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マクス・シュメリング・ハレのデヴィッド・ボウイ [音楽]

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David Bowie (Max-Schmeling-Halle, Berlin, 2002)

前記事でビートニクスのニュー・アルバムのことを書いていたとき、ニール・ヤングの〈I’ve Been Waiting For You〉を探していたら、デヴィッド・ボウイの同曲のカヴァーに行き当たった。「嵐のように曲が立つとき、それはオリジナルとは別の様相を見せる」 と、私は何となく抽象的に触れただけだったが、実はこのライヴに取り憑かれていたのである。
setlist.fmに拠れば2002年、この年、ボウイはアルバム《Heathen》をリリースした後、ツアーに出る。アメリカのツアーを経て、7月にモントルー・ジャズ・フェスティヴァル、そして9月にフランス、イギリスの音楽番組をこなし、下旬の9月22日にベルリンの多目的ホール、マクス・シュメリング・ハレで行われたコンサートの中の1曲が上記の〈I’ve Been Waiting For You〉である。

このライヴの映像がYouTubeにあって、それはまさに私にとって嵐のような衝撃的なライヴであった。このライヴの模様はドイツのTVで放映されたとのことだが、オフィシャルでのメディアは未発売である。そしてYouTubeの映像もコンサートの全部ではなく、抜粋といってよいのだが、それにもかかわらず2002年のボウイを克明に捉えている。
私はボウイの熱心なファンではないが、初期のアルバムは比較的聴いていて、しかし私にとってのエポック・メイキングなアルバムはベルリンでレコーディングされた《Low》(1977) であった。《Heathen》(2002) がリリースされたとき、胸騒ぎのような気持ちを感じて思わず買ってしまったのは、その同じベルリン、そして同じトニー・ヴィスコンティのプロデュースに、シン・ホワイト・デュークの幻影を見たのかもしれない。
だが今から振り返ると、《Heathen》を聴きながらもその本質が私にはわかっていなかった。

アルバムのレコーディングは2000年の10月から2002年1月までにかけてであるが、2001年に9・11があったことは、影響は無いといいながら微妙な影を落としているような気もする。それはたとえばローリー・アンダーソンの《Live at Town Hall New York City》(2002) ほどにあからさまではないにしても (このアルバムのことについてはすでに書いた→2012年04月18日ブログ。悲しいことに日本版のwikiにはローリー・アンダーソンの項目が存在しない)。

ベルリン・ライヴはその年のヒーザン・ツアーの一環として行われたものであるが、アルバムと違ってベースはゲイル・アン・ドロシーが弾き、アール・スリック、マーク・プラティ、ジェリー・レオナルドという3人のギタリストが参加している (プラティとレオナルドはアルバムにもその名前が見える)。
マクス・シュメリング・ハレはキャパが11900人とのことだが、映像では随分広い会場のように見える。そしてステージ上には、なぜか風が吹いていて、ボウイの髪をなびかせる。ベースとヴォーカルを担当しているゲイル・アン・ドロシーの坊主頭にスカートというキャラクターのインパクトが強烈だ。

動画はいきなり〈Cactus〉から始まってしまっているが、でもそんなことはどうでもいいのだ。コンサートそのものの内容がとても濃いし、最も強い刺激となるのは3人のギタリストの、時にノイジーになるハードなギターと、バンド全体を構築するcomplexitéを感じさせるサウンドである。〈I’ve Been Waiting For You〉から〈Heroes〉、そして〈Heathen〉と続いていくあたりで、もう鳥肌ものである。私にとってのロックはボウイなのだ、とあらためて確認する。
クルト・ヴァイルはドイツのステージだからというサーヴィスなのだろうが、曲後にダンケシェーンと挨拶し、そして〈Afraid〉へ。この動画におけるラストソングは〈Hallo Spaceboy〉だが、この混沌に突き落とされそうな、けれど冷徹に持続するボウイのコントロール力に《Heathen》当時の音楽の緻密さを感じる。
オフィシャルで発売して欲しいライヴ映像のひとつである。


