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マルティヌー《2台のピアノのための協奏曲》— 児玉麻里&児玉桃 [音楽]

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Bohuslav Martinů

児玉麻里&児玉桃のチャイコフスキーに続くアルバム第2弾は、マルティヌーの《2台のピアノのための協奏曲》である。正確にはマルティヌーの《2つのヴァイオリンのための協奏曲》H.329と《2台のピアノのための協奏曲》H.292という、それぞれ同じ楽器2台の曲を2つ並べたというのがミソである。
チャイコフスキーという比較的口当たりの良いところから攻めてきたと思ったのだが、その次がマルティヌーというのに意外性がある。

ボフスラフ・マルティヌー (Bohuslav Martinů, 1890-1959) はチェコの作曲家であるが、ヴィラ=ロボスの次に多作といわれ、ハルプライヒ番号は384に達するが、bisや枝番があるので、作品数は大体400曲くらいと考えてよい。
といってもマルティヌーなんて実はほとんど知らないといっていい。作曲数とそのジャンルの広さだけ見たら、まさに大作曲家の雰囲気なのであるが、不明を恥じる他ない。
マルティヌーは当時のナチスの迫害から逃れるために1941年にアメリカに逃れた。H.292は1943年、アメリカ滞在時の作曲である。マルティヌーの交響曲第1番から第5番はアメリカで作曲されたものであり、彼の創作意欲が最も高かった時期であると考えてよい。
第二次世界大戦後、マルティヌーは祖国に戻ろうとしたがチェコ (チェコスロバキア) は共産党政権となったため、彼は帰国を断念し、ヨーロッパのあちこちに移り住む。亡くなったのはスイスの地であった。

マルティヌーの足跡から私は、同じように戦争を避けてアメリカに渡ったバルトークをどうしても連想してしまう。バルトークもハンガリーの国情の悪化を避けてアメリカに渡ったが、アメリカはバルトークに対して冷淡であり、彼は貧窮のままに1945年に亡くなってしまう。しかしセルゲイ・クーセヴィツキーからの委嘱である《管弦楽のための協奏曲》など、晩年には奇跡的な名曲が多い。その《管弦楽のための協奏曲》が作曲されたのもマルティヌーの《2台のピアノのための協奏曲》と同じ1943年である。そしてマルティヌーもクーセヴィツキーの紹介により職を得ている。

さて、《2台のピアノのための協奏曲》であるが、ピアノが2台同時に鳴るのはどうなのかという興味と不安とがあるのだが、第1楽章 Allegro non troppo は延々とピアノがたたみかけてきて、そのパワーに圧倒される。だが決してうるさくはない。2台あるのだから、片方がオブリガートになったり、2台で異なる表情を見せてもよさそうなのだが、そんな気配はなく、厚みのある音で正統的に押し切ってくる。トーナリティは保持されながらも音そのものが斬新であるところなどもバルトークの方法論に似ている。
第1楽章はアプローチによっては、かなりパッショネイトな傾向にもなるはずだが、児玉姉妹はそういう方向には振れて行かない。
第2楽章 Adagio は、冒頭のピアノに続く木管群の作りかたが妙に具体性を帯びていて、やや奇妙なテイストに、かすかなグロテスクさのようなものが感じられて (それはバルトークのようにあからさまではないが)、第1楽章と全く乖離した印象を受ける。再びピアノが主導権をとると、音は正統的な近代風の流れに変わってゆく。土俗的あるいは民族的な音はほとんど感じられない。この第2楽章のはじめのほうのオーケストレーションだけ、曲全体から見るとやや異質だが一番美しい。
第3楽章 Allegro は終楽章らしく中庸で、そんなに新奇な感じはないが、細かい音の重なりかたに複雑な絡みがあるのがわかる。ピアノがソロになるところでもテクニックを駆使したようなソロにはならず、だが急速調でオケが入って来るところにスリルがある。最後はごく典型的な古典音楽のフィナーレのようにして終わる。

