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マッコイ・タイナーとコルトレーン、そしてその後 [音楽]

McCoyTyner_180322.jpg
McCoy Tyner (bluenote.comより)

ジョン・コルトレーンのグループとその音楽において最も重要な役目を果たしたピアニストはマッコイ・タイナーである。
マッコイ・タイナー (McCoy Tyner, 1938-) はフィラデルフィア生まれのジャズ・ピアニストで、1960年から65年までコルトレーンと共に演奏した。ジミー・ギャリソン (bass)、エルヴィン・ジョーンズ (ds) とのクァルテットはコルトレーンの歴史のなかで最も優れたグループである。

コルトレーン (John Coltrane, 1926-1967) は最初、かなり下手なプレイヤーだった。それを自分のグループに加えたのがマイルス・デイヴィスである。その頃のコルトレーンはあまり冒険的なアプローチをせず、スクエアで安心して聴ける音というのがそのイメージとして存在していた。しかし彼はどんどん変貌してゆく。
マイルス・バンドから独立して《Giant Steps》(1960) をリリースした頃から、その方法論をどんどん突き詰めていった。すごく簡単にいえばコード・プログレッションの複雑化であり、そのアルバムのときのピアニスト、トミー・フラナガンはコルトレーンの目まぐるしい進行についていけなかったという話がある。

コルトレーンのマッコイを含むクァルテットのこの頃の作品にはコルトレーンの代表作的アルバムが多いが、コルトレーンの音使いは斬新な方向へと進化してゆき、フリー・ジャズに近づいていった。複雑化することは使用できる音の範囲が拡がっていくことであり、結果としてどの音でも使ってよいように見えるが、最初からどの音でも使ってよいというコンセプトの下で演奏しているフリーとは、実はその成立過程が異なる。異なるのにもかかわらずその音はフリーであるのと見分けがつかなくなっていった。
さらにいえばリズムはパルスのように細かく打ち出され、どんなに複雑化してもスウィングしているそれまでのジャズとはリズムの構造そのものが違って感じられてしまう。

そうしたコルトレーンの変貌あるいは追求の方向性にマッコイ・タイナーはだんだんとついていけなくなりグループから退く。その境目となったのが《Meditations》(1966) である (このアルバムのリリースは1966年だがレコーディングは1965年11月23日)。エルヴィン・ジョーンズも1966年に同様の道を辿り、コルトレーン晩年のフリー期のピアニストは妻のアリス・コルトレーン、ドラマーはラシッド・アリとなる。しかし翌1967年、コルトレーンは40歳で亡くなる。

ネットで動画を見ていたらたまたまコルトレーン・グループの動画があって、マッコイ・タイナーのピアノの弾き方にとても引き込まれた。この頃の動画の数は少ないと思えるが、やはり音だけで聴くのと映像があるのとではその情報量が違う。
マッコイ・タイナーはその速弾きで知られる。どのくらい速いかというと、ピアノの鍵盤が戻ってくるより速く次の音を叩いてしまうなどとよく揶揄されていたのだが、確かに速いし、クラシック系のスクエアなピアノの先生に 「こういう弾き方をしたらダメですよ」 と言われそうな奏法である。
また左手が次第にパーカッシヴな弾き方となっていき、コードを押さえるというよりは音程のある打楽器を叩いているような状態になっていたりする。

だがたとえば1963年頃のコルトレーン・グループでの演奏を見ると十分にモダン・ジャズであり、むしろコルトレーンも端正でまだスクエアだ。マッコイのピアノも流麗で、左手もおとなしくて、そんなに活躍していない。【→ (1)
しかし1965年になるとコルトレーンのソロは明らかに先鋭化し、ピアノにもそれに応じた音が要求されていたのだと思われる。マッコイはその要求に応えながらも自分の音楽を維持したいと思っていたようだが、見ようによってはやや投げやりな演奏にも見えてしまう。音数を多くしようとするあまり、インプロヴィゼーションのメロディラインが間歇的になり、つながっていかないのだ。この年の暮れに彼はコルトレーン・グループから退団してしまうのだから納得できるのだが、その気持ちがなんとなくわかるような気がする。【→ (2)

