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宇多田ヒカル《Fantôme》を聴く [音楽]

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宇多田ヒカルの久しぶりのアルバム《Fantôme》を聴く。
アルバム収録曲全体に感じられる何かまろやかなもの。その雰囲気がとても 「和」 で、つまり日本的なテイストでちょっと意外な気持ちになるが、宇多田自身が、日本にもなじめないし、といって海外にいると自分が日本人であることを強く感じる、どこにいても自分はアウトサイダーだ、というような発言が心に残る。

最初の曲〈道〉の冒頭、このコロコロとした触感とその音色は、全く別の何かの曲で聴いたはずだと思うのだが思い出せない。明るくポップでキャッチーで、CM用の曲とはいえ、この明るさがモチーフなのかと思ってしまうと、それはことごとく裏切られる。この1曲目は偽りの表紙なのだ。

5曲目の〈人魚〉あたりからの展開が圧巻。〈人魚〉はハープの伴奏で始まり、美しい曲のように見えて、でもハープに加えてドラムが入ってくるだけで、音数が増えない。その虚ろさはなんだろうか。

 水面に映る花火を追いかけて
 沖へ向かう人魚を見たの

と歌いながら、また 「あなたに会えそうな気がするの」 「あなたに会えそうな気がしたの」 とも歌う。人魚があなたなのか、それともあなたには会えなくて、そのかわりに人魚を見たのか。
次の曲〈ともだちwith小袋成彬〉は軽やかに聞こえるリズムにギター、ブラスが重なる。棒読み風の印象的なリフレイン、「Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh」 とさらりと歌いながら、ときどきドキッとするような歌詞が混じる。いや、思わせぶりなのはもうやめよう。

その次の7曲目〈真夏の通り雨〉は絶唱である。

 汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
 たくさんの初めてを深く刻んだ

という歌詞からはそうした恋愛のありふれた情景を連想するが、でもそれはダブル・ミーニングであって、だんだんと様相があきらかになってくる。

 揺れる若葉に手を伸ばし
 あなたに思い馳せる時
 いつになったら悲しくなくなる
 教えてほしい

という。そう、ずっと悲しみは持続しているのだ。「教えて 正しいサヨナラの仕方を」 とか (この個所で私は Sugar Soul の〈悲しみの花に〉の 「あぁ 誰か教えてよ/悲しみの行方を」 を思い出す)、「あなたの思い馳せる時/今あなたに聞きたいことがいっぱい/溢れて 溢れて」 とか、まだ恋の終わりのようなシーンを連想させるが、その次でそれは突然崩壊する。

 木々が芽吹く 月日巡る
 変わらない気持ちを伝えたい
 自由になる自由がある
 立ち尽くす 見送りびとの影

 思い出たちがふいに私を
 乱暴に掴んで離さない
 愛してます 尚も深く
 降り止まぬ 真夏の通り雨

「自由になる自由がある/立ち尽くす 見送りびとの影」 という部分で茫然となる。これは真夏のレクイエムであり擬装していた恋愛ゲームは霧散する。
そして、真夏の通り雨という言葉から、私はT・S・エリオットの〈荒地 The Waste Land〉を思い出す。

 Summer surprised us, coming over the Starnbergersee
 With a shower of rain; we stopped in the colonnade,

 シュタルンベルガ・ゼー湖の向うから
 夏が夕立をつれて急に襲って来た。
 僕たちは廻廊で雨宿りをして   (西脇順三郎・訳)

これは〈荒地〉の第1部の冒頭〈The Burial of the Dead 死者の埋葬〉の8~9行目であり、最も有名な部分である。シュタルンベルガ・ゼー湖→シュタルンベルク湖とはババリアの狂王と言われたルートヴィヒ2世が水死体で見つかった湖のこと。

