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不安という名の安息 — マグリット展 [アート]

magritte&GeorgetteBerger_150622.jpg
René Magritte/Georgette Magritte

国立新美術館で開催されているマグリット展に行く。
もっと早く行かなければと思っていたのに、こんなにぎりぎりになってしまうのはいつものことだが、この美術館に行くときはいつも雨のような気がする。

ルネ・マグリットというとシュルレアリスムの巨匠とか、すぐにキャッチが付くが、それは見た目のわかりやすさがいかにもシュルレアリスムなだけで、シュルレアリスムの総帥と言われるアンドレ・ブルトンとマグリットはあまりソリが合わなかった。
ブルトン一派でなければシュルレアリスムではないのかというと、このへんがむずかしくて、ブルトンはそこら中に敵を作り、結果としてそのムーヴメント自体が崩壊していったのだが、シュルレアリスムがもはや一般名詞なのなら、マグリットも確かにシュルレアリスムなのだろう。
というようなむずかしいことは考えないで、単純に見ることだけで、マグリットの絵画の美しさにあらためて心を動かされた。

今回の展示は、思ったより点数も多く、今まで見たことのなかった作品もあって、マグリットの描いた作品の多さにびっくりする。
それと今回、あらためて感じたのは、マグリットがすごく上手い画家であるということだった。超一流画家をつかまえてそんなことを書いたらバカみたいだが、マグリットは実物と印刷物の落差が少ないとか、極端にいえば印刷物で十分とか、いままで私はマグリットに対して結構乱暴なことを言っていたのだが、久しぶりに見た実物はそんな幼稚な感想を思い切り打ち砕いた。

マグリットの絵は、油彩の表面の仕上がりの美しさが素晴らしいのである。照明の当たり具合によって、絵の具の表面の凹凸が微妙に光って見えるポジションがあるのだが、その美しさの快楽は時に、今描いたばかりのようにフレッシュで、また官能的で、ほとんどフェティシスムとしか形容できないほどにうっとりとしてしまう。どうしてこんなに美しい仕上がりになるのだろう。私は最初、絵を見るのでなくて、絵の具の表面を見ていた。

そしてその深みのある、どこまでも沈んで潜り込んでいくような暗い色。黒だけれど黒でない、冥府にまで降りていきそうな深い漆黒の溶暗。あるいは光が絵の後ろから透過しているのではないかと疑ってしまうような空の青。
それはもちろん、私の最も好きな《光の帝国 II》(L’empire des lumières, II) のことである。

《光の帝国》には何枚もヴァリエーションがあって、解説では、夜の風景なのに空が昼であるというアンバランスがシュール、なんていうようなことがよく書かれているが、ん〜、そうなのか? それって韻文を散文で解説しているのに等しくて、というか 「〈なむ〉は係りの助詞」 みたいな文法解釈を聞かされているようで、おそろしく感興を削ぐ。

《光の帝国 II》には暖かさとうそ寒さ、安らぎと不安が同居していて、その画面の暗さのなかに吸い込まれそうになる。点灯している街灯と、ほのかな窓と、木々のシルエット。そしてペールブルーのマグリットのよそよそしい空。これがマグリットの定着させようとした〈時間〉であって、夜と昼を合体させた風景というような堕落した表現とは隔絶した時間なのだ。そして隔絶している絶対的な時間なのに、ふわっと柔らかい感触だけを残す。絵のなかに籠められている記憶はマグリットのものではなくて、私の、過去と現在と未来の記憶なのだと確信してしまう。それこそがマグリットの仕掛けたトラップなのだ。
映画《エクソシスト》のイメージは《光の帝国》にインスパイアされたのだということからも、私のその不安感は増幅される。安息とはパラダイスの安楽ではなくて、すぐに崩れて飛散しそうな脆いもののような気がする。

今回、よくわかったのは《不思議の国のアリス》に代表される1943年〜46年頃の妙に明るい作品がルノアール的な印象派的テクニックに拠っていることである。というより、ルノアールをおちょくっていると感じてしまうのは言い過ぎだろうか。マグリットなら、ゴッホ風にもユトリロ風にも、描こうと思えばきっと描けるのだ。

ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898−1967) はブルトンのような攻撃的シュルレアリスムとは無縁で、ジョルジェット・ベルジェと結婚し、ずっと絵を描き続けて生涯を終えた。ただ、常にその安らぎのなかには寂しさが、楽しさのなかには裏切りが、明るさのなかには全ての色を吸い取る夜が存在する。そして音楽は聞こえてこない。常に沈黙。葉擦れの音もない無風の静寂な風景だけが滲み出すように拡がってゆく。

