SSブログ

《関ジャム》のパガニーニ [音楽]

paganini_garrett_180411b.jpg
David Garrett (映画《パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト》より)

4月8日の《関ジャム》の特集はヴァイオリンでしたが、これがなかなか面白くて、いつもなら録画しておいて後で観ているのに、リアルタイムで最後まで楽しく観てしまいました。内容的にはヴァイオリンという楽器の基本的な説明や使われ方、有名曲などの解説に対してオバカな質問でごく親しみをもてるようにわかりやすく、というのがコンセプトです。
ヴァイオリンはやはりクラシック寄りな楽器なので、それをどのようにしてポップス系の興味に結びつけるかというのが肝心です。ゲストのヴァイオリニストは、NAOTO、金原千恵子、宮本笑里、石川綾子。この順番は (TVアサヒサイトの順番と違いますが) ポップス←→クラシックの順です。

楽器の説明の場合、たとえばエレキベースのときもそうだったけれど、どうしても内容的にはテクニック偏重になっていく。今回の場合も、その究極がパガニーニになってしまうのは仕方がないのですが、でもわかりやすいといえばわかりやすいです。
そんななかで宮本笑里が、着るならなるべく薄い衣装がいいと言っていたのが印象的でした。生地に音を吸われてしまうのが嫌なんだそうです。だからヴェルヴェットみたいな生地は不可、ストッキングもなるべくなら履きたくないとのことで、つまり肌が出ているほうが良いわけです。
この話からホールの観客の服装についてよく言われていることを思い出したのですが、夏と冬では音が違う。なぜなら冬は布地の面積が広いので夏のように音が反射しないのです。
もちろんホールというのは、そんなことだけで音の良否が変わるのではなくて、そのホールの持っている固有の音 (音響特性) があり、たぶんどのように設計しても数字だけではわからない部分が存在します。昔からある有名なホールは音響構造的には悪いのかもしれないけれど、結局その音のほうが心地よくて、数字的には理想の音の出るはずの近代的ホールがまるで駄目だったりします。

それでテクニックの話では当然パガニーニになるので、いわゆる超絶技巧曲のひとつである《カプリース》へと話題を持って行くために、トリル、ヴィブラートから始まり、ダブルストップなどを経て、スピッカート、リコシェ、ハーモニクス、そして左手ピチカートの説明まで。左手ピチカートは《カプリース》の一番派手な 「見てくれ」 の箇所です (正確にいうと24のカプリース第24番の第9変奏)。

これを弾いている石川綾子のヴィデオが何ともカッコよくて、クラシックなんだけれど完全にポップス寄りな映像づくりとパフォーマンスで、このへんはやはり《関ジャム》なんですから仕方がないといえば仕方がない。でも興味を持ってもらうことのきっかけになるかもしれないことは確かです。だから 「こんなのクダラネェ」 と否定する視聴者だっているかもしれないけど、私は否定しません。
以前の放送でも、二分音符とか四分音符とかそういうごく初歩的なことすら知らないゲストのタレントがいて、そんなの中学校で習うだろ、とは思うんですが知らない人は全く知らない。知らない人は同様に、元素記号だって知らないし、微積分だって知らないし、夏目漱石だって知らない。知らないというより、単に興味がなくて忘れちゃったということなんですけど、でもそれは学校の勉強の教え方が面白くなかったからなんです。
ところが、この番組でいしわたり淳治がJ-popの歌詞のことについて解説すると、かなり微妙なところまで踏み込んでいるのに面白い。学校の勉強とは違うからです。その微妙さのレヴェルは、比較するのがむずかしいけれど、古典の解釈の微妙さなんかと共通した感じもあります。ところが紫式部日記だと興味ないけど、J-popの歌詞という身近なものだとそれって面白い! と興味を持てるようになる。その結果、その興味を持った人の100分の1か1000分の1でもいいけど、もっと微妙な解釈に対して興味を持つ人ができるかもしれない、と思うのです。

