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忘れていた《忘れられた夏》― 南佳孝を聴く [音楽]

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記憶には思い出そうとしても思い出せない記憶もあり、思い出したくないので思い出せなくなってしまった記憶もある。だが思い出せないということにおいて、それらは等価であり、それがどちらの領域の記憶であったのかは次第に曖昧になる。ある日、何かの手がかりから掘り起こしてみると、それは思い出さないほうがよかった記憶だったりする。

渋谷は坂の街で、むこうに行っても坂、こちらに来ても坂、その最深部に渋谷駅がある。何かをするためには、どこかに行くためには、谷底である駅からのぼって行かなくてはならない。それはある種の暗喩でもある。だが、かつて輝いていた渋谷の街は、今は見知らぬ場所であり、かつて知っていた店のほとんどはきっと存在していなくて、それはまだ何も知らなかった幼い頃に戻ってしまったということに等しい。輝きとはどこから出てきた幻想だったのだろうか。街の灯は単なる電飾の連なりであるのに過ぎず、年末を彩るイルミネーションもリゲルのような蒼白な影に過ぎず、それは遙かに遠い世界のことだ。時は残酷にリニアに流れて行き、立ちどまったり振り返ったりすることはない。時に追いすがっても無駄なのはチャンスの髪と同じだ。世界は寒い。

そうした湖底に沈んでいた記憶、あるいは凍土の下に埋葬されていた記憶のひとつとして南佳孝の音楽がある。初めて聴いたのは《忘れられた夏》(1976) という2ndアルバムで、私はそれを繰り返し聴いていた時期があったのだが、その記憶はこんなときになって急に掘り起こされたものだったのだ。

ジャケット・デザインは井出情児が撮った青い水に浮かぶ南佳孝の写真がさらに水に浮いているというコラージュで、その明るさとは裏腹に、音楽は少しけだるく物憂くて、アンニュイな気配が感じられる。だからそれはまさに 「忘れられた夏」 で、しかしそれを聴いていた季節が夏だったのかどうかは忘れてしまった。たぶん夏ではなかったように思う。
もちろん南佳孝は私の記憶の探索の際の一種の触媒であって、呼び覚まされた記憶は南佳孝の音楽の記憶そのものではない。

南佳孝の曲は悲しみや淋しさが裸で露出することがない。言葉はソフィスティケイトされ、その核は周到に守られている。それゆえにときとして発せられる強い言葉はかえって痛切な意味合いを持つ。

1stアルバム《摩天樓のヒロイン》(1973) は松本隆のプロデュースでありサポート・メンバーの豪華さもあって評価が高い。楽曲は最初から完成されていて大人の雰囲気がある。だがその後の洋楽におけるAORと呼ばれるようなジャンルに属するのかというとそうでもないような気がするし、シティ・ポップという軽薄な表現があったらしいが、あまり口にしたくない言葉だ。
南佳孝の最も知られている作品は〈スローなブギにしてくれ〉や〈モンロー・ウォーク〉だろう。〈モンロー・ウォーク〉は〈セクシー・ユー〉として郷ひろみがカヴァーしたが歌詞がやや異なる。それは〈スタンダード・ナンバー〉を薬師丸ひろ子に提供した際に〈メイン・テーマ〉として歌詞を変えたのと同様である。

だが、2ndアルバムの《忘れられた夏》は佳盤であるのにもかかわらず、やや地味で内省的なため、人気がないのだろうか、現在廃盤で入手することが困難である。全曲が南佳孝作詞・作曲であり、トータルな求心力はあると思うのだが。
私が繰り返し聴いていたのは貰ったアナログ盤で、市販品と変わらないが、レコード・レーベルに見本盤というゴム印が押されているものだ。

YouTubeでは現在、〈ブルーズでも歌って〉〈月夜の晩には〉といった収録曲を聴くことが可能だが、タイトル曲の〈忘れられた夏〉は見つからなかった。ソニー原盤なので仕方がないともいえるが、再発に期待したい。

リンクした最初の曲は3rdアルバム《South of the Border》(1978) に収録されている〈日付変更線〉である。南佳孝の初期作品は松本隆の作詞が多数見られるが、この曲の作詞は松任谷由実である。

