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カルロス・クライバーの思い出 [音楽]

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Carlos Kleiber

カルロス・クライバー (1930〜2004) は、父であるエーリヒ・クライバー (1890〜1956) に対してある種のコンプレックスを持っていたという。すでに高名な指揮者だったエーリヒは息子が指揮者になることに反対だった。だからカルロスが音楽の道に入ったのは1950年頃とされていて、常識的に考えればすごく遅い。
クライバー一家は1935年にナチスから逃れてアルゼンチンに亡命しており (それはカルロスの母ルースがユダヤ系だったからだが)、カルロスはブエノスアイレスで育った。その地はアストル・ピアソラ (1921〜1992) がすでにプロの演奏家として活躍し始めていた頃のアルゼンチンの首都である。

カルロスが一度は父親の意向に沿って音楽以外の将来を目指しながら結局は音楽の道に戻り、指揮者としてデビューしたのは1954年だったが、父エーリヒはその2年後に亡くなる。父と息子の確執というか微妙な関係についてはいろいろと言われているが、父の威光に頼らないといいながらも、ある程度のプッシュもあったことだろうし、親子の間にどのようなドラマがあったのかは結局2人にしかわからない。
そしてカルロスは、ローカルな歌劇場の指揮者から叩き上げてだんだんと名前を知らしめてゆく。オペラ指揮者というのは、ライヴにおける数々のイレギュラーなことに対応しなければならず、たとえが悪いかもしれないが、普通のコンサート指揮者がF1ドライバーならオペラ指揮者はラリー・ドライバーのようで、もっともしたたかな精神性と瞬時の判断に耐えうるテクニックを要求されるものだと思う。

クライバーの魅力は、もちろんその楽曲解釈の独特さにあるが、そのビジュアル的な指揮振りも重要な特徴となっている。曲が何だったかは覚えていないが、ライヴでオペラを振っているDVDの映像を見て、その魔術的といってもよいタクトの振り方に私は引き込まれた。それは店頭で販促として流されていた映像だったが、普通ならオペラは歌手が主役のはずなのに、その映像では主役は完全に指揮者になっていた。

後になってから、クライバーのオーケストラとの練習風景を収めたDVDを見て、その細かな指示にあらためて納得した。《こうもり》と《魔弾の射手》のリハーサル風景はクライバー39歳のときの映像だそうだが、逆にいえばこういうこだわりだと、クライバーとトラブルを起こしたオーケストラがあったことも肯ける (→YouTube 1)。
Overtüre zu ‘Die Fledermaus’ の映像は上記リハーサルより後年だが、その指揮の表情——腕の振りや視線や全身の動きはよりこなれてきて、官能的といってもよくて、この頃の流麗な指揮がクライバーの絶頂期だと思われる (→YouTube 2)。
2回あるウィーンフィルのニューイヤー・コンサートの映像はクライバーに衰えが見られ、特に2回目のニューイヤーは、最盛期の指揮振りからすると物足りないように感じる。

私が実際にクライバーのオペラ指揮を聴いたのは一度だけだが、その時の席は奇跡的ともいえる最前列で、正面よりやや左だったため、オーケストラピットで指揮するクライバーの横顔を間近に見ることができた。というより、ほとんどクライバーの指揮しか見ていなくて、オペラそのものの印象はかすかにしか残っていない。
舞台上の歌手に対する的確な指示。オケの完璧なコントロール。それはコンダクターというよりディレクターだ。クライバーのように振れる指揮者はもう二度と出てこないだろう。
また、その時わかったのだが、オペラというのは歌手と指揮者のものであって、オケの楽員たちは曲が終わると、何回ものカーテンコールに応じる歌手と指揮者とは違って、さぁ帰りに一杯やろうぜ、みたいなすごくビジネスライクな表情でさっさと引き上げていくのが面白かった。
オケピットを上からのぞきこむと椅子と譜面台がせせこましく並んでいて、楽譜を照らす照明がほの暗く幾つも点っていて、歌劇といういわば原始的な視覚芸術の原点がここにあるような気がする。