曲の最後はくぐもった声でのリフレインとなる。

 ずっと止まない止まない雨に
 ずっと癒えない癒えない渇き

宇多田の母の不幸な死も夏――8月の終わりだった。
アルバムの終曲は〈桜流し〉だが、宇多田は、この曲は最後に置くしか無いと言っている。それは松任谷由実の〈春よ、来い〉がアルバム《The Dancing Sun》の最後にあるのと同じだ。どちらの曲も死の匂いがする。というより《Fantôme》の構成全体がレクイエムだと言ってもよいのかもしれない。

その他、8曲目のタイトル〈荒野の狼〉はヘルマン・ヘッセの小説 (荒野の狼 Der Steppenwolf, 1927) のタイトルからとられているとのことだが、この作品における重要な言葉としてアウトサイダーと、そして自殺がある。NHKTV朝ドラの主題歌の〈花束を君に〉というタイトルは、私には 「アルジャーノンに花束を」 と 「まごころを君に」 の合成のように思えてしまう (「アルジャーノンに花束を」 はダニエル・キイスのSF小説。「まごころを君に」 はそれが映画化された際の邦題)。違うかなぁ。だから何だ、といわれれば何でもないんだけど。(「アルジャーノンに花束を」 は最もセンチメンタルなSF作品として今もカルト的な人気がある。知性の虚しさを描いているとも言える)。

とりあえず何回かリピートして聴いただけの雑な感想だが、わざと音数を少なくした、かなり内省的なアルバムのように思える。無駄な音はそぎ落とされ、それでいて寂寥とは異なる。柔らかだけれど何か色が足りない。ジャケット写真はモノクロでブレていて、かつて 「黒い服は死者に祈る時にだけ着るの」 (COLORS) と歌ったように色彩がない。その音は内容に合わせて、トリッキーでなく深い。ぜひアナログディスクもリリースして欲しいと思う。


宇多田ヒカル/Fantôme (Universal Music)
Fantôme




宇多田ヒカル/真夏の通り雨
https://www.youtube.com/watch?v=ASl2cluuyIU
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NO14Ruggerman

NHKの「SONGS」を観ていて「ともだち」を聴きました。聴く前に衝撃的な解説を受け、歌詞に納得してしまいましたが、素であの歌詞を聴いて思いを巡らせてみたかったですね。
by NO14Ruggerman (2016-10-01 12:04) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

残念〜。私はそのSONGSを観ていません。
なるほど、本人からの解説があったんですね。
椎名林檎とのデュエットも含めてLGBTとかいろいろ言われていますが、
そういうのも含めて歌詞が成立していくというのは
まさに今の時代だからだと思います。
たとえばマッキーの歌詞だって十分に考えちゃいますし。

ただ、宇多田の場合は、
そういう歌詞であってもそれを普遍化するというか、
個人的な悲しみを籠めながらもそれを昇華していく部分があります。
それが読み方によって幾つもに読める内容になるのであって、
単純にすごいですよね。
それだからこそ音楽なんだだといえばそうなんですが。
by lequiche (2016-10-01 12:34) 

Speakeasy

宇多田ヒカルの新譜が全米iTunesチャートで6位になったみたいですね。
特にアジアでは強い!台湾、香港、シンガポールでは1位獲得です!
ヨーロッパでもフィンランドで1位!

http://matome.naver.jp/odai/2147517237693651701

いったい彼女に何が起こったのでしょうか?

私は、宇多田さんのアルバムを全く聴いた事が無いので、蚊帳の外にいるような気分です(笑)

でも、何だか嬉しいっす!

lequicheさんが貼ってくれた「真夏の通り雨」の動画コメント見てください・・・英語ばかりですよ!

by Speakeasy (2016-10-01 21:22) 

lequiche

>> Speakeasy 様

そうなんですか。是非一度お聴きになってみてください。
なぜ海外でそんなに売れているのかは不明です。
アメリカには言葉の壁があって英語詞でないと売れない、
と言われていますが、それをクリアしてしまっている。
今回の歌詞はほとんど日本語で英語詞の曲はない。
以前、英語詞のアルバムを出しても売れなかったのに。
つまり重要なのは歌詞ではなくて音楽ですね。
音が支持されたっていうことです。
昔、日本でビートルズが売れたときだって、
歌詞の内容を理解して聴いているリスナーなんてほとんど皆無。
その音がよかったから売れたんです。

