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ローヴァーBRMのこと [雑記]

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『CAR GRAPHIC』(以下CGと略) 2018年12月号をパラパラと見ていたら、Sportscar Profile Seriesという連載にガスタービンカーのことが解説されているのに目がとまった。レシプロと異なる原理によるガスタービンは、CGに拠れば第二次大戦末期のメッサーシュミットなどで試みられたとのことだが、戦後それは当然のこととして自動車にも応用される成り行きになった。そうした試行錯誤のなかでのローヴァーBRMに関しての紹介記事なのである。

CGは誌名の通りのグラフィック誌であるので、私は一種の美術誌としてとらえていたりするのであるが、それは極端というか一種の韜晦なのだとしても、普通の自動車に関する雑誌とはやや異なるスタンスをとっていてそれがずっと変わらないのは事実である。
ローヴァーはいわゆるオースチン・ローヴァーを端緒とするイギリスの自動車会社であったが、最終的にドイツのBMWの傘下となり、そして消滅した。だが 「ミニ」 はBMWエンジンではあるがいまだに生産されている。といってもすでにミニでない 「ミニ」 になってしまっているが。

ローヴァーはガスタービンを開発し実用化しようとしたが、その過程でル・マンに出場するという話が持ち上がった。しかしローヴァーはレース用の車をセッティングするノウハウを持っていなかったために、その相棒として選んだのがBRMであった。BRM (British Racing Motors) はその当時のF1におけるコンストラクターズであり、ロータスと並んで最も優秀なチームである。
だが1963年にル・マンに初めて出場したときは、急遽その出場が決まったため時間がなく、そしてBRMもF1にかまけていてそれだけの力を持ち合わせておらず、外見上は2シーターのル・マン風なデザインであったが中身はF1の流用に過ぎなかったとのことである。架装されたボディも、いかにも速そうな当時のレーシングカーのラインの延長線上でしかなく、しかも結局この1963年車は特殊なエンジンであるのでレギュレーションに適応せず、特別参加ということになった。ゼッケンは00である。この1963年のル・マンの際の写真はほとんど存在せず、CGでも入手できなかったとのことである。
ドライヴァーはグレアム・ヒルとリッチー・ギンサーであり、リタイアすることもなく走り切り、総合7位となる順位であったが特別参加のため、ランキングからは除外されている。

さて、燃料の問題などをクリアしようとして、同時にレギュレーションも変わったため、翌1964年に参加するためのチューンが行われたのだが、レースカーを運搬している途中で壊してしまい再生することができず不出場となった。そして1965年にやっと正式に出場することとなり、一般的にローヴァーBRMとして知られているのはこのときの車である。ドライヴィングしたのはグレアム・ヒルと、新鋭ジャッキー・スチュワートであった。ゼッケンは31である。
この1965年車はトラブルにもめげずなんとか完走し、総合10位を獲得する。しかしその後、ローヴァーはレースに対する取り組みを辞めたため、ローヴァーBRMもそれが最後の運命となった。

1965年車は、1963年車があまりにデザインされていないという社内の批判に応え、デザインされたものとなったが、前面にヘッドライトが埋め込まれているのが特徴的で、CGでは美しいデザインと表現されているが、ややトリッキーな、昔日の感覚で設計された近未来車とでもいうようなデザインであった。そのため強く印象に残るである。
CG1965年8月号のキャプションには 「ゴーッという吸入音とバサバサという風切り音しか出さずいつのまにかしのび寄るローヴァーBRMタービン」 とあるが、YouTubeなどの動画では、非常に異質な音色のエンジン音であり、それはどうなの? という疑問が残る。

この年のル・マンはフェラーリ250LMが勝ったが、上記号のCGには250LMという表記と275LMという表記が混在している。これはフェラーリの表記法からすれば排気量的には275とするほうが正しいからである。しかしトップも2位もプライヴェートであり、ワークスの275P2と330P2は全滅した。
結果として250LMは32台しか生産されず、プロトタイプカーとして終わってしまったが、ローヴァーBRMほど極端ではないが、プロトタイプとしての未完成だけれどそれゆえに新鮮な魅力が存在する。この2台の稀少な車に往事の、まだ自動車に未来があった頃の見果てぬ夢を感じるのである。

インドア・カー・クラブという飯田裕子のコラムはブガッティ・トラストというミュージアムのことがリポートされていて興味を引く。そこはH・G・コンウェイのコレクションを集めたミュージアムなのだそうで、さすがイギリスと思ってしまうマニアックさである。エットーレ・ブガッティは息子であるジャンに将来を託そうとしたが、ジャンは30歳で事故死した。そしてブガッティはエットーレの逝去によって衰退してゆく。ジャンがタイプ41のロワイヤルを設計したのは23歳のときであった。そのはかなさはディーノの愛称で知られるアルフレード・フェラーリに通じる悲哀がある。

ジョージ・ハリスンのwikiにはデイモン・ヒルとの親交に関する記述がある。

 少年時代からモータースポーツのファンで、70年以後観戦にも熱中した。
 79年のインタヴューでも車好きを明らかにした。ニキ・ラウダらのレー
 サーとの親交を深め、自身もレースにドライヴァーとして参戦した。彼
 は79年にF1ドライヴァーのジャッキー・スチュアートらに捧げた曲
 「Faster」をアルバム内で発表した。「Faster」の印税は、29歳で癌で
 亡くなったF1ドライヴァーの癌基金に寄付された。顔がジョージとそっ
 くりと言われるレーサーのデイモン・ヒルと親交があり、参戦資金が不
 足していたヒルがジョージに支援依頼の手紙を郵送。ジョージは資金を
 提供した。数年後、F1チャンピオンになったデイモンは返済を申し出る
 が、ジョージは辞退した。