 置手紙に気付いたら
 君は多分溜息と
 数分だけ想い出をたぐり
 後は変らず生活に戻る

ちなみにこの時期の松任谷由実のアルバムは《紅雀》(1978) 《流線形’80》(1978) であり、南佳孝の《忘れられた夏》と同様に地味だがすぐれた楽曲が多い。

「恵比寿酒場」 はヱビスビールの提供による動画だと思われるが、南佳孝のギターをメインとした渋いチューンばかりであり、お酒を静かに飲むのに好適な選曲である。


南佳孝/摩天樓のヒロイン (SOLID)
摩天楼のヒロイン+5 45周年記念盤




恵比寿酒場 4
南佳孝/日付変更線、遙かなディスタンス
https://www.youtube.com/watch?v=4Nrs9ZtSRgI

恵比寿酒場 1
Scotch and Rain、スタンダード・ナンバー
https://www.youtube.com/watch?v=AugHi4Fx1sI

南佳孝/ブルーズでも歌って (live)
https://www.youtube.com/watch?v=isMWyofRCLc

南佳孝/月夜の晩には (live)
https://www.youtube.com/watch?v=lKUGU0cNu3Y
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きよたん

文章のプロローグが詩的で惹かれました。
渋谷の街がそんな風に心に定着してるんですね
私にはそれが新宿です。
by きよたん (2019-02-03 11:17) 

末尾ルコ(アルベール)

ブログの文章にしても、その他様々な文章にしても、「書く」という行為と「記憶」の相互作用と言いますか、つくづくおもしろいものだと感じます。
このところずっと、わたしの特に子どもの頃の記憶の曖昧さには唖然とすることしばしばです。
まあそれも記憶のおもしろさだと言えますが。
保育園くらいの時期の記憶だと思っていたことが案外小学3年くらいのものだったりと、記憶の組み代え的な現象も少なからず起こっているようです。
そして顕著なのは、「書く」行為はかなり高い確率で意識下に眠っていた記憶を呼び覚ますことです。
手書きであればもちろん一番いいのですが、こうしてPCを使って書いていても、脳裏に様々な記憶が浮上してきます。
「書く」って、本当に大切です。

音楽の記憶についても、高校くらいの時にヴォーカルの可愛さに惹かれてアルバムを買った英国のバンドがあるのですが、その名がどうしても思い出せません。
いずれ思い出すのでしょうけどね。

南佳孝、

南佳孝/ブルーズでも歌って (live)
南佳孝/月夜の晩には (live)

など、リンクくださっている曲、すべて視聴させていただきました。
いいですね~。南佳孝、こんなによかったんですね~~。

わたしの中の南佳孝のイメージは、「スローなブギにしてくれ」でして、これが1981年ですか。
思いますにその頃のわたしって、「いかにもロック」な音か、「アヴァンギャルド風」の音くらいにしか反応してなかったようです。
今聴けば見事な南佳孝の、成熟した音楽や歌を愉しむだけの、私自身の精神的成熟や余裕がまったくなかったわけですね。
当時のわたしは、苛立っておりました(笑)。

南佳孝、歌詞も素晴らしそうですね。
今後の愉しみをまた増やしていただきました。

> シェルブール、ローマの休日、道が私の3大偏愛映画です。

おお!素晴らしい!!
と言いますか(笑)、実はわたし、『ローマの休日』は素晴らしい映画だと思うのですが、ヘプバーンの人気が日本であまりに突出し過ぎていたことに対する反発がややあって、今一つ素直に(笑)鑑賞できてないのです。
そのうちまた観てみよおっと♪

『道』は別格中の別格ですね。
『シェルブールの雨傘』は、日本人の一般層には難しいでしょうね。
しかし女性誌では常に「特別な映画」として取り上げられている印象が。
日本の女性誌にとっては、『男と女』も永遠に「特別な映画」なのだと思いますが、あぬーく・エーメよりはドヌーヴの方が遥かにウケがよさそうです。