瀧口修造がマグリットのことをどのように書いているか探してみたのだが、ざっと見たところでは、シュルレアリスムの項にはマグリットのことはほとんど書かれていない。ブルトンを頂点としたヒエラルキーのなかに、マグリットは組み込まれなかったのだろうか。
でも 「骰子の7の目」 のなかにマグリットのことについて書いた短い文がある。妻・瀧口綾子の、一種のアヴァンギャルドさについての印象的な記述があり (つまり当時の特高警察との対応)、そうした彼女の行動とマグリットの絵画のなかの現実と絵画の外の現実というものを対比し、その後にこうある。

 およそ言語の多義性やその慣用の曖昧さほどには、絵画のイメージの場
 合、問われることはなかったのではないか。事物とイメージの関係を無
 条件に肯定し、むしろ表現や様式の次元に転換して、絵画の治外法権を
 つくりあげていたともいえる。絵画の認識論的欠落ともいうべきものが
 そこに起因していたと思われる。(コレクション瀧口修造第3巻・p.297)

瀧口のしんとした筆致に、マグリットから連想される静謐が感じられる。治外法権という言葉に瀧口がマグリットの終生守り続けたポジションに対しての見解が現れているし、それはブルトン的喧噪から離れた世界であり、ポップなように見えてもっとずっと孤独だ。

     *

マグリット展は、その展示されている絵画の配列の仕方にやや見にくさがあるのと、異常に冷房が効き過ぎているのが残念である。世の中で言われている省エネとは程遠い。冷房の嫌いな人には防寒具は必須である。


EmpireLumiere2_150622.jpg
L’empire des lumières, II (1950)

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William Friedkin/The Exorcist (1973)


マグリット展
http://magritte2015.jp/
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シルフ

来月、京都に来るのを楽しみにしております。『ピレネーの城』コレ、イスラエルにあって現地で見ると、アラブ諸国の入国が暫く出来なくなるからって困っていたけれど、今回見れる。もうそれだけで充分です。
by シルフ (2015-06-22 08:44) 

リュカ

この展覧会、わたしも今まで見ていなかった作品がいくつか見られて
面白かったです^^

>今回、あらためて感じたのは、マグリットがすごく上手い画家であるということだった。

あははは(笑)
でもね、じつはわたしも同じこと思いました!(笑)
by リュカ (2015-06-22 10:46) 

lequiche

>> シルフ様

イスラエルとアラブの関係ってそんなところにも影響するんですね。
ピレネーの城って何? というのをネットで探すと、
ラピュタの元ネタとか書いてあったりしますが、
最もわかりやすいシュルレアリスムであって、
それは彼がまだ売れない頃のアドヴァタイジング作品からもわかります。
by lequiche (2015-06-22 15:08) 

lequiche

>> リュカ様

はい。リュカさんのブログは事前学習として大変参考になりました。
ありがとうございます。

そうそう、上手い画家! ここ、笑うところです。
でも画面になるべく平行な視点で見ると、
その刷毛目の均質な素材感みたいなのがよくわかって、
マグリットってこの人何なんだ?と思ってしまったんです。
(この人とか言うんじゃないっ! ^^;)
マグリットは台所で絵を描いていたそうですが、
なんとなくトールペイントみたいな感覚がありますね〜。(コラコラ ^^;;;)
by lequiche (2015-06-22 15:09) 

Speakeasy

ジャクソン・ブラウンの『Late For The Sky』のアルバムジャケットは、マグリットの『光の帝国』シリーズに影響を受けたと本人が語っていました。

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51D6MTYW1RL.jpg

あと、ポール・マッカートニーは、相当のマグリット・ファンで、まだ市場でマグリットの価値が上がる以前に何点か作品を手に入れ個人コレクションしているといった話を聞いたことがあります。

by Speakeasy (2015-06-22 18:49) 

lequiche

>> Speakeasy 様

ジャクソン・ブラウンのジャケットも雰囲気が、まんまマグリットですね。
光の帝国はやっぱりかなり人気があるみたいです。

ポール・マッカートニーがマグリットを持っているんですか。
価値が上がる以前と言っても、それでもかなり高かったんでしょうけど、
さすがポール、いい目をしてますよね〜。

アップルレコードのマークの青リンゴは、
マグリットのリンゴがヒントになったと言われてますから、
かなり昔からマグリット・ファンだったのかもしれません。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Son_of_Man
by lequiche (2015-06-23 01:43) 

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