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山岸凉子展に行く [コミック]

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山岸凉子/アラベスク

ときどき降る雨の中、根津の弥生美術館で開催されている山岸凉子展に行く。雨なのだけれど12月にしては異常に暑い日。今年の天候はどこかおかしい。

山岸凉子といえば、もっとも有名な作品は『日出処の天子』であって、ざっくりと書いてしまえば聖徳太子 (厩戸王子) が美少年の超能力者であって、しかもLGBTであるという24年組の基本形であるBL系のマンガである。と書いたら、ざっくり過ぎるゎ! と、きっとお叱りを受けるだろうけれど。
それともうひとつ、怖い系の短編があって、ハーピーとかメデュウサといったいわゆる魔物の話もあるのだが、そうしたなかで、やはり精神的な部分での怖さを描いた 「天人唐草」 が最も有名だろう (「天人唐草」 についてはすでに橋本治の記事で簡単に書いた→2016年09月10日ブログ)。

ポスターなどのパブリッシングにおいても厩戸イチオシであって、この黒バックの扉絵は完璧である (『LaLa』1980年5月号扉)。
だが、展示作品を見ていての私の感想としてあえて言ってしまえば、山岸にとって最も重要な作品は『アラベスク』だと思う。というより今まで『アラベスク』を過小評価していたというのが本音のところだ。

『アラベスク』はバレエ・マンガで、しかしそれを描いた当時、バレエ・マンガの流行があってそれがもう過ぎてしまっていた頃で、編集者からは 「何をいまさらバレエ?」 と言われたりしたのだという。しかし山岸は 「トゥシューズに画鋲を入れて意地悪をする」 ようなレヴェルのバレエ・マンガではないバレエ・マンガを描きたいという意欲を見せて連載を始めたのだとのことである。当初、短期連載だったはずが、読者からの人気によって長期の作品となった。
たとえば二ノ宮知子の『のだめカンタービレ』はある程度のクォリティを持った初めての音楽マンガと言ってよいと思う。しかし、のだめは21世紀になってからの作品であって、つまりそこに達するまでには長い時間がかかっているのである。
しかし『アラベスク』が連載を始めたのは1971年であって、1971年というときにこうした作品を描き始めたというのは今から振り返れば驚くべき先進性である。ちなみに24年組では、萩尾望都の1971年作品というと 「小夜の縫うゆかた」 であり、大島弓子はやっと1972年に 「雨の音がきこえる」 である。竹宮惠子の1971年は 「空がすき!」 であって、商業的には最も早く成功しているが、多分に既存のマンガの傾向を残しているように思える (でも個人的には、タグ・パリジャンが竹宮作品の中で一番好きなのだけれど)。

『アラベスク』を一種のスポコン・マンガと捉えることも可能ではあるけれど、でも『巨人の星』(1966-1971) とは全然違うし『おれは鉄兵』(1973-1980) とも違う。「芸事」 ということから分類すれば『ガラスの仮面』(1976-) があるが、『ガラスの仮面』のストーリー設定はやはり伝統的なスポコンであるし、時間が相対論的に延々と伸びていくところは水島新司の『ドカベン』(1972-1981) と同じである。
つまり『巨人の星』や『ガラスの仮面』は基本が根性論であるが、『アラベスク』はそうではない。また、ちばてつやにはたとえば『テレビ天使』(1968) があるが、『テレビ天使』も『おれは鉄兵』もその根底にあるのは根性論とは無縁なバガボンド的思想である。その最も典型的な作品が 「螢三七子」 (1972) である。

そうした比較のなかにおける視点においての『アラベスク』はほとんど孤高の作品であり、最近は判型の大きめなコミックスで出し直されていることでもあるし、山岸のバレエに対する造詣から来る冷たい集中力と熱気のようなものを改めて読んでみたいと思った。もちろん『舞姫 テレプシコーラ』もそれに付随するが、このところ読んでいなかった最近作にも俄然興味が湧いてきたところだ。
「アラベスク」『花とゆめ』1975年12号扉絵は私の最も気に入ったモノクロの作品で、山岸本人も言っているようにビアズリーの影響を感じる。それでいて髪の毛の描写はビアズリーを超える。ミュシャでなくビアズリーだった、とのことだがミュシャふうな輪郭線の作品もあった。
私が最初にまじめに読んだ山岸作品はたしか『妖精王』だったが、そのクイーン・マブの雑誌表紙絵 (『プチフラワー』78年7月号表紙) も展示されていた。大人っぽくて、完全に少女マンガという枠組からは逸脱している。