デイモン・ヒルは金銭的にずっと苦労が絶えなかったようで、彼の実力はそれによって阻害された部分があるように感じる。そしてデイモン・ヒルは、もちろんグレアム・ヒルの息子である。あれほどの有名ドライヴァーだったのにもかかわらず、グレアムからデイモンに遺されたものはほとんどなかったのだという。

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CG 2018年12月号 (カーグラフィック)
CG 2018年 12月号[雑誌]




Rover BRM
https://www.youtube.com/watch?v=90DQl6kf_48

https://www.youtube.com/watch?v=o2Il3sQLwUY
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末尾ルコ(アルベール)

おおっ!わたし、車音痴ですよ(笑)。
子どもの頃から車関係にはほとんど興味なく、プラモデルも一切作ったこともなく、クラスメートが生涯買いもしない高級スーパーカーの話題で盛り上がっている時も知らぬ顔の半兵衛で通しておりました。
ただ、たまたま現在、フォードの大量生産システムについての文章を、20世紀の歴史に関する書籍で読んだところでして、さらにそこから軍需産業の生産システムへと繋がっていく過程も読みまして、いつになく車産業に対する興味が起こっている状態ではありました。
とは言え、いまだに車の中を見渡して、(あれ、このレバーは何に使うものだっけ??)という、車に関しては極めて不穏当な知識を誇っておりまして、こりゃあ今からでも遅くない、どうにかしなければなりませんね。
9月には免許更新の違反者講習へも参加したことですし。

>一種の美術誌としてとらえていたりする

なるほどです。「諧謔」とおっしゃっておりますが、それは「ものの見方」に関しての一つの有効な方法論でもありますね。
いかに車音痴のわたしでも、造形の美しさについて関心することはしばしばで、ただその関心が人間の肉体美などへの関心ほど強まらないという習性があるのです。
でもわたし自身も含めて極めて多くの人間の日常に関わっているのが自動車というものですから、もっと積極的な関心を持つべきですよね。

と、今この瞬間に決意したとは言い条、F1などに対する知識もほとんどなく、今回のお記事の内容はわたしにとって新しいことばかり。
そう言えば、『ラッシュ プライドと友情』というジェームス・ハントとニキ・ラウダを描いた映画は、興行的には芳しくなかったようですが、なかなかおもしろかったです。
もちろんハントもラウダもこの映画で初めて知りました(笑)。

> 「産業ロックはダメ」 みたいな一面的な視点ではとらえきれない時代

これはもう、渋谷陽一自身が最近は売れ線のポップやDJを褒めまくりであることからも証明されております(笑)。
もちろん前衛的なバンドもかけておりますが、(これ、渋谷がかけるの?)と思いたくなるようなガールズポップとかかけて、「再生回数が~億回なんですよ」とか「天文学的な売り上げを」とか、以前だったらあまり評価対象としてなかったことまで声高に語っておりますから。
それを言うなら、「ほのぼの動物動画」などもけっこうな再生回数を稼いでいるというのに(笑)。

> 産業としての音楽業界の方法論です

音楽にしても、映画にしても、産業だからこその不純性はどうしてもありますが、不純だからこそおもしろいものができるというのもありますよね。
友人のフランス人フェノン(仮名)はその点、「ハリウッドはビジネスだから」とつい口に出るのですが、わたしも過度な商業主義は悪だと思いますが、ある程度のビジネス性がなければ、おもしろいものが生まれる確率も減るわけで、しかしこうしたニュアンスをフランス語で友人に伝えるのが難しくて苦労する時間もあります。                         RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-11-29 10:53) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

フォードから軍需産業の生産システム、
そういう過程を知ることは重要ですね。
なぜそこでそういうことが行われていたのかわからない場合、
往々にして軍需産業というような
意外だけれど言われてみれば納得できるという要因が
とても多いです。

私は車については詳しくないですし、
今回の記事は自分へのメモ的な部分もあります。
コンウェイのブガッティについてもっと書きたかったのですが
時間がなくて尻切れトンボでした。
スーパーカー・ブームというのもよく知らないのですが、
たとえば物のかたちが極端であることは目を引きますし、
それがその時代のトレンドにあっていると
急に大ブームになるということなのだと思います。
ブームがなぜ起こるのか、そのきっかけというのは、
後から考えたほうがよく分かると言うこともありますし。

私が好きなデザインはスーパーカーの時代よりも以前の、
戦前から戦後の60年代頃までの、
一種の試行錯誤がまだ普通だった時代の車が好きです。
それが美術的な鑑賞にも適しているように思います。
昔は流線形という名のトリッキーなデザインも多くて、
それは今の空力から考えると奇妙なのですが、
その奇妙さのなかにかえって夢を感じるのです。

《ラッシュ/プライドと友情》という映画は知りませんでした。
これは最近の映画なんですね。面白そうです。
光一君が吹き替え! なるほど、彼らしいです。(^^)
そして軍需産業に関連するフォードというメーカーと、
それからレースということから連想するのは
スティーヴ・マックイーンです。

渋谷陽一のことは実際に放送を聞いていないので
なんともいえませんが、やはり価値観というものは変わりますし、
そして歴史観も同様に変わっていくのだと思います。
今、ブレイクしているクイーンの映画について
彼がどのような講評をするのか知りたいですね。

ハリウッドの映画の製作方法論と、
それが時代や世界に与えてきた影響について、
その功罪は当然あるわけですし、
そしてちょっとそこから外れる内容なのですけれど
ハリウッドの実体がどのようなものであったのか
今、それに関する本を読んでいるところなのですが、
それはまた改めて書きたいと思います。
by lequiche (2018-12-01 00:41) 

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