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My Little Lover〈DESTINY〉 [音楽]

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最近の《半分、青い。》ってどうですか? そぉゆぅのに関するカシマシサイトみたいなのがあるのを遅まきながら知ったんですけれど、ネットスズメっていうんでしょうか、うるさいし細かいし。わはは。私はツイッターとか全然見ないので詳しくは知りませんが。
で、洗濯機にかけて10分も脱水しちゃった黄色いワンピ 「レダハー」 っていうのは何か、ってプラダですよね。
プラダを1文字分後ろに動かすと 「プラダ」 → 「ラダプ」、そして1文字目の 「ラ行・ラリルレロ」 の 「ラ」 を3文字下にすると 「レ」、同様に3文字目の 「ハ行・ハヒフヘホ」 の 「プ→フ」 を3文字下にすると 「フ→ヘ→ホ、そして頭に戻ってハ」 だから 「レダハ」。単純なアナグラムなので、聴いたとき瞬間的にわかるはずです。

それよりもダサい緑のワンピースっていうのがあまりにもカリカチュア過ぎるっていうのもありますけど、サンダルが、つまり 「つっかけサンダル」 で、それは松任谷由実の〈DESTINY〉のパロディなわけです。

 どうしてなの 今日にかぎって
 安いサンダルをはいてた

ただ、緑のワンピースはダサクてブカブカというあざとい設定なんだけれど、それでもそれなりにかわいく見えてしまうのは女優の力なんでしょうか。とりあえず 「別に」 発言で有名になった不機嫌な女優の不機嫌のもとになったといわれる、その時着ていた妙な服 (ターザンの嫁みたいなの) よりはかわいいと思います。

で、そんなことはどうでもいいんですが (と、ここまでは前フリなので前フリにツッコまないよーに)、松任谷由実の〈DESTINY〉っていう曲は 「その日に限って安いサンダルを履いていた」 という悲しくも俗悪な歌詞によって有名なんですけれど、だからデスティニーなので、実は私はかなり後になってそういう歌詞だということを知ったんです。この頃の松任谷由実はすごくオシャレっぽく見えて、俗なものを突然混ぜるというその落差がすごいんだと思う。もっというと確信犯的にオシャレなものまで俗に見せてしまうという、いや逆か、つまりレダハー現象の原点みたいな感じもするわけで、でもそれは現代から振り返るとそうなのかもしれないと思うんだけれど、その当時はまさにそのまま咀嚼されていたのかもしれない。

私の場合の〈DESTINY〉はユーミンではなくて、My Little Lover の〈DESTINY〉です。3枚目のアルバム《NEW ADVENTURE》(1998) に収録されていますが、New Adventure というとどうしても連想してしまうのはR.E.M.の《New Adventures in Hi-Fi》(1996) で、もちろんタイトルだけで、内容が似ているわけではないですけれど小林武史は知っていて付けたんだと思います。
ただ、〈DESTINY〉も〈ALICE〉も、私は2枚目の《PRESENTS》(1998) の収録曲だとずっと錯覚していて、今調べてみて愕然。人間の記憶なんて曖昧なものです。私だけか。
たぶん、リアルタイムで買ったのは《PRESENTS》だったのでそういうふうな錯覚をしてしまったんだと思います。《evergreen》《PRESENTS》《NEW ADVENTURE》という3枚は、当時繰り返し聴いていて、単純にその音楽だけではなくて、それにまつわるその頃の思い出が絡み合っていて悲しみとなつかしさがいつまでも纏わりついているような印象があります。

1998年は the brilliant green の〈There Will be Love There〉がリリースされた年でもあって、この曲は1stの《the brilliant green》に収録されていますが、このアルバムも繰り返し聴いた思い出があります。
ブリグリの一番カッコイイと思うアルバムは、アルバムというよりシングルなんですけど、最初の《Bye Bye Mr. Mug》と《goodbye and good luck》だと私は思うのだけれど、でも goodbye and good luck と聴くと連想してしまうのはユーミンの〈グッドラック・アンド・グッド・バイ〉(1976) であって、そういうのを考えるとユーミンの影響力っていうのはすごいのかもしれない。

で、ブリグリ、マイラバのこの時期に聴いていたのでもうひとり、Sugar Soul の最初のシングル〈Those Days〉(1997) があるが、これは〈あの日にかえりたい〉(1975) なのであって、ああなるほど、と納得するので。

