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メイイー・フーのグバイドゥーリナその他を聴く [音楽]

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Mei Yi Foo

この前、グラックのブルトン論を読み始めたら、彼の後年の静謐な作風とは異なった、意外に強くて断定的な文章で、しかもその構造がブルトンの統辞法を彷彿とさせて、そうした印象はこれが書かれた1948年という時代を映している証しなのかもしれないと思ってしまった。

ジュリアン・グラック (Julien Gracq, 1910−2007) の最も有名な小説は『シルトの岸辺』(Le Rivage des Syrtes, 1951) だろうが、その状況設定がディーノ・ブッツァーティの『タタール人の砂漠』(Il deserto dei Tartari, 1940) に似ているといわれる。
グラックはシュルレアリスムの系譜に数えられるが、そのポジションを正確に把握するのはむずかしい。グラックはつまり遅れてきたシュルレアリストであるが、このブルトン論を読むとその運動体に対する彼なりの視点がわかってくる。だがその論理をあてはめて彼の作品を読もうとするとシュルレアリスムという分類に居心地の悪さを感じる。このへんがいまだに謎だ。
岩波文庫で最近『シルトの岸辺』が復刊されたが、冒頭のフレーズが変えられていて、思わず 「えっ?」 と声に出してしまった。書き出しをどうするのかはプルーストの冒頭でもそうだが、翻訳者を悩ませるものなのだろう。

グバイドゥーリナがタタールの生まれであることを知ったとき、私が最初に思い浮かべたのはブッツァーティのこの作品のタイトルだった。
そして私が初めて聴いたグバイドゥーリナの最初のCDは何だったのか、今は思い出せないのだが、BISの一連の黒地のジャケットデザインのなかの1枚だったはずだ。

ソフィア・グバイドゥーリナ (Sofia Gubaidulina, 1931−) は、若い頃、そのトリッキーな作風が理解されず、当時のジダーノフ的ソヴィエト社会からは 「いい加減な音楽」 という目で捉えられたとのことだが、それに抗して彼女の手法を強く推したのはショスタコーヴィチであったという。
グバイドゥーリナのソロ・ピアノ作品に〈Musical Toys〉という作品があって、各曲のタイトルから子ども向けの曲のように錯覚してしまうが、そして実際に作者自身も賑やかなおもちゃ箱を意図したのかもしれないが、作品の本質はそうではないと私は思う。
この〈Musical Toys〉(1969) をメイイー・フーの演奏で聴いてみた。

メイイー・フー (Mei Yi Foo 傅美兒 1980−) はマレーシア出身のピアニストで、以前このブログでデヴィッド・シルヴィアンの《Sleepwalkers》について書いたとき (→2013年03月08日ブログ)、シルヴィアンと藤倉大とのコラボレーションを聴いて、他の藤倉作品を探していたら、彼女の弾く藤倉の〈Frozen Heat〉を見つけて興味を持ったのである。

〈Musical Toys〉は14の小曲の集積で、各タイトルは Mechanical Accordion、Magic Roundabout、The Trumpeter in the Forest というような標題音楽風になっていて、そのほとんどは点描的な切れ切れの音だったり、同一音の連打だったりして、音楽のゆるやかな流れを拒否しているように見えるが、でもそれは音の流れが表面にあらわれてこないだけで、インヴィジブルな波はずっと続いていて、瞬発的な音の断片が堆積して構成されてゆく音楽とは異なる。
9曲目の Woodpecker で同一音の連打が繰り返されるのはまさにタイトルの通りだが、ときどき入るシンプルだけれど新鮮な和音の美しさ (解説には simple triade とある)。そして13曲目の The Drummer で一転、堰を切ったようにスピードをつけて走り回る音。最後の14曲目のタイトルが Forest Musicians であることや動物たちの名前の入ったタイトルなどから、これは森の物語でもあるようだ。森の音楽家たちの深い瞑想を思わせるようにして曲は終わる。
鳥の名前もメシアンと違って難解そうではなくて、もっと親しみのある軽やかさがグバイドゥーリナの信条である。

グバイドゥーリナでもうひとつその特徴としてあげられるのが神秘主義というタームで、それは宗教的な題材に基づいた曲が多く存在するからだが、でもひとことで神秘主義といってもあまりにも漠然としていて、たとえばスクリャービンの神秘主義と彼女のそれとは異なるような気がする。
今、レオニード・サバネーエフの『スクリャービン』という本を読んでいるのだが、身近な人の書く伝記物は常に生臭い部分を備えていて、遠くから眺める神秘主義とは異質な現実がそこに存在することもあるようだ。

CDの後半は、ウンスク・チンの〈Six Piano Études〉を挟んで、リゲッティの〈Musica Ricercata〉(1953) を弾いている。グバイドゥーリナと較べるとリゲッティは正統派的なコンテンポラリーだが (なんとなく形容矛盾)、その終曲、XIの Andante misurato e tranquillo には (Omaggio a Girolamo Frescobaldi) という言葉がタイトルに付属していて、この不安感を内包した暗いリチェルカーレは心をしんとさせる。
ジローラモ・フレスコバルディ (1583−1643) の頃、まだフーガのような厳密な形式は確立されておらず、リチェルカーレはいわゆるプレリュードあるいはトッカータなのだが、わざとそうした古風なイメージを借用して曲がしめくくられている。
(ウンスク・チン [Unsuk Chin 陳銀淑 1961−] は韓国出身の作曲家であるが1985〜88年にリゲッティに師事した。)

メイイー・フーはこうした現代音楽系の演奏を得意としているように思えるが、まだほとんどCDが無い。コンサート等のスケジュールをみるともっと伝統的な曲も演奏しているようだが、やはり現代的な作品が究極のターゲットのようだ。何かまとまった録音をして、もう少しメジャーなシーンで評価されて欲しいものだと思っている。

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Sofia Gubaidulina

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IX: The Woodpecker


Mei Yi Foo/Musical Toys (Odradek)
Musical Toys




ジュリアン・グラック/シルトの岸辺 (岩波書店)
シルトの岸辺 (岩波文庫)




レオニード・サバネーエフ/スクリャービン (音楽の友社)
スクリャービン: 晩年に明かされた創作秘話




Mei Yi Foo/Dai Fujikura: Piano Etude I “Frozen Heat”
https://www.youtube.com/watch?v=-xwjS8mi8Qo

Mei Yi Foo/Unsuk Chin: Six Piano Études− V Toccata
https://www.youtube.com/watch?v=9vqiq81TVw4
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