展覧会の解説によれば、山岸もごく初期の頃は丸っこい顔の少女を描いていて、それはその時代に仕方なく迎合していたのだが、この絵では私は描けないと思い、ごつごつととがった鼻や顎の絵に移行したがそれはものすごい不評の嵐だったとのことである。でも山岸は自分が良いとすることは曲げなかった、という点でアヴァンギャルドでありそれが現在までの彼女をかたちづくっているのだといえる。

色彩的にもごく渋い色合いの絵が多いが、それは映画でいうところのアグファカラーに通じる部分がある。また和風な色彩に対する感覚も巧みであり、原画は4色分解で割り切られてしまうきらきらした色よりももっと微妙な肌合いを持っている。
展示会の途中で、展示替えがあったそうだが、これらの作品は色褪せてしまうので、できるだけ展示しないのが望ましい。でもそれでは見たい者にとっては困るのだけれど。

弥生美術館は大きく立派な公営の美術館と較べればごく小さくて質素であるが、その美に対する姿勢にうたれる。そうした情熱こそが芸術の理解には常に必要とされるように思う。


弥生美術館/竹久夢二美術館
山岸凉子展 「光 -てらす-」
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yayoi/exhibition/now.html

山岸凉子画集 光 (河出書房新社)
山岸凉子画集:光

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末尾ルコ(アルベール)

おお!実は最近、山岸涼子をいろいろ掘り出しておりまして。ティーンの頃(笑)にかなり読んでいたのですが、割と最近まで「マンガゼロ」の次期が長くありまして。で、最近読んだのが、『ツタンカーメン』『ヴィリ』、そして『アラベスク』も全巻とはいきませんが、読みました。それにしても『アラベスク』を語りながら、『ドカベン』とか『おれは鉄兵』などが出てくる万華鏡ぶりに、深夜だというのに幻惑されたわたしです。わたしはバレエファンですが、バレエ漫画はあまり読んではおらず、しかし『アラベスク』はとても楽しんで読みました。一つは、「山岸涼子ならバレエの魔的な部分を理解してくれているだろう」という信頼感が大きいのではないかと。 ところで『ヴィリ』もバレエを題材としており、しかもわたしの大好きな『ジゼル』が大きな柱となってますが、さすが山岸涼子、「夜に読んだ」ことを後悔しました(笑)。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-12-23 01:17) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

早速のコメントありがとうございます。
いや、スポコンというイメージでわかりやすいと思ったのが
ドカベンとか鉄兵とか、そうしたマンガなわけで、
たとえば竹宮惠子には『ロンド・カプリチオーソ』という
フィギュア・スケートの題材の作品がありますが、
そんなのがわかる人はあまりいないでしょうから。(^^;)

山岸凉子にはアラベスクが絶対売れるという確信があったようで、
そういうバレエへの思い入れがずっと持続しているんですね。
ヴィリというのは知りませんでした。
というかテレプシコーラも、まだ読んでいないので、
これからそのあたりを読むのが楽しみです。

バレエといえば今日、書店で、
ナンシー・レイノルズ&マルコム・マコーミックの
『20世紀ダンス史』という本を見ましたがご存知ですか?
非常に面白そうなのですがちょっと価格が…… (-_-;)
ということで買うのを躊躇しています。
by lequiche (2016-12-23 01:44) 

hatumi30331

素敵な絵。
バレーを見るのは大好き!
幼稚園の頃に習いたかったのですが・・・・
見学に行った時の先生が・・・超恐くて・・・・・
止めたのですた。へへ
by hatumi30331 (2016-12-23 05:22) 

lequiche

>> hatumi30331 様

あ〜、それは残念!
そのときの先生が優しい先生だったら
今頃プリマだったかもしれませんね。(^^)
by lequiche (2016-12-24 01:43) 

hatumi30331

メリークリスマス〜〜☆
素敵なイブになりますように〜♪

お仕事?
ファイト!
by hatumi30331 (2016-12-24 11:18) 

ぴーすけ君

彼女の作品は、
とてもシリアスというイメージ。
「夏の寓話」がとても印象的で 子どもの時に 怖い気がしたのを
覚えています。
by ぴーすけ君 (2016-12-24 12:33) 

