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深い河、池袋の西 —『Coyote』特集 森山大道を読む [アート]

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森山大道の撮った宇多田ヒカル (natalie.muより)

『Coyote』64号の特集は森山大道、そして『SWITCH』5月号は宇多田ヒカルの特集。黒の表紙と白の表紙を一緒に買ってきた。発行元は同じなのでセットになっているようにも思える。
森山と荒木経惟の対談は、本人たちも言っているようにそんなに内容は無い。のっけから荒木は 「もう会って話すことって言ったら無いじゃん」 という。話すことより、まずお互いの写真があってそれが全てなのだ。

でもそういいながら、お互いをヨイショしているような、その無駄話のような話が結構面白い。若い頃の2人の立場の違いが、それぞれの個性となっていったのかもしれない。
それよりその後のページに掲載されている森山の〈池袋の西〉というタイトルの写真群に引き込まれる。森山が住んでいる池袋のスナップということなのだが、クリアで深い闇のあるカラー写真と、同様にクリアなモノクロ。1ページに多くの写真を詰め込み過ぎて、もっと大きなサイズで見たいと思ってしまうのだけれど、この圧倒される感じに池袋の今がある。
フェリーニの《8 1/2》に出てくるサラギーナに似た路上生活者のおばさんという森山の形容に、かわらない文学的な香りが通り過ぎる。

荒木の話は時として韜晦に傾いてしまうことがあるが、そのトークと表面的なエロさが彼の本質を隠す働きをしているのかもしれない。だがそれはごく薄いヴェールに過ぎない。雑誌の最後のほうに掲載されている月光荘のスケッチブックに貼られた、たった1冊だけの写真集には、若き日の姿がうつしだされている。
篠山紀信などの名前が表札のように書かれた階段の入り口 (おそらく事務所) で、二眼レフ (おそらくローライ?) を持って佇む荒木の姿がカッコイイ。それはすぐ上にレイアウトされた陽子さんの写真と対比されている。

『SWITCH』の表紙は宇多田ヒカルの雪の中の写真なのだが、雑誌の中程とそして巻末に、2002年に森山が撮った宇多田が掲載されている。アルバム《DEEP RIVER》の頃、19歳の彼女のポートレイト。モノクロームのポジとのことであるが、これらもまた漆黒の影とクリアな質感が、特に黒みの面積の多さが美しい。黒は深く濃密だ。
でもまだ内容はほとんど読んでいないので、パラパラと見てみた感想でしかないのだが。

その他の本や雑誌の話題など。
『SFが読みたい! 2018年版』を見たら、ここでクリストファー・プリースト『隣接界』が1位になっていたのだった。実は私はプリーストがちょっと苦手である。『夢幻諸島から』も一応読んだけれど、それなりに面白いとは思うのだが、でもそんなに良いかな? という感じがしてしまうのはなぜ? (『夢幻諸島から』については→2013年10月16日ブログ参照)。
最近、やたら本屋大賞が騒がしいので仕方なく買ってみた。ステファニー・ガーバーの『カラヴァル』だけれど、ほとんどジャケ買いに等しい。でも増刷に付いた帯の吉岡里帆で買ってしまう人もいるんだろうなぁ。ピーター・トライアスも続編が出てしまったので買ってきたけれど読む時間が無くて全然消化しきれていないのが困ったものです。もうすぐ出るという高野史緒の新作に期待。


Coyote No.64 (スイッチ・パブリッシング)
Coyote no.64 特集 森山大道




SWITCH 5月号 (スイッチ・パブリッシング)
SWITCH Vol.36 No.5 特集:宇多田ヒカル WHERE IS YOUR SWITCH?




クリストファー・プリースト/隣接界 (早川書房)
隣接界 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)




ステファニー・ガーバー/カラヴァル 深紅色の少女 (キノブックス)
カラヴァル(Caraval) 深紅色の少女

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きよたん

森山大道の宇多田ヒカル なかなか良い写真ですね
by きよたん (2018-04-22 09:19) 

lequiche

森山はこういう写真は滅多に撮らないのだそうですが、
以前、藤圭子を撮ったことがあるので、
宇多田の話が来たとき、これも縁かなと思って
引き受けたとのことです。
人の顔って撮影者の違いによって変わるものなのだ
というふうに感じます。
by lequiche (2018-04-22 11:54) 

