SSブログ

いつか船は行く — 小栗康平《泥の河》 [映画]

doronokawa_160127.jpg

本屋らしい本屋が無くなってしまってから久しい。書店でなく本屋である。
今の書店はきらびやかで明るくて、どこにも影が無くて、それは本を探すのには見やすいけれど、でも何かが失われている。
少し暗くて、もちろんBGMなど全く流れていなくて、外の雑踏の音がかすかに聞こえるのだけれどそれは遠い世界のことで、一番上の棚は絶対に手が届かないほど高くて、見上げると気が遠くなるような魔の気配があって、在庫の本がそこらじゅうに山積みされていたりして、その陰に入ると誰からも見られないような、世界から途絶している本屋があるといいと思うのだ。私の子どもの頃にはそうした本屋が存在していた。

でも、幻想のなかで無理矢理にそうした本屋を作り上げることは可能である。そうだと思い込めば、客の少ない書店なら、一瞬そうした過去の本屋の郷愁の影が通り過ぎることがある。

そうした雰囲気をまだ残しているのでときどき行く静かな書店の平積みに、ダンボールのごく簡素に見える装丁の《泥の河》を見つけた。しんとした書店にふさわしい静かな装丁。《泥の河》は小栗康平の1981年監督作品である。以前TVで観たことがあったが、昭和31年の大阪がモノクロームで撮られていて、こうした映画を観ると、映画はモノクロ、レコードはモノラルだと思うのである。

ただ、《泥の河》をTVで観た後、DVDを探したが手に入りにくくてそのまま忘れてしまっていた。
今回のDVDは小栗康平コレクションとして出されたうちのひとつであるが、それぞれ単品で発売されることになっているので買いやすい。中には茶色の小冊子が2冊入っていて、片方が布装の実際の冊子、もうひとつは紙装のDVDケースになっている。書店に置かれているので書籍扱いである。
最近の印象として、名画といわれるものはほぼ手に入りにくいと思って間違いない。ベルィマンもヴィスコンティも手に入りにくいし、ギオルギ・シェンゲラヤの《ピロスマニ》(1969) だって、かつて発売されていたDVDを私は持っているが、今回上映されたデジタル・リマスター盤が発売されることを祈っている。祈ったりすると出なかったりするんだけれど。

《泥の河》に描かれているこんな風景はもちろん今は無いし、もうこんな子どももいないのだろうけれど、きっと昭和30年代の頃の生活はこうだったのだろうと思わせるし、それはノスタルジアともちょっと違っていて、つまり映画という虚構のなかでいかにもホンモノらしく屹立している現実に過ぎなくて、だからそれは都合よくノスタルジアに浸るための幻想なのかもしれない。
その当時も、わざと古い映画っぽいテイストで作ったのだろうけれど、今はすでに時代が経って均質に古くなってしまっているのであまり関係がない。
《泥の河》は、なかなか出てこない加賀まりこがすごくて、でも《麻雀放浪記》のママだって加賀まりこで、そしてそのどちらもが加賀まりこなのだ。

でもその書店を出た後、もっと普通の大きな書店でスター・ウォーズ特集の雑誌やグレッグ・イーガンなど買ってしまい、檸檬的本屋の幻想は霧散してしまったのだけれど。


小栗康平コレクション1 泥の河 (駒草出版)
小栗康平コレクション1 泥の河 (小栗康平コレクション<全4巻>)




泥の河・オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=LHOaWzkaMdE
ピロスマニ・予告
https://www.youtube.com/watch?v=tiWFob_yrbg
nice!(69)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 69

コメント 12

末尾ルコ(アルベール)

夢野久作やジョルジュ・バタイユの文庫など、「本屋」での出会いだったからこそ、よりワクワクした幸福な時間でした。

                   RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-01-27 08:34) 

(。・_・。)2k

こういう風景
隣町に昭和50年代までありました
懐かしい感じがします

by (。・_・。)2k (2016-01-27 10:48) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ああ、そうなんですか。
本屋には未知の人との出会いや未知の内容を発見できる
という楽しみがあると思います。
そうしたワクワク感が最近はあまり感じられないのかもしれません。
by lequiche (2016-01-27 14:50) 

lequiche

>> (。・_・。)2k様

昭和50年というと昭和とはいえ、近いですね。
だんだんと街が整理されきれいになっていくのは良いのですが、
よそよそしく切り替えただけで、
かえって心が通っていないようなこともあるはずです。
たとえばいままで木製で作られていたものが
金属やプラスチックへと材質が変わると、
丈夫で機能的かもしれないですが懐かしさは宿りにくいですね。
by lequiche (2016-01-27 14:50) 