David Bowie/Heathen (Sony Music Japan International)
ヒーザン




David Bowie/Live in Berlin 2002.09.22.
https://www.youtube.com/watch?v=KHtLbmDe2SA
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末尾ルコ(アルベール)

リンクしてくださっているローリー・アンダーソンのお記事も拝読し、動画も試聴させていただいたのですが(O Superman (1981) original clipは、視聴できなくなっているようです)、これはちょっと(困ったなあ・・・)というくらい素晴らしいですね。
いや、ローリー・アンダーソンはずっと前から知っていたのですが、正面から聴き込んだことはなかったんです。
(今よりも 笑)若い頃に聴いた時には、(ちょっとクセがあるなあ)と感じました。
ただ印象に残っているのは、アンダーソンと話をした(あるいは何か一緒に仕事をした)坂本龍一がラジオでやや興奮気味に「すごく刺激になりましたよ」と言っていたことです。
(ああ、そういう人なんだなあ・・・)と思いましたね。

デヴィッド・ボウイ2002年ベルリンは凄いですね。わたしもこのところしょっちゅう視聴しております。
この深さ、強烈さは2000年代に入ったボウイだからこその境地であり、「ボウイの最盛期は70年代から80年代に過ぎない」なんていう世間的な評価がいかに皮相的なものであるかも再認識させてもらえます。
ただ、わたし自身も、『Heathen』前後のアルバムはどう捉えていいか分からなかったということもありました。
このライブを折に触れ聴き込みながら、ボウイの残した成果の総体をまた見つめ直したいと思います。
ニール・ヤングについてはあまりまだあまり知りませんので、この人も今後愉しみに聴いていきたいと思います。

『四月の魚』は未見なのです。これはぜひ観たいです。とてもユニークなキャストですね。
大林宣彦は『HOUSE ハウス』なんかもまた観てみたい気がしてます。公開当時は珍品そのものと目されていたこの作品も、今観るとちょっと違う感想を持つかもしれないという感があります。
『Solid State Survivor』はやはり革命的アルバムでしたよね。「テクノポリス」とか「Rydeen」などタイトルも秀逸で、インストルメンタルでありながら、言葉の重要性を有している曲だなあと思います。両曲ともこのタイトルしか考えられませんよね。
「テクノポリス」は坂本龍一ですね。確かに「Rydeen」との相違は明らかです。
恐らく10代のわたしは、「軽さのよさ」というものがもう一つ理解できなかったのだと思います。そうした自分も最早過去なので、今、高橋幸宏を聴くのもおもしろそうだと思うようになりました。

>消費されつくされればおしまいという風潮

消費に反抗する表現者たちも多く存在するのでしょうが、もっと大きな声を上げてほしいところです。
何年か前に佐野元春のラジオにプロデューサーだか何だかの人がゲストで来ていて、元春が「音楽をコンテンツと呼ぶのはものすごく抵抗がある」と言ったのですけれど、その人は、「わたしもそうだったんですが、でも再婚はこれこれこうで~~」と軽薄な理由を述べつつ、結局は「音楽をコンテンツと呼んでもいいじゃない」という方向で話を進めようとしました。
こういう感じで、「なあなな」にしていく人たちが多くって、今の日本に繋がっているのだなあという感じです。

テレビもネットも無駄に影響力が巨大になり過ぎています。少しずつでも殺いでいきたいところですね。  RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-09-17 13:09) 

向日葵

いやぁぁ。。
是非とも聞いてみたいです!!

