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very early ― リュブリャナ1972のビル・エヴァンス [音楽]

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Balcan Records盤のLjubljana Concertジャケット

リュブリャナ・ジャズ・フェスティヴァルにおけるビル・エヴァンスの録音が存在することが最初に明らかになったのはenja盤の《Live at the Festival》においてである。演奏者はvarious artistsと表記されていて、プレイヤーも会場も異なるライヴ録音を集めたもので、ここにエヴァンスのリュブリャナで演奏された〈Nardis〉1曲だけが収録されていた。
その後、Balcan Records盤の《The 1972 Ljubljana Concert》で全貌があきらかになる。このディスクに収録されているのは全8曲で、さらにロニー・スコッツでのライヴが1曲、オマケとして収録されている。
しかし両方とも現在は廃盤状態で入手することはむずかしかった。

SSJから今月リリースされた《Bill Evans in Yugoslavia/The 1972 Ljubljana Concert》はこの録音の再発であるが、リュブリャナでの8曲だけで、Balcan Records盤に入っていたオマケ〈I’m Getting Sentimental Over You〉は収録されていない。
リュブリャナは当時、ユーゴスラヴィア連邦の1国、スロヴェニアの一都市であったが、1991年、分離独立してスロヴェニア共和国となった。リュブリャナは現在のその首都である。リュブリャナ・ジャズ・フェスティヴァルは長い歴史を持つフェスティヴァルであり、私がトマス・スタンコを初めて聴いたのもそのライヴのオンエアであった。

jazzdisco.orgによれば、1972年という年のビル・エヴァンスにはジョージ・ラッセル・オーケストラとの《Living Time》というスタジオアルバムがあるが、主にライヴ盤の年である。
リストから転記すると、

 La Maison De La Radio, Paris, France, February 6, 1972
 France’s Concert/Live In Paris 1972, Vol.1 and Live In Paris 1972, Vol.2

 Italy, February, 1972
 Unique Jazz/Two Super Bill Evans Trio In Europe

 WNDT television broadcast, NYC, September 17, 1972
 Chazzer/The Vibes Are On Bill Evans Trio

 radio broadcast, ORTF, Paris, France, December 17, 1972
 France’s Concert/Live In Paris 1972, Vol.3

とあるが2月のイタリアと9月のニューヨークでの録音というのは、品番なども表示されているけれど、実際にメディアとして発売されているのかどうか、よくわからない。確実なのはFrance’s Concert盤のみだが、このうちvol.1とvol.2は後年、Domino盤で再発されている。そしてこのDomino盤にはリュブリャナの〈Nardis〉1曲のみがオマケとして収録されていたという経緯がある。France’s Concert盤とDomino盤の間にGambit盤というレーベルでの再発があったらしいが、これもよくわからない。
そしてjazzdisco.orgには、リュブリャナのデータは〈Nardis〉1曲しか記載されていない。リュブリャナでコンサートが行われたのは1972年6月10日、そして音源は同年7月2日と10月3日にイギリスBBCラジオでオンエアされたものだということだ。
そしてこのリュブリャナで演奏された曲目は2月のパリのライヴと共通する曲が多い。ただ、France’s Concert盤を聴いたのは随分前なので忘れてしまったが、あまり強い印象は感じられなかったようにも思う。

このSSJ盤についていえば、UHQCDで音質を向上させているとのことだが、もともとの音源がラジオ放送の音であるので、音はぶつぶつしていて完全にクリアでないし、ピアノの左手の和音とバスドラが同じタイミングで鳴ると音がクリップしてしまうし、もちろんモノラルだし、とてもお薦めできるような状態の録音ではない。もっとも、古いフルトヴェングラーの盤などと比較すればかなりよいかもしれない。

