カリフォルニアの夢、マリア・カラスの夢 ― R.E.M. [音楽]
最初に買ったR.E.M.のアルバムは《New Adventures in Hi-Fi》だったと思う。
CDショップのラックに置かれたそれは中途半端なサイズの黒い外装になっていて、わざと華やかさと無縁にしているように見えた。
いま、リチャード・パワーズを読んでいて、突然連想してしまったのはそのアルバムの中の1曲〈E-bow The Letter〉だったのだが、この連想の経路を説明するのはむずかしい。連想力が飛び過ぎていると言われるのはいつものこと。
それで、YouTubeでそのPVを見ると――私は初めてこのオリジナルPVを見たのだが――その無機質で突き放したような、構成などを考えていないかのような画像のつながりに、R.E.M.の音のかつての記憶が重なる。
ケージを通した向こう側の風景。車のヘッドライト。何も意味しないビルの群れ。北村信彦が寂れたデトロイトの風景にこだわるのはノスタルジアではなくて、でもそうして幻視することが鬱屈したノスタルジアなのかもしれなくて、でもR.E.M.はもっとコンクリートの味がして、それはずっと忘れていたあの時代の虚無だった。
ジミ・ヘンドリックスやカート・コバーンを経て伝わってきたもの。同じようにドラッグのにおいがするが、ママス&パパスの頃のような豊穣なる色彩とかサイケデリックなパラダイス感から遠く離れた、乾いたコンクリートの味は、若くして死ぬというロック・スターのカッコよさがすでに幻影であることを示していて、時が不可逆性であることの証左でもある。
その後、R.E.M.で最もよく聴いたのは《Out of Time》(1991) という最も売れたアルバム (4.00X プラチナ) の中のシングル曲〈Losing My Religion〉であり、彼らの代表曲のひとつである。
このよくわからない歌詞 (読みようによっていろいろにとれる歌詞)、だけれどなぜか切実さを感じる歌詞には、過去に捨ててきたものが多いほど共感する度合いも大きいように思える。そのリフレインに、今までの時間の空虚さへのあきらめが籠められている。
I thought that I heard you laughing
I thought that I heard you sing
I think I thought I saw you try
そして笑っていたことも歌っていたことも見ていたことも、それら全ては Just a dream だったというエンディングの諦念。20世紀の世紀末とはこうした悲しみとうつろな愛でしかなかったのだ。
私の好きな動画は、オリジナルのPVではなくカナダの野外ライヴの映像だ。観客が一緒になって熱狂して歌っている表情と、でも歌っているその歌詞との乖離にオルタナティヴの不毛さを感じる。それは過去の記憶として残っている美しい不毛だ。フラット・マンドリンの音色に魔力を感じたのはこのPVが初めてだった。
〈E-bow The Letter〉にはライヴ映像もあって、意外に狭い会場でのマイケル・スタイプとパティ・スミスの声が心地よい。
この曲はリヴァー・フェニックスへのレクイエムだと言われているが、たとえば
Seconal, spanish fly, absinthe, kerosene
と特徴的なドラッグ系の固有名詞の続くような個所に、パワーズのマニアックなフェティシズムを思わず連想してしまうのだ。それはドラッグによる夭折者へのレクイエムであり、生き残っているこちら側からの挽歌なのでもある。
R.E.M./New Adventures in Hi-Fi (Warner Bros/Wea)
R.E.M./E-Bow The Letter (PV)
https://www.youtube.com/watch?v=5cnIQHJ169s
R.E.M./E-Bow The Letter, LIve in NYC Nov.1998
https://www.youtube.com/watch?v=a_9wixxq_NQ
R.E.M./Losing My Religion, Live in Canada
https://www.youtube.com/watch?v=SpaYdWQSKos
語れないのが残念です(-_-;)
いつもありがとうございます
by majyo (2015-09-09 18:26)
>> desidesi 様
そこに来ましたか。(^^;)
パワーズは初めてで、まだ読んでいるところで、
ですからどれがお薦めなのかなんてまだ言えません。
今回のR.E.M.に関するブログにあるテーマは
いわゆるドラッグですが、
ジミヘン、カート・コバーン、リヴァー・フェニックスと
そうした系譜は歴史とともにだんだんと暗い感じになりますけど、
フラワーミュージックがオルタナティヴに変化するのを
深化と捉えることも可能ですし、
そちら (ドラッグ) に行かない知性としてのスタイプがあります。
ロックの歴史は、たとえばツェッペリンの〈天国の階段〉のように
ドラッグを介在させることで解釈できたりもします。
パワーズの、あるひとつのジャンルへのこだわりは、
フェティシズム的でありながらドラッグの系譜にも似ていて、
その後ろめたさと不毛さに
オルタナを経てきたアメリカの影を感じます。
「ポストなんとか」 で出てくるジャンルは、
常に次の 「ポストなんとか」 に乗り越えられる運命もあります。
by lequiche (2015-09-10 03:45)
>> majyo 様
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
majyoさんの今を生きるライヴな感じには
いつも感銘を受けています。
by lequiche (2015-09-10 03:45)