マイラバは雑音も色々あったけれど、でもたとえばアルバム《akko》(2006) のdisc 1の〈り・ぼん〉なんて、最初の頃を彷彿とさせられてジワッと来ます。もちろん《re:evergreen》(2015) まで、こっそりとしっかり買っていることは秘密です。


My Little Lover/New Adventure (トイズファクトリー)
New Adventure




My Little Lover/Destiny
https://www.youtube.com/watch?v=rIS9QLgd5vs

the brilliant green/There Will be Love There
https://www.youtube.com/watch?v=TjWUP_N9ALQ

My Little Lover/り・ぼん
https://www.youtube.com/watch?v=qq8XkssoaWo
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末尾ルコ(アルベール)

『半分、青い。』で佐藤健をめぐって二人の女性が取っ組み合いをするシーンがあったんですけど、五社英雄監督の『陽暉楼』を彷彿させて(笑)、軽い眩暈を覚えました。
どんな分野にも「カシマシサイト」みたいなのがあって、そこでは「ネットスズメ」=「ネット民」(?)の人たちが24時間侃侃諤諤状態ですね。その中のかなりの部分の人たちは、「対象」と「自分の人生」の距離感が狂っているように思えます。
リンクしてくださっている動画、視聴いたしました。特に「Destiny」のギターが心地よかったです。ギターとメロディが絶妙に絡み合う音の快感はロックならではですね。ギターサウンドは昨今「流行らない」などと言われますが、いいものに流行るも・流行らないもありません。世の中、流行っているかどうかだけしか判断材料が無い人たちが多く存在します。
97~99年くらい自分が何を聴いていたか記憶を辿りますと、あまり意識的には音楽を聴いていなかった時期であると気づきました。その中で日本人としては、SugarSoulはよく聴いておりましたです。この人の声はとても好きなんです。

個人的なロシア音楽のイメージの源流を辿れば、けっこう日本の童謡の「ペチカ」に行き当たったりします。最近調べて知ったのですが、この歌詞は北原白秋なのですね。日本のかつての童謡・唱歌の歌詞は一級の文学人によるものも多く、格調の高さが違います。
幼い頃の素朴な素朴なイメージでしかないのですが、ロシアと言えば、大地、凍結する土、吹雪、それに抗う人間の熱・・・などといったもので、メトネルの何たるかをわたしが正確に理解できるわけもないのですが、その曲想には幼いころからの個人的なロシアのイメージに合致する部分があり、すんなり入ることができました。

ムルソーとマストロヤンニはまったくイメージが合いませんよね。もちろんヴィスコンティほどの人がキャスティングしたのですから、相応の意図があったことは間違いないですが、マストロヤンニはヨーロッパ映画史最高のスターであり、ムルソー役にはあまりにゴージャス過ぎる感があります。ムルソーはもっと神経質そうな俳優でないと雰囲気が出ない気がします。

「ロマン派」と言いますか、「ロマン主義」には、特に文学・絵画に関して以前から強い関心があるのですが、音楽についてはあまり知らずにおりました。もちろん、「ロマン派音楽」を調べて、そこに載っている作曲家の名前の多くは知っておりますが、(ああ、この人もロマン派と呼ばれているのだ)と、新たな発見をしたような気分です。

>若い頃にはヒエラルキーを仮想してマウンティングしたがりますから

あからさまな人がけっこういますよね。スノッブの人たちを含めて、(恥ずかしくないのかな)と感じるくらい、手前勝手な優越意識を持った人たちが。もの凄く幼稚な人たちだとは分かりますが、そばにいたらやはり邪魔です(笑)。

わたし基本的に、「通俗」大好きで、シンプルな表現で言えば、「聖と俗」ですよね。どちらもないと生きていけません。そして、「聖」を志してもクオリティが低かったり、「俗」の中でクオリティが高かったりと、ものごとは単純じゃないものです。ところが、単純化しようという人がどんどん増えてるんですよね。
そしてそういう人たちはまず間違いなく、「言葉の使い方」が愚劣なんです。
「ライトクラシック」という分類法の是非に関しては何とも言えませんが、ほとんどの日本人のクラシック音楽知識はそこに留まっているのではないでしょうか。まあ、わたしもそうした人たちとさほど変わらないのかもしれませんが(笑)、「クラシック音楽」というジャンルの発展的継承のためには、「その場所」にいる人たちをいかにして「次の段階」へ進ませるかだと思うのです。
それはクラシック音楽だけではなくて、あらゆるジャンルに言えることなのでしょうが、特に映画など日本はまったく上手く行ってないですね。もちろんこれは世界的傾向なのでしょうが、特に日本独特のおかしな空気ができてしまっているのは困ったものです。
原因は複合的で単純化してはいけませんが、やはりある時点で極端な拝金主義が圧倒的優勢になってしまったことが大きい気がします。何だかんだ言って、フランスなどでは拝金主義に抗う力もある程度以上存在すると思うのですが、日本はその勢力がいかにも弱かったですね。
ただ、「拝金主義者」には彼らならではの弱点もあるのだと、それはいつも考えています。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-07-01 09:44) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