末尾ルコ(アルベール)

美しくエロティックな写真ですね。
いつもの宇多田ヒカルとは別の人のようにも見えます。
金網の手前にあるのは枯れた低木でしょうか。
金網の向こうに直線的に伸びている街や風景も気になります。
「宇多田ヒカル」として紹介されなかったら、わたしには「宇多田ヒカル」と気づくことはできなかったかもしれません。
「スターパフォーマー」としての彼女ではなく、「一人の女性」の姿が見えて、ドキリとした感もあります。

凄い人同士が「お互いをヨイショ」したり戯れたりしている対談や鼎談は心地よく読めますね。
わたしにとって、そうした本の代表格の一冊が、度々お話して恐縮ですが、淀川長治・蓮實重彦・山田宏一『映画千一夜』です。時代の違いもあるとはいえ、こうした人たちと比べたら、映画批評家とか映画ライター(←この呼び方は好きではないですが)もすっかりショボくなりました。
アラーキーはわたしがティーンの時代には既に芸術界の大スター、凄いですね。
さほど多くアラーキーの作品を鑑賞しているわけではありませんが、「常にアラーキーが存在する日本」というのはとても重要だと思います。

フェリーニ作品は、『8 1/2』を含め多く鑑賞し直そうと録画しているのですが、つい後回しになっています。
子どもの頃ですが、『フェリーニのローマ』を観たことが、(映画って凄いんだ!)と目覚めた大きなきっかけになりました。
わたしは「イタリア映画監督で誰が一番好き?」と問われれば、「パゾリーニ」となるのですが、「フェリーニ&ヴィスコンティ」の存在は適度な、そしていい意味での通俗性もありましたし、世界の映画界・芸術界にとって極めて大きかったと思います。

>黒みの面積の多さが美しい。

それはわたしも鑑賞してみたいですね。
言うまでもなく、昭和のある時期から日本文化の多くの分野で「黒み」が追いやられ、現在に至っています。
「黒み、復権!」とわたしとしては叫びたいところです。

そう言えば、『深い河』は遠藤周作の小説にありましたね。
遠藤周作は大好きで、しばしば読み返しています。イエス・キリストの評伝なんかもなかかな凄いです。
「日本人として、厳格にキリスト教に向かい合い続けた』素晴らしい作家でした。

今、「ベートーヴェンの32番ソナタ」を聴きながら、これを書いています。
「死の曲」・・・確かに濃厚に「死」の木霊が漂っているようです。
思えばわたしは、ずっと「死」を表現した芸術を追い続けているという側面もあります。
まったく自殺願望などはないのですが(笑)、「死の表現」を追求せずして、「本当の生」も理解できないのは間違いないと、これはずっとわたしの「生きていくスタンス」であり続けています。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-04-22 12:56) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

当時の宇多田のサイトの日記に、
新宿で撮影した経過が書いてあります。
2002.04.30です。
http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_86.html
こういうのは宣材写真とは違いますから
売るための顔と異なった表情が出てきますね。
でもそれも撮影する人の腕次第ですが。

淀川・蓮實・山田はつまり知識の余裕でしょう。
いっぱいいっぱいでやっているのでなく、
余裕があってこそできる表現というのはあります。

荒木さんは森山さんとは逆に、
電通という縛られた環境のなかでやってきたので
クライアントとの関係性によって培われたものがあります。

フェリーニとヴィスコンティの通俗性というの
よくわかります。
映画はある程度の通俗性が必要だと私は思います。
もっと言ってしまえば、適度な下品さ・猥雑さです。
映画というのはその製作過程そのものが
雑駁なものの混淆からなりたっていますし、
それをいかに純化させていくか、ではあるのですが、
全く濾過させてしまうと何の味も無くなりますから。

黒みは映画館のフィルム上映における黒でもあります。
家庭のTV画面では完全な黒みは出ません。
ブラウン管の時代よりはよくなりましたが、
所詮、TV画面です。

『深い河』はその通りです。
宇多田のアルバム《DEEP RIVER》は、
遠藤周作の『深い河』にインスパイアされたタイトルです。
たとえばケイト・ブッシュには
ジェイムズ・ジョイスをベースとしたコンセプトがありますが、
そのように文学などの他ジャンルの芸術から影響を受ける
ということは音楽にとっても重要であり不可欠だと思います。

