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オーネット・コールマン《At the Golden Circle vol.1》を聴く [音楽]

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オーネット・コールマン (Ornette Coleman, 1930-2015) の重要なライヴ・レコーディングはおそらく、タウンホール、クロイドン、そしてゴールデン・サークルだろう。これらは1962年から65年にかけてのライヴであり、彼の音楽的経歴のごく初期に属するが、彼の演奏の出発点にして転換点になったコンサートであったように思われる。

1962年12月21日、ニューヨークのタウンホールにおけるコンサートは《Town Hall, 1962》というアルバムとして残されているが、リリースされたのは1965年になってからであった。
当時のジャズ・シーンはオーネットのような斬新なアプローチに対して否定的であり、それから3年間、彼は表面的な音楽活動から遠ざかる。
1965年、映画のサウンドトラックを作る話が持ち上がり、6月15日から17日にかけて《Chappaqua Suite》としてレコーディングされたが、結果として彼の音楽は没になった。
今聴くと、タウンホールはアヴァンギャルドであるとはとても思えないし、比較的ストレートなジャズのように思えるが、そのメロディラインにはすでにオーネットの特質があらわれている。しかし、特に最後の〈The Ark〉のような長大で緩く持続するテンションの流れを聴き続けることが、当時のリスナーには難解で耐え難かったのかもしれない。
そして3年後に復活するための足掛かりとしてレコーディングしたチャパカも、再び拒否されるようなかたちとなってしまった。

しかしオーネットはあきらめない。そして、どちらかというと保守的でアヴァンギャルド性を嫌うアメリカでなく、ヨーロッパで演奏することを考えた。1965年8月29日、ロンドンのクロイドンで行われた通称クロイドン・コンサートがそれである (Fairfield Halls, Croydon, London)。その日の記録は現在《An Evening with Ornette Coleman》というタイトルでリリースされている。オーネットはそれまでの自身の楽器であるアルトサックスだけでなく、トランペットやヴァイオリンも演奏し、また現代音楽的な作曲作品の提示もあり、それは見た目のアヴァンギャルドらしさをより強く見せる効果があった。

そしてタウンホールからほぼ3年後の1965年12月3日~4日、ストックホルムのゴールデン・サークル (Gyllene Cirkeln) で行われたライヴがブルーノート盤の《At the Golden Circle》である。これらの3つのコンサートのうち、タウンホールとクロイドン、ゴールデン・サークルとの間には3年の経過があるが、核となるトリオのメンバーは同じである (David Izenzon /bass, Charles Moffett /drums)。
そしてクロイドンに較べるとやや余裕があるように感じられるのは、やはりクロイドンの後であるからかもしれないが、それだけでなく、演奏されるチューンもアヴァンギャルドではあるのだが、その音の連なりはスパルタンであり、ストレートアヘッドなジャズを連想させるような構築性を持っている。
逆にいうと、オーネットの演奏に時として現れるアプローチというか、一種のユーモアのような感触が一番感じられないのがこのゴールデン・サークルであると思う。

イントロダクションのアナウンスメントの背景に聞こえる会場のざわめきと拍手の数からすると、決して広い場所ではなく、それはビル・エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガードのライヴに似て、ごく限られた聴衆のなかで行われた演奏こそがこうして歴史の中に残るのかもしれないという気持ちを抱かせる。ジャズは、クラシックの巨大なオーケストラやロックのスタジアムでのコンサートとは対極の場所でこそ、その真の姿を見せるような気がする。それはちょっとした皮肉だ。
オーネットの特徴的な演奏はtr3の〈European Echoes〉のような曲調だと思うのだが、まさにスパルタンな印象を持つ最初の曲、tr2の〈Faces and Places〉がこのアルバムの白眉である。セッショングラフィによれば、この曲は12月3日と4日で合計4回のテイクがある。3日が1回、4日が3回であり、マスターテイクとなったのは4回目の1968 tk.29である。現在聴いているCDは2001年にリマスターされたThe Rudy Van Gelder Editionであるが、以前のCD (といってもあやふやな記憶でしかないのだが) よりプレゼンスが勝っているような気がする。L-chのドラムのシンバルが、叩いている音とは別にワンワンと共鳴しているのが妙に耳障りなのだが、つまりこれがライヴだと考えると納得できる。
このリマスター盤には同曲のalt takeも収録されているが、それがどのテイクなのかは明記されていない。だが、マスタートラックとなっているこの冒頭曲の出来はalt takeより格段にすぐれているので、これを最初の曲にしたのは当然なのである。
曲が終わった後の拍手がよい。「おお、やるじゃん!」 という好意的なあたたかい拍手に聞こえる。

tr5の〈Dawn〉のデヴィッド・アイゼンソンによるアルコ・ソロも秀逸だ。現代的で全く古びていない。最後のほうのフレーズをオーネットのアルトが引き取ってソロを続けるのも洒落ている。そして最後に追加されたボーナス・トラックtr8の〈Doughnuts〉はメチャメチャ普通にスウィングしている。
そしてこうしたオーネットの演奏やエリック・ドルフィーの、当初は奇矯と呼ばれていたスウィング感の中に見え隠れするのはバードの影である。


Ornette Coleman/At the Golden Circle, volume one (blue note)
ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン Vol.1+3




Ornette Coleman/Faces and Places
https://www.youtube.com/watch?v=89CoJCdGmfY
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末尾ルコ(アルベール)

このお写真、カッコいいですね。
ジャズプレイヤーって、人にもよりますけれど(笑)、ロックはもちろん、クラシックの人たちとはまったく異なる佇まいの、「ジャズ」としか表現しようのない雰囲気を持った人たちが多い気がします。