まず最初に。
So-netブログへの書き込みが困難になってきました。
主にセキュリティ強化とかいう名のもとに
最近アクセスできないサイトが増えていますが、
So-netブログも同様です。
いわゆる 「製造物責任」 を回避しようという
コンピュータ屋のさもしい魂胆ですが、
セキュリティを強化する必要性を私は感じません。
まるでカギを5つも付けているような玄関ドアのようです。
幾らセキュリティを強化しても破られるときは破られます。
そして肝心の自宅にその本人が入れない状態です。
こうしたコンピュータ屋のやり口が私は気にくわないので、
So-netブログからは撤退しようかと考えています。
他へ行っても同じかもしれませんが、
セキュリティだけではなく
So-netブログの高圧的な態度が私には不快です。
というか、コンピュータ屋の、
自分たちのやりかたが必ず正しいという根性が
気に食わないのです。
人にはそれぞれ都合があります。
必ずしもOSやアプリを最新にできない事情もあります。
それを一律に強制しようとするのは、
軍国主義のパロディでしかありません。
むしろ軍国主義そのものといっていいのかもしれません。

     *

五社英雄監督の『陽暉楼』というのは未見ですが、
そういう影響はあるかもしれませんね。
ただ、私は自分自身に対して気づいたのですが、
ドラマがマンガ家になることに邁進する主人公から
単なるコイバナの話になっていったことにより、
私の視聴テンションも下がってしまいました。
つまり恋愛などがメインのありきたりなドラマには
私はあまり反応できないのかもしれません。

ギターは弦楽器ですから、
ヴァイオリンと同じで最も感情を出しやすい楽器です。
「昨今流行らない」 のなら、ああそうですか、
とでも言っておけばいいのだと思います。

北原白秋! それは知りませんでした。
昔は、この人が作詞をしているという驚きの曲が
よくありましたね。

ロシアは国が広いですから、
すべてが極寒なわけではなく暑い場所もあるようです。
この前のW杯のサッカー場もそうでした。
メトネルはロシアから逃げ出した後、
フランスに行きますが、当時のフランスの音楽情勢は
彼には合わなかったようです。
なぜかというのは、何となくわかります。

ヴィスコンティの初期作品は、
たとえば《郵便配達は二度ベルを鳴らす》などもそうですが、
ネオリレアリスモであり、ヘヴィです。
ヴィットリオ・デ・シーカの《自転車泥棒》などもそうです。
後年のヴィスコンティのような耽美的な映像はまだありません。
《異邦人》もまだそういう傾向を引き摺っているような気がします。

ロマン派というのは、比較的ゆるい形容であって、
あれもロマン派、これもロマン派みたいな傾向はあります。
日本だと浪漫という文字をあてますが、
この浪漫派というのがまた微妙にニュアンスが違うので、
う〜んよくわからない、という感じですね。

通俗というのも同様に曖昧表現であって、
私も、通俗という言葉を褒め言葉に使う場合と
けなして使う場合とがあります。

たとえばジャン・ジュネのことを聖ジュネと言ったのは
サルトルですが、サドとかジュネなんて
普通に考えればとんでもない性向なわけで、
それは《万引き家族》という映画を反社会的映画だ
とする評価に通じる部分があります。
言葉の意味を一面的にしか捉えられない人で、
そういうのが政治家だったりすると世の中は停滞します。

ライトクラシックは確かにそこで留まってしまうのに
便利なポジションなのかもしれませんが、
でも葉加瀬太郎とか宮本笑里などの演奏を聴いて、
それを聴いた人の100人に1人でもいいですから、
他の演奏者や音楽を聴いてみたい、と考える人がいれば
それでいいのだと思います。
100人じゃなくて1000人に1人かもしれません。
でも、それでもいいんです。
真の道を見出すのとはそんなに簡単なことではありません。
by lequiche (2018-07-01 21:33) 