併録されている《2つのヴァイオリンのための協奏曲》H.329 (1950) と《ヴォオラと管弦楽のためのラプソディ・コンチェルト》H.337 (1952) は、平易でわかりやすいのだが、戦後、マルティヌーの作風が変わったことを証明している。わかりやすいのだけれどあまりスリルがない。ただ、特にヴィオラの曲はその音色に独特の美学を感じる。

YouTubeで曲のサンプルを探してみたが、もちろん児玉姉妹の演奏があるわけはなく、Rai 5のラベック姉妹のライヴ演奏を見つけた。ラベック姉妹という名前は久しぶりに聞いたのだが、過去の記憶ではなんとなくイロモノのような印象があったのだけれど、この演奏を聴いて大変失礼であったと思うばかりである。
児玉姉妹とはアプローチが異なり、ややパッショネイト、そしてやや古い感じはするが、大変にテクニックもあり音楽性も高い。

児玉麻里&児玉桃のチャイコスフキー・アルバムの時のPVと、二人それぞれの演奏をリンクしておく。児玉桃のPVは以前のECMのアルバムの記事にもリンクしておいたものだが、児玉麻里のスタインウェイのPVと較べると、二人の個性がやや異なっていることがわかる。

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(Gi-Co-Ma 岐阜現代美術館サイトより)


Martinů/Double Concertos
Mari & Momo Kodama, Sarah & Deborah Nemtanu (PENTATONE)
Martinu: Double Concertos




Katia and Marielle Labeque/
Martinu: Concerto for two Pianos and Orchestra
Sir Antonio Pappano/Orchestra dell’Accademia Santa Cecilia
https://www.youtube.com/watch?v=Z31DdnANKdk

01:03 First movement: Allegro non troppo
07:02 Second movement: Adagio
17:01 Third movement: Allegro
23:12 Applause

Aglika Genova, Liuben Dimitrov/
Martinů: Concerto for two Pianos and Orchestra (ピアノ譜付き)
Eiji Oue/Hannover Radio Philharmonic Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=br4cZoWE514

00:00 First movement: Allegro non troppo
06:16 Second movement: Adagio
16:18 Third movement: Allegro

Mari Kodama & Momo Kodama/Tchaikovsky Ballet Suites for Piano Duo
https://www.youtube.com/watch?v=bPZ7z_nb580

Mari Kodama/Beethoven: Klaviersonate Nr20 G-dur op49, 1. Satz
Live From The Factory Floor:
https://www.youtube.com/watch?v=YIWjcWa9Hsk

Momo Kodama/Point and Line. Debussy and Hosokawa
https://www.youtube.com/watch?v=j--4Cn5EzBo
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サンフランシスコ人

ラベック姉妹は今晩サンフランシスコ交響楽団と共演します...

http://www.sfsymphony.org/Buy-Tickets/2017-18/Bychkov-Conducts-Tchaikovsky.aspx
by サンフランシスコ人 (2018-06-02 02:18) 

末尾ルコ(アルベール)

児玉麻里&児玉桃もマルティヌーも存じませんでした。
児玉麻里&児玉桃は比較的以前から活躍しているのですね。
マルティヌーという名前は日本語表記だとフランスっぽいですが、チェコ人ということでつづりを見れば、まったく違いますね。第2次世界大戦と芸術家たちの関係も非常に興味深いです。ハリウッドにも欧州からかなりの映画関係者が辿り着いているはずです。
セルゲイ・クーセヴィツキーという人ももちろん(笑)初耳ですが、バルトークやマルティヌーらの創作に重要な役割を担ったことになるのですね。

ラベック姉妹は日本のCMにも出演していましたね。わたしもポピュラーミュージック中心のピアニストかと思ってました。違ってたんですね~。
今だと何か疑問があればネットでチェックできますが、ネット以前はメディアが伝える内容以上の情報を入手するのはなかなか骨でしたから、「過去の思い込み」が一新される経験は最近よくあります。
「Concerto for two Pianos and Orchestra」を視聴しながら書いておりますが、初めての作曲家、初めての曲・・・ワクワクします。
一聴して、非常に爽快感がありますね。とても気持ちいい。
わたし、この曲、好きです♪
PVの方も拝見しましたが、フランス滞在が長いと、何となく顔つきがフランス風になっている感じがします(笑)。

