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ねずみのイヤリング — ダニエル・キイス《アルジャーノンに花束を》 [本]

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Daniel Keyes (1927−2014)

ジェニファー・ウォーンズの《Famous Blue Raincoat》(1987) はカナダのシンガーソングライターであるレナード・コーエンの曲をカヴァーしたアルバムだが、彼女のアルバムの中で最も有名な1枚である。1曲1曲にドラマがあって、歌により情景と季節がくっきりと浮かび上がり、その構成には全く隙がない。

1曲目の、SEから始まる〈First We Take Manhattan〉はニューヨークとベルリンという土地の名前をキーワードとしてコーエンの世界に取り込まれて行くための導入部であり、アルバムタイトル曲の〈Famous Blue Raincoat〉は冷たい官能を秘めた夜の気配に支配されていて、また〈Singer Must Die〉は淡い光の溶暗のなかに心がどこまでも沈んでしまいそうな気がする。

そしてこのアルバムの中の1曲〈Song of Barnadette〉は、2002年にフジテレビ系で放映されたドラマ《アルジャーノンに花束を》の主題曲として使用されたとのことである。「とのことである」 と伝聞推定風に書いてしまったのは、そのドラマを私は全く見たことがないからで、でもこの作品を映像化するのはかなりむずかしいのではないかと思う。
そのアルジャーノンが今回はTBS系で再びドラマ化されるとのことだ。

この小説のストーリーは非常に有名なのでわざわざ書くのは余計なことなのかもしれないが、ごく簡単なあらすじは以下のようである。

     *

主人公チャーリイは知的障碍があるため、32歳の大人でありながら子どもの理解力しかない。ドナーパン店で働いている。ごくささやかな安息の毎日。ところがハツカネズミのアルジャーノンに施された知能を向上させる手術で驚くほどの結果が得られたため、それを人間にも試してみようということになり、その実験台としてチャーリイが手術を受けさせられることになる。
手術は成功し、チャーリイの知能はどんどん上昇して天才的な域にまで達する。しかしその結果、世の中の悪い部分も理解できるようになって、彼は周囲の人間との軋轢を抱え孤独を知るようになる。
ところがやがてアルジャーノンの知能に退行が見え始める。知能はだんだんと下降し、ついには死んでしまう。そうしたアルジャーノンを見ていたチャーリイは、手術の方法に欠陥があったことを調べ、自分にもアルジャーノンと同じ運命が来ることを予感する。
やがてチャーリイにも知能の退行が始まり、昨日わかっていたことが今日はわからなくなる。文字がだんだん読めなくなり、文章を理解する力も衰えて行く。チャーリイは憔悴し、やがて自分の知能が最もハイレヴェルだった頃に何をしてきたかもわからなくなり、一番最初の頃の知的障碍に戻ってゆく。

     *

原作の《Flowers for Algernon》はダニエル・キイス (Daniel Keyes 1927−2014) によって書かれたSF小説で、アメリカのSF誌《The Magazine of Fantasy & Science Fiction》(F&SF) に1959年に掲載されたが、その時点では中編小説であり、1966年に加筆して長編化された。
日本に紹介されたのは『SFマガジン』第13号 (1961年2月号・早川書房) の稲葉由紀 (=稲葉明雄) 訳の中編によってであり、同じ早川書房の『世界SF全集』第32巻に収録されている。この32巻にはトム・ゴドウィンの 「冷たい方程式」 も収録されていて、アルジャーノンと並んで2大 「お涙頂戴」 SFと言われる (言われてないかもしれないけど、私はそう思う)。
長編は小尾芙佐・訳により1978年に出版され、1989年に改訂されている。小尾芙佐はル=グィンの『闇の左手』の訳者でもある。今回のドラマ化に際して、文庫版が[新版]として新装され、この3月に発売されている。

小説はいきなり、ひらがなばかりの日記文で始まる。しかも誤字脱字があったり促音がなかったりするが、主人公チャーリイがそれを書いているからなので、実験者にとってはチャーリイに書かせることで、現在の彼の知能レヴェルを知るてがかりになるからなのだ。
やがて日記はだんだんと書くことが明瞭に、そして高度になってゆくが、しかし知能が上昇することによって世間と人間関係の機微がわかるようになり、チャーリイの苦悩も深まってゆく。そしてピークを過ぎると日記は次第に崩壊し始め、思考能力が衰え、やがて日記を書き始めた頃と同じひらがなと誤字脱字レヴェルに戻ってしまう。

この小説の特徴は、すべての経過がチャーリイの目を通した1人称の日記で語られるというアイディアにあって、チャーリイの知能が変化していくことを彼の綴る日記の文体だけで表現していることにある。これを思いついたことは一種の発明であり、それがこの小説の特異で深く残る印象に寄与している。
最初と最後の、間違いだらけの日記のほうがチャーリイの目は透徹していて純粋である。