末尾ルコ(アルベール)

> So-netブログからは撤退しようかと考えています。

lequiche様が他へ行かれても、ぜひ訪問させていただきたいですので、具体的にお決まりになりましたら、お教えくださいね。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-07-01 22:33) 

末尾ルコ(アルベール)

あ、ついでに。わたしも「コイバナ」中心になってからの『半分、青い。』にはげんなりしております(笑)。件の取っ組み合いのシーンも実は呆れてモノが言えませんでした。いろいろな要素がリミットを超えてしまっている気がします。RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2018-07-01 22:39) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ありがとうございます。
今、そうした場合のメリット/デメリットを考えているのですが、
まだ何とも決めかねています。
それと、いつまでも駄文ばかり書いていても、
という反省もあります。

リミットを超えている——そういう感じはありますね。
でも、TVドラマはTVとしての制約がありますので
本篇とは違います。それは仕方が無いのだろうと思います。
by lequiche (2018-07-02 13:48) 

sana

マイラバのDESTINY、今聞いても声が素敵ですね~。
いつもテレビの前で聞き惚れていたものです。
松任谷由実は上手いですよね~歌詞のそういう所!
ひどい格好のとき人に会うのは日常~大事な人とはまたすんごいタイミングでサイアクの格好、って実際あるある^^;

朝ドラ、恋愛の話になるのかと思いきや、学生時代でぽんと飛び、まあそれはありかなと思っていたら、さらに27歳まで何の連絡も取らない、という展開にちょっと??
自分の気持がはっきりしているのに、それをどんな方法でも伝えないって。それじゃあ、恋愛漫画は完成させられないかも‥
ここ2回の内容でこれまでの意味はまあわかりました。秋風先生の弟子が二人去り、自分がもっと頑張らなくてはと思いつめていたようです。
漫画家としての描き方があまり突っ込んでないと思ったら、この後けっこう長い年月がたつ話にまでなるようですね~^^;
by sana (2018-07-04 18:22) 

lequiche

>> sana 様

歌手って結局声質なんだと思うんです。
上手いんだけどピンと来ない声っていうのがあって、
そういう歌手より、多少ヘタでも
自分の好きな声の歌手のほうが好きです。
ただそれは主観的なものなので人によりけりで
むずかしいです。
歌手だけじゃなくて、楽器の演奏者でも
好きな音色と、そうでないのとありますね。

akkoちゃんはユーミンなどに較べると
そんなに声が変化していないと思います。
でも若い頃はやはり若いですけど。(あたりまえか ^^;)
この頃の声が好きです。
https://www.youtube.com/watch?v=PfYgH-j7u-c

そうそう。会いたくないときに限って、
というのはよくありますね。
でも人生ってそんなものです。

《半分、青い。》は、簡単に時代が飛びますが、
その転換のしかたが上手くないような気がします。
こういうふうに書くかなぁ〜? という感じがして、
ちょっとそれはないんじゃないの、というのが
何度もありました。
それはストーリー自体にもありますね。
最初はよかったんだけど、だんだん雑になってきた
というか……まぁこんなもんなのかなぁ、TVドラマって。

でも 「それから何年後」 というのを
スムーズに移動させるのってむずかしいのかもしれない、
と最近思うようになりました。
このドラマは悪い見本ですね。(^^)

お〜、そうなんですか。
秋風先生の部分がダントツに面白かったので、
この後はもうあまり期待できないのかも、とも思います。(-_-;)
それとやっぱり脚本家としてのセンスが出てしまって、
マンガ家をあまり知らないんじゃないか、
という印象もありました。
by lequiche (2018-07-05 01:17) 

sana

歌手は声質、ってありますね。
聞いているのが心地よい、この声だけは何度も聞きたいというのがあります。
若い頃の声、可愛いですね~。私はakkoさんの声、ちょっと柔らかくかすれるような所も好きです。上手いとは言えない、みたいなコメントがあって笑っちゃいました。下手と思ったことはないです。ある程度の上手さは必要だけど、音大のトップ全員が歌手になれるわけじゃないんで。時代に合う表現力や人を引きつける魅力はまた別なもの?
松任谷由実の声はまた不思議な声です~。
パッケージ全体が軽やかでおしゃれっぽくて、女性の気持ちの正直さ、プラスもう少し深いものが時に見えるところが良かったです。