以下はブログ本文に書くと気が引けるようなことなので、
ここにコメとしてこっそり書くのですが
(こっそり書いても読めるだろっ!^^;)、
やはり日本ではJ-popが全盛なので、特定の傾向の音が好まれますが、
宇多田の音はそういうのと、やや異なるということ。
一聴、音が寂しかったりとか手抜きっぽく思えたりするのですが、
そうじゃなくて、たとえばプリンスの手法みたいな感じもあります。
今回はストリング・アレンジなども担当していて、
より宇多田本人で作っている範囲が広くなっています。

宇多田は東芝EMIの頃から 「外人ワク」 とか言われていて、
J-popという扱いではなかったそうです。
海外ではたぶん、たとえばビョークとか、
そういう捉え方で聴かれているのではないか、と。
これは想像ですが。

一応、ブログ本文では歌詞の分析ふうなことを書いていますが、
音楽における歌詞の重要度の比率は私のなかでは少ないんです。
とはいってももちろん最低限の水準は必要なので、
それすら満たしていない楽曲は……まぁね、ってことですけど。

それとタイトルの Fantôme は日本語wikiを見ると、
フランス語で 「幻」 「気配」 などと書いてありますが、
もっと端的に書くべきで 「幽霊」 とか 「亡霊」 の意味です。
そういうふうに考えると結構 「辛気くさい」 タイトルではあります。

宇多田ヒカルの1stアルバム《First Love》(1999) は、
私が最も繰り返し聴いたCDです。
by lequiche (2016-10-01 21:37) 

NO14Ruggerman

lequicheさん 「SONGS」で宇多田さんはこの様な発言をされていました。「割合特殊な環境で生まれ育ってる気がするアメリカと日本、どちらにとってもアウトサイダー」
そんなall aloneな想いを昨今脚光を浴びつつあるLGBTに準えて詩に込めたのかなあ、と感じました。
by NO14Ruggerman (2016-10-01 23:00) 

lequiche

>> NO14Ruggerman

そうですか。ありがとうございます。
子どもの頃の記憶でも、転校生というのは
どうしてもよそ者の扱いを受けやすいですよね。
宇多田の場合、日本にいてもアメリカにいても、
土地への帰属意識が薄かったのではないかということは
考えられますし、さらにヨーロッパに住んでいたりして、
ますますそれは強化され、そしてデラシネとなります。
たとえばナボコフのように、
国というものへの帰属意識の薄い人がいて、
そうしたアウトサイダー的なものへのシンパシィが
私のなかでのテーマのようにも思えます。
特にクラシックの演奏家などには多いように思います。
by lequiche (2016-10-02 01:37) 

末尾ルコ(アルベール)

むむむ・・・今日はコメント欄も読み応えありますね。得した気分です!宇多田ヒカルは確か日本デビュー当時、日本でヒットしている歌謡曲に関し「子どもの頃から、どうして日本にはこんな歌しかないのだろうと感じていた」という旨の発言をしていた記憶があります。それで日本の歌謡曲的なものはもちろん作りたくない、しかしかと言って、英米音楽そのものでもありえない。そう考えると、 lequiche様の言う「デラシネ」感覚がとてもしっくり分かる気がします。  RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-10-02 07:36) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ブログ本文はたてまえ、コメント欄は本音ですから。(^^;)