マッコイ・タイナーの名盤といえば《Real McCoy》(1967) とか《Enlightenment》(1973) あたりだと思うが、コルトレーンの影響というか呪縛 (?) みたいなものから逃れ出た開放感があるような感じもする。《Enlightenment》は1973年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにおける演奏を収録したものだが、当時流行のクロスオーヴァー的なテイストがあるにせよ、あきれるほど速いピアニズムも絶好調である。逆にいえば、マッコイ・タイナーへの批判的な意見として 「速いだけ」 という形容があることも確かである。2曲目、10'03"あたりからのピアノのみでのソロが彼の音の使い方をよく現している。【→ (3)

こうした彼の特質は1998年になっても衰えているようには見えない。ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの動画があったが、これはフル・ヴァージョンで長過ぎるので最初のほうだけでも見れば十分だと思う。ニューポートというとマッコイには《Live at Newport》という1963年のライヴ・アルバムがあるが、それから35年後のニューポートである。【→ (4)
ややフュージョン寄りと感じられてしまうのはマイケル・ブレッカーがいるための私の偏見かもしれないが、この日のブレッカーは最高だし、マッコイのこのピアノの音の爽快感も素晴らしい。音楽に内容なんか無くてもいいのである、カッコさえよければ、と思わず言ってしまいそうになる。あ、もう言ってるし。


McCoy Tyner/The Real McCoy (Blue Note Records)
Real Mccoy




McCoy Tyner/Enlightenment (Milestone)
http://www.hmv.co.jp/artist_McCoy-Tyner_000000000003932/item_Enlightenment_76874

Enlightenment




(1)
John Coltrane Quartet/Impressions
TVB, Jazz Casual TV Show, KQED TV Studio, SF, Dec. 7, 1963
https://www.youtube.com/watch?v=03juO5oS2gg

(2)
John Coltrane Quartet/My Favorite Things
Comblain-la-Tour, Belgium, Aug. 1, 1965
https://www.youtube.com/watch?v=59pbGmckFE8

(3)
McCoy Tyner Quartet, Montreux 1973 (Part 1)
The Montreux Jazz Festival in Switzerland, July 7, 1973
https://www.youtube.com/watch?v=9RdHXui_SxA

(4)
McCoy Tyner & His Trio
Newport Jazz Festival, August 15, 1998
Michael Brecker (ts), Avery Sharpe (b), Aaron Scott (ds)
https://www.youtube.com/watch?v=FKyYLlzMyFo
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末尾ルコ(アルベール)

カッコいい!ですね~。あ、わたしも書いてしまった(笑)。まあ、カッコいいものはカッコいいですよね。
そして、どんなジャンルでも、「本当にカッコいいか否か」という点は何よりも重要。
さらに、「何が本当にカッコいいか」を考え続けることはもっと重要ですね。

マッコイ・タイナーはご存命なのですね。まだ80にもなってないので当然とも言えますが、ジャズ・プレイヤーもやはり短命のイメージがありますので嬉しいことです。
マイケル・ブレッカーは50代で亡くなってますから、長くプレイし続けているミュージシャンたちには本当に有難い気持ちになります。
『ジャズ・トゥナイト』を毎週聴いているのですが、児山紀芳さんが「今週も訃報が入っています」とい言うこともけっこう多いのです。まあどんなジャンルにも高齢の方々はいるわけで、人間の宿命とも言えるのですが。
それにしてもこうして同一ミュージシャンの動画を並べていただき、しかもすべてに説明を付けていてくださっていて、まるでジャズ講義を受けているような充実感をいただけております。
コルトレーンの時代は、音もメンバーのルックスも無駄を削ぎ落した美しさがありますね。指も細く、動きが美しい。
それがNewport Jazz Festivalではすっかり貫録を付けて、一見スティーヴィ・ワンダーのような見た目でありながら、存在感が凄いです。
しかしリンクしてくださっている中で個人的に最も音が好みなのは、The Montreux Jazz Festival in Switzerlandです。
これってクロスオーヴァー的なのでしょうか。わたしにはフリージャズっぽく聴こえたりします。クロスオーヴァーやフュージョンの範疇って、今一つピンと来ないのです。