朝ドラは幼馴染もの?恋愛もの?漫画家もの?かと思ったらどっちでもない‥
そういえば朝ドラって~女性の半生もの、ですもんね。
秋風先生が出てこなくなってしまうのはガッカリですね~。
そうそう、時々年月が飛んでもいいんですが、こういうふうに書く?!とちょっと背負投食らうような感じがあって。
こちらが漫画に思い入れがあるから違和感があったのかも。
漫画家のことはそれほど知らないから、限定的に描いて終わらせたところもあるのかも知れません?
by sana (2018-07-06 00:49) 

lequiche

>> sana 様

>> 音大のトップ全員が歌手になれるわけじゃないんで。

そうそう。まさにその通りです。
上手いとかヘタっていうのはかなり主観的なものがあって、
単純に音程がきちんととれているから上手い、
ってことではないんだと思います。
これはカラオケの点数表示にもいえて、
つまりカラオケの高得点っていうのは全然アテにならない
ということです。

akkoちゃんの声は好きな人と嫌いな人がいて、
そういうふうに好き嫌いが極端に出る人のほうが
魅力があるんじゃないかと思います。
ユーミンはすごく人気があった頃、
私はほとんど聴いていませんでした。
そういうのを流行が去った後になってから聴くと
味わいがあったりします。(^^;)

朝ドラは半生ものなのかぁ……確かにそうでしたね。
そう言われると納得です。

脚本家はマンガを知らなかったけれど、
でも豊川悦司の演技力で、無理矢理見せられてしまった、
ということなのかもしれません。
途中から全然主題が変わっちゃうというのは、う〜ん……
やっぱりずっと同じ主題で通して欲しかったです。
《花子とアン》みたいに。
by lequiche (2018-07-07 01:53) 

向日葵

「半分、青い」。。

なんだか始まりとは路線が随分と違って来てしまって。。

新しい「3月兎」の帽子屋さんなども、まだまだ
萩尾望都さん辺りを意識しているようですが。。

なんだか唐突に違う物語になってしまったみたいで。。
正直面くらっています。

「律君のお嫁さん」が後々重要出演者兄なるような情報も
あったのですが、なんだか「もうどうでもよく」なって来て
しまっています。。
by 向日葵 (2018-07-16 04:01) 

lequiche

>> 向日葵様

3月ウサギと帽子屋と眠りネズミというのが
アリスのティーパーティーの登場人物ですから、
つまり鈴愛は翻弄されるアリスなわけです。
いままでの朝ドラはひとつのことを突き詰めて
何かを成し遂げるみたいなストーリーが多かったですが、
今回のはあちこちに翻弄というのがテーマみたいで
こういうのもありなのかな、とは思います。

でもマンガ家修行の部分ですでに
スペードのエースを出してしまっているので、
後の持ち札はもう強いのが残ってないのかもしれないです。
尻すぼみになりそうな予感もありますね〜。
by lequiche (2018-07-16 16:10) 

たじまーる

「PRESENT」と「New Adventure」は
同じマイラバ三人(akkoさん、小林武史、藤井謙二)でも
コンセプトがかなり違う作品だと思いました。
マイラバのakkoさんのボーカルが
私がいちばん好きなボーカルで
あの声を聴いて心を撃たれて
今でもマイラバは変わらず好きです。
音楽は完璧で才能に長けてなくとも
akkoさんのボーカルは
その辺関係なく
人を惹き付ける素晴らしいものを持っている
ととても思いました。
また私的には音楽に関して天才だと思っている
小林武史氏が上手くakkoさんの魅力を引き出せたので
マイラバは最高だと思ってます。
長文失礼しました^^;
by たじまーる (2018-07-23 22:21) 

lequiche

>> たじまーる様

コメントありがとうございます。
マイラバへの熱い想いが伝わってきます。
声というのは不思議なものだと思います。
好き嫌いを超えて、
人の心に直接伝わってくる歌というのはあるもので、
一方で、それがわかる人とわからない人もいる——
わかるというより感じるので、
それは最もプリミティヴな人間の情動であり、
歌は遡ればシャーマニズムの一環なのかもしれません。
そして音楽は直接には何の力もないように見えて、
確固とした存在となって人の心に宿るようにも思えます。

マイラバは結局、ひとりのプロジェクトとなってしまって、
そういう意味ではかつてのZARDに似ていますが、
「安心する声」 はいまだに健在なのだなぁと思います。
by lequiche (2018-07-24 05:18) 

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