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素敵なボーイフレンド — 結城昌治『夜の終る時』 [本]

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戦後ミステリのベストという惹句に引かれて結城昌治『夜の終る時』を読む。
結城昌治 (1927−1996) はミステリをはじめとして、広いジャンルの著作があるが、『夜の終る時』(1963) で日本推理作家協会賞を、そして『軍旗はためく下に』(1970) で直木賞を受賞している。

『夜の終る時』は日本における警察小説の嚆矢とのことだが、ちくま文庫版の編者・日下三蔵と作者自身との解説によれば、もともとアメリカに悪徳警官ものというジャンルがあって、それを意識して書かれた作品であること。そしてそのユニークさは、それまでの日本のミステリ系小説において警官とは正義の味方であったところに、そうではないキャラクターの警官や刑事を出現させたことなのである。
「もっとも腐敗しやすいのが権力」 であると結城は書いているが、その権力構造の典型的なかたちのひとつに警察組織があり、その中で必ず起きている腐敗を描いたとき、最もいきいきとするのは、近年のTVドラマ《相棒》で実証済みである。つまり『夜の終る時』は《相棒》の祖先のような作品である。
しかも解説によれば、西村京太郎の十津川警部ものより10年も前の作品であるとのことだ。

ただ、作品構造としてユニークなのは、長めの第一部と短い第二部とが全く違う手法で書かれていることで、第一部はオーソドクスな推理小説風、そして第二部が倒叙法による犯人の独白を主体としていることである。
第一部のはじめのほうは、ひとりの刑事が行方不明になってしまっていることから、ずっと不安な感じを持続させているのだが、はっきりいって少し重厚、というよりも単に動きののろい展開のようにも感じてしまう。でも文章に破綻がなく緻密な感じで読ませる。何人もの登場人物の登場のさせかたと扱いかたが上手い。そして事件が明確になることで俄然動きが起こり、ストーリーは意外な方向に向かって行く。

単純に第一部の書き方そのままで押し切ってもよかったのに、結城は第二部の手法をとりたかったのだろう。それがある意味、文学的であり、ややウェットでダークな印象を残す。話者の急な切替にもかかかわらず、それが自然につながって読めてしまうところに著者の筆力がある。

いわゆるミステリものについて、あまり内容を書いてしまうのはルールに反するので書かないが、それよりも面白かったのは、この1963年当時の風俗が読み取れるからであった。
その時代にはどのようなものあったか、とか、どういうものが流行していたのか、というようなことに目が行ってしまう。

もちろんその頃には携帯電話はないし、ポケベルさえない時代だから、刑事が警察に定期的に電話を入れるという方法きり連絡手段がない。その定時連絡が無いのはおかしい、ということから物語が始まっているのだ。それはこの時代だからこそできた設定なのである。

固有名詞にも時代が感じられる。刑事の乗る電車は国電だし、NETテレビとかいう名称が出てくるし、「ズベ公」 とか 「ぐれん隊」 のような、ほぼ死語なのではないかという言葉が使われている。死語ということでいえば、「ボーイ・フレンド」 という言葉も出てくるのだが、これも最近はまず使わない名詞なのではないだろうか。だからかえって新鮮である。
刑事にこの靴下はなぜあるのか、と問われて答える女の言葉にそれがある。

 「ボーイ・フレンドのよ。昨日の晩ここに泊まって、置いていったんだ
 わ」 (p.99/ページ数はちくま文庫版・以下同)

「ボーリング場」 の描写もあるのだが、たぶん当時は最先端の娯楽のひとつだったのではないだろうか。wikiによれば、ボウリングが爆発的に流行したのは1970年頃とあるが、それよりもかなり前だからである。
また、高級そうなバーの入り口のドアの描写に 「紫色をした一枚ガラスのドア」 (p.23) というのがあって、色ガラスのドアというのがその手の店の典型的なステイタスであったことがわかる。

有名な俳優が恐喝されて何度も金を脅し取っていたという話では、10万円、10万円、5万円、5万円と合計で30万円も取られたというのであるが、わざわざ脅しに来て渡した金が5万円なんて大変良心的な恐喝だ。当時の貨幣価値が今とは随分違うことがわかる。

この時代の日本の推理小説系の作品を見ると、たとえば松本清張『砂の器』が1961年、ハードボイルドの大藪春彦『蘇える金狼』が1964年というようにプリミティヴだがヴァイタリティのあった頃である。そして中井英夫の『虚無への供物』も1964年とある。どの作品にも時代的な古さは存在するのだろうが、それよりも物語性の強さが魅力を持続させているだろうと思う。