NO14Ruggerman

山岸涼子さん作品、というか少女漫画は殆ど知りませんが
かなり興味が湧きますね。
「アラベスク」「日出処の天子」ですか・・今度読んでみます。
ちばてつや氏の「おれは鉄兵」や「ハリスの旋風」など
リアルで夢中になって読んだ世代ですが「テレビ天使」は
全く知りませんでした。少女漫画で発表された作品なのですね。
ギャグの巨匠赤塚不二夫がブレイクする前の無名時代に
少女漫画で多くの作品を残していたことを知りそれらを読んで
嵌ったことがありますが、ちば氏も似た経歴をお持ちなのですね。
少女漫画・・奥が深いですね。
by NO14Ruggerman (2016-12-24 13:57) 

lequiche

>> hatumi30331 様

バイトなんですけどね〜。
人に言うと誰からも 「それ、辞めたら?」 と言われます。
良いところが見つかったらすぐにでも辞めたいんですが。
ま、とりあえずがんばりますっ!
by lequiche (2016-12-24 14:58) 

lequiche

>> ぴーすけ君

シリアス! 確かにそうですね。
すごく芯があって確立した信念を感じます。
「夏の寓話」 も 「天人唐草」 も
ある意味、非常に社会性を考えた作品ですね。
by lequiche (2016-12-24 14:58) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

少年マンガのほうが保守的で少女マンガはアヴァンギャルドです。
萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、山岸凉子は四天王と呼ばれ、
発表当時の社会的感覚からみると驚くべくものがあります。

ちばてつやは以前、集中的に読んだときがあって、
高岡書店と古本市場を使ってかなりマイナーな作品まで読みました。
ちば先生の描く少女は凜々しくて好きです。
マンガ創生期の頃は、作家も編集者も男性が多くて、
感性的には男性的な作品も多いです。
それはまだ、出版社や編集者の力が強かったからだと思います。
by lequiche (2016-12-24 14:59) 

青山実花

ついに行かれましたね。
間に合って良かったですね。

私は「アラベスク」は未読で、
展示会に行ってとても読みたくなり、
図書館に予約を入れたのですが、
取りにいく時間がなく、流れてしまったりで、
なかなか読むまでに至りません。
でも、こちらでの解説を読ませていただき、
やっぱり読まなくては、と思っています。
買っちゃおうかな^^;

「日出処の天子」は、展覧会のあと、読み返しました。
昔はあれを読んで笑った事などなかったのですが、
今はクスクス笑いが止まらなかったです。
登場人物たちの権力に対する執着が、
とても滑稽で、哀れで、そして愛おしささえ感じたのです。
私も大人になったのね(笑)。

by 青山実花 (2016-12-24 22:45) 

いっぷく

コメントありがとうございました。
このご時世、転職はなかなか難しいかもしれませんが
限られた人生の時間を有意義に使うという意味では
そうした選択肢もありかと思います。
by いっぷく (2016-12-24 23:05) 

青山実花

すみません、もう一つ書かせてください。
「天人唐草」も、とにかく好きな作品ですが、
なぜかずっと、もやもやした感じが拭えずにいたんですね。

で、その理由が最近分かった気がしたのです。
ネタバレになるので、ぼやかして書きますが、
あの父親の結末があまりにあっけなく、
とても悔しいのです。
ある意味、主人公の人生がああなったのは、
父親に依る所が殆どだというのに、
あれでは、ある種「逃げ」のようなものでは、と思えて。

私があの物語をリメイクするなら、
父親を復活させ、
ああなってしまった主人公を持て余しながらも、
嫌々面倒をみる、という風にする気がします。
あれでは主人公一人が不幸で、可哀想で。

by 青山実花 (2016-12-24 23:08) 

えーちゃん

。∠(*・◇・*)☆メリークリスマス☆└*・ェ・*┘
by えーちゃん (2016-12-25 00:27) 

向日葵

Merry Christmas!!

「山岸涼子展」、行かれたのですね。

1期、2期、3期、と約1月ずつ開催されていたようで、
1期、と、3期、とは、同じ内容、と聞きました。

ワタクシは「1期、と、2期」で行って来ました。
(ので、一応今回公開された分は一通り見られた、
 と思います。)

ワタクシは、まさに「アラベスク」を始めとする
「24年組」にどんぴしゃり嵌った世代なので、
「アラベスク」の多くの原画にこの上ない懐かしさを
切ない程に感じて来ました。

「日出処の天子」ですら、単行本になってから、
出る毎に買ってこそいましたが、その熱狂度、熱中度、は
やはり「アラベスク」の比ではなかったかと。。

タグ・パリジャン!!

