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LaLa40周年記念原画展に行く [コミック]

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池袋西武百貨店で開催されている《LaLa40周年記念原画展》に行く。
実はあまり乗り気ではなかった。というのは白泉社のサイトに 「大島弓子先生の作品は複製原画を展示しています」 「竹宮惠子先生の (以下同様)」 というような表示がされていたからで、以前見たときはそんなことは書いてなかったような記憶がある。たぶんオトナの事情なんだろうけど、そもそも 「複製原画」 って 「複製」 は 「原画」 じゃないし、こういうのを形容矛盾という。

とはいえ、ちょっと前に大和和紀展があったのを見逃したので失敗したなあと思っていたから、とりあえず行かないと、という義務感みたいなのもあったのだ。そしてある程度少女マンガを知っていて、比較的満遍なく少女マンガの昔と今を感じたいのだったら、この展示は素晴らしい。
LaLaがこのレヴェルでなければならないのか、それとも少女マンガ全体がこのレヴェルなのかよくわからないのだが、特にこの展示における近年の作品のクォリティの高さはすごいと思う。

以下はあくまで私の好みで書いてるだけなのでご了解のほど。

最もきわだって目を引いたのは清水玲子である。彼女の描くブラウン系の透明感のある瞳は、それだけで清水玲子だと容易に識別できる特徴を備えている。
だが、この細密さと色彩と造形の特異さはオーソドクスでありながらアヴァンギャルドだ。結局、マンガの扉絵はどんどんイラストレーションに、つまり一般的な絵画に近づいている。でもマンガの扉絵とイラストレーションは明らかに違うはずだ。それはその絵の背後にストーリーが存在するか否かの違いであり、もしストーリーがイラストレーションにも存在するのだとしても、それが果たして抽象的でなくて具体的にありうるのかどうか、によるのだと思う。わかりやすい例としてあげるのならば、江口寿史のマンガ家の頃の絵とイラストレーターになってからの絵は明らかに異なる。それは単純な巧拙というような比較ではなくて、イラストレーションとは具体的なストーリーを必要としないものであり、それゆえにそれだけで自立するのがイラストレーションなのだ。
また、もうひとつの区分けとして、それはマンガなのか絵本なのか、というような描きかたの違いもある。どちらもストーリーを内包している点は同様だが、どこまでがマンガで、どこからが絵本かという線引きはない。
清水玲子の絵は、このマンガなのかイラストレーションなのかという境界や、さらにはマンガなのか絵本なのかという境界のあわいをときとして意識させる。それは真っ直ぐにこちらを見た正面からの顔のとき、顕著に感じられる。私はそうした手法に、唐突だが、内田善美の方法論を感じる。

たとえば清水玲子のWILD CATSの扉は、人と獣のバックに輪郭をきわだたせた草と花が描かれているが、この細密さは印刷時においては完全に飛んでしまっている。
なぜならカラー印刷は網点の掛け合わせでその色とかたちをいわば錯覚によって見せているのに過ぎず、それは一種の最も原始的なデジタル処理であって、そのスクリーン線数に洩れてしまった細密な線は、再現されるか再現されないかのどちらかなのである。再現されなければその分のデータは無いのと同様であり、アバウトなものに過ぎない。つまり網点で処理されたブリューゲルの版画が一様に眠いのは、かっきりとした線を曖昧な点々のつながりで近似値的に処理しているのに過ぎないからである。極端にいえばブリューゲルのほとんどの版画集はブリューゲルではない。
また印刷インクのラチチュードは、カラーインクに較べて狭いから、それは必ず狭い範囲での劣化した状態でしか再現できないということになる。それは印刷という大量頒布物の弱点である。しかしそうしたシステムを利用してマンガ雑誌は成立しているのだから、矛盾はずっと解消されない。

