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吹き抜く風のように ― GLIM SPANKY [音楽]

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乗り遅れてしまったから少しずつ取り返すしかない。でも、いつでも私は乗り遅れている、電車もバスも音楽も、全てのことについてことごとく。
ということで例によって乗り遅れてしまった GLIM SPANKY を少しずつ聴いている。こうした音楽の選択の場合、いつも指標としているのはSpeakeasyさんのブログですが、3年前から GLIM SPANKY をプッシュしているのはすごいなぁと思います。

〈吹き抜く風のように〉というタイトルは the brilliant green の〈長いため息のように〉を連想してしまうけれど、4つ打ちで始まる暗いイントロが曲のこれからを予感させる。歌詞の 「転がる石の様に 吹き抜く風の様に」 は 「Like a Rolling Stone」 と 「Browing in the Wind」 を示しているのだろうが、「飛行船が飛ぶビルの上」 は 「群青の空」 で、その美しさを歌いながら 「宗教や戦争」 とか 「生き様や価値観」 という生硬な言葉が混じる。
ブリグリは 「迷いに迷って 遠回りして たどり着く場所 そこで待っていて」 と歌ったが、グリムは 「見知らぬ場所に着いた 迷ってしまってもいいや」 と返答する。長い時を隔てたrépons.

〈Velvet Theater〉もそのタイトルからしてカッコイイ。ヴェルヴェットという言葉から連想するのはルー・リードのヴェルヴェット・アンダーグラウンドだったり、ディクスン・カーの『ビロードの悪魔』だったりするが、そこでも松尾レミは 「もうどうなったっていいや」 と歌う。「もう、いいや」 という投げやりな心を歌いながら、そのむこうに前向きな力が垣間見える。

SPICEの2016年の《話をしよう/時代のヒーロー》リリースの際のSPICEのインタヴューで、松尾は

 でも今回は……こういうフォーキーな感じとかって、本来GLIM
 SPANKYが一番最初に持っていた、得意な色なので。

と語る。「フォーキー」、そして 「得意な色」 という表現に納得する。だからサイケデリックでありながら、ボブ・ディランなのだ。

 序章は曇った空が似合うのさ
 飛んではしゃいでる真っ赤な亡霊
 瓦礫はサイレン飲み込み そっと砂の城を壊す

そこは幻の劇場かもしれなくて、そして最終バスに乗り遅れた彼女は 「もうどうなったっていいや」 と思う。バスは現実のバスでもありメタファーとしてのバスでもある。乗り遅れるのは私も同じだ。

リンクした2013年の〈Velvet Theater〉は、すでにしたたかだけれど初々しさも残っていて、松尾レミの雰囲気も、髪型や服装などがやや違って新鮮だ。今のリッケン/レスポールでなくて、テレキャス/ストラトであることから来るビジュアルもあるのかもしれない。


GLIM SPANKY/BIZARRE CARNIVAL (ユニバーサルミュージック)
BIZARRE CARNIVAL(通常盤)




GLIM SPANKY/Next One(ユニバーサルミュージック)
Next One(通常盤)




GLIM SPANKY/Velvet Theater
下北沢GARAGEライヴ 2013.08.29.
https://www.youtube.com/watch?v=K8Tr4yG5tXU

GLIM SPANKY/吹き抜く風のように
https://www.youtube.com/watch?v=lu44tUj8vWY

GLIM SPANKY/怒りをくれよ
六本木ヒルズ夏祭りライヴ 2016.08.08.
https://www.youtube.com/watch?v=noLvfB9Vo_w
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末尾ルコ(アルベール)

GLIM SPANKY、ちょいちょい聴いておりますよ。今回リンクしてくださっている動画も視聴させていただきました。
一番うれしいのはこのバンド、何もかもが「ロック」なところです。音も、ステージングも、そしてファッション、面魂までロックを感じさせてくれます。
「ヴェルヴェットシアター」の衣装もカッコいいですよね。特に松尾レミの服のデザイン、配色・・・素晴らしい!またこのような服が似合うってしまう松尾レミがロックです。
たまたま最近カルメン・マキを聴いたのですが、ちょっと共通点を感じました。「怒りをくれよ」にはジャニス・ジョップリンを感じます。