またまた懐かしい名前が出て来ましたね。
ワタクシも彼のキャラクターは大好きです。

日本的ではない、日本には生まれにくいキャラクターでも
ありますね。

萩尾望都、大島弓子、両巨匠の作品も勿論大好きでした。
あまりに懐かし過ぎて、この話始めるとキリがないので
この辺で。。

by 向日葵 (2016-12-25 02:50) 

lequiche

>> 青山実花様

実は『アラベスク』は読んではいるんですが、
あまりよく理解できていなかったということが
今回の展示を見ているときにわかってきたのです。
つまり昔は理解力が不足していたんじゃないか、と。
(まぁ今でもバカですけど ^^;)

『日出処の天子』はそういう部分まで含めて
よく描けている作品だと思います。
今回、カラー原稿を見ていて思ったのですが、
つくづく山岸凉子って上手いょなぁ、と。(オイオイ ^^;)

厩戸王子はスーパーマンのように見えながら
愛に関しては不幸なんですね。
萩尾のトーマにおけるユリスモールと同じです。
けれどその弱々しさは屈折していて見えにくいですし、
哀しみでもあるんですね。

ところで今、竹宮惠子の『少年の名はジルベール』
というのを読んでいるんですが、
これがとんでもない本で、すごいです。
いままでこういう話ははっきりと出て来ていなかったので。
amazonのカスタマーレビューを読んだだけでも
衝撃的なことがわかります。
私の上記ブログも、
この本を読んだ後ではやや誤認識がありますが、
あえて直さないでおきます。
山岸凉子のこともちょっと出て来ます。
by lequiche (2016-12-25 05:03) 

lequiche

>> いっぷく様

こちらこそわざわざありがとうございます。
非常に重要なヒントをいただけたように感じています。
仕事における精神的満足度と金銭的満足度は
相反するように思っています。
ただ、「朱に交われば……」 というたとえにあるように
バカと付き合っているとこちらもバカになってしまう、
ということは確実にあるような気がしてきました。
by lequiche (2016-12-25 05:03) 

lequiche

>> 青山実花様

うーん、確かに理不尽ですね。お気持ちはわかります。
でもその理不尽さも含めて、それが 「天人唐草」 なんです。
山岸凉子はそういう 「かわいそう」 な部分を救済しません。
結果をそのまま提示する、これはこれなのだ、と。
残酷というか毅然としたところが山岸凉子なんだと思います。
by lequiche (2016-12-25 05:03) 

lequiche

>> えーちゃん様

メリクリありがとうございます。
クリスマスの後は年賀状作成……休むヒマがないですが。(^^;)
by lequiche (2016-12-25 05:04) 

lequiche

>> 向日葵様

コメントありがとうございます。
メリークリスマスもありがとうございます。

『アラベスク』だけでなく、
『ポーの一族』や『ファラオの墓』も私は後から読んだので、
リアルタイムの印象とはやや違うのだと思います。
それは残念ですが仕方がありません。
たぶんモーツァルトだってリアルタイムで聴けば
もっと違った印象があるのかもしれませんが、
それは不可能ですし。

竹宮惠子は、他の3人とはやや異なった風合いがあります。
それまでのマンガの伝統的な作風を継承している部分があり、
かと思えばすごくアヴァンギャルドだったり、
ストーリーが破綻していたりすることもあります。
そのあやうさ/せつなさみたいなのが私は好きです。

『空がすき!』のなかに 「ノエル」 というのがあって、
あの暗い雰囲気がたまらないです。
石ノ森章太郎的な少年マンガからの影響があります。
そのテイストが残っているのが『名探偵コナン』だと思います。

『変奏曲』はミーハーなクラシック音楽マンガですが、
あの作品がなかったら
『のだめカンタービレ』は生まれませんでした。
SF作品では『地球へ』というヒット作がありますが、
最も重要な作品は 「ジルベスターの星から」 です。

青山さんへのレスにも書きましたが、
竹宮惠子の『少年の名はジルベール』という本、
オススメです。
マンガではなくてエッセイですが、
当時の竹宮&萩尾の関係性が書かれています。
by lequiche (2016-12-25 05:44) 

raomelon

lequicheさん
今年はありがとうございました<(_ _)>
来年もよろしくお願い致します。
よいお年をお迎えくださいね^^
by raomelon (2016-12-27 15:20) 

lequiche

>> raomelon 様

こちらこそありがとうございました。
また来年もよろしくお願い致します。
楽しいブログ、期待しております。(^^)
by lequiche (2016-12-29 03:19) 

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