クライバーの解釈は常に斬新で、だが交響曲の振り方には、私の感覚からすると、えっ? という曲が無いわけではない。それがまた魅力でもあるのだろうが、例えば父エーリヒ・クライバーのアプローチとは異なっていて、エーリヒはあくまで正統派で、だからといってカルロスが異端というのではないが、そのこだわりと解釈の違いが感じ取れる。穿った見方をすれば、わざと父とは違うようにしたという考え方もできる。でありながらもカルロスは、父エーリヒの使っていたスコアを仔細に検討していたのだそうだ。
だがオペラに関しては、その映像の魔術的タクトに惑わされてしまっているのかもしれないが、どれをとっても音楽の喜びに満ちている。カルロス・クライバーの指揮したオペラは、すべてこれまでの他の演奏とは違った特殊な色彩を帯びた記憶となって残っている。これは単に私の偏愛に過ぎないのかもしれないけれど。


Carlos Kleiber/Die Fledermaus (ニホンモニター・ドリームライフ)
ヨハン・シュトラウス2世「こうもり」 [DVD]




Carlos Kleiber/The Legend (Philips)
Carlos Kleiber: The Legend [DVD] [Import]




Carlos Kleiber/Neujahrskonzert in Wien (1989)
(ユニバーサルミュージッククラシック)
ニューイヤー・コンサート1989 [DVD]




YouTube 1
リハーサル1970 (但し、この映像は英語字幕である)
https://www.youtube.com/watch?v=NVk2Glu-7kM

YouTube 2
Bayerisches Staatsorchester/Overtüre zu ‘Die Fledermaus’
https://www.youtube.com/watch?v=uJoOYg7Qvc8

Brahms Symphony No.4
https://www.youtube.com/watch?v=yCaaPaQx5zg

Beethoven Symphony No.7
https://www.youtube.com/watch?v=2Sw97NzvvsE
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コメント 4

sig

こんにちは。
オペラはNHKのBSで観る程度ですが、一般的なコンサートとオペラとの違いが指揮者を軸に説かれていて、とても参考になりました。
「クライバーのオペラ指揮を最前列で・・・」すばらしい体験だったことでしょう。その様子が見事に描かれていて、感動しました。「オペラというのは歌手と指揮者のもの」・・・すごく納得です。
by sig (2014-10-28 13:35) 

lequiche

>> sig 様

オペラ指揮者に対する見方は私の印象であって、
シンフォニー指揮者こそ最上とするご意見も当然あると思います。
たぶんそれがほとんどでしょう。

オペラは演劇+音楽という点で映画に似ています。
ただ映画はなんどもトライし編集して完全になるよう仕上げますが、
オペラはナマモノなので、どうなるかわからないスリルがあります。
それは舞台芸術一般にいえることですが、
演劇だったらセリフを忘れたり、
音楽だったらシンバルを落っことしたり、
オペラはその複合ワザなので数限りなく危機 (^^;) が襲ってくるわけで。

オペラの座席はたまたまで、
会場に行ってから一番前なのがわかり、びっくりしました。
たぶんそこで一生の運をすべて使い果たしたんだと思います。
以後、なにもいいことがありません。(^^)

でもクライバーのニューイヤーコンサートに行けなかったのが残念です。
しかも2回もあったのに。(-_-;)
by lequiche (2014-10-29 12:55) 

sig

ていねいなご返信、ありがとうございました。
実はメトロポリタンオペラの「アイーダ」を録画してあるのですが、観るのが一層楽しみになってきました。
by sig (2014-10-30 17:14) 

lequiche

>> sig 様

それは楽しみですね。
オペラは長いですから見るまでに決心がいりますが、
でも実は全部観なくてもいいんです。
ちょっとだけ「つまみ食い」というのもありだと思います。
by lequiche (2014-10-31 05:15) 

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