SSブログ

高瀬アキ&アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ《So long, Eric!》 [音楽]

takase&schlippenbach_181216.jpg

アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハは先月、来日ライヴがあったのにもかかわらず行くことができなかった。しかもアルトはエヴァン・パーカーだったのに、かえすがえすも残念である。
このCDは《So long, Eric!》というタイトルで開かれたエリック・ドルフィー・トリビュート・コンサートの記録である。録音日は2014年6月19日と20日、ベルリンにおけるライヴ、発売元はスイスのIntakt Recordsである。アルバムは高瀬アキとシュリッペンバッハの連名になっていて、メンバーとしてはベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラのようなのだがその記載はない。選抜メンバーという意味なのだろうか。ピアノが高瀬とシュリッペンバッハであり、全部で12名のグループである。
高瀬は主にドイツで活動しているため日本ではあまり知られていないが、アヴァンギャルドなアプローチでずっと弾き続けているピアニストである。

ドルフィーの《Musical Prophet: The Expanded 1963 New York Studio Sessions》というアルバムが今月発売されたばかりだが、内容はFM盤の《Conversations》とDuglas盤《Iron Man》(その後Fresh Sound盤などで再発) という2枚のアルバムとして発売されていた内容に未発表音源をプラスしたものであり、Resonance盤の販促文によれば《Out to Lunch》に先立つ録音とのことである。
CDジャケットに描かれている幾つもの針のある時計のイラストは《Out to Lunch》のジャケットデザインを示しているし、添付されているパンフレットを開いた2ページ目には、今回の《Musical Prophet》のジャケットと同じドルフィーの照影が掲載されている。

内容が結構すごい。演奏されている曲はもちろん全てドルフィー作曲のものを高瀬とシュリッペンバッハが編曲。最初の曲こそ、ややモタッているが、だんだんと調子が出てくるとドルフィーを彷彿とさせるリード群が入れ替わりで吹きまくる。ドルフィーそっくりというわけにはいかないけれど、かなりそのテイストのあるそれぞれのソロが聴ける。

tr3からtr6までは連続して演奏されるが、tr6の〈Miss Ann〉は鋭角的なピアノソロから始まり、そしてスウィングするバンドサウンドに受け渡される。このスリリングな展開と、そしてほとんどドルフィーライクな各々のソロに笑ってしまう (笑ってはいけないのか)。
ソロが終わってトゥッティになり、入り組んだドルフィーのテーマを聴いていると、ややジャンルは違うけれど穐吉敏子のオーケストラを思い出してしまう。

アルバム最後の収録曲は〈Out to Lunch〉だが、この曲の最後にのみ観客の拍手がない。曲の終わりはプッツリと切られていて、わざとそのようにした編集にドルフィーへのオマージュと、そして悲しみが存在する。


Aki Takase and Alexander von Schlippenbach/
So long, Eric! (Intakt)
So Long, Eric! a Homage to Eri




Eric Dolphy/Musical Prophet (Resonance)
エリック・ドルフィー / ミュージカル・プロフェット : ジ・エクスパンデッド・1963 ニューヨーク・スタジオ・セッションズ [CD] [Import] [日本語帯・解説付]




Aki Takase and Alexander von Schlippenbach/Miss Ann
https://www.youtube.com/watch?v=MkpDW647vkw

Aki Takase and David Murray 2016.04.30
https://www.youtube.com/watch?v=flTuINIuhuw
nice!(79)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

nice! 79

コメント 2

末尾ルコ(アルベール)

アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハは80歳のジャズ・ピアニストなのですね。
この方については存じませんでした。
そして高瀬アキは70歳なんですね。
こうしてある程度以上の年齢の人たちがプレイしているのはいろいろな意味で嬉しくなります。
リンクしてくださっている動画、視聴させていただきました。
Aki Takase and Alexander von Schlippenbach/Miss Annはご機嫌な演奏ですね。
「鋭角的」という言葉をお使いになっておりますが、わたしのジャズに対してこなれてない耳にも、尖鋭性とノリのいいスウィングが見事に絡まって展開していて、体が動きそうになりました。
「ノリ」という言葉をお好きかどうか分かりませんが、特にライブでは同じ曲を同じバンドがプレイしたとしても、決して同じノリにならないですよね。
これは観客やミュージシャンの心身状態、そしてステージ条件や時代の雰囲気などなど、ありとあらゆる要素が絡み合って生まれるものではと思いまして、まさしく「現場にいた者は凄い時間と空間の参加者」となるわけですよね。
これは観客が身体を動かしてOKなライブならではの時間ではないかと思います。

先月にアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハのライブがあったということですね。
首都圏の凄さは芸術鑑賞の選択肢の圧倒的広さ、あるいは深さにもあります。
これは実に大きなポイントで、鑑賞のために飛行機代、宿泊費などが必要になる地方在住者にとってはいつも羨ましい限り。
地方には地方の良さがあるのは確かなのですが、やみくもに地方移住を勧めるようなことは、文化芸術という側面から見れば、あまり感心できないと常日頃感じております。

