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ブザンソンのカール・シューリヒト ―《さすらう若人の歌》 [音楽]

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Dietrich Fischer-Dieskau

Archipelにカール・シューリヒトの《Rarities》というタイトルのアルバムがあって、グラズノフとコダーイという収録曲につられて聴いてみた。グラズノフは《ヴァイオリン協奏曲》a-moll, op.82 (1904)、コダーイは《管弦楽のための協奏曲》(1939) である。

グラズノフのヴァイオリン協奏曲はやや古くて懐かしいロシアを感じさせる作品である。ところどころの不安感と、それを打ち消すようなやすらぎ。曲想はややトリッキーな方向に踏み出そうとしながら、あまり冒険はしない。それはグラズノフの生涯を映し出しているようにも思える。
グラズノフはショスタコーヴィチの師であったが、次第に彼の作風に馴染めなくなり、頑迷とまではいかないが、保守的になっていった。彼はショスタコーヴィチだけでなくストラヴィンスキーの音楽も理解できず、またラフマニノフのシンフォニーの初演を引き受けたけれど失敗したりしたが、そうしたことの多くは彼の中庸的な性格だけでなく、アルコール依存症にあったのではないかともいわれている。
彼は1928年に当時のソ連から出てそのまま戻らなかったが、かたちとしては国を捨てたようなものなのに亡命ではないと言い張った。

しかし、そうしたグラズノフの行状は考えようによっては非常に人間的である。作曲家としてのテクニックは備えていたのだろうが、天才的な作曲家ではない。多くのロシア系の作曲家のひとりとして、やや埋もれてしまいそうな印象があるし、評価としては1.5流から2流くらいの作曲家なのかもしれないが、ロシアの作曲家や演奏家はおそろしい人数がいるので、なかなか侮れない。

このシューリヒトのディスクでヴァイオリンを弾いているのはハインツ・シュタンスケ (Heinz Stanske, 1909-1996) である。1951年ベルリンのティタニア・パラストにおけるライヴであるが、残念ながら録音が悪く彼のヴァイオリンの真価は正確には判断できない。
シュタンスケはカール・フレッシュ (Carl Flesh) に師事していたが、フレッシュの本名はフレッシュ・カーロイ (Flesch Károly, 1873-1944) であり、名前からもわかるようにハンガリー出身のヴァイオリニストである。
そのカーロイが師事したのはアルマン・マルシック (Armand Marsick, 1877-1959) であるが、アルマンはマルタン=ピエール・マルシック (Martin-Pierre Marsick, 1847-1924) の甥である (アルマンの父親はルイ・マルシック Louis Marsic, 1843−1901. そしてマルタン=ピエールとルイは16人兄弟のうちの2人だとのこと)。マルタン=ピエールは高名なヴァイオリニストで、fr.wikiには弟子としてカール・フレッシュ、ジャック・ティボー、ジョルジュ・エネスコの名前があがっている。

こうしたヴァイオリニストの系譜は面白いのだが、常に複数の師弟関係が存在するし、それが強い結びつきなのか、ほんの数年の間のことなのかもわからないので、断定的に書くことが躊躇われたりする。上述のカーロイの場合も、マルタン=ピエール・マルシックとアルマン・マルシックとの関係性がよくわからない。

などと、実はここまで書いてきてシュタンスケはどうでもいいと突如として言ってしまうのだが、それはこのCDのトップにあるマーラーに圧倒されてしまったからにほかならない。
収録されているマーラーは《さすらう若人の歌》(Lieder eines fahrenden Gesellen) で、歌手はディートリヒ・フィッシャー=ディスカウ。この曲だけ1957年のブザンソン音楽祭のライヴである。

これはおそらくINA音源のAltus Classic盤でリリースされている一連のシューリヒトのうちの1枚のブザンソン・ライヴと同一の音源なのだろうと思う。Altus盤ではワーグナーのトリスタン、マーラーの当曲、そしてベートーヴェンの7番というプログラムになっていて、これが1957年9月9日のブザンソンの全貌なのだろう。それなのにArchipel盤になぜこのマーラーだけが収録されたのかがわからない。
Altus盤のほうが発売日が後なので、Archipel盤はタイトル通りraritiesに過ぎなくて、その後でブザンソン完全盤が出たというふうに考えればよいのだろうか。とすればAltus盤に俄然興味が湧く。

というのは、このArchipel盤のマーラーはモノラルであるのにもかかわらず、録音がすごくonであって、会場のざわめきや舞台上の足音などがとても生々しい。まるですぐそこにディスカウがいるような錯覚を覚える。24bit remasterとあるが、それはこの曲のみに存在するアドヴァンテージなのかもしれない。1951年のライヴにはその恩恵は感じられないからである。
ブザンソンという地名から思い出すのはもちろんディーヌ・リパッティの1950年の告別コンサートであり、その伝説のコンサートから7年後のライヴがこのシューリヒトであったのだ。