英米のロックのお話について言えば、特に米国はロックの代わりにラップ・ヒップホップ系が大きなシェアを握っています。
渋谷陽一なんかも推しまくっているのですが、う~ん、少なくとも「それ中心」で聴く気にはならないのですね。
Lequiche様はラップ・ヒップホップ系いかがでしょうか?あまり興味をお持ちでないと想像いたしますが(笑)。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-03-22 13:19) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

いえいえ、そんなに真面目なものではありません。
たまたま検索してひっかかった演奏を並べただけです。
コルトレーンとの初期の頃は、まだジャズのパターンが厳格であり、
演奏している姿を見ても比較的直立不動で吹いていたりします。
着ている服もスーツですが、これはクラシック音楽の演奏と似ていて、
まだ音楽を演奏するための格式が残っています。
(ちなみに日本の漫才だって昔はスーツを着るのが普通でした。
舞台芸術とはそういうものだったのです)

モントルーだと服装は随分カジュアルでラフになっています。
ポピュラー音楽はだんだんそういうのが許されるようになって、
それはロックなどからの影響があることは確かです。
モントルーのマッコイ・タイナーのソロを見ますと、
右手の親指がときどき落ちる (鍵盤からハミ出して手前に来る)
んですね。これ、どうしてこういうアクションになるのか
わからないのですが、ものすごく指の力がいるはずです。
左手も適当に叩いているように見えますが、全部確実にヒットしています。
(あたりまえですけど)

クロスオーヴァーとフュージョンは同じものですが、
この当時はまだクロスオーヴァーと言われていたような気がします。
70年代前半あたりはサックスが滔々としたテーマを吹いて、
それからインプロヴィゼーションに入って、それぞれの楽器が
やりたいだけやるみたいなパターンが多かったように思います。
最初の曲のサックスの吹き方はヤン・ガルバレクを彷彿とさせますが、
そうしたブロウ・スタイルの元はというとそれはコルトレーンです。

ジャズとフュージョンの境界線はむずかしいですが、
人によって見解は違うので、ジャズといえばジャズ、
フュージョンといえばフュージョンみたいな曖昧さは存在します。

モントルーでのマッコイ・タイナーのソロは
かなり音が際どく外れていきますが、
ドラムスとベースでリズムがキープされていること、
ピアノもコード・プログレッションの範囲内での逸脱であり、
決してフリージャズにはなっていません。

フュージョン系の音楽としてチック・コリアがいますが、
これだってジャズといえばジャズです。
例として〈Spain〉、この曲も元ネタはアランフェスなのですが、
こうした気持ちよさというかエンターテインメント性が
フュージョンのひとつの特徴かもしれません。
Spain
https://www.youtube.com/watch?v=IgMMPItMS70&list=PLdmMvBYAYjN7T2cLSF

マッコイ・タイナーはいまだに現役で、
たとえばBlue Note NYの4月30日に出演予定があります。
http://www.bluenote.net/newyork/schedule/moreinfo.cgi?id=15987

BLUES ALLEYという店にも4月19日に出演がありますが、
https://www.bluesalleylive.com/?fuseaction=home.artist&VenueID=3&artistid=15402
このページにリンクされている動画は
ラヴィ・コルトレーンとの演奏です。
ご存知かと思いますがラヴィはジョン・コルトレーンの息子です。
https://www.youtube.com/watch?v=0dFtZbha29M
尚、この店はジャズだけでなく、
来週の26日からJapanese Jazz Seriesというのが始まりますが、
矢野顕子とか大江千里ってジャズじゃないですよね。
ジャズを演るのでしょうか? よくわかりません。(^^;)
http://www.bluesalley.com/events.cfm

