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ゾルタン・コチシュ — バルトーク《14のバガテル》を聴く [音楽]

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Stefi Geyer (1888-1956)

バガテル (bagatelle) とは、ごく自由な発想のもとに作られたピアノのための小曲で、もっとも有名なのはベートーヴェンの《エリーゼのために》(WoO59) である。そんなにがんばって書いた曲でないけれど拾遺として楽譜にしておくという意味あいもあるが、逆にわざと韜晦でバガテルと名づける場合もあるようだ。たとえば幻想曲と名づけるとそれなりの色が見えてしまって曲想が限定されるが、それよりもっと無機質で普遍性があり、より広い意味を持つ。
ベートーヴェンの晩年のバガテルには後期ソナタの片鱗があり滋味があって、その小さな宇宙のなかに最後の声が隠されているように聞こえる。

バルトークの《14のバガテル》op.6 (Tizennégy bagatell, Sz.38, BB50) は1908年、27歳のときに書かれた作品であり、小曲ではあるのだけれど、へりくだってバガテルと命名したといってよく、当時としてはかなり実験的な作品であるように思える。
ゾルタン・コチシュによるバガテルは、フンガロトンのBartók New Seires No.25のWorks for Piano Solo (2) に収録されていて、録音は1991年である。

どの曲も面白いが、1曲目 Molto sostenuto が《ミクロコスモス》の最初のほうの曲のようなおとなしい感じで始まるのが面白い。これは小手調べであり韜晦であって、だまされてはいけない。楽譜を見ると右手は♯が4つ付いているが、左手は♭が4つになっていて、ここだけでも普通ではないのである。右手の始まりがC♯、左手の終わりもC♯ということと臨時記号が付いていないことから単純に考えれば、右手はC♯エオリア、左手はC♯フリギアである (PTNAの解説では右手はC♯ドリアとあるがヒポドリア、つまりエオリアであると思う)。ト音記号の横に調号が付いているのはこれ1曲のみであり、他の曲は各音毎に臨時記号を付ける記譜になっている。

4曲目のGraveはハンガリー民謡の編曲ということだが、12小節しかなく、しかも後の8小節は4+4の繰り返しなので、実質は8小節しかない。しかしこの和音の響きが民族的でありながら近代的な和声に呼応していて美しい。最後の和音の最低音がDで、Bに♭が付いていることから見るとDエオリアだが、そこに到達する前にG♯、F♯があってF♮となる違和感がすごい。下がってくる導音なのだろうか。というか、これをスケールでとらえてはいけないのだろう。

しかしこのバガテルのピークは10曲目のAllegroである。16小節目から始まる低音のC/G/C/Gのはずむリズムがバルトークなのだ。そして5小節目からの右手と同じように46小節目からの左手も、最高音はほぼクロマチックに下がっていくが和音は皆違っていて、それと対照的に駆け上がっていく右手のスピード感がここちよい。
65小節目からの8分音符の連なりが刺激的だ。この部分、2/2、3/2、1/2と1小節毎に拍子が変わり、68小節目から2/2となるが、聴いているとその差異はわからない。リズムは次第に縦の和音の響きに変化してゆく。ずっと突っ走るのでなく、ところどころで立ち止まりそうになるリズムの自在さが柔軟で、めりはりをつけている。

第13曲目〈Elle est morte〉と第14曲目〈Valse: ma mie qui dance〉にだけ表題が付いている。PTNAの解説では、4曲目と5曲目にも表題があるが、IMSLPの楽譜にもフンガロトンのCDにもそれは無い。
Elle est morte とはつまりバルトークはこの頃失恋したので、それを 「彼女は死んだ」 としたらしいのだが、ちょっと破滅的だ。ma mieはmon amieのことであり、pain de mieのmieではない。mieは私の辞書では古語となっている。mademoiselleに対するdemoiselleみたいなものだと思う。
その第13曲目は確かに左手の和音の執拗な繰り返しが葬送曲のようであるが、それが終曲である第14曲目でなぜ狂ったようなワルツになってしまうのか、もっともそれはすぐに崩れてゆき、ぜんまい仕掛けの人形のように心を喪って踊り回るだけなのだけれど。

恋人とはヴァイオリニストであるシュテフィ・ゲイエルであり、彼女に献呈されたヴァイオリン協奏曲はずっと公表されなかった経緯がある。それは意外に生臭い恋の行方の結果らしいのだが、そんなことももはや歴史の彼方であり、残ったのはやや奇妙な風合いの音楽のみである。