ディスカウはこのとき32歳。十分に若く、さすらう若人を歌うには恰好の歌唱なのだが、でもマーラーがこの曲を書いたのは1883年から85年、23〜25歳のときだと知ると、この感傷性がマーラーの原点に近いことをあらためて確認することになる。そしてマーラーが交響曲第1番を書き始めたのは1884年であった。


Carl Schuricht/Rarities (Archipel)
Mahler/Kodaly/Glazunov




Dietrich Fischer-Dieskau
Paul Kletzki/NHK Symphony Orchestra, 1960
Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen
https://www.youtube.com/watch?v=Ur-3LrpgB0Y
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末尾ルコ(アルベール)

このところグラズノフをよく聴いていました。ヴァイオリンの曲でした。確かに「ペチカ」とか「トロイカ」とかいう言葉を連想するようなメロディですね。あるいはボルガ川の流れとか、日本人のスタンダードなロシアに対するイメージを喚起するような音楽の感触です。ショスタコーヴィチやストラヴィンスキーとの関連は知りませんでしたが、そうした人たちとグラズノフがまったく異なっているのは分かります。グラズノフがョスタコーヴィチやストラヴィンスキーを理解できなかったというエピソードもおもしろいですね。今、近代美術史の本を読んでいるのですが、ある時代の主流から次に主流になっていくスタイルへの転換期は、ほとんど文化的戦争のような状況も生まれている点がとても興味深いです。さらに時代を経てしまえば、「実は過去の主流の方が普遍性があった」ということも少なからずあり、数学のような結論がないだけに、文化芸術の世界は怖くもあり、えきさいてでもありますね。
リンクしてくださっている歌唱を聴きながら書いておりますが、多分この曲を朝に聴いたのは初めてではないかと。そうなると、今までとは違った感覚で愉しめます。他の芸術以上に、音楽は「聴く時間や場所」で大きく印象が変わるのもおもしろいですね。

>さまよえるオランダ人みたいなものです。
   ↑
ますます素敵に思えてきました(笑)。

『ドグラ・マグラ』を含め、夢野久作の短編なども、高校生に読んだ時にはとてもおもしろく感じたのですが、最近読み返して、(う~ん、なんだこりゃあ~~)感が強かったです(笑)。数日前から乱歩もちょっと読み返してますが、やはりずっとしっかり(笑)してますね。ところで、中井英夫、小栗虫太郎はいかがですか?

ヴィスコンティは、蓮實重彦も『イノセント』イチ押しでした。『映画千夜一夜』でその点も淀川長治と意見が分かれ、この二人は意見が分かれた時により会話が弾けるのですが、とても楽しい展開になってました。わたしは『ルートヴィヒ』が一番好きです。あのロミー・シュナイダー。そして雪の中でヘルムート・バーガーと見つめ合うシーン。でも『イノセント』も好きです。高知市の街にまだ映画館がまともにあった頃に鑑賞しました。今はほぼTOHOシネマズだけになってしまって。ちなみに蓮實重彦は、「イタリアで最も好きなのは、ロッセリーニ」としておりました。わたしは少し迷うところですが、ここはパゾリーニを挙げます。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2017-11-14 08:54) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

典型的なロシアのイメージというのは存在しますね。
帝政ロシアがソヴィエトになって、またロシアに戻ったりして、
でもロシアそのものは政治体制とは無縁に存在するように思えます。
日本人はそうした伝統的なロシアは好きですが
政治体制としてのロシア/ソ連は嫌いなのかもしれません。

グラズノフは晩年には時代遅れの作曲家というイメージがあった
というような話もあります。ラフマニノフも同様です。
でも、典型的なロシアの音楽というイメージは
ショスタコやストラヴィンスキーでなく、
たぶんラフマニノフやチャイコフスキーのはずです。
ただ保守的で時代遅れであっても一流であればまだ良いのですが、
グラズノフはそうでもない。
その 「そうでもない」 感にシンパシィを覚えるのかもしれません。

ディスカウは齢をとるにつれて表現が錬れてきますが、
若い頃のほうが美声だと思います。
この1960年のライヴのオケはN響で、
いかにも時代の味が出ているところが貴重です。

夢野久作は以前、三一書房版全集でざっと読みましたが
もう忘れてしまいました。
現在、国書刊行会で全集刊行中ですので、
これでもう一度読み直してみたいと思っています。
中井英夫も同様に三一書房版作品集でほぼ読みました。
小栗虫太郎は桃源社版の9巻本を持っていますが
あまり読んでいません。(^^)

蓮實vs淀川ですか! なるほど。面白いですね。
淀川先生は何を良いと思ったのでしょうか。
ヘルムート・バーガー押しなら
《地獄に堕ちた勇者ども》か《家族の肖像》では?
ロッセリーニやパゾリーニはあまりよく知りません。
すみません。(^^)
私の場合、あえていえばフェリーニでしょうか。
フェリーニの《道》は私のなかで今も映画のNo.1です。
by lequiche (2017-11-15 03:21) 

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