結城昌治 夜の終る時/熱い死角 (筑摩書房)
夜の終る時/熱い死角 (ちくま文庫)

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コメント 8

末尾ルコ(アルベール)

ミステリは10代から20代にかけてが一番読んでいた時期です。その後も濃淡はありますが、常にある程度は読み続けておりますね。でも結城昌治『夜の終る時』は読んでないと思います。これは近いうちに読んでみたいですね。『軍旗はためく下に』は読んだ記憶がありますけれど、内容は覚えてません(笑)。
日本のミステリ作家としてはやはりまず江戸川乱歩、そして夢野久作、小栗虫太郎、中井英夫らは「必読」という感じでした。
『黒死館殺人事件』や『虚無への供物』などはどのように評価されますか?
横溝正史もけっこう読んだのですが、さほど気分は盛り上がりませんでした。でも『本陣殺人事件』や『獄門島』はいまだ歴代トップクラスとされてますよね。『本陣殺人事件』のトリックとか、ちょっと笑ってしまうのですが(笑)。
最近はあまり読まれてないようですが、高木彬光は横溝正史などよりは好きでした。久生 十蘭や同時代の作家をまとめて読んだ時期もありましたし、島田荘司や綾辻行人らをまとめて読んだ時期もありました。これもトリックで爆笑することしばしばでした。
ハードボイルドはロス・マクドナルドやレイモンド・チャンドラーなど、米国物が中心でした・・・などとお話が止まらなくなりますね(笑)。
近年はミステリをあまり読んでない自覚があったのですが、それまでに上等に読んでますね(笑)。
「ズベ公」 とか 「ぐれん隊」とかは、昨今の「新語」と比べると風雅な気さえしてきます(笑)。「ボーイ・フレンド」 という言葉は英語ではもちろん「恋人」という意味ですが、かつて日本では「親しい男友達」という意味でも使われていたと思います。この小説では、「恋人」ないし「愛人」という意味なのですね。使う人や使う状況によって意味が変わる言葉の一つだったのでしょうね。
西村京太郎は、わたしはまるで読んでないのですが、吉本隆明が「愛読している」と語っていて、(いろんな読み方があるものだな)と感じたことをよく覚えております。
そう言えば、京極夏彦『姑獲鳥の夏』などのも吃驚しましたが、4作目あたりからあからさまに水増し文章になったのにも吃驚しました。

東京文化会館は東京へ行った時のホーム的存在というくらい頻繁に足を運んでおりますが、やはり「バレエを観に行く」という視覚中心の意識の故か、音響の優秀性には気がついておりませんでした。
バレエ関係の掲示板などをたまに観ると、「あの公演の演奏は、もっとロシア感が欲しかった」などと書かれていたりして、(ああ、そんなものなのかな)と感じたりしたことはあります。
バレエの場合本当に困るのは、「ステージに見えない部分ができる」ということでして、どうしても前の人の頭が気になりますし、普通に座っていても邪魔になる時は(どうすりゃいいんだ!)という気分になります。
でもホールへ入った瞬間にオーケストラがリハーサルしている音・・・あの緊張感を伴った時間は大好きです。

大里和人という方の文章、あれは「ピアノ」という「楽器」の何から何まで知っておられる方でなければ思いもつかない内容で、いやあ、凄いなあと驚いた次第です。同時に、音楽という芸術の神秘性についてまた、わたしなりに感じさせていただいた部分もあります。「楽器」って、凄いものですね。「すべての楽器が」かどうかは分かりませんが、多くの楽器は形状もエロティックなものが多いですし。もちろん「音」もエロスに満ちています。

>乱暴に言えば哲学がないのです。
>ありきたりでいいし、昇華することはない。

そんな風潮がどんどん強まってますね。
日本だけではないのでしょうが、日本在住ですので(笑)日本はよりそんな状況に感じます。と言いますか、やはり日本独特の拝金主義、そして「無哲学」という状況は明らかに存在するのだと思います。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-06-15 10:35) 

NO14Ruggerman

ボーイフレンドとくればガールフレンド、そしてアベックですね。
by NO14Ruggerman (2018-06-15 10:47) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