ベートーヴェンの後期ソナタと後期弦楽四重奏曲は
晦渋な面もありますが、最も重要な作品です。
偶然ですが、先頃のピリスの日本でのリサイタルでは
悲愴→テンペスト→32番という、
ベートーヴェンの連続演奏があったのだそうで、
行った人の話ではこの32番はすごかったそうです。
女性のピアニストが弾く32番は比較的珍しいとのことで、
ピリスは昔からモーツァルトなどに脚光があたっていますが
私はピリスのベートーヴェンは隠れた名盤だと思っています。
29番〜31番もすごい曲なのですが、
32番はすごいというより特殊です。
by lequiche (2018-04-22 14:31) 

JUNKO

宇多田ヒカルもいろいろな表情を持っていますね。じっと正面を見ている瞳が何かを語っているようで、印象的です。
by JUNKO (2018-04-23 11:13) 

lequiche

>> JUNKO 様

いつも同じ表情しかない人と異なる表情がある人とでは
色々な異なる表情を持つ人のほうが奥が深いです。
それは特に俳優の場合、顕著だと思います。
でも同時にこうした表情を写真の上に定着できるのは
カメラマンの腕でもあるわけで、
この空気感まで伝わってくる森山大道のワザには
恐れ入ります。
こういう写真を撮ってもらえるというのは幸せですね。
by lequiche (2018-04-23 15:45) 

Ujiki.oO

セクシーな写真は良い!
急ぎ感謝します。 http://junk2014.blog.so-net.ne.jp/ServerBusinessAtSONY?#comm201804231529
by Ujiki.oO (2018-04-23 20:47) 

ぼんぼちぼちぼち

森山大道氏、宇多田ヒカルも撮っているのでやすね。
他の宇多田ヒカルモチーフの作品も見てみたいでやす(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2018-04-23 21:54) 

lequiche

>> Ujiki.oO 様

こちらこそありがとうございます。
大変勉強になります。
by lequiche (2018-04-24 01:28) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

同じセッションの写真は
ネット検索で 「森山大道 宇多田ヒカル」 とすれば、
他のカットをある程度見ることができます。
しかしネットの画面上の画像は粗い再現性の画像でしかありません。
『Coyote』最新号をご覧いただくことをお勧め致します。
その際には〈池袋の西〉もご覧いただけるとよいと思います。
『Coyote』の印刷は比較的優秀なので、
小さいサイズでも写真の緻密な美しさがよくわかります。
尚、宇多田ヒカルの3rdアルバム《DEEP RIVER》のジャケ写は
森山大道的ニュアンスがありますが、
撮影したのは宇多田ヒカルの最初の夫である紀里谷和明です。
by lequiche (2018-04-24 01:29) 

moz

宇多田ヒカルさん、若い頃なのでしょうか? 髪が長いせい?
白黒のせい? いつも見る宇多田さんとは違う感じがします。
白黒のせいでしょうか?
色のない世界はイマジネーションの世界。映像よりも文字の世界、エロスも。 ^^
二時間だけのバカンス、好きです。
by moz (2018-04-24 18:12) 

lequiche

>> moz 様

はい、若い頃です。
ブログ本文にも書きましたように2002年の撮影で
宇多田ヒカル19歳のときです。
3枚目のアルバム《DEEP RIVER》に合わせて撮影され、
写真展をしたそうですが、
印刷物となったのは今回が初めてのようです。

何が違うのかといえば、
それは森山さんが撮ったからだと断言できます。(^^)
陽光は斜め後方からの逆光ですが、手前からの光がありますね。
くちびる、瞳、髪の毛の輝きなど、非常に技巧的ですし、
雑誌は見開き2ページなのでもっとナマナマしいです。

東芝EMIの時代から、
松任谷由実、宇多田ヒカル、椎名林檎は
何やってもいい、ということになっているらしくて、
つまり別格なんでしょうね。
椎名とのデュオの収録されたアルバム《Fantôme》については
昨年下記記事 (2017年08月15日) に書きましたが、
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2017-08-15
編曲などもかなりの部分まで自分でやってしまうようで、
和声的にも非常にアヴァンギャルドな傾向があるようです。
by lequiche (2018-04-25 00:54) 

lequiche

>> moz 様

《Fantôme》についての記事は2016年10月01日
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2016-10-01
でした。失礼しました。
by lequiche (2018-04-25 12:58) 

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