「歌」、あるいは「ロック」の歌詞は普通の詩とも違いまして、優れた作品はこれまた特別なカッコよさがありますよね。
わたしが最もカッコいいと常に思っている歌詞の一つがデヴィッド・ボウイの「Ziggy Stardust」でして、これはもう意味云々以前位、この「歌詞の言葉の並びがもたらす音」があのサウンドに乗って発せられると、ほとんど陶酔をもたらしてくれるほどの快感があるのです。
後、フランス語ではやはりゲンズブールです。
「Sous le soleil exactement」とか「Je suis venu te dire que je m'en vais」とか、音そのものが美しくカッコいい!
どんどんロックから離れて行っておりますが(笑)、ついでに書かせていただきますと、古いスタンダードナンバーで、「Parlez-Moi D'Amour」はわたしの愛唱歌でございます。

日本語でロックの歌詞を作る困難さは昔から大きな議論でしたよね。
これも渋谷陽一の番組だったと思うのですが、「英語ネイティブに日本のバンドを聴かせた時、イントロまでは真剣に聴いていたけれど、日本語の歌が始まった途端に噴き出してしまった」というネタがありました。
まあただこれは、ある程度は仕方ない部分はありますよね。どうしても、「ロック=英語」という歴史がありますし、ネイティブにとっては日本語だけでなく、フランス語でも中国語でも可笑しく聴こえることはあるのでしょうから。そしてもちろんこれは、かなり以前の話ではあります。

この前、NHKの『SONGS』がPerfumだったので観てみました。とても興味深かったです。
ただ大泉洋の司会ってどうなんだろうとは感じました。
NHKだから台本通りやっているのかもしれませんが、Perfumをしつこく「ねえさん」と呼んだり、「もうすぐ30だから、結婚は?」とかいう話題を振ったり、15歳以上年上の大泉に「ねえさん」とか言われて、内心は嬉しくないのではと思ったのですが。
それはさて置き、「禁欲的」というのは素晴らしいですね。
確かに彼女たちの取り組みを見ていたら、その感覚は納得できます。
そして「禁欲的」とは、わたしが常に憧憬しながらも、なかなか至ることのない境地でもあります(笑)。

村上龍などがバラエティ番組で雛壇に座っておバカタレントと一緒に手を叩きながら、「わ~っはははあっ~」とか笑ってる姿、あり得ませんよね。
羽田圭介とか、分かってやっているのでしょうが、それにしてもテレビへ出過ぎでした。最近はあまり見かけない気もしますが(笑)。

>そのうち腐って崩れ落ちます。

素晴らしいご指摘!わたしにも過度なテクノロジーには「腐って崩れ落ちてほしい」という願望があります。なにせ浮かれ過ぎて醜いです。
「キャッシュレス化」などにしても、すぐに「日本は遅れてる」とか言う「識者」が多いのですが、そういうのって、「遅れてる・進んでる」とかいう問題ではないと思うのですよね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-09-03 01:41) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

松尾レミさんは60~70年代の古着が
お好きなんだそうです。
わざと古い感じを漂わせている部分はあります。
音楽で最も強い影響はジャニスだと私は思いますが、
古いロックのテイストがありながら、
でもそれにその後の音楽の変遷が加味されているようで、
カルメン・マキももともとはフォーク系ですから
そうした音楽からの影響も大きいですね。
それは本人も語っている通りです。

ブリグリの影響もありますが、
川瀬の歌詞がそれなりに辻褄が合っているのに対し
松尾のはもっと破壊的で、だからサイケデリックなのですが、
それは前記事の村上龍の70年代の状況を意識して
今回の記事につなげた意図もあります。
なにより松尾の強い声が、いままでのJ-popとは
かなり違った印象を受けます。
あ、J-popではないと松尾は考えているでしょうが。