そういう一般的傾向からすると私の興味の持ち方は少しズレてるのかもしれませんが、これってどうなの? と他のものと比較したくなってくる。早速まず石川綾子の当該ヴィデオを観てみました (→A)。カッコイイですけどこれはヴィデオですから、やはりライヴで弾いているのに興味は移っていきます。
カプリースで有名どころで古いのだと、まずヤッシャ・ハイフェッツの演奏があって (→B)、これなんか 「どうだすごいだろう感」 ありありなんですが、最近のだと、たとえばマキシム・ヴェンゲーロフのを見つけました (→C)。この演奏では左手ピチカートに拍手が起きます。でも、サーカスじゃないんだから。こういうのがいわゆるヴィルトゥオーソというか巨匠芸ですね。

ところがもっと最近の、ヒラリー・ハーンだと比較的さらっと弾いてしまう。派手なアクションなんか無いんですけれど、かえってその冷徹さがすごい (→D)。これはMidoriなんかにもいえて、ライヴの演奏が見つからなくてスタジオ録音の音ですが (→E)、「だからなに?」 という感じで弾ききっています。
ヴィデオとかスタジオ録音は編集ができるので (もっといえばeditすることすらできるので)、ライヴに較べると難易度評価としては下がるのですが、でも彼女がこれを録音したのは17歳のときです。たぶんナマで弾いても同様に弾けるでしょう。

つまりピアニストの場合もそうですけど、児玉桃なんかもメシアンを軽々と弾いてしまう。むずかしい曲というのは誰かが一度弾いてしまうと、もう難しい曲ではなくなって次々に演奏して録音が出てしまう、というんですね (と誰かが言ってたんだけど誰だか忘れた)。超絶技巧とかいう表現はだんだんと陳腐なものになりつつある。
というよりも、ただむずかしければいいんだという風潮そのものが陳腐になってくれればいいと思うんです。もちろんテクニックは必要ですし、テクニックはあればあったほうが良い。でもテクニックだけでは音楽は音楽として成立しないということが大切で、《関ジャム》の場合は、やっぱり興味を持たせるということが第一義なので仕方がないんですが、結果としてはそこまでは——音楽はテクニックのその先にこそ本質があるという位置にまでは持っていききれていない。けれど、わかる人にはわかるだろうから (というかそれがわからなければ音楽を聴く意味そのものが存在できない)、それだけでも番組の意義は十分にあるのかもしれないと思います。

私は一時、まだアナログディスクの時代に、パガニーニの《チェントーネ・ディ・ソナタ》にハマッていたことがあって、テレベジとプルンバウアーの有名な録音ですけど、ヴァイオリンとギターというのはとても音色的に柔らかくて好きです。パガニーニだって 「どうだすごいだろ!」 ばかりじゃ疲れてしまうはずです。
チェントーネの最近の演奏でパヴェル・シュポルツルのがありましたが (→F)、こういうのが楽興の時というのではないかと思います (今、「がっきょう」 と入力したら 「楽興」 と出て来ないインプット・メソッドを使っている私です。ダメジャン!)。

パガニーニというと奇妙な思い出があります。初期のインターネットで、まだ掲示板での交流が全盛の頃なのですが、ある掲示板 (それは音楽とは全然関係のないジャンルでした) で、「私はヴァイオリニストではナントカさんとパガニーニが一番上手いと思う」 と書いている人がいました。ナントカさんは、名前を忘れてしまいましたが現役のヴァイオリニストです。どうもこの人はパガニーニという名前を誰か他のヴァイオリニストと勘違いしていたらしいんですが、でも誰もツッコまない…… (というより誰もパガニーニを知らないふう)。あのさ、パガニーニをナマで聴いたって、あなた何歳? と言いたかったのですが、なんか自分の言ってることはすべて正しいと思ってるのが言葉の端々に出るヤヴァい人っぽかったのでやめておきました。いまだに謎です。本当にナマで聴いたことのある200歳くらいの人だったりして。


Midori/Paganini: 24 Caprices (SMJ)
パガニーニ:カプリース(全24曲)




György Terebesi, Sonja Prumbauer/Paganini: Violin & Guitar
(ワーナーミュージック・ジャパン)
パガニーニ:ヴァイオリンとギターの音楽第1集(SACD/CDハイブリッド盤)




A)
Ayako Ishikawa/Paganini: Caprice No.24
https://www.youtube.com/watch?v=7axMQQJyHco

B:
Jascha Heifetz/Paganini: Caprice No.24
https://www.youtube.com/watch?v=vPcnGrie__M