ジャズにおけるアヴァンギャルドとフリー・ジャズの差異が少しわかってきたような気がします。有難うございます。
やはりジャズにも「破壊衝動系」という感覚があるのですね。わたし、「破壊衝動系」って結構好きなのですが、友人のフランス人が嫌っていて、逆に彼はわたしにとってはイージーリスニングに聴こえるようなジャズを好んでいて、この点は大きく嗜好が分かれる点なのです。

「ニューエイジ・ミュージック」というジャンル名が気持ち悪いとのこと、わたしも自分にとって「気持ち悪い言葉」がいっぱいあって、例えば新語・流行語は少なくとも95%以上は絶対に使いません。
使うとしたら、「パロディとして」くらいですね。
ところがどんな言葉でも無際限に使う人たちがほとんどで、中高生くらいならまだしも、いい大人がヌケヌケト(笑)平気で使っているし、新聞の見出しにまで新語・流行語が躍る風潮には脳味噌が腐りそうになります。

>フランス人はなるべく他人と違う服を着たがります。

ですよね。日本は服もそうですし、社会生活の基本となるべき「言葉」でさえ「右へ倣え」ですから多様性などなかなか程遠いです。

>そういう人は 「本を読むなんて時間の無駄」というような信念を持っていたりします。

そうなんです。そういう人が巷には多いのです。
それだけでなく、「本を読む人」を貶めたり、最新のテクノロジーをすぐ取り入れない人を貶めたりもします。
「ネット著名人」などにも多くいます。
困ったことです(←そうした手合いに対して、もっと激しい言葉を使いたいところを、我慢して穏当な表現にしております 笑)。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-06-02 13:27) 

lequiche

>> サンフランシスコ人様

演奏はいかがでしたか?
よいコンサートでしたらなによりです。
by lequiche (2018-06-02 23:19) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

2人それぞれに御活躍されていますが、
ブログ本文にリンクしたチャイコフスキーのプロジェクトが
初めてのデュオのアルバムです。

第2次大戦の影というのは大きいように思えます。
東欧の人たちはアメリカに逃げるという手がまだありましたが、
日本の場合はどこにも逃げる場所がなかったわけで、
そう考えると戦争は不快で悲惨なものです。

クーセヴィツキーは財団を作り色々な援助をしていました。
一種のプロデューサーですが、大変にすごい人です。
この人がいなかったら文化的な歴史は変わっていたでしょう。

ラベック姉妹のCMがあったのですか。
それは見たことがありませんが、
やはりそのように消費財ふうに使われていたのですね。
通俗に染まってしまうのか、それとも耐えられるのかによって
その後の道が決まるようにも思います。

2台のピアノ協奏曲は楽譜が見られなかったのですが、
その後、楽譜付きのYouTubeを発見しましたので
ブログ本文リンクに追加しました。
やはり2台それぞれにがっちりと書いてあります。
こんなに音を重ねなくてもいいんじゃない? と感じますが、
ともかくこれをうるさくなく聴かせるというのは高難度です。

ジャズに限らずフリーというとメチャクチャやる、
という方向性もありますが、そのメチャクチャは
余程の確信性がないとかえって幼稚なイメージに映ります。
といって、あまりに理論に縛られてしまうと
軟弱に堕してしまいます。
イージーリスニング風はそうした軟弱な引っ込み思案の結果です。
そのバランスはむずかしいです。

ニューエイジ・ミュージックという言い方は
もうあまりしなくなりました。
クロスオーヴァーという言い方も死語のように思えます。
それは新しそうに見せるジャンル分けの創設に過ぎません。
同様に曖昧すぎる表現でよくわからないもの、
たとえばポストモダンとか恥ずかしくてダメです。
新語というより略語が多過ぎるように思います。
最近で一番ダメだと思うのは 「スマホ」 ですね。
だって 「フォン」 でなく 「ホン」 の略なのですから。(笑)
まぁ、仕方なく使っていますが。

それと、方言が一般的になったような言葉も使いにくいです。
たとえば 「チャリンコ」 とか。
音が生理的に嫌いなので、
声に出して使ったことは今までありません。(^^)
by lequiche (2018-06-02 23:19)