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幾つものブルー — ブルー・ミッチェル《Blue’s Moods》 [音楽]

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〈雨の日と月曜日は〉Rainy Days and Mondays というカーペンターズの曲があって、そのタイトルを雨の日も月曜日も憂鬱だという意味だと読んでしまうと、最も嫌なのは雨の月曜日だというふうにも思えてしまう。でもそれは現代の都市生活者の思考パターンに過ぎなくて、ブルーマンデーという言葉の語源は、月曜日の空が青くてとてもいい天気だと野外労働は休みにならない、雨が降れば休みになるのに、あ〜あ、という意味で、つまり野外労働者、もっといえば昔の黒人奴隷の嘆きなのだ。

blue に s の付いた blues はそうしたブルーな気持ちも含めた原初的な音楽であるといえる。ただ、ジャンルとして確立したブルースは必ずしもブルーな曲であるとは限らない。

ホレス・シルヴァーに《Silver’s Blue》(1956) というアルバムがある。それまでアート・ブレイキーと一緒に演奏していたシルヴァーがそのブレイキーのグループ、ジャズ・メッセンジャーズを脱退したらブレイキー以外のメンバーが全部シルヴァーについてきてしまったので、それがブルー (憂鬱) のタネ、というようなことから付けられたタイトルだなどとよく言われるが真相はわからない。皆がシルヴァーを慕ってついてきたのなら、むしろ 「どうだ、すごいだろ」 のような気もするが。
ホレス・シルヴァーのアルバムにはもっと有名な盤が幾つもあるが、この《Silver’s Blue》はちょっと洒落ていてそれに全然ブルーじゃなくて、最後の曲〈夜は千の眼を持つ〉The Night Has a Thousand Eyes がリラックスしていて、地味だけど佳盤だと思うのだ。
黒地に白ヌキ文字の帯の下に、青っぽい銀色で刷られたジャケット写真は、Silver’s Blue をそのまま表している。

でもブルーという名の付いているタイトルの中で最も有名なのはマイルス・ディヴィスの《Kind of Blue》(1959) だろう。それまでの熱い表情のジャズから、モードという新しい手法を編み出したというだけでなく、その冷たい情熱のような、全く異なったジャズスタイルを生み出したという点において重要なアルバムであることは確かなのだが、でも最初からこれこそがジャズだといってこのアルバムを聴いて感動する人がどれだけいるのだろうか、とも思う。
少しジャズの渋みとか緊張と弛緩した音の差がわかってきたときに、はじめてわかるコンセプトで作られたアルバムであるような気がする。

マイルスはこのアルバムを作るとき、わざわざビル・エヴァンスを呼び寄せた。その時、マイルスのバンドのピアニストはウィントン・ケリーで、でも彼は《Kind of Blue》で1曲しか弾いていない。マイルスはこのアルバムのためにビル・エヴァンスのピアノを必要としていたのだという。
そのときのウィントン・ケリーの立場はどうだったのだろうか。ちょっと面白くなかったんじゃないかという同情の目で見てしまいそうになる。それはコルトレーンにジャイアント・ステップスの目くるめくコード・チェンジについていけずコケにされたトミー・フラナガンのエピソードに似た趣きがある。

さて、そこで私の偏愛するブルー・ミッチェルの話。ブルー・ミッチェルはジャズ・トランペッターだが、その代表作はというと《Blue’s Moods》(1960) があげられる。というか、これしかないという、ほとんど一発屋状態に近いのだけれど、つまりブルー・ミッチェルには悪いのだが、このアルバムは唯一の奇跡の1枚なのである。

ブルー・ミッチェルはジャズプレイヤーとしては2流だ。よくて1.5流くらいで、見た目も地味で、これという特色もないし、マイルス・ディヴィスなどと較べたらずっと格は落ちるのだと思う。でもこの《Blue’s Moods》というアルバムはとても心地よい。リラックスして聴けるし、音楽の楽しさ、やさしさ、そしてその裏側にあるちょっとした悲しさまでもが全部詰まっている。
そしてピアニストは《Kind of Blue》で用無しにされたウィントン・ケリーなのだ。このディスクのケリーは素晴らしくいきいきとしていて、ピアノを弾く喜びにあふれていて、そのピアノの音はきらきらと輝きながらこぼれ落ちてゆく。
1曲目の I’ll Close My Eyes. もしもこの曲を歌うのなら I’ll Close My Eyes の後、歌詞は to everyone but you と続くのだ。歌詞の聞こえるようなミッチェルのブロウ。感傷的過ぎるのかもしれないが、張りのあるトランペットのトーンのなかに私の過去への思いの全てが籠められているような気がする。