C:
Maxim Vengerov/Paganini: Caprice No.24
https://www.youtube.com/watch?v=hsJdLv38fy8

D:
Hilary Hahn/Paganini: Caprice No.24
https://www.youtube.com/watch?v=gpnIrE7_1YA

E:
Midori/Paganini: Caprice No.24 (音のみ)
https://www.youtube.com/watch?v=nCHSdNzo8ek

F:
Pavel Šporcl, Vladislav Bláha/Paganini: Centone di sonate N. 1
https://www.youtube.com/watch?v=n3l0IYRxRlQ

映画《パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト》より
https://www.youtube.com/watch?v=YCsVEsQlm7o
nice!(73)  コメント(8) 
共通テーマ:音楽

nice! 73

コメント 8

末尾ルコ(アルベール)

『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』は封切時に東京で鑑賞しました。
このような映画は、どれだけ忠実に再現しているかはさて置いて、「時代の雰囲気」を味わえていいですね。
主演が俳優ではなかったので演技が苦しかったですが、パガニーニ周辺の熱狂の感触の一端を観られた感があり愉しめました。
パガニーニは、「悪魔が憑依している」とか「演奏中に浮かんでいる」とか噂されていたという話も目にしましたが、ビデオなどで検証できない時代ならではのワクワクするエピソードです。
英国を中心に心霊主義的な考えが流行った時代の風潮も想起できました。
パガニーニの演奏を目の当たりにした観客の女性が失神したりとか、ほとんどエルビス・プレスリーの若き日のような存在にも見えました。

リンクしてくださっている動画、わたしが知っていたのはヒラリー・ハーンだけですが(笑)、こうして聴き比べるのは愉しいですね。
ヒラリー・ハーンは何枚もアルバムを持っておりますが、演奏姿の美しさとストイックな雰囲気は比類ないですね。

「超絶技巧」という言葉に関してわたしが最近よく思うのが、「超絶技巧のレベルは更新され続けているのだろうか、更新され続けていくのだろうか」ということです。
バレエでもかつては特別なダンサーしかできなかったはずの超絶技巧が、現在は案外「さほどでもない」感のあるダンサーがやってしまったりするのを見かけます。
バレエ界の永遠の神の一人であるルドルフ・ヌレエフの踊りも、今映像を観ると、驚くほどのものではなくなっています。
芸術とスポーツは異なるものなので、「技巧だけでない部分」こそ重視されねばならないのですが、「技巧」なしに高度なパフォーマンスはできないのも事実であり、その兼ね合いは難しいですね。

>細分化し過ぎてしまって皆で聴く曲がない、
共通の音楽言語が存在しないように感じます。

これは過去の年間ヒットシングルランキングなどをチェックすると本当に痛感します。
音楽のみならず、あらゆる分野が細分化し、マニア同士の言語しか通用しなくなってきているというのもありますね。

>そのだらしなさが私は大嫌いです。
>たとえばドアがきちんと閉まらない自動車を販売することはないでしょう。

これはもう根源的なご指摘で、(ハッ!)とさせていただきました。
ソネブロに限らず、コンピュータ系全般に関し、(まあ、こんなものだから)と慣れてしまっていた部分がわたしにもありましたが、他のサービスでは考えられないことが多く常態化していますね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-04-11 13:09) 

Enrique

こちらのページ,左の「lequiche さんがnice!と思った記事」のリストの表示が異常に遅いので,このパーツの削除が有効だと思います。
私の記事に書かせてもらいました。
by Enrique (2018-04-11 21:50) 

うりくま

露出度の高い衣装にもそういう理由が
あったとは・・観客へのサービスかと
思っていました(^^;)。Aから順番
に聞くと不遜にもコンクールの課題曲の
審査員になった気分で面白かったです。
「誰かが一度弾いてしまうと~」という
のはフィギュアスケートの4回転ジャンプ
みたいですね。
by うりくま (2018-04-11 22:05) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

それはすごい! さすがお目が高いですね。(^^)
YouTubeで断片的に観ただけですが、
時代の雰囲気というのはよく出ていると思います。
パガニーニもモーツァルトもそうですが、
クラシックというのは現在から見た視点に過ぎませんから、
当時はリアルタイムの音楽なわけで、
そうした俗っぽい視点がこの映画にも《アマデウス》にも
存在するように思えます。
そしてそれは時代考証的に正しいはずです。
心霊主義というのは気がつきませんでしたが、
そういうのも当然あったのでしょう。
モーツァルトにはフリーメイソンの影響があります。

