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intoxicateを読む [音楽]

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タワーレコードに『intoxicate』という宣伝誌があるんです。宣伝誌とか言っちゃいけないのか。じゃ、フリーマガジン。でもそういうのがあることを最近まで知らなかったというのは一生の不覚! ってほどのものでもないんですが、これ、すごいんです。何といっても無料です。無料なのにものすごく内容が濃い。無料でこんなものを配ってしまってよいものなのか、と心配してしまうくらいです。もっとダメダメな有料の音楽雑誌ってあるようなないような。

CDショップにはもうひとつ大手の店があります。実店舗でもネットショップでも、タワーと並び立つ店、といえばわかると思いますけど、そこの宣伝誌はCDなどを注文すると同梱されてくるので便利なことは便利。
ところが、内容的にはほとんどがJ-popのチケットガイドなんですよね。全然ダメってわけではないですけど、私にとって有用な情報ではないので、ふ~んと目を通しておしまい。
対する『intoxicate』は店舗に行かないと手に入らないという難易度があるんです。難易度って言ってしまうのはいけないんだけど、つまりネットショップで全てを済ませようとするのはよくない、ということを改めて感じたわけ。実はタワーレコードにはそれ以外でも店舗にしかない品物とかあって、つまりネットでは買えないけど店に行くと買えるということがありましたので、うーん、タワーってなかなかやるじゃん、と思うのです。ホントに欲しいモノは苦労して手に入れるもんなの、という教訓です。

で、今回の『intoxicate』136号は表紙がヒキョーです。映画《モリのいる場所》のスチルを使っているんですが、この猫は何? 右下にハメコミ合成のようにいる個性的な猫。すごいなこの写真。この宣伝誌、ちがった、フリーマガジンを手にとらせようとする意欲が見えます。

内容は表紙にも使われているのでもわかるように、まず、樹木希林の近作の映画の話題を手際よく纏めてあってとても好感が持てます。私はほとんど映画を観ないので《東京タワー》という映画ももちろん観ていませんが、キャストを見たらこれすごいじゃん! と今さら言うのって何年遅れてるんだ、と顰蹙をかうこと必至な感想です (正確に言うのなら映画を観ないんじゃなくて、映画館に行くのが億劫なんです)。

他にもDENONからBeyond the Standardというシリーズで出されるアンドレア・バティストーニ/東京フィルでの武満徹の《系図》の語りを、のんがやっていることについての経緯が詳しく書かれていて、購入意欲を誘われます。買うかどいうかというとそれはまた別の問題ですけど。
そうそう。昔、プロコフィエフの《ピーターと狼》をピーターがナレーションしたのがありましたね……関係ないか。
シテ・ド・ラ・ミュジークでブーレーズ・ビエンナーレという記事もとても興味深く読みました。ブーレーズ先生とバレンボイムとの関係性が面白いです。
というか、こういう話題ってそんなにたいしたことではないのかもしれないんだけれど、ネットが普及してきたんだからそういう情報がどんどん入ってくるかというと、かえって入ってきていないような気がするんですよね。情報というのは必要としないと入ってこないもので、そしてネット社会というのはどうしても低きに流れるような気がして、もっといえばネット鎖国なので、それはアナログレコードの時代とデジタルのCDの時代の関係性に似てます。どういうことかというと、アナログで必要とされない作品はCDにならない。どんどん廃盤になって、それはもう無かったのと同じことになる。どうしても欲しくても、ボロボロのジャケットの中古のアナログ盤しかなくてそれが何万円もしたりする。つまり 「売れ線」 でないものは淘汰されるということです。私は 「売れ線」 なものにはほとんど興味がないので、こういうのは困るんです。
その点でこの『intoxicate』を読んでいて少しは溜飲が下がったというか、まだまだ骨のあるヤツはいるもんだ、と思いました。

もちろん宣伝誌ですから、CDとかDVDとかブルーレイなどの紹介が各記事の末尾についていますが、価格が表記されていません。すごく不親切です。つまり、買う人は価格が幾らだろうが買うし、買わない人はたとえ10円でも買わないということを示しているんだ、と私は思いました。だから不親切でいいんです。

内容について詳しいことはここに載っていますのでどうぞ。
http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/19394
というか、興味を持たれたらタワーレコードに行きましょう。これだけ宣伝したらタワレコから何かくれないかな? ダメか。
で、私がホントに興味を持った情報もあったんですが、それは今後のブログネタに使うので秘密です。そういう意味でもとっても便利なフリーマガジンです。


モリのいる場所・トレーラー
http://mori-movie.com

日々是好日・トレーラー
http://www.nichinichimovie.jp

David Bowie/Peter and the Wolf
https://www.youtube.com/watch?v=kpoizq-jjxs
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末尾ルコ(アルベール)

確かにタワーレコードのフリーマガジンは内容が充実しております。(あれが無料で、どうして本屋で売ってるこれが1000円以上するの?)・・・なんていう感じはありますよね。
ただタワーレコード、イオン高知にあったんですが、数年前に撤退しました(とほほ)。
ジャズやクラシックのコーナーもまずまずの品揃えで、見ているだけでも愉しかったのですが、高知ではなかなか買う人はいないだろうなというのもありました。

>ホントに欲しいモノは苦労して手に入れるもんなの、という教訓です。

確かにその通りですね。
足を使って得るものは、スマホやPCの画面だけから得るものとはまったく違います。
例えばA地点まで行かないと得られないものがあるとして、そこまで行くこと自体が「得られる」わけですよね、情報もそうですし、「行った」ことにより心身の変化が必ずあります。
スマホで指先動かしているだけでは絶対に得られません。

>この猫は何?

