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ナラ・レオンとトゥーカ [音楽]

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Nara Leão

ユニバーサルミュージックから 「ブラジル1000 Best Collection」 というブラジル音楽の廉価盤が出ていたのだが、今回、そのうちの50枚が再発されたので何枚か買ってみた。売上上位50タイトルという惹句が付いているがそれが本当なのかどうかはわからない。

私が聴きたかったのはトゥーカのアルバム《TUCA》で、1968年にリリースされている2ndアルバムである (ユニバーサルの帯の表記は 「トゥッカ」 となっているが、トゥーカと表記することにする)。昨年に発売されたのだが品切れになっていて再発売を待っていた。
トゥーカは、私にとってフランソワーズ・アルディの《La Question》(1971) におけるギタリスト/コンポーザーとして記憶されていて、そのアルバムへの偏愛についてはすでに書いた (→2015年03月16日ブログ)。

今回の再発のなかにはナラ・レオンの《美しきボサノヴァのミューズ》(1971) もあって、そこでもアルディの前述アルバムと同様のギタリストとしてのトゥーカを聴くことができる (しかし邦題の 「美しきボサノヴァのミューズ」 というタイトルが、いかにも時代を感じさせる。オリジナルのタイトルは《dez anos depois》)。
ナラ・レオンのアルバムに挿入されている歌詞カードにある解説は村上玲で、この解説がブッ飛んでいてかなり面白い。それは 「ボサノヴァ歌手、ナラ・レオンの歴史はレコード・デビュー以前にあらかじめ終わっていた」 と始められている。そして彼女とマリアンヌ・フェイスフルを比較している。

ボサノヴァについても、かつて私は 「音楽の中で最も人工的なジャンル」 と書いたが (→2012年10月03日ブログ)、つまりブラジルの知識階級によって、サンバをソフィスティケイトさせたリズムと話法を用いて作り出されたのがボサノヴァであって、それは一種のブームを形成し、そして衰退した。

一方で、当時のブラジルの政治情勢に反抗して、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルによって提唱されたのが 「トロピカリズモ」 であり、その代表的アルバム《Tropicália》(1968) も今回の再発の1枚に入っている。彼らの政治的な発言は軍事政権から敵視され、ブラジルを追われてヨーロッパに逃れることになる。
そうした動きに呼応するように、ナラ・レオンもまた同時期にブラジルから離れていた。

もはやそうした事実は歴史のなかのひとつのエピソードに過ぎないのかもしれない。その切迫していたであろう雰囲気を21世紀の今から遡って感じることは不可能だ。
トロピカリズモは単なる政治的ムーヴメントというよりは、サイケデリックとか、たとえばビートルズのサージェント・ペパーズなどに影響された面も大きい。カエターノ・ヴェローゾがブラジルからイギリスへ亡命した後に出された《ホワイト・アルバム》というタイトルは、当然、ビートルズの同名アルバムからの影響である。

村上玲が書くように、ナラ・レオンの《美しきボサノヴァのミューズ》は、彼女にとってすでに 「何をいまさら」 なボサノヴァ・アルバムだったのかもしれない。ボサノヴァは彼女のなかにおいても、時代的にも、すでに最盛期を過ぎていたのだ。
だが《美しきボサノヴァのミューズ》の、そのほとんどがフランスで録られたということに意味がある。そしてもちろんナラ・レオンの《dez anos depois》もフランソワーズ・アルディの《La Question》もリリースされたのは同じ1971年なのである。そしてそこから感じられるアンニュイもほぼ同質である。

《dez anos depois》の1曲目、〈Insensatez〉はギターだけの伴奏で始まる。ナラ・レオンの声とトゥーカの柔らかなギター。1968年から1971年という時の経過がそこに働いているのか、それとも単に音楽を演奏する環境の違いに過ぎないのか、それはわからない。
同時に、そうしたアンニュイな表情が時代への悲しみから発しているものなのか、それともインテリの悩みであり逃避だ、と片付けられてしまう種類のものなのかどうかもわからない。でも私の心に響くのは、残念ながら昂揚したトロピカリズモではなくて、アンニュイなナラ・レオンやアルディの声とその創り出された内省的な世界なのだ。それはもしかすると、時代を超えて、今もまたそうした生きにくい時代にあるということのしるしなのかもしれない。
5曲目の超有名曲〈イパネマの娘〉はいきなりサビから始まる。そこにはスタン・ゲッツ&アストラド・ジルベルトによる、アメリカナイズされ商業化された大ヒットボサノヴァとはやや違ったテイストが感じられる。ナラの声にからまるトゥーカのオブリガートがこころよい。

しかし、トゥーカ自身のアルバム《TUCA》はある意味、ゴッタ煮で、彼女の音楽的器用さがかえって散漫な方向性のはっきりしない状態を作りだしたような気がする。そこに展開されている音楽はカエターノ・ヴェローゾの《Tropicália》とは違うが、昂揚感については共通性があるように思える。それは《TUCA》と《Tropicália》がどちらも1968年にリリースされていることにより明らかである。
だがその時代に、必ずしも自分が作りたい音楽が作れる状況があったかどうかというと、はなはだ疑問であり、またその頃の音楽シーンは今ほど発達していなかったことは容易に想像できる。

トゥーカはアルディやナラ・レオンとアルバムを作ったとき、27歳。その後、薬の過剰摂取により1978年に33歳で亡くなっている。ナラ・レオンも何枚ものアルバムを作ったが、1989年に47歳で亡くなった。

ボサノヴァやタンゴはその特異な音楽的特性によって、人工的な表情でありながらもまだ十分に魅力的に私には思える。でも 「10年後」 にはどうなっているか、それは誰にもわからない。


ナラ・レオン/美しきボサノヴァのミューズ (ユニバーサルミュージック)
美しきボサノヴァのミューズ




トゥッカ/トゥッカ (ユニバーサルミュージック)
トゥッカ




Nara Leão e Roberto Menescal/O barquinho, O pato, Manhã de carnaval
https://www.youtube.com/watch?v=5qVY8DEbbkE

Françoise Hardy/La Question (作曲/ギターはTuca)
https://www.youtube.com/watch?v=P0rYZEmhn1c
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末尾ルコ(アルベール)

「アンニュイ」というフランス語が日本語化して、しかもごく普通に多くの日本人が使っていた時代は、明らかに日本の文化的レベルも高かった気がします。「アンニュイ」という言葉が存在するがゆえに助けられた人間の感情があったという・・・。
ボサノバはさほど積極的に聴いてはいませんでしたが、ナラ・レオンとマリアンヌ・フェイスフルの比較など、とても興味深いです。フランスワーズ・アルディはわたしも大好きで、あの世界、誰も真似できませんよね!      RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-07-20 09:22) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

アンニュイは気怠さというか、
そんなに重くない憂鬱なんだと思います。
たとえば《イノセント》だったらヘヴィー過ぎて沈鬱で
とてもアンニュイどころじゃないですが、
アンニュイならどこにでもある卑近さでわかりやすいですし。(^^)

村上玲さんというかたは
評論がポエムだとか、まともな解説が無いとか、
いろいろ言われているようですが、目の付け所が面白いと思います。
分かる人には分かるし、分からない人には分からない、
ということです。
by lequiche (2016-07-20 21:25) 

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