リオ、ロベール、ラファエル・ラナデール・・・あまり聴いたことないです。
ぜひ聴いてみたいと思います。

「音楽は80年代が最高」という人も世の中には多くいるようですが、わたしも「ほぼ最低」という方に同意いたします。
米国もよくなかったですね。
もちろん米国はそんな中でも、クオリティの高い音楽は生まれていたでしょうが、やたらと大味なバンドが多かった印象です。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-02-03 14:18) 

lequiche

>> きよたん様

ありがとうございます。
渋谷とその界隈ではいろいろありました。
きよたんさんの新宿の話、是非お聞かせください。
この次、お会いしたときにでも。(^^)
by lequiche (2019-02-04 02:11) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

過去の記憶の時間的な前後関係が
組み替えられてしまうことはありますね。
それよりももっとすごいのは
自分で勝手に妄想して捏造した似非記憶だって
あるかもしれません。
書くことによってそれが定着してきて
そこからさらに派生して記憶が再生することもあります。

書くことに関しては、私の場合、
適当な駄文はそのままタイピングしますが、
少し真面目に書こうとするときは手書きで書きます。
今回の記事は、まず一度手書きで書いてから
それを見ながらタイプして (つまり清書して)、
そのときにさらに細かく加筆修正して完成させる
という過程を経ています。
ダイレクトな入力というのは便利なように見えて
瞬時の発想の転換に対応できません。
ものを書くときは複数の思考が同時に動いていますので、
ひとつのことを書きながら思いついたことを欄外に書いておいて、
それを後から検証してさらに入れ込んだりとか、
そういう操作がタイプ入力では不可能だからです。
重要な文章ほど、手書きの操作性に勝るものはないのです。

今思い返すと、南佳孝は私もよくわかっていませんでした。
イマイチぼんやりしているような印象があって、
何を言っているのかよくわからないというような。
それがわかるようになってきたのは
ある程度、年齢を重ねてからです。
まさに成熟した音楽で、それがわかるには経験値が要ります。
南佳孝は1950年生まれですから
1stの《摩天樓のヒロイン》のとき23歳、
《忘れられた夏》が26歳、すごく老成していますね。(^^;)
老成といったら失礼ですが、そんな齢からこういう歌詞って
もうびっくりです。

〈日付変更線〉の歌詞はユーミンですが、
この最初の部分、すごく残酷な歌詞で、
そういう意味ではユーミンもただものじゃないです。(笑)

私の好きな3本の映画は、
それぞれの監督の意図は皆違うのですが、
どれにも共通して感じられる 「粋」 があるのです。
よい映画は自分の中に擬似記憶のようにして残ります。
それは自分が経験できなかったはずの幻想の記憶なのです。
ヘプバーンはミーハー的な人気がありますが、
それとは別の部分での美学がこの映画には存在しています。
《道》は映像のつくりとしてはもはや古いですが、
映画としての最高傑作です。これは動きません。

リオは、まぁ聴かなくてもいいです。
ロベールは少しマニアックでマイナー過ぎます。
ラナデールは2013年07月19日の記事に書きましたが、
このアルバムのこの曲だけ突出してるんです。
つまり奇跡の1曲です。
PVもいろいろとメタファーがあって素晴らしいです。

L/Jalouse (original PV)
http://www.youtube.com/watch?v=TWcaT9ivAtM

80年代というのがどういう時代だったのか、
私にはよくわかりません。
ただアメリカ映画には、その直前、1979年に
《地獄の黙示録》《1941》という作品があります。
こういうダークな時代だったのか、という印象を持ちます。
《1941》なんて大失敗映画だと思うのですが、
なぜこういう映画が撮られたのか今から遡って考えると
わかるような気がします。
そしてアメリカの音楽はスプリングスティーンです。
ボーン・イン・ザ・U.S.A.でブレイクするまでの彼は
屈折していてシンパシィを持ちます。特に歌詞です。
1980年の〈The River〉は上記映画と同じようにダークです。

Bruce Springsteen/The River
https://www.youtube.com/watch?v=lc6F47Z6PI4

日本はバブルに向けてどんどん盛り上がっていた頃ですから
問題外です。
by lequiche (2019-02-04 02:13) 

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