特異点のようなもの。それがブエノスアイレスなのだ。そしてそこで生成される音楽こそがタンゴなのだ (であったのだ) とピアソラは言う。
タンゴとフォルクローレはどちらも実にアルゼンチン的で真正な表現で
あるにもかかわらず、両方を同時に演奏することはできない。どちらを
選ぶかということだ。ブエノスアイレスの人間は、サルサやトゥクマン
やメンドーサの人間とは違う。優劣をつけたいのではなくて違うと言っ
ているだけだ。(p.37)
若きピアソラに影響を与えた音楽はセバスチャン・バッハとジョージ・ガーシュインだった。ガーシュインについてピアソラは、自分のブエノスアイレス観と同じようにニューヨークに帰属する人だと考えていたのだろう。
私たちは決して接点を持つことはなかったが、お互いの作品の間にはな
んらかの類似性があると、常に感じていた。たぶんそれは、彼の音楽が
ニューヨークを、私の音楽がブエノスアイレスを、それぞれ表現してい
るからだと思う。(p.93)
『ピアソラ 自身を語る』に書かれていることのほとんどは、DVDの《The Next Tango》やその他のメディアで繰り返されている話題が多いが、それでも幾つかの新しい発見があって興味深い。
たとえばオスバルト・プグリエーセに対しては、タンゴの偉大で尊敬する音楽家のひとりであると認めながらも、互いの音楽性が合わないと言っていたり、ボルヘスに関しては一緒に仕事をした経験から、彼の詩作は大変にすぐれていると認めながらも、彼には耳が無い、と厳しい結論を出している。
ただ、こうして改めて読んでみると、ピアソラの交流範囲の広さは驚くべきことで、カルロス・ガルデル (Carlos Gardel/1890〜1935) とも接点があるというのは、ピアソラがまだ子どもの頃にガルデルの映画に端役で出演したからだが、ガルデルに気に入られたピアソラが、もしそのまま彼のもとで過ごしていたならば、その後のピアソラはなかったであろう。なぜならガルデルはその1年後、飛行機事故で亡くなっているからだ。
他にもピアソラはストラヴィンスキーとも一瞬だけ出会っていたりして、彼の一生の中のひとつの記憶となっているらしい。
ピアソラは子どもの頃から悪ガキでありながら、父親に反逆することはなく、数々の努力をしながらも大きな成功をすることができなかった父への敬愛は、彼の有名な作品のひとつである父へのレクイエム〈アディオス・ノニーノ〉に結実している。
また、ピアソラのタンゴ・プレイヤーとしての基礎を形作ったアニバル・トロイロのもとでの演奏や編曲活動はピアソラの向かう道を決めただけでなく、その後の苦難にも耐えうる強い精神性を伝授されたものだったのかもしれない。トロイロはピアソラにとって第二の父でもあった。1939年、ピアソラがトロイロの下でバンドネオンを弾き始めたとき、彼は18歳であった。
私はじっとせずに行ったり来たりするので、トロイロからガート (猫) と
あだ名を付けられた。私は一九三九年から一九四四年までの五年間、彼
のオルケスタで素晴らしい時間を過ごした。(p.51)
バンドネオンを自分より上手く弾く人は他にもいるかもしれないが、音の強さでは誰にも負けないとピアソラは言っている。その強いタッチの音は永遠に喪われたが、タンゴはジャズなどとは違い、基本的にはスコアによる音楽であるので、その作品はこれからも演奏され続けるのだろう。
ナタリオ・ゴリン/ピアソラ 自身を語る (河出書房新社・2006)
アストル・ピアソラ/ブエノスアイレスのマリア (ビクターエンタテインメント)
ミルバ&アストル・ピアソラ/ライヴ・イン・東京1988 (SPACE SHOWER MUSIC)
Milva & Astor Piazzolla/Live in Tokyo 1988.06.26.
上記の日本での最後のコンサートのNHKで放映された映像。
https://www.youtube.com/watch?v=cArPVwrlNFI
Maria de Buenos Aires
タンゴ・オペリータと名付けられているピアソラ作品の21世紀における演奏。オリジナルのピアソラ/フェレールの演奏とは異なるが、上演に際しての数々の工夫が見られ、その精神性は失われていない。
https://www.youtube.com/watch?v=FdUxR4m2IeI&list=PLBC35F2ED3D288F58
2014-10-18 05:30
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おはようございます。昨日のオフ会は楽しかったですね。
lequiche さん、音楽ブログだったんですね(驚!)。
現在、うちのSはピアソラのリベルタンゴを練習してます(笑)。
by koten (2014-10-19 09:06)
昨晩はお疲れ様でした
楽しい時間を有難うございました
また宜しくお願いいたします
しかし驚きましたねぇ^^;
未だに不思議な気分です(笑)
by さる1号 (2014-10-19 09:57)
昨夜はありがとうございました!
早々にお暇してしまいましたが、
今度はゆっくりできればと思います。
宜しくお願いいたします^^♪
by 昆野誠吾 (2014-10-19 11:01)
昨晩は楽しいお話しをありがとうございました。
とても楽しかったです。
私はあの衝撃がまだ体を離れずにおりますが^^;
「駄目な音楽も、ダメなブログも無い」という
lequicheさんのお言葉を胸に、
これからも精進していきます^^
宜しくお願いします。
by 青山実花 (2014-10-19 15:56)
こんばんは。昨日は楽しい時間をありがとうございました。
「文字の多いブログ」の意味が分かりました。文学や音楽に(もっと他にも)深い造詣をお持ちで、すごいです。スナップ写真でスペースを埋めようという安易な自分のブログが恥ずかしいです。
by sig (2014-10-19 17:50)
>> koten 様
お疲れさまでした。
そして素晴らしい演奏ありがとうございました。
一応、音楽ブログなんですが寄り道ばかりでぐずぐずです。(^^;)
リベルタンゴ、いいですね〜。
ピアソラもだんだんとスタンダード化しているみたいです。
by lequiche (2014-10-19 18:37)
>> さる1号様
こちらこそありがとうございました。
はい。不思議な気分ですけど、
よく考えるとヒントは色々あったんです。
自称江戸川コナンとしては (ぉぃぉぃ)、
そのヒントを見逃してしまったのが残念です。(笑)
by lequiche (2014-10-19 18:37)
>> 昆野誠吾様
お疲れさまでした。
次もどうやらありそうですから、
そのときはまたゆっくりお話ししたいですね。
よろしくお願いします。
by lequiche (2014-10-19 18:38)
>> 青山実花様
こちらこそ参考になるお話をありがとうございました。
衝撃は震度6くらいでしたね。(^^)
いえいえ、お言葉というようなものではないですが、
人が精魂こめてつくったものは、
そんなに簡単に否定できないはずです。
否定できるのはものを作ったことのない人かもしれません。
これからもがんばってください。
by lequiche (2014-10-19 18:39)
>> sig 様
大変楽しい時間を共有できてうれしく思っています。
私のブログは単に画像を載せるのが面倒なので、
というのもありますが、
文字と、できればなるべくモノクロ写真で、
カラーレスにしたいというのがコンセプトです。
sigさんのブログが安易なわけないじゃないですか。
これから少しずつ読んで勉強させていただきますので。
by lequiche (2014-10-19 18:39)