あ、そんなことを言ってたんですか。
宇多田はデビュー当時から考え方としてはすごく老成していて、
でもそれを完全には見せていないという感じがします。
〈荒野の狼〉というタイトルに関しても、
私はヘッセが好きだから、みたいな言葉が唐突に出てくる。
前にもそういう発言があったのかもしれませんが、
私はそこまでのマニアックなファンではないので、
私にとっては唐突でした。
ステッペンウルフというロックバンドがあって、
そのバンド名がこのヘッセのタイトルからとられたのは
有名な話ですが、そういうのは常識として存在していて、
その上でのタイトル付けだと思うんですね。
なにか元ネタ (ってヤな言葉なんですが) があっても
そういうのは当然わかってるものと
リスナーに要求している部分があります。

たとえば〈俺の彼女〉という曲でも、

 カラダよりずっと奥に招きたい 招きたい
 カラダよりもっと奥に触りたい 触りたい

というリフレインがあって、
その後、フランス語でもリフレインがあります。

 Je veux inviter quelqu’un à entrer
 Quelqu’un à trouver ma vérité
 Je veux inviter quelqu’un à toucher
 L’éternité, l’éternité

1行目と3行目は日本語詞のトランスレートですが、
唐突に出てくる l’éternité という言葉から連想するのは
ランボーの永遠 (L’Éternité) です。

 見つかったよ/何が?永遠が
 Elle est retrouvée./Quoi? — L’Éternité.

これは有名な詩なので、たぶん意識してるというか、
つまり荒野の狼が何を意味するか、というのと同様な意味での
L’Éternité だと思うんです。深読み過ぎるでしょうか?
by lequiche (2016-10-03 06:35) 

リュカ

デビューアルバムからの数枚は持っているのですが
その後遠ざかっていたなーって改めて思いました。
記事を読んだら聴いてみたくなりましたよ。

>どこにいても自分はアウトサイダーだ

なるほどね。妙に納得しちゃう。
すごく印象深いかも。
by リュカ (2016-10-03 10:15) 

lequiche

>> リュカ様

ずっとコンスタントに追い続けるというのは
やっぱりむずかしいですね。
人間の興味には山もあり谷もありますから、
聴くときは聴くけど聴かなくなったら聴かない。
私もそうです。
繰り返し聴くにたえるCDは100枚に1枚くらいです。

山下洋輔も言っていましたが、
海外に行くと自分では意識していなくても、
自分が日本人だということをいやでも思い知らされる、
とのことで、
ですからサーヴィスとして日本的なテイストをつい出してしまう、
「ハラキリとか」 (笑) っていうことです。

宇多田ヒカルはバイリンであるだけでなく、
言葉に対する感覚とか、音に対する感覚も違うように思います。
特にリズムとか、あと音色とか。
それは逆にアウトサイダーだからこそのワザ、とも言えます。
by lequiche (2016-10-03 15:43) 

トロル

「荒野のおおかみ」は若き日のわたしのバイブルの一冊です。

宇多田さんの新曲がラジオから流れて耳にした歌詞に惹かれました。

君はまだ怒っているかな、)
意地をはらずにいられなくて…

柔らかい表現にして、個を感じる。
変われず、変化している。変われないことも、
自分を受け入れる過程。
響きました。

こんな遠いところへ書き込んですみません (*´-`)
by トロル (2017-08-15 22:39) 

lequiche

>> トロル様

いえいえ、どこの日へのコメントでもOKです。

ヘッセは最近、日本ではあまり読まれていないようですので、
お好きなかたがいらっしゃるのはうれしいです。
私はヘッセでは『ロスハルデ』(湖畔のアトリエ)
という作品が好きで、
そのことはリチャード・パワーズの記事のなかで
ちょっとだけ書きました。
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2015-10-23

宇多田の〈大空で抱きしめて〉、新曲ですね。
その次の曲の〈Forevermore〉もそうですが、
アルバム《Fantôme》後、ソニーに移籍してから
少し軽いフットワークになってきたような気がします。
歌詞もいいし、音もいいですね。

海外から見ると宇多田はビョークみたいなのでは?
と以前書きましたが、
ビョークより宇多田のほうが英語力は上ですし (笑)、
そのうちもっと海外で売れるかもしれません。
by lequiche (2017-08-16 14:09) 

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