デビッドボウイも。。
逝っちゃいましたねぇぇ~ぇ。。。

by 向日葵 (2018-09-18 00:08) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ローリー・アンダーソンの記事までお読みいただき
ありがとうございます。
古い記事の動画のリンクは修正しておりませんでした。
〈O superman〉のオリジナルのPVは、現在、
Nonesuch Recordsのofficial videoが
YouTubeに載っています。
https://www.youtube.com/watch?v=Vkfpi2H8tOE

ローリー・アンダーソンは晩年のルー・リードの伴侶であり、
2人とも確かにアクが強いのかもしれません。
ただ現代のアメリカとその音楽を語る場合、
さらにもっと敷衍したアメリカを語る際、この2人は重要です。
わからない人にはわからないのでしょうが
それはそれでよいのです。
わからない人に無理にわからせようとは思わない――
私はそういう時の対応については冷たいと言われています。
坂本龍一はきっと彼女の理性の強靱さを感じたのだと思います。

ボウイのこのベルリン・ライヴは別格です。
実はこの年、2002年6月のNYでのライヴ動画も
YouTubeにあります。

I’ve Been Waiting for You:
https://www.youtube.com/watch?v=iKskvhTUlxQ
Cactus:
https://www.youtube.com/watch?v=6gsRV-aaBng

でもベルリン・ライヴが10点満点だとしたら、
このNYのライヴは6点くらいだと私は評価します。
そのくらいベルリンは神がかっています。
つまり3カ月の間にそれだけ練り上げられたということと、
会場がベルリンという、ボウイにとって特殊な都市であることの
相乗効果ではないかと思います。

ところがこのベルリン・ライヴをどのように形容してよいのか
私にはヴォキャブラリーが無いのです。
この、ぴんと張った緊張。これが音楽であり、ロックです。
少なくとも私にとってのロックとはこういうもので、
それしか言葉が無いのです。
私は今までボウイをちょっと侮っていました。

ポール・マッカートニーと安室奈美恵は
ライヴの間に水なんか飲まない、というのと
共通するなにかがあります。
もちろん、安楽に音楽を楽しむ聴き方も否定はしませんが、
弛緩した音楽は私には必要ありません。
つきつめれば、そうしたダルい音楽は
私を通り過ぎるだけの音楽に過ぎません。
真の音楽とはこうしたものです。

〈I’ve Been Waiting For You〉から〈Heroes〉、
そして〈Heathen〉と続いていくあたりで、もう鳥肌ものである、
と私は記事本文に書きましたが、実は最初からずっと鳥肌ものです。
ちょっとしたギターのフック、サウンド、身体のアクション
それぞれの演奏者たちの佇まい、MCに続くイントロ、
シンセ音との重層、すべてがブリティッシュ・ロックであり、
そしてそれが私にとっての真のロックなのです。
このライヴのすごさがわからない人は、
ボウイを聴く必要はないと私は思います。

《四月の魚》は、ガラガラの映画館で観た記憶があります。
大林宣彦の評価がどうなのか、私は知らないのですが、
少し時間が経ってみないとわからない作品というのも
あるのではないかと思います。

YMOは全アルバムを持っていますが、
《Solid State Survivor》はインストゥルメンタルでありながら
一種の歌謡曲のようでもあり画期的で図抜けています。
通俗過ぎるかもしれない、と思うほどです。
でも細かい音の重ねかたは尋常ではありません。
高橋幸宏は、ボウイとは対極の音楽性なのかもしれませんが、
でも弛緩はしていません。
軽さとダルさは違うと思うのです。

あぁ、コンテンツですか。イヴェント屋ですね。
今は経済的に勝者であれば何でも言いたい放題なのでしょう。
新宿伊勢丹の向かいのマルイ新宿店の1Fは、現在、
アップルの広いショールームになっています。
その白く明るい外見に私は
《ブレードランナー》のタイレル社の幻影を感じます。
by lequiche (2018-09-18 01:36) 

lequiche

>> 向日葵様

上記記事末尾にリンクしてありますので、
お時間のあるときにでもご覧になってください。(^^)
by lequiche (2018-09-18 01:37) 

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