最初の映像化はラルフ・ネルソンによる《CHAЯLY》(1968) という映画で、邦題は《まごころを君に》であり、このタイトルは後に庵野秀明のヱヴァンゲリヲンの中で流用された。
この映画は過去に一度見た記憶があるが、あまり強い印象がない。映像化するとどうしてもラヴストーリーに持っていくのが常道なのだろうし、それが邦題の 「まごころを君に」 という甘ったるい語感にも反映されているが、話自体は救いのない暗い結末なのでそれをそのまま映像化すればそうなってしまうのだとも思える。
原タイトルのCHARLYであるはずのRが裏返しになっているのは、チャーリイの書いた文字であることを表していて、まだ文字を憶えたての子どもがひらがなを裏返しに書いたりするのと同じ意味合いである。

文庫新版にある訳者あとがきに拠れば、ダニエス・キイスはこの原稿を最初に《Galaxy Science Fiction》誌に持ち込んだ。エディターのH・L・ゴールドは 「結末がうちの読者には暗すぎる。チャーリイは超天才のままアリス・キニアンと結婚する。そして幸せに暮らす」 という結末にすれば掲載しようと言ったのだという。キイスは無名作家であり、編集者が嵩にかかったのだろうが、キイスはその提案を拒否し、悲劇的な結末のかたちのままでF&SF誌に掲載された。
この作品は1960年のヒューゴー賞を受賞し、長編化されたものも1966年のネビュラ賞を受賞している。ギャラクシィ誌のゴールドはSF史上に残る傑作を見抜けなかったのである。

上記のあとがきで小尾芙佐は、アルジャーノンを読んだときの印象を次のように書いている。

 そして一九六〇年の暮れ、私は稲葉明雄氏が翻訳されたこの作品 (SFマ
 ガジン一九六一年二月号掲載) に対面した。何の予備知識もなく一気に
 読みおえた私は、激しい感動にゆさぶられて文字通り号泣し、翌日編集
 部に駆けつけると 「SFにもこんな素晴らしい作品があるんですね」 と編
 集長に迫ったものである。SFには無縁だった私はこの作品のおかげで
 SFの翻訳に腰をすえて取り組もうという気持ちになったのだった。
 (p.456)

中編を書いた後、キイスはチャーリイ・ゴードンからのもっと書いて欲しいという声を聞いたのだという。そこで長編化したのだが、その長編も複数の出版社から、話をハッピーエンドに変えなければだめだと拒絶されたとのことである。SFはエンターテインメントなのだからハッピーエンドでなければいけないという不文律でもあるのだろうか。そうとしか思えない。しかしそれは作品を殺すのと同じである。
やっとのことで1966年に Harcourt, Brace & World から出版され、ネビュラ賞を得たのは上述の通りである。そしてこの長編とそれ以後の多くの作品を小尾芙佐が翻訳している。

この作品はどこにも救いのない悲劇であり、私の頭のなかではこの悲劇に似合う音楽は何だろうと思案しているうちに、いつかビートルズのエリナー・リグビーの歌詞が流れていた。No one was saved. 誰にも救済の来ないまま、チャーリイの物語は終わる。しかしそれをセンチメンタリズムだけで解釈するのは正しくない。すぐれたSFには、透徹した、ともすれば冷静過ぎる視点もあり、一種の矛盾を常に内包している面が存在する。その上に現れる叙情性が人の心を打つのである。安易なハッピーエンドなど論外である。
私はお涙頂戴小説と前述したがそれはわかりやすい捉え方だけれど正確ではなくて、キイスの作品は、人類にとって科学はどのように必要とされているのかという根本問題を考えさせてくれる内容なのだと思う。科学は万能ではなく、ときに残酷であり、無能であることを知らしめる。安易な悲しみに堕しないゆえに、ここに描かれた悲しみは強く大きいのである。
また主人公がチャーリイという比較的ありふれた名前であることに社会的普遍性を感じる。知的障碍でなくとも、社会生活においての差別や無理解はこの小説が描かれてから50年以上も過ぎた現代にも相変わらず (むしろ、よりひどく) 蔓延していて、ずるい人間とそうでない人間が相対するとずるい人間がトクをしてしまう構造があることをこの作品は示唆していると私は思う。チャーリイはドストエフスキー的白痴であり、人工的な知力が失われたとき聖性を再び取り戻すのである。

後年、小尾はダニエス・キイスからアルジャーノンの翻訳に対して、銀製の小さなねずみのイヤリングを贈られたのだという。原作に対する翻訳のむずかしさと素晴らしさ、そしてアジモフが評したこの作品が成立したことの奇跡が、きっとそのイヤリングに永遠に宿っている。