随分たくさんお読みになっているんですね。
私はとてもそんな量は読んでいません。
ミステリとかSFは一番とっつきやすいジャンルですから、
私も中学生から高校生頃に一番読んだのではないかと思います。
主に外国の作家が多かったので、日本作家はあまり知りません。
高木彬光は名前しか知りませんし、横溝も本陣きり読んでいません。
今回の結城昌治も初めて読みました。
現在も、ミステリ系の作家はたくさんいますが、
とても追いかけきれないのでほとんど読まなくなっています。
西村京太郎はわかりやすいので軽い読書にはぴったりです。

江戸川乱歩や夢野久作は大体読みましたが、
乱歩は最初のほうだけ、夢野はドグラ・マグラだけでも
いいんじゃないかと思います。
小栗虫太郎はヴァン・ダインの影響があり、
かつゴシック・ロマンス的な作家だと思いますが、
ちょっとカルトです。
中井英夫についてはなかなかきちんと書けないのですが、
そのうちに書こうと思っています。
虚無への供物のキーパースンは氷沼藍司で、
氷沼三兄弟はカラマーゾフへのオマージュでもありますね。

昔の流行語・俗語・隠語みたいなものは
気恥ずかしい面がありますが、確かに風雅です。
グループサウンズのオックスのデビュー曲は
〈ガール・フレンド〉(1968) というタイトルなのですが、
だとするとこの頃まではまだ
ボーイフレンド、ガールフレンドという言葉が
使われていたのかもしれません。

ホールの音響はだんだんと慣らされていくものなので、
文化会館は単にそこで多くの演奏を聴いたから、
ということでいい音だと思い込んでいるだけなのかもしれません。
バックステージに余裕がありますから
バレエにもよく利用されていますね。
でも、ロシア感のある演奏というのはむずかしい表現です。
想像しようとしたのですが、意味がわかりません。(笑)

ホールで前の人の頭が気になるというのはよくあることで、
客席の傾斜を急にすればいいんでしょうが、
たぶんいろいろな制約があって、そういうホールは少数です。
私がライヴに滅多に行かないのもそうした鬱陶しさがあるからです。

近代のピアノはメカニックでありながらでも楽器、
という二律背反した面を持っていますので、
そのなかでどのように音を作るかという永遠の課題があります。
他の楽器にもそうした傾向はありますが、
ピアノは大きく、かつポピュラーな楽器なので
そうしたことが目立つのだと思います。
ピリスはこれから、一世代前のフォルテピアノを弾きたい、
という願望があるようです。

すべて金で解決できると思っているのが資本主義の悪弊で、
それはすでに行き詰まりになっているように見えます。
最近の政治の癒着・腐敗もスポーツなどのパワハラも
根は同じ拝金主義です。
でも共産主義も資本主義もダメということになると、
何も残らないですよね。
by lequiche (2018-06-15 15:26) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

アベック! 最近は聞かない言葉です。
今だとカップルでしょうか?
でもカップルっていうのもすでに古い語感がありますが。
by lequiche (2018-06-15 15:26) 

majyo

警察もの好きです。どちらかと言うとアウトローの警察官が好きですね
結城さんあまり読んでいないのですが
先ほどこちらを拝見してから図書館に予約しました。

万引き家族観てきました。
これはとても書けないと思いました。
しかしおばあさん役のきりんさんの演技、特に口元に目が行きました。
したたかでありながら優しいおばあちゃんでしたね
どの役者さんも素晴らしかったです。

by majyo (2018-06-15 18:23) 

リュカ

あ、こういうの好き(笑)
確かに構造おもしろそうです。
さっそく図書館チェックしますっ
by リュカ (2018-06-15 18:50) 

lequiche

>> majyo 様

是非読んでみてください。
結城昌治は清瀬にある療養所に結核で入院していたとき、
やはり入院していた福永武彦と知り合って影響を受け、
小説を書くようになったのだそうです。
福永武彦も推理小説を書いていましたし。
清瀬はその頃、サナトリウムが多かったのだそうで、
となりのトトロを彷彿とさせます。

《万引き家族》早くもご覧になられたのですか!
興行成績が良いみたいで、やはり賞を取ると影響がありますね。
by lequiche (2018-06-16 01:21) 

lequiche

>> リュカ様

結城昌治の代表作とのことですが、
まだ貧しい当時の日本の雰囲気が伝わってくるように思います。
倒叙っていうと、たとえば刑事コロンボも倒叙ですが、
結城は、この書法も使ってみたかったんでしょうね。
犯人が告白するパターンには
たとえばディクスン・カーの『曲がった蝶番』がありますが、
探偵が推理するのと違う独特のテイストがあります。
by lequiche (2018-06-16 01:21)