日本のラップ系のごく一部にハマッたことは
以前のブログに書いたことがあります。
SOUL’d OUTというのはマニアックな人からは
ダサいと言われていたらしいんですが、
この曲を私は内山田洋とクールファイブだと思うんです。
SOUL’d OUT/東京通信
https://www.youtube.com/watch?v=juZkTXeuqfk

HALCALIはラップ界のパフィーで、
このゆるさがたまらなくてアルバムはほとんど持っています。
HALCALI/Long Kiss Good Bye
https://www.youtube.com/watch?v=KpqJhu_mF3g

尚、以前のブログも参考までに。
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2015-06-27
by lequiche (2018-03-23 03:15) 

ponnta1351

コルトレーンは知ってるけれどマッコイは知らないです。
相変わらず専門的でムズカシ~~!!
by ponnta1351 (2018-03-25 08:46) 

lequiche

>> ponnta1351様

マッコイ・タイナーはコルトレーン最盛期のサイドメンですから、
コルトレーンをご存知ならそのバックで鳴っていたピアノは
おそらく彼です。
マッコイ・タイナーはまだ現役で今79歳、
今年中には80歳になります。
元気でがんばってほしいと思います。
by lequiche (2018-03-25 14:22) 

NO14Ruggerman

いやあこの記事は先日お会いする前に読んでおきたかったです。
すいませんチェックが遅くなりまして・・
私がマッコイタイナーを好む理由が当該記事を読んで理解しました。
<左手が次第にパーカッシヴな弾き方となっていき、コードを押さえるというよりは音程のある打楽器を叩いているような状態になっていたりする。<これです。打楽器のような弾き方に惚れこんでる
のだと思います。
「ルッキングアウト」・・サンタナとの共演がふるっていますよ。

by NO14Ruggerman (2018-03-30 01:48) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

いえいえ、いつもありがとうございます。(^^)
私にとってエリック・ドルフィという人はひとつの謎であり、
それをミンガスのグループから聴いていくというのも
ひとつのやりかたなのですが、
同時にコルトレーン・グループにいたときのドルフィも
違った意味で、よくわからない部分があるのです。
それでこの前、ヨーロッパでのライヴについて書いたのですが、
The European Tour 1961《So Many Things》
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2016-11-28
このなかに入っている11月18日のパリ・コンサートの完全盤
というCDがあることを後で知りました。
ですがまだそれについて書く整理がついていません。
ドルフィとマッコイ・タイナーはコルトレーンに影響されつつ
同時に翻弄されている部分もあるので、
そういうところをより知りたいという欲求がある、
というのがマッコイ・タイナーへの興味の源泉なのです。

マッコイ・タイナーとハービー・ハンコックを較べると
ハンコックのほうが器用で時流に乗りやすく、
どんなパターンにも対応できるフレキシビリティを持っています。
でもマッコイには何か引き摺っている重いものがある。
それはストレートなジャズなのかもしれません。

ただ左手のああいう弾き方は誰にでもできませんし、
それはそれで刺激的なのですが、
ブログ本文にリンクした1963年のImpressionsに対して
1965年のような構築性は全体として袋小路に入っているような
少しやり切れない印象を受けます。
67年に《The Real McCoy》がすごくクリアに聞こえるのは
その袋小路に出口があったからなんだと思います。
でも音楽は必ずしもその人のベストのときが良いとは限らず、
そうでないときにその人の味が出て来たりすることがあるので
そういうのが面白いなぁと思うのです。
それで私が偏愛するバド・パウエルは指の動かなくなった
《Portrait of Thelonious》なのです。
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2012-02-11

マッコイ・タイナーとサンタナだと相性がいいかもしれませんね。
もっとも、サンタナの音楽を私はあまり知らないのですが、
一度ライヴに行ったことがあります。
でもその時、正直に言ってしまいますと、
対バンでエディ・マネーが出たのですが、
そのバンドのギタリスト (名前不明) のほうが
私には良いと思えました。
詳しい話はまた次の機会にでも。(^^)
by lequiche (2018-03-31 00:31) 

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