歌詞というのは音に乗る言葉ですから、
その言葉本来の意味と、
それとは異なる音韻の響きというものが加味されます。
ボウイの歌詞のサウンドというのは確かに感じます。
歌詞自体はそんなにたいしたことは歌っていないのに、
音に乗ったときにそれが変わります。

Parlez-moi d’amourってリュシエンヌ・ボワイエですか?
いろいろな人がカヴァーしていますが、
オリジナルのボワイエの歌い方は
フランス語の発音に特徴がありますね。
昔ながらのカッチリとした歌唱を感じます。
グレコなどの他の歌手で聴くとごく普通の歌詞なのに、
ボワイエは、ある意味古いのかもしれませんが、
そこから醸し出される言葉にプラスアルファがあって
正統的なフランス語という感じがします。

ロックは英語というのも確かにありますが、
それはだんだんと薄まってきているように思えます。
それよりも日本の歌手の場合、どうしても声が弱いですが、
その点でも松尾は異質です。
宇多田ヒカルのニューアルバムはそういう点でも、
つまり声質に関してそれをどのように利用するか
ということに関してかなり問題作だと私は思うのですが、
まだうまく書くことができません。

SONGSの放送は知りませんでした。
司会は、それを観ていないので何ともいえませんが、
そういうキャラなのですから仕方がないでしょうね。
Perfumeの役割分担というのは決まっていて
それを動かそうとしません。
髪型も3人それぞれ一定ですし、
のっちはほとんどいつもショートパンツです。
禁欲的というより保守的なのかもしれません。
その音楽性とは正反対ですが。(^^;)

作家も昔のような文人風と違って、
現代はライトなんだと思います。
それはこの時代の要請でしょうし、
でもそれを拒否している作家だっているはずです。

コンピュータは便利なのかもしれませんがヴァーチャルです。
それが無くなったとき、何も残りません。
何も手元に残らないというのはある意味アナーキーであり、
たとえば戸籍謄本や住民票をヴァーチャルで管理しているのは
とても怖いですし、非・資本主義的でもあると思うのですが、
その矛盾を誰もが知らないふりをしていようとします。
すべてをヴァーチャル化して、面倒なことはロボットに任せて、
人間は皆平等になって桃源郷が訪れるのでしょうか?
そのように思い込ますことが
政治家にとっては理想の政治形態なのかもしれません。
by lequiche (2018-09-03 12:38) 

Speakeasy

再三に渡り私めのブログを取り上げて頂き感謝感謝でございます!

GLIM SPANKYの松尾さんは、自分たちのデビューに関して、毎回バスに例えて話しているのが印象的でした。
例えば↓2015年のアルバム『SUNRISE JOURNEY』を出した時のインタビューでも話しています。

https://belongmedia.net/2015/07/16/%E3%80%90interview%E5%89%8D%E5%8D%8A%E3%80%91glim-spanky%E3%81%AE%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%80%81%E6%B1%BA%E6%84%8F%E3%81%A8%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%AD%8C%E3%80%8E/

尚、私の住んでいる地域は田舎なのでバスは1時間に1回来ればいい方です。
乗り遅れたら、次はありません(笑)

by Speakeasy (2018-09-03 18:54) 

lequiche

>> Speakeasy 様

いえいえ、いつもご教示いただきありがとうございます。
belongmediaを早速拝読致しましたが、
ピチカートとレディオヘッドとホワイトストライプス!
ジャニスとか、名前が全然出て来ませんね。
特にピチカートというのが意外です。

自分たちの前をバスが通り過ぎていって、
でもついに自分たちの乗るべきバスがやってきた
というのも的確な表現ですね。
なるほど、乗り遅れたら次は無いというのも
シビアな喩えとして胸に響きます。
にもかかわらず乗り遅れてしまった私は、
しかたなくとぼとぼと歩いていますがもう疲れました。(笑)
by lequiche (2018-09-04 01:12) 

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