これは確かに(←「確かに」が多過ぎ 笑)グッと来て、手に取りたくなりますね。
猫ってなんか印象に残りますよね。ボードレールにも「Le Chat」がありますし。
などと書いていたら、『悪の華』を今夜読みたくなりましたし(笑)。
まあ、しょっちゅう読んでおりますけどね。
フランソワ・ヴィヨンなども気合が入ります。
一つ一つが短いのがまたいいのです。
もちろんマラルメの長い詩はたとえようもなく美しいですが。
これらは別にフランス語原文のまま十分理解しているという意味ではありません(笑)。

樹木希林は、もちろんまだ晩年にはなってほしくなかったのですが、結果的に一人の女優としてはこの上ない晩年だったのかなという気もいたします。
『万引き家族』パルムドールでその受賞の瞬間に会場にもいましたし、『モリのいる場所』での山崎努との共演は、「この歳になって、山崎さんと夫婦役になれるとは」とトーク番組で語っておりました。
かつての樹木希林のポジションを考えれば、「山崎努と夫婦役」など想像もつかなかったことでしょうから。
近作では『あん』がよかったです。
河瀨直美作品はもう一つ好きにはなれないのですが、『あん』はいい意味での通俗性があり、永瀬正敏に高倉健的な味わいを感じ、とても心地よく鑑賞しました。

>映画館に行くのが億劫なんです

これはよく分かります。TOHOシネマズ高知のサービスがお粗末で(笑)、そもそも上映作品がアニメやお涙頂戴邦画がほとんど。
わたしも映画ファンを自認していながら、このところは家庭での鑑賞が中心です。
映画館が格別なのは当然理解しておりますが。

>アナログで必要とされない作品はCDにならない。

で、つまるところあらゆる局面でこうした状況が出ておりますよね。「必要とされない」から「無いと同様になる」・・・特に日本ではそうですね。
高知では洋画・邦画問わず、大人の鑑賞に堪える映画が必要とされてないから、TOHOシネマズ高知では上映されないとか、甚だしいのは、

「多くの人に必要とされてないのは、それだけの価値がないからだ」的な考えも幅を効かせていることです。

加藤和彦などについてのご説明、ありがとうございました。
特にケイト・ブッシュのお話でには興奮(笑)いたしました。またしょっちゅう聴きいております。
宇多田ヒカルへの影響・・・凄く興味深いです。その点を意識して聴けば、わたしにとっての宇多田ヒカル理解も今後進歩(笑)していけそうな気がしております。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-10-20 14:04) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ご存知でしたか。さすがです。
入手できにくい場合、108円で通販もしているようです。

以前のタワーの渋谷店や新宿店は
ずっといつまでもいたいような雰囲気がありました。
それは居心地のよい書店と同じで、限られた理想空間なのです。
最近はその雰囲気が弱くなってしまったのが残念ですが、
でもやはり実物を手に取るということは重要です。

《モリのいる場所》の予告編でも、
一瞬、猫が出てきて鳴く場面がありますが、
強い印象を残しますね。猫の存在感って不思議です。
アンダーソンの猫の頃から神性を持っているのかもしれません。
ボードレールもそうした特性にからめとられたのでしょう。

樹木希林は急激に大女優の範疇になってしまいましたが、
ご本人はきっと 「私なんか何でもないのよ」
みたいなことをおっしゃるのではないかと思います。
やや騒ぎ過ぎのような時期が収まった頃に
過去の作品を観てみたいと思っています。

家庭のTVで観るより映画館の大画面で観るほうが
よいことはわかってるのですが、
最近は映画館に限らず、音楽、演劇など、なんでもそうですが
劇場に行くというのを躊躇ってしまいます。
それは、敢えて言ってしまうと客層がちょっと……
ということです。
もちろんそうでない、雰囲気の良い会場もあるのですが、
それは滅多になくなってしまったような気がするのです。

>> 多くの人に必要とされてないのは、それだけの価値がないからだ

まさにそれですね。
売れない映画は映画じゃない、売れない本は本じゃない、
つまり経済的観念だけが正義なのです。
かつてショスタコーヴィチが苦しんだのも
社会主義的リアリズムなどという理不尽な縛りでした。
でもこの国の最近の文化の程度も似たようなものです。
自分の理解能力で咀嚼できないものは悪であるとする傲慢は
昔から存在していて、変わらず存在し続けます。

加藤和彦は〈帰ってきたヨッパライ〉という曲が
あまりにセンセーショナルであったために、
それをずっと引き摺ってきた面があるように思います。
というか 「引き摺らさせられてしまってきた」
と受け身で言ったほうがよいのでしょうか。
あれって単なるテープの早回しというアイデアに過ぎないのに、
でもビートルズもテープの逆回転をやっていましたし、
そういう陳腐なテクニックを、単純に面白がるというのが
普遍的なセンスとしてあるのかもしれません。
by lequiche (2018-10-21 02:27) 

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