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中央左:SFマガジン第13号 (1961年2月号)
左:世界SF全集第32巻・世界のSF (短編集) 現代篇 (1969年)
右:海外SFノヴェルズ/アルジャーノンに花束を (1978年)
中央右:ハヤカワ文庫NV/アルジャーノンに花束を (2015年)
(すべて早川書房)


ダニエル・キイス/アルジャーノンに花束を (早川書房)
アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)




Leonard Cohen/famous Blue Raincoat
https://www.youtube.com/watch?v=5Ux0yeo4Y0I
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コメント 12

Speakeasy

『アルジャーノンに花束を』がSF作品だとは知りませんでした。読んでみたくなりました。
by Speakeasy (2015-04-09 21:44) 

Loby

『アルジャーノンに花束を』、読んでみたいです。
昔からのSFファンです^^;

by Loby (2015-04-10 00:40) 

desidesi

SFマガジンって今でも健在なんですね〜。
嬉しくなっちゃった。webサイトもあるのね〜♪(๑◔‿◔๑)
久しぶりに、何か読みたくなってきた。
“アル花” は昔読んだはず。映画も観たはず。
ただ、記憶が・・・( ̄^ ̄)ゞ
わたしもたまにひらがなになるし・・・。(笑)
by desidesi (2015-04-10 02:07) 

lequiche

>> Speakeasy 様

最近はSFか非SFか境界が曖昧ですけど、
発表誌が当時のSF雑誌ですからSFだと思います。
是非ご一読を。(^^)/
by lequiche (2015-04-10 12:14) 

lequiche

>> Loby 様

そうですか。是非お読みになってみてください。
冒頭のひらがな文がちょっと読みにくいかもしれませんけど。
by lequiche (2015-04-10 12:14) 

lequiche

>> desidesi 様

SF雑誌はほとんど無くなってしまいましたが、一応健在です。
でも今年から隔月刊に縮小ですが。
今は普通の小説でもSF風味が多いですから、
あらためてSFと言われてもねぇ。

わたしもきおくがどんどんぬけおちていくですよ。
じをかこうとしてもすぐにわすれたするし、
こまたものです。もうまるでばかじん
by lequiche (2015-04-10 12:15) 

sig

こんにちは。今、たまたまTBSでこの新番組の紹介をしていました。タイトルだけはよく聞くのですが、解説していたた゜いて興味がわいてきました。(モダンジャスの時もね)。あ、さっき外出の帰りに書店で、小学館の「マイルス・デイビス」を買ってきました。lequicheさんに相当影響受けてますね。笑
by sig (2015-04-10 14:25) 

lequiche

>> sig 様

アルジャーノンがあまりにも有名になり過ぎてしまったため、
晩年のダニエル・キイスはこの作品に頼り過ぎていた面が
ややあるように思われます。
ですから最初に発表された中編に、凜とした姿勢が感じられます。

ドラマとか映画・演劇のように実体化された場合、
どうしても原典と比較されてしまいますが、
映像は映像ですからあくまで翻案ですし、
極端に言えば別物と考えたほうがよいと思います。
最初に映画化された《CHAЯLY》もSFファンからの評価は
あまりよくなかったように憶えています。

小学館のシリーズを買われたんですか。
それはどうもありがとうございます。
お試しとしてマイルスならよいのではないかと思います。
選曲に独特な感じがあって、選者の趣味が反映されているようです。
by lequiche (2015-04-10 15:48) 

リュカ

20代の頃かな。。。読んだの。
もう、号泣しながら涙と鼻水だらだら流して読んだの覚えてます^^;
そっか。映画になってるのですね。
by リュカ (2015-04-10 21:50) 

lequiche

>> リュカ様

本を読んで泣くっていうのは、ある意味すごいですよね。
もっともマンガだって泣いてしまうのはありますが。

映画は幾つかあるみたいですが、
私は最初の映画っきり観たことがありません。
それに記憶も薄れていますけどあまり強い印象がないんです。
でもチャーリー役のクリフ・ロバートソンは、
この映画でアカデミー主演男優賞をとりました。
by lequiche (2015-04-10 23:49) 

アニマルボイス

稲葉明雄さんは、SFマガジンに「アルジャーノン」を訳したころは稲葉由紀さんと名のって?いましたよね。石川喬司さんが「我が訳聖」と呼んでいたのを信じて、英語苦手な私は稲葉訳を信頼していました。
by アニマルボイス (2020-03-08 18:56) 

lequiche

稲葉由紀さん、あ、確かにそうですね。
アルジャーノンは名訳です。
SFマガジンでは何かトラブルがあったそうですが、
そういうのも含めて、
今よりもものをはっきり言ってしまうのが
あった時代だと思います。
by lequiche (2020-03-09 08:32) 

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