だが、演奏内容としては緊張感があって、ピアノも鋭く、優れたライヴではないかと思わせる。
この時期のエヴァンスのレギュラー・トリオはベースがエディ・ゴメス、ドラムスがマーティ・モレルだが、このリュブリャナではドラムスがトニー・オクスリーであり、オクスリーはこの日のライヴでしかエヴァンスと共演していない。オクスリーは基本的にアヴァンギャルド系のドラマーで、ジョン・サーマンとかセシル・テイラーなどとの共演があることからもそれはわかると思うが、ビル・エヴァンスをリスペクトしていた人でもある。このライヴではもちろんアヴァンギャルドに傾斜することはなくて、きれいに、しかしタイトなドラミングが聴かれて小気味よい。

ライヴは司会者のアナウンスで始まる。それは《Montreux Jazz Festival》(1968) の心地よいオープニングのアナウンスの緊張感に似ている。しかしこのライヴの特色は、紹介の後、エヴァンス自らがマイクで演奏曲を逐次紹介していることだ。ライヴ録音でこれだけエヴァンスが喋っているのは大変珍しい。そしてtr2の〈Very Early〉が始まる。
tr3の〈Gloria’s Step〉は〈スコット・ラファロ〉の曲。ラファロの来歴が語られるが、その演奏は力強くスリリングだ。エディ・ゴメスのソロがいつもの彼らしくないウォーキング・ベースなのはラファロへのトリビュートであるためだろうか。ゴメスのプレイに対して 「音数多く弾き過ぎる」 という意見もあるが、このリュブリャナではやや抑え気味な傾向が見られる。

日本語解説の中にも書かれているように、tr4の〈Re: Person I Knew〉を、エヴァンスはアールイー・パースン・アイ・ニューと発音している。「Re:」 はメールのリプライの省略形のような 「リ」 ではないのだ。1972年にはまだeメールは無いはずなのだから当然である。それなのに、ジャケットの曲目にも帯の曲目にも 「リ・パーソン……」 としっかり表記されていて、全然チェックされていないことがわかってしまう。

ドラムスが違うためか、エディ・ゴメスのアプローチもいつもより硬質でアグレッシヴで、オクスリーにインスパイアされているようにも思える。曲目はどれも出来がよいが、最後の3曲は特に緻密で、この頃には音質が悪いことも気にならなくなる。
tr7の〈What Are You Doing the Rest of Your Life?〉、邦題は〈これからの人生〉と名詞形にされるのが慣行だが、ミシェル・ルグランの書いたこの曲の持つ寂寥感と What are you doing? という問いかけは、年齢を重ねるほど胸に突き刺さる音なのかもしれない。
アート・ファーマーの日本制作アルバム《Yesterday’s Thoughts》(1976) の第1曲目もこれだったことを思い出す (→2015年03月21日ブログ参照)。一気に色合いが深く沈んで行くようなテーマは、もはやスタンダードとして揺るぎない。

そしてtr8の長い〈Nardis〉、エヴァンスはまるで違う曲のような前奏から入ってゆく。既知のアプローチを裏切るのがエヴァンスの得意技だ。しかし、やがてお馴染みのテーマが始まる。リズムはモントルーでの〈Nardis〉に似て、たぶんオクスリーはジャック・デジョネットを意識している。後半のドラムソロにピアノがからむ部分はやや斬新な音が聞こえる。
最後のtr9はもちろん〈Waltz for Debby〉で、リュブリャナの聴衆へ大サーヴィス。初めて訪れたリュブリャナという東欧の地でのエヴァンスの意気込みが感じられる。


Bill Evans in Yugoslavia - The 1972 Ljubljana Concert
(SSJ)
リュブリャナ・コンサート - 1972




Bill Evans/What Are You Doing The Rest of Your Life?
Ljubljana Jazz Festival 1972.06.10.
https://www.youtube.com/watch?v=jxO_vnwciJQ
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末尾ルコ(アルベール)

ビル・エヴァンスはこうして髪を垂らして微笑を浮かべていると別人のようですね。
「別人」とはオールバックで硬い表情を浮かべているエヴァンスを基準とするなら、ですが。
その「基準」のビル・エヴァンスは、わたしには美しい陶器のように見えます。
リンクしてくださっている曲、試聴しました。
ユーゴスラヴィアと言えば、ルーマニアと同様に、東欧では反ソで、他の諸国よりは「いい国」と喧伝されていた時期もあったようですね。
その国で行われたライブである雰囲気はきっと音からも伝わってきていますね。