>ある程度の 「賭け」 は存在します。

人生、毎日「賭け」の連続ですよね。
読書を含め芸術鑑賞ももちろんそうで、そのために遣った時間は返ってきませんから、できるだけ最善の選択をするように心掛けてはいますが、(ああ~~、しまったなあ~~)というのが完全に無くなるのは難しいです。
まあしかし、世の中、日がな一日スマホでゲームとか緩い動画とかで過ごしている人たちが大半になってますから。
カフェで中年の男性が難しい顔でタブレットに向かっているので、(なにしてるのかなあ~)とちらっと見たら、カワイイキャラクターだらけのゲームでした(笑)。

>そうした言動の不快さの記憶は長く尾を引きます。

>言った人は同じ人です。

これはもう、絶対に忘れませんよね。
人間というものは他人に対して心の中ではいろんな思いを抱くものですが、それを「口に出す」とか、ましてや「当人に直接言う」とか、人間としての感覚がズレ切ってます。
わたしの周囲にもそういう手合いはおりますが、だいたい共通しているのは、「周囲に注意する人間がいない」環境で生きてきているという点ですね。
いずれにしても、「社会の迷惑」そのものです。

>たとえばテクニックのあるものが必ずしも良いか

そうなんですよね。
今、立花隆が『地獄の黙示録』について書いた本を読んでいるのですが、この映画が上手に仕上がってない、だから凄い作品になっていると。
そしてドストエフスキーを引き合いに出して、完成度は『罪と罰』などが上だけれど、不細工な出来になっているからこそ『カラマーゾフの兄弟』が一番凄いという旨語っておりました。
この点は納得できましたです。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-12-16 17:32) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

シュリッペンバッハは大変長い経歴を持つピアニストで
いわゆるフリー・ジャズ系の人ですが、
ジャンルの特殊性ゆえに日本での知名度は低いですけれど
重鎮です。
高瀬アキはシュリッペンバッハの奥様ですが、
ヨーロッパのフリーシーンにおいてはよく知られている存在です。
でも日本ではシュリッペンバッハ同様、知名度が低いので、
CDも入手しにくいような状態です。
そのお顔が毅然としていて強い意志を感じてしまうのは
穐吉敏子と同様です。
世間一般に知名度が低くても別に構わないのです。
私が知ってさえいればよいのですから。

ドルフィー自身の〈Miss Ann〉の録音には
幾つかのヴァージョンがありますが、
この演奏もそうしたドルフィーの過去の演奏を踏まえたうえで
オリジナルな解釈が加味されているように感じます。
ピアノの導入部から突然、急速にスウィングするのがいいですね。
こういうのを聴くとドルフィーのルーツはやはりビ・バップだった
という思いを強くします。

確かにライヴなどのステージに接するには
東京は便利なのかもしれません。
でも、少しマイナーになってしまうと情報は少なく、
こうしたライヴも見逃してしまいます。
もっとも今回のは知っていましたが時間がありませんでした。
全国ツアーができるほどの 「大物」 であれば
鑑賞は多少しやすいのかもしれませんが、
そうでない場合はどうしても東京、大阪に限られてしまいますので
そういう面では恵まれていますが、でもお金とヒマがないと
満喫することなどとてもできません。
毎週のようにコンサートに行かれているかたがいらっしゃいますが、
それは不可能なのでどうしても再生音楽に頼ってしまいます。

選択をすることはある程度は 「賭け」 ですけれど、
でも宝くじのような賭けではないので、
今までの経験値によってある程度のコントロールはできます。
失敗はありますけれど、失敗を失敗とこうしたブログに書いたら
それは失敗なので (笑)、そ知らぬ顔で捨てるしかないのです。

ゲームですか。
ゲームもそれに深入りするかたはいらっしゃいますし、
それなりの方法論やカタルシスもあるようですが、
私はそれに費やすだけの時間がないのでパスしています。
自分なりの取捨選択は必要ですね。

他人に対して無配慮な言葉を発するということは
実は本音が出てしまったということに他ならないので、
政治家先生にはよくありますけれど、
失言というのはそのほとんどが本音を言ったのに過ぎません。
差別用語なども同様です。
差別の意識があるからそうした言葉が出るのです。
周囲がそのままにしておくとますます増長するのも事実ですが
悲しいことに 「増長したもん勝ち」 なのです。

《地獄の黙示録》はほとんど内容を忘れてしまいましたが、
一番印象的で覚えているのは冒頭のブラインドに手を突っ込んで
外を見るというシーンで、カーテンでなくブラインドなんです。
そこに私は複数のメタファーを感じます。
カラマーゾフは不細工な出来なんですか!
面白い見方ですがそういう解釈もあるんでしょうね。
カラマーゾフが最高傑作ということについては同感です。
by lequiche (2018-12-18 01:39) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。