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流れよ我が涙 ― スティングの歌うダウランド [音楽]

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(R to L) Sting and Edin Karamazov

近くに中古レコードショップが開店して、アナログ盤が主なのだがCDも扱っている。その中にスティングの《Songs from the Labyrinth》というのを見つけた。シンプルなジャケットで、ダウランドの歌曲集。このアルバムを私は知らなかったのだが、かなり有名なアルバムで何度も再発されているらしい。レーベルはドイツ・グラモフォンである。スティングの歌唱とリュート奏者エディン・カラマーゾフの2人で演奏されている作品で、スティングも2曲ほどアーチリュートを弾いている。

ジョン・ダウランド (John Dowland, 1563-1626) はルネッサンス期のイングランドの作曲家である。使用楽器はリュートであり、歌曲とリュート曲がある。スティングの見解では 「シンガーソングライターの走り」 とのこと。スティングがダウランドと巡り合い、それを歌うことになるまでの紆余曲折の話が面白いのだがあまりに長くなるので触れない。
収録曲はダウランドの曲の中に、1曲だけロバート・ジョンソンの作品が入っている。ロバート・ジョンソンといってもダウランドと同時期の作曲家であり、デルタ・ブルースの人ではない。ロバートの父、ジョン・ジョンソンは王室おかかえのリュート奏者であり、彼の死後、当時大変な人気のあったダウランドはその後任を狙ったが諸事情により果たせなかった。つまりダウランドにとっては複雑な感情を持っていた人のはずで、それを知りながら1曲だけ入れたスティングの選曲の妙が光る。ちなみに作詞はベン・ジョンソンという人だがこれもジャマイカ出身のランナーではない。

ダウランドの最も有名な曲は、そのロバート・ジョンソンの〈Have you seen the bright lily grow〉(あなたは見たのか、輝く百合を) の1曲前に収録されている〈Flow my tears〉(流れよ我が涙) である。
「流れよ我が涙」 というタイトルから連想してしまうのはフィリップ・K・ディックの小説《流れよ我が涙、と警官は言った》(Flow My Tears, the Policeman Said, 1974) であるが、この Flow My Tears はもちろんダウランドのこの歌曲を指している。

 Flow my tears, fall from your springs,
 Exil’d for ever: let me mourn
 Where night’s black bird her sad infamy sins,
 There let me live forlorn.

 流れよ、わが涙、お前の源泉から降り注げ、
 永遠に追放された私を嘆かせてくれ、
 そこでは夜の黒鳥がその悲しい不名誉を歌っている、
 その場所で私を孤独に生きさせてくれ。(今谷和徳・訳)

forlorn という言葉はtr14のインストゥルメンタル〈Forlorn Hope Fancy〉(失われた希望のファンシー) のタイトルにも見られるが、この曲における不安な雰囲気のクロマティックな下降はJ・S・バッハの《音楽の捧げ物》(Musikalisches Opfer, BWV1079) における王のテーマを連想させる。だが当然、ダウランドのほうが前である。もっとも、王のテーマの発想の元となったといわれる曲は複数にあり、そうした曲と較べれば似ていないほうだが。

スティングとカラマーゾフがアルバムの最後に持ってきた〈In darkness let me dwell〉(暗闇に私を住まわせて) は収録に際してこの曲を最後にするというのが2人の了解事項だったという。〈In darkness let me dwell〉の歌詞の最初は以下のようである。

 In darkness let me dwell,
 The ground shall Sorrow be;
 The roof Despair to bar
 All cheerful light from me,

 暗闇に私を住まわせて、
 その地が悲しみとなるだろう。
 絶望の屋根がどんな快い光も
 私からふさいでくれる。

この最初の行の In darkness let me dwell は〈Flow my tears〉の最終聯 (第5聯) に同様の表現がある。

 Hark, you shadows, that in darkness dwell,
 Learn to contemn light,
 Happy, happy they that in hell
 Feel not the world’s despite.

 聞け、暗闇に住んでいる影たちよ、
 光を軽蔑することを覚えるのだ、
 仕合わせだ、地獄にいて
 この世の軽蔑を感じない者たちは。

harkは主に命令文にして使われる 「聞く」 の文語で、contemnという言葉 (軽蔑の文語) と併せて古風な心象風景を作り出す。この断定的な強い表現は〈In darkness let me dwell〉でも同様に出現し曲を締めくくる。最後の4行は次のようである。

 Thus wedded to may woes
 And bedded to my tomb,
 O let me living die,
 Till death do come.