『カラマーゾフの兄弟』の亀山訳は持っておりますが、読みやすいことは読みやすいです。その「読みやすさ」については読者によって評価が分かれるのでしょうが、こうした歴史的傑作の「新たな読者」を生んだという意味では成功だったのでしょうね。
わたし自身はまだドストエフスキー訳を読み比べてどうこうと言えるほど読み込んでおりませんが(笑)。

ミレーヌ・ファルメールのライブ、ご案内ありがとうございます。少し観ましたが、大掛かりな中にフランス風のねっとりとした美しさが感じられます。じっくり鑑賞したいと思います。

ZELDAはリアルタイムで知っておりました。テレビでライブを観たこともあります。不愛想でなかなかカッコいいですよね。またこのバンドもチェックし直してみようかな。

MinkusのDon Quixoteはバレエ・ガラの定番演目で、さほどアーティスティックを志向してないガラのトリにグラン・パ・ド・ドゥが組まれることが多いです。キトリの衣装は赤が定番ですが、黒などを使うダンサーもいます。
やたらと身体能力の高いキューバコンビのドン・キをリンクさせていただきますが、この場合のキトリは白の衣装です。

Don Quixote (PAS DE DEUX) - Viengsay Valdés and Romel Frómeta(https://www.youtube.com/watch?v=c_XUalD7xuM

わたしはこのコンビのダンスも何度となく生で鑑賞しておりますが、確かに会場の盛り上がりは絶頂となります。
ただ、ここまで「技巧に走る」ことについては、これまた「好み」が分かれます。
お時間ありますれば、ご覧ください。

わたしもフィギュアについてはメドベージェワ、ザギトワでまた観始めたくらいで、またく詳しくないのですが、かつてはヤグディンやプルシェンコが日本でも人気でしたよね。
フィギュアとか体操はロシアが強くないとおもしろくないという思いはあります。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-02-28 14:07) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ビル・エヴァンスが長い髪にヒゲというスタイルに変えたのは
流行を追ったのではなくて、麻薬の影響による風貌の劣化を
隠すためだったと言われています。
口を開けて笑った顔がほとんど無いのも、
歯がボロボロだったからだということです。
だんだんと指のむくみがひどくなり、
晩年は隣の鍵盤を弾いてしまうくらいに
指が太くなってしまったとのこと。
見た目は美しい陶器なのかもしれませんが、
肉体や私生活はそれとは正反対の人生でした。
What Are You Doing the Rest of Your Life?
というタイトルの話題にはそうした言外の意味もあります。
全ては音楽だけのためにあり、
その他のことは、自分の身体のケアも含めて、
考えない人でした。

読みやすいことは、ある程度は必要ですね。
だからといって 「超訳」 になってしまったら困りますが。
翻訳者のどなたかが言っていましたが、
訳書というのは原文よりも分かりやすくなるものなのだそうです。
それは不明な箇所を訳者が 「これはどういう意味なのか?」
ということを探って辻褄合わせをするからなのだとのこと。

ファルメールの1989年のライヴは彼女の初めてのライヴです。
いまだに絶大な人気がありますが、日本では無名です。
たぶんこうしたデカダンは日本の聴衆には理解不能でしょう。
松任谷由実や浜崎あゆみのライヴの仕掛けには
ファルメールのステージングのパクリがあります。

リンクいただいたドンキホーテはすごいですね。
クラシックバレエのテクニックの奥深さがよくわかります。
テクニックと芸術性の対比はどの芸術でも言われます。
たとえばクラシックのピアニストでしたら、
アムランもそうですし、ランランもそうです。
これは永遠の問題で、その後、
デルジャヴィナのことを書こうと思いつつ書けないのは
そのへんの兼ね合いがあります。
(その境界線が、なかなか見極められないです)

ロシアは面白い国です。
ソヴィエト連邦だった頃も含めて、
政治的な指向と実際の芸術性の乖離、
これが永遠にロシアにはつきまとうのではないかと思います。
by lequiche (2018-03-01 00:52) 

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