Zoltán Kocsis/Bartók: Works for Piano Solo (2) (Hungaroton)
Works for Piano Solo (2)




Bartók/14 Bagatelle (第10曲は12:46から)
https://www.youtube.com/watch?v=Zz0DXACiQvA

Sviatoslov Richter/Beethoven: Six Bagatelles Op.126 No.1
https://www.youtube.com/watch?v=6nSYsrBkGas
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末尾ルコ(アルベール)

「エリーゼのために」はバガテル (bagatelle)なのですね!今日初めて知りました。しかし、となればわたしはその
バガテルに類する作品、きっと気に入るものが多いと予想します。長大なオーケストラ曲を通して聴く機会はなかなか持てず、そして好みとしてもピアノの小曲はとてもしっくり来るのです。ピアノの音はやはり特別に心の琴線に触れる瞬間がありまして、例えばバレエのレッスン場から聞こえてくるピアノの音とか、それは現実の生活の中でよく耳にするわけではありませんが、映画などのシーンの中にそのようなものが入っていると、それだけでグッと来る時があります。

>ベートーヴェンの晩年のバガテルには後期ソナタの片鱗があり滋味があって、その小さな宇宙のなかに最後の声が隠されているように聞こえる。

なるほどです。小さな作品もそれを生んだのは偉大な作曲家であり、それ以前に人間ですから、その「声」をできるだけ汲み取らねばなりませんね。

Stefi Geyerのお写真、いいですね。この人はハンガリー人なのですね。そしてバルトークもハンガリー出身。Stefi Geyerの関連画像も見てみました。考えようによっては、「モノクロの時代」に生きた人たちは得だったかもしれませんね。現在のやたらと解像度の高いギラギラした画像や映像ではなく、見た人たちが限りなく想像力を働かせることのできるモノクロの魅力は今だからこそ価値が上がっている気がします(少なくともわたしの中では 笑)。

>素朴なカンタータのなかにバッハの本質があるのではないか

なるほどです。またいろいろ聴いてみたいと思います。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2017-11-04 12:38) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

《エリーゼのために》はバガテルの中だけでなく、
ベートーヴェンの作品番号の付いていない曲のなかで
最も有名だと思います。

バレエのレッスンとピアノの関係、いいですね。
バレエといえばナタリー・ポートマンには
《ブラック・スワン》という作品もありましたが。

映画のシーンといって思い出すのには、
ヴィスコンティの《ベニスに死す》で
《エリーゼのために》が効果的な使いかたを
されていた記憶があります。
娼婦エスメラルダとタッジオがイメージとして重なるーー
しかもエスメラルダは船の名前でもあったわけで、
あの映画を観て以後、《エリーゼのために》という曲は
単なるピアノのおけいこ用の曲とは思えなくなり、
なんとなく深い意味を持つ曲になってしまいました。

リンクしたリヒテルの弾くop.126のバガテルは、
かなり最後のほうの曲です。
ベートーヴェンの晩年とリヒテルの晩年が錯綜して
聞こえてくるように感じます。

ゲイエルは献呈されたコンチェルトを死蔵し、
バルトークの死後公開したのですが、
そのようなことになるまでの紆余曲折があるようです。
ブラームスとクララ・シューマンのこととか、
もちろんマーラーとアルマ・シンドラーのこととか、
実際にはどこにも生臭い話がかなりあるのでしょう。

トップのゲイエルの画像は素朴過ぎるかもしれませんが、
時代の風俗が的確に現れていると思います。
そしてバッハのカンタータも、一種のモノクロです。
限られた時間、おそらくは貧弱な演奏者といった困難のなかで、
たぶんバッハは次々にカンタータを書いていたのだと
想像できます。
そのバッハのプロっぽさがバッハの深遠さの源泉です。
by lequiche (2017-11-04 22:36) 

NO14Ruggerman

ピアニストとヴァイオリニストではヴァイオリニストの方が音程に対してより精確、という今日のお話は楽器を演奏できない私にとってとても興味深い内容でした。
また色々ご教示ください。ありがとうございました。
by NO14Ruggerman (2017-11-05 20:01) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

ご教示などできるような私ではありませんが (^^;)
すごく大雑把なことを言えば、
ヴァイオリンは基本的に1つしか音を出しませんから、
一度に多くの音を発するピアノより
注意力は凝縮されます。
逆にプレッシャーがあるといえばそうですけれど。

調律に関してもピアノのような
他人まかせの平均律ではありませんし、
そういう意味では弦楽器奏者は大変かもしれません。
by lequiche (2017-11-06 03:01) 

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