暁烏 英(あけがらす ひで)

昭和50年代までじゃありません。現在も、しかも京浜地区に似たようなところが現存します。川崎運河から少し陸側に入ったところです。
わたしは一昨年この近くの運河に船を止め一夜を明かしました。ここに掲載された「泥の河」の船よりすごいところです。
by 暁烏 英(あけがらす ひで) (2016-01-27 16:33) 

青山実花

本屋さんで「泥の河」を見つけるって、
なんだかいいですね。

「泥の河」は大好きな映画です。
「やるせない」とはこういう事かと、
教えてくれるような作品ですね。
ラストも、無理に映画的にまとめていないのがいいです。
大変にリアル。

田村高廣さん演じる父親が素晴らしいですね。
あの映画の田村さんこそ、
私の理想の父親像です。
ああ、もう一度観たくなってきました。
by 青山実花 (2016-01-27 21:27) 

lequiche

>> 暁烏 英(あけがらす ひで)様

いまでもこんな風景があるんですか。
それはすごいですね。
だとすると日本全国を探せば。
まだまだ過去のものでない風景がある可能性もありますし。
どんなところなのか行ってみたいです。
by lequiche (2016-01-28 05:14) 

lequiche

>> 青山実花様

メディア+本にして書店で売るという手法もあるみたいです。
加藤和彦のヨーロッパ3部作というCD本も書店にありました。

この映画、音楽が毛利蔵人であることも興味深いです。
小栗康平は自分の美学を持ちながらもそれを押しつけたりせず、
常に自然なスタンスであることがリアリティとなっている
と思います。

田村高廣はすごいですよね。
子役にも食われてないし (あたりまえか ^^;)。
フェリーニの《道》などと同様に
こういうのが映画なんだと思います。
by lequiche (2016-01-28 05:15) 

majyo

本屋さんは無くなりましたね
私が嫁いだ先の街では駅近に間口の狭い本屋さんがありましたが
いつか消え、大型店が出来ました。
大型店は2つありましたね。だから本屋さんはもう無理でした

泥の河はかなり以前に読んでいますが、覚えているところは少ない
何故読んだか?
家から少し離れると川の側にバラックがありここは何だろうと子供心に
不思議に思った原風景があるのです。
今ならわかります。
映画観てみたいですね。また感じ方が違うかもしれません
ただそこから通う子供たちですが、差別はなかったと思います。
ある意味では良い時代だったのかもしれません

写真のダルマ船も見ています。係留されていました。
ご飯食べながら隅田川の花火を見ていたのでうらやましかった

by majyo (2016-01-28 17:53) 

lequiche

>> majyo 様

大規模なショッピングストアができると
周囲の小さな店はどうしてもつぶれてしまいますね。
でも大型店に入る書店は売れ線の本しか無くって、
私はドラッグストアと呼んでいます。

原作をお読みですか。
私は映画を観ただけで原作はまだ読んでいません。
小説と映画では、きっと印象は異なるだろうと思います。

あ、こういう船はダルマ船というのですか。
つまり船の上のバラックですね?
きっと生活は大変だったのでしょうが、
そうした生活に自由さを感じることはあります。
でも現代はそうしたムダなものは排除されてしまいますから、
それが巡って、時代の閉塞感の元になっているとも言えます。
by lequiche (2016-01-29 06:08) 

sig

「泥の河」、モノトーンがほんとに生きていましたね。加賀まりこもすごい役者さんですね。
by sig (2016-02-06 14:26) 

lequiche

>> sig 様

映画も写真もモノクロームのほうが良いような気がします。
一見、情報が少ないように思えますが、
イマジネーションが働きやすくなるという利点があります。
音楽も、ちょっと違うけれど、モノラルなんでしょうか。

どんなふうな役もこなせるのが役者ですよね。
いつも同じパターンしか見えて来ないのは、
単なるタレントさんであって、真の役者とは程遠いです。
by lequiche (2016-02-06 23:44) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0