 このように私の悲哀と結婚し、
 私の墓に身を横たえ、
 自分を生きたまま死なせてほしい。
 本当の死がやってくるまで。

woeは悲哀の文語、陰々滅々とした歌詞だが 「O let me living die,」 と 「Till death do come.」 は2回、3回と繰り返しパッショネイトに歌われる。その熱情はしかし冷たく醒めていて、リフレインされる In darkness let me dwell という言葉がシンプルな絶望をさし示すのだ。

エディン・カラマーゾフのリュートの響きはしっとりとしていて心に沁みる。使用されているリュートは8弦、10弦、それにアーチリュートの13弦、14弦だがすべて新しい楽器である。ダウランドへの入門として聞いても、スティングの少しマニアックなアルバムとして聞いてもそれぞれに満足できるし、スティングの音楽への真摯さが伝わってくる作品である。


Sting/Songs from the Labyrinth (Deutsche Grammophon)
Songs from the Labyrinth




Sting/Dowland: In darkness let me dwell
https://www.youtube.com/watch?v=EBJkb5wrw-Q

Sting/Dowland: Can she excuse my wrongs
https://www.youtube.com/watch?v=nntri9OfaRY

Sting/Dowland: Flow my tears (Lachrimae)
https://www.youtube.com/watch?v=Tveir-elQHo

Jevtovic Rosquist & David Tayler/Dowland: Flow my tears
https://www.youtube.com/watch?v=u3clX2CJqzs
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末尾ルコ(アルベール)

まったく詳しくはないですが、リュートの音色は大好きです。
誰が何の演奏をしているのかまでは知らずに、特にFMでリュートの音楽が聴こえてくると、つい耳を傾けてしまいます。
響きが何とも素晴らしいですね。
音が空間そのものを引き連れて来てくれる感覚です。
リンクくださっている曲、視聴させていただきました。
どれも大好きです。
リュートを含めたこうした演奏って、「あの時代そのもの」も引き連れてくれている感覚があります。
平成最終年におりながら、自分の周囲だけルネッサンス時代の欧州に迷い込んだような、そんな感覚です。
普段はあまりリュートの音を聴く機会がないから、余計にそう感じるのかもしれません。

歌詞もいいですね。
大時代的な感は受けますが、ある時代までの詩はこのような感じのものが多いですよね。
暗闇に支配された世界、宗教や因習に支配された世界ならではの暗さと深さが感じられます。
歌詞もクリアに聴こえてきますね。
スティングの歌唱もいつもに増して広く深く響き、言葉の一つ一つがしっくりと心の中に入ってきます。
ぜひ繰り返し聴きたいし、リュートの音楽も意識的に求めていきたいと思います。

・・・

ケイト・ブッシュなのですが、『東京音楽祭』の頃はわたしはお子様でしたので、しかしラジオは聴いておりましたから彼女の存在や曲は知っていたのです。
が、実は同年の『東京音楽祭』の時はデビー・ブーンのファンでして(←黒歴史 笑)、「You Light Up My Life」(日本題「恋するデビー」笑)が全米特大ヒットして、その後鳴かず飛ばずのパット・ブーン娘でしたが、ケイト・ブッシュには圧倒的されました。
他の出演者とはまったく違う雰囲気で、ちょっと怖いくらいでした。
あの絶世の美を、わたしはまだ理解できなかったのですね。
しかしその年に限らず、『東京音楽祭』は何度となく観ましたが、残っているのはケイト・ブッシュです。
でも他の年の出演者を再チェックしたら、アストラッド・ジルベルトやランナウェイズなども出てたのですね。
そうした人と一緒に、アグネス・チャンとかも出ていたという(笑)。
わたしも情報弱者の田舎子どもでしたから、『東京音楽祭』を「とてつもない世界的な音楽祭」と信じていた時代です。

アレッサンドラ・フェリの映像ですが、バレエ『マノン』の、日本では「沼地のパ・ド・ドゥ」と呼ばれているシーンですね。
シルヴィ・ギエムが躍っている動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=2YSlk9l1qKg
このシーンはバレエ・ガラでは定番の一つで、英国のケネス・マクミランが振り付けています。

文章を書くというのは時間との戦いでもありますね。
限られた時間で、いかにクオリティを上げていくか・・・幾多の失望を乗り越えつつ(笑)、わたしも精進を期しております。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-02-13 13:49) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

リュートはギターの先祖のように見えてそうでもないというか、
やはり異なった楽器なのだということがわかります。
エグベルト・ジスモンチは多弦の特殊なギターを弾きますが、
それはあくまでギターであってリュートとは違います。
リュートの、楽器としては低機能な特徴のなかに
ルネッサンス期からの歴史を感じますね。

歌詞も、そんなに洗練されていなくて