ブルー・ミッチェルの演奏はハード・バップで、だが前年に出されたマイルスの《Kind of Blue》により、ジャズのトレンドは動き始めていた。だからもうハード・バップなんて時代遅れなのかもしれないなどと、ブルー・ミッチェルはしかし考えない。
これは最先端を行くマイルスへの、ミッチェルとケリーの答えなのだ。俺たちはこれしかできないけれど、これをやる、という愚直な気持ちにあふれている。

ブルー・ミッチェルの普通のスナップ画像を選ぼうとしたのだけれど、アルバム《Blue Soul》のジャケット写真が私は好きでこれに優るものはないように思う。だからこれを選んでみた。トランペットを両手で抱えたカット。彼の性格と、そして音楽を如実にあらわしているようで、ミッチェルはとてもかっこいい。

デルタ・ブルースの始祖ロバート・ジョンソンにはクロスロード伝説というのがあって、十字路で悪魔レグバに魂を売り渡すのと引き換えにギターのテクニックを得たという。パガニーニの故事に似ているが、そのようにして得たブルースギターの命はあまりに短かった。
そしてそのブルースはいつもブルーであるとは限らない。むしろ表面的には明るい音で構成されたなかにブルースの真実がある。ブルー・ミッチェルの音も同じだ。からっとした明るい音こそがどんな憂鬱よりもブルーを表現する。藍より青いブルー。それでリチャード・アレン・ミッチェルはブルー・ミッチェルと呼ばれる。


Blue Mitchell/Blue’s Moods (OJC)
Blue's Moods




The Horace Silver Quintet/Silver’s Blue (SMJ)
シルヴァーズ・ブルー




Miles Davis/Kind of Blue (Columbia/Legacy)
Kind of Blue




Robert Johnson/The Complete Recordings (Camden)
The Complete Recordings




Blue Mitchell/I’ll Close My Eyes (Blue’s Moodsの1曲目)
https://www.youtube.com/watch?v=7Oh-Dl-KbF0
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コメント 4

mwainfo

シルバー、ミッチェル、1950年代、ジャズが元気であった頃のシーンですね。1990から19年間ニューヨークで活躍したドラマーの奥平真吾氏の話では、大御所のシルバーでも、演奏会場にCDの入った段ボールを持ちこみ、買ってくれた人にはサインをします、と宣伝していたと言います。ミュージシャンの生活はかなり厳しいようです。 
by mwainfo (2015-01-20 15:40) 

lequiche

>> mwainfo 様

50年代はジャズが最も盛んで、さらに変革していく時期ですね。

大御所でもCDにサイン! そうですか。
90年から今世紀になるとそうなってしまうんでしょうね。
今はクラシックのコンサートでもサイン会があるのが常ですから。

ジャズが売れなくなって、
アメリカからヨーロッパに渡った人もいましたし、
それはひとつにはジャズもまた一種の伝統的で固定的な音楽イメージに
なってしまったのが原因でもあると思います。
ですから、この時代の音の輝きはもう二度と甦らないのかもしれません。
by lequiche (2015-01-21 21:17) 

soujirou-3

雨の日も月曜日も」憂鬱だと思っていました。確かに憂鬱だけでは音楽として厚みがないかもしれません。仮定法過去なら嘆きが伝わってきますね。参考になりました。
by soujirou-3 (2015-03-20 11:27) 

lequiche

>> soujirou-3 様

普通そう思いますよね。
私もそうだと思っていたので目からウロコでした。
ただ言葉は移り変わっていくものなので、
今だったら「月曜で雨降りなんて踏んだり蹴ったり」
という意味だとするのが自然なんじゃないかとも思います。
by lequiche (2015-03-20 14:48) 

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