成田美名子の作品はその全てが常に奥行きがあり、立体感と深みのある色彩は素晴らしい。でも印刷ではその全てが吹き飛んでしまっている。またALEXANDRITEの金網越しの風景の描きかたは、もはや異常である。まず金網があり、その向こう側に風景が存在するのである。風景の前面に金網を描いたのではない。
かつて成田美名子を発見したとき、遡って『みき&ユーティ』から読んでいた頃の、最も明るい、透明な感情の、少女マンガの美しい部分だけを集めたようなその作品の完璧さを感じていたことを私はあらためて思い出す。それはノスタルジックな感傷に過ぎないのかもしれないが、それでもよい。

他にも葉鳥ビスコのセピアのフィルターを通したような深みのある描写とか、呉由姫の 「金色のコルダ」 のグリーンのマフラーの質感と顔との対比とか、あきづき空太のLaLa表紙の、ランプだけが明るく、振り向いた顔のやや暗い表情と、そこに降りかかる雪の雰囲気とか、印刷物と原画は、あたりまえだけれど、ものすごく違う。
青池保子の夜の飛行機の暗くて強い質感の表現もすご過ぎる。

絵の印刷物への再現性について、私が繰り返し挙げる例としてマグリットとドガがあるが、マグリットは比較的原画に近く再現されるが、ドガを再現することはほとんど不可能である。この不可能なほうに分類される絵を描く者は不幸だ。だが逆にいえば 「どーせ再現できないだろうザマーミロ」 的な部分もあるのではないかと思われる。

少女マンガファンなら必見の展覧会である。もう期日がほとんどないけど。
尚、もうすぐ公開の生田斗真/岡田将生主演の映画《秘密》の原作は清水玲子である。


LaLa40周年記念原画展
http://www.hakusensha.co.jp/LaLa40th/genga/
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末尾ルコ(アルベール)

「美しい少女まんがの世界」←この何のてらいもないタイトル、好きです(笑)。
最近『北斗の拳』と『北斗の拳 いちご味』以外の漫画にはご無沙汰のわたしですが(←なぜか今、頻度高く読んでいるという 笑)、ここでお書きの作家を中心にまたチェックしてみます!マグリットとドガの例え、とても分かりやすいです!  RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-07-30 07:33) 

青山実花

私も行きました。
知っている作家さんは少なかったのですが、
原画の美しさには涙が出ました。

絵が描けるって、
描けない者からしたら、
神様から特別な物をもらったとしか思えない
才能だと思います。
(簡単ですみません^^;)

by 青山実花 (2016-07-30 07:45) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

「美しい少女まんが」!(^o^)
確かにそうですね。気がつきませんでした。

北斗の拳ですか〜。
タイトルは知っているんですけど、読んだことありません。
是非ブログで語ってください。(^^)
LaLa系のマンガ家は、ややマニアックかもしれませんが、
これだけのマンガ家を一定して輩出してきたのは
もはや雑誌の伝統と言えるのかもしれません。
by lequiche (2016-07-31 02:53) 

lequiche

>> 青山実花様

そうだったんですか。
原画の持つ力というのはおそろしく強いです。
トリハダものですね。
私は成田美名子フリークなんですが、
ポストカード売り切れで凹みました。(もっと早く行けよ -_-;)。

あれくらい描けないと
プロのマンガ家としてはやっていけないんだなぁ、
ということがしみじみわかって、
すごく厳しい競争の世界であることを感じました。
by lequiche (2016-07-31 02:55) 

リュカ

今でこそニャンコ先生LOVEなので
LaLa、たまーーーーに買うのですが
小さい頃はLaLaは読んでなかったです(笑)
なんとなくLaLaは大人っぽいイメージがありました。
by リュカ (2016-08-01 10:35) 

lequiche

>> リュカ様

ニャンコ先生とは、さすが、リュカさんらしいですね。(^^)
たしかにオトナっぽいイメージというのは
あるかもしれません。
今回の展示に洩れている重要な作家として森川久美がいますが、
完全にオトナ相手に描いていて子どもには無理だったと思います。
LaLaにはBL系の端緒となった雰囲気があるかもしれません。
by lequiche (2016-08-02 06:17) 

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