オーネット・コールマンはよく聴きますが、細かなバイオグラフィについてはほとんど知りませんので、今回のお記事もとても興味深く拝読させていただいております。
まずオーネット・コールマンにして活動初期は否定的に見られていたというのも驚きです。
まあ芸術界とは歴史的にそのようなものだと言うこともできますが、ジャズの世界でコールマンと言えば、不動の巨人というイメージですから。
などと書きながら、日本語wikiをチェックしてみましたが、相変わらずお粗末ですね。
リリースされた作品を羅列しているだけに等しいです。
と思ってフランス語版も見てみると、日本語版と大きく変わりません。
ちょっとがっかりしました。

Ornette Coleman Trio at the Golden Circle - Faces and Places、視聴させていただきました。
カッコいいですね。
クリアな演奏がビンビン感覚に響いてきます。
すごく大雑把なこと書いてますが(笑)。
このベースのブンブン言う感じは大好きです。
派手な演奏のようでいて、とても繊細なのもジャズならではなのだと感じます。

>対極の場所でこそ、その真の姿を

そう言えばそうですね。
ジャズはその最高度のプレイヤーであっても、小さな箱が似つかわしいですね。
だからビッグビジネスとは程遠い。
ジャズの背負った宿命とも言えますし、だからこそ信頼できる音楽であり続けているということも言えます。

・・・

アルベニスとグラナドスですね。
今後意識して聴いてみるようにします。
スペイン音楽ならではの独特の雰囲気を無性に欲する気分になることがあります。
これまた大雑把な言い方なのですが(笑)、常に「水際」感があると言いますか、キリスト教とイスラム教の、そして欧州とアジアの、海の向こうにアフリカ大陸が存在するという精神的影響は大きいのかなと、まあこれは音楽素人の戯言ではありますが(笑)。


>少女マンガの文脈がわからない人にはアンは無理です。

なるほどです。実に興味深いです。
やはり少女漫画と少年漫画の文脈はかけ離れているのですね。
わたしはある時代からの特に『少年ジャンプ』的メンタリティには辟易した時代がありました。  RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-01-19 10:47) 

Boss365

こんにちは。
オーネット・コールマンのアルバムを持っていますが、
難解でその後、お蔵入りした感じです。
当時、この音楽を聴く場面?聴く心境の時が無かったような気がします。
ドラムのシンバル?気になりますね。疾走感ありますが!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2019-01-19 15:06) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

写真はレコード・ジャケット撮影時の別カットだと思われます。
フランシス・ウルフが撮ったものですが、
彼はブルーノート・レコードのアルフレッド・ライオンを手伝って
会社経営の傍ら、撮影もしていたようです。
元々はカメラマンです。

fr.wikiのオーネットの項の記述は、量的には少ないですが、
en.wikiとやや違う書き方をしていて面白いですね。
ただ、62~65年頃のオーネット・グループのドラマー、
チャールズ・モフェットはオーネットの高校の時の同窓生
とのことですがそれはenにしか書いてありません。

コルトレーンに較べると
オーネット・コールマンやエリック・ドルフィーは
当時も今も、扱いとしてはコルトレーンより低く見られています。
正当な評価をされるようになったのは晩年になってからです。
なぜそのような違いがあるかという疑問なのですが、
それは今後、ドルフィーの記事の時に書く予定です。

ベーシストのデヴィッド・アイゼンソンは
とてもよい演奏をする人でしたが、47歳で亡くなってしまいました。
オノ・ヨーコのアルバムにも参加しています。
オーネットというと《The Shape of Jazz to Come》という
アルバムが有名で、このベースはチャーリー・ヘイデンですが、
私はヘイデンよりアイゼンソンのほうが好きです。

ジャズという音楽は元来、密室のものだと思っています。
Live Under the Skyとかその手のフェスティヴァルは
お祭りとしてわーっと騒ぐのには良いのでしょうが、
所詮経済効果だけの方策に過ぎません。
そもそもあまりにも大きな会場での
ロック・コンサートというものに対しても私は懐疑的です。
日本のピアニストで、観客が少なければ少ないほど
その本領を発揮するといわれている人がいましたが、
その気持ちが分かるような気がします。

なるほど。ヨーロッパといっても外れですから
そういう精神性はありますね。
たとえばアルベニスのピアノ曲は
その響かせかたのなかにギターを模した音作りがあります。
スペイン音楽で重要なのはギターなのだと思います。
ジブラルタル海峡の外はプラトンの時代から
未知の神秘的な土地という考え方がありましたし。

少年マンガはずっと保守的でしたし、
基本的に戦前の滅私奉公的思想を引き摺ったままでした。
それはスポーツ界がいつまでも昔のシステムを継続して、
つい最近までそれを墨守し維持してきたのと似ています。
少女マンガはそうした男性中心世界へのアンチテーゼであり、
アヴァンギャルドなのですが、
でも依然として揺り戻しがあります。
保守的な人間は王様や女王様がエライと考えますが、
そうしたトランプのようなヒエラルキーは
だんだんと廃れていくように思います。
(このトランプというのはもちろんダブルミーニングです ^^;)
by lequiche (2019-01-21 00:05) 

lequiche

>> Boss365 様

コメントありがとうございます。
そうですか。難解と感じてしまうのは
構造的にそれまでのワンコーラスとか和声とか
そういうセオリーから逸脱しているからでしょうね。
今の時代に聴くとほとんどオーソドクスなジャズに
聞こえてしまうように思うのですが。
シンバルの音はvol.2にも気になる曲があって、
おそらくある特定のシンバルで共鳴が出ているのだと思います。
by lequiche (2019-01-21 00:07) 

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