ヒラリー・ハーンは私にとって、
あまり注目するヴァイオリニストではなかったのですが、
今回これを聴いていたらなぜそうだったのかも解りましたし、
かなり上手いというのもわかりました (何と失礼な! ^^;)

リストの《超絶技巧練習曲》はそのうち
《元・超絶技巧練習曲》になってしまうかもしれません。(笑)
バレエの技術も進化に関してはきっと同じでしょうし、
スポーツも同様だと思います。

物事がどんどん細分化していくことは音楽だけでなく
学問やその他諸々のことにも見られますし、SFの古典である
A・E・ヴァン・ヴォートの《宇宙船ビーグル号の冒険》(1950)
ですでに指摘されていました。

ただコンピュータがこのようにグズグズな進化をする
ということを予言していたSFを私は知りません。
今のコンピュータのアプリケーションやプロダクトには、
崖っぷちに違法な増築を繰り返して迷路のように肥大してゆく
昔の旅館のようなイメージを私は感じます。
by lequiche (2018-04-12 01:41) 

lequiche

>> Enrique 様

ご教示ありがとうございます。
ご指摘のように削除したり表示数を減らしたりなど
テストして、時間を比較してみましたが変わりません。
この部分が原因ではないように思います。
以前から、画像が多く複雑なデザインにしているかたのブログは
niceの表示がされにくい現象がありました。
それは最近になり治っていましたが
今回また復活して見えなくなっています。
by lequiche (2018-04-12 01:42) 

lequiche

>> うりくま様

ヴァイオリニストの場合、楽器が特に耳に近いですから
音の違いが分かるのでしょうが、
でも演奏者によって個人差があるようにも思います。
それに男性のヴァイオリニストはたいがい長袖ですし。(^^;)
宮本笑里さんの場合は、見た目からも、そうした違いを
敏感に聞き分けているというのは納得できます。
また音の違いというより自分の身体への共鳴というか、
振動の伝わり方に対して、ヒールのある靴は
重心が前のめりになるので不利だとのことです。
Coccoさんなど、裸足で歌うのを重要視する歌手などとも
関連性があるように思います。

ヴァイオリンに限らずそうですが、
昔の巨匠と今の若い演奏家の比較をすると、
やはり昔の音楽にこそ心があるという人もいますが、
私はどちらかというと現代の解釈のほうが好きです。
それはたとえば翻訳でも、
昔の小林秀雄や中原中也の時代のランボーより
今の若い学者のランボーのほうの肩を持つのと同様です。

まさに4回転ジャンプですね。
武満徹の評伝にも書いてありましたが、
昔、高名な演奏家から、
こんな曲は演奏不能だといわれていた難曲が
いまでは音大入試受験者の実技に使われる程度にまで
下がってしまった、という話を読んだときそう思いました。
by lequiche (2018-04-12 01:42) 

ponnta1351

パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト、映画観ました。
バイオリン協奏曲第一番ニ長調 作品6 ヴァイオリン リカルド・オドノブゾフ なんて言う古い古いレコード有ります。小難しい事は分かりませんが痩せていて、168㎝しかなくて咽頭結核で死亡したんですね。凄い人だと思いますよ。
by ponnta1351 (2018-04-14 11:07) 

lequiche

>> ponnta1351 様

映画をご覧になったんですか。
私もそのうち是非DVDなどで観てみたいと思います。
オドノポソフは知りませんでしたので調べてみました。
ユダヤ系ロシア人移民のアルゼンチンのヴァイオリニストですね。
ユダヤ/ロシアは奥が深いですし、すごい人がたくさんいますが、
まだまだ知らないことばかりです。
ご教示ありがとうございます。

《関ジャム》はジャニーズのバラエティ番組ですので、
こむずかしいことは全くありません。
今回の記事も番組で解説されていた内容をそのまま書いただけです。
日曜日の夜に放送されていますので、
音楽がお好きでしたら一度ご覧になってみてください。(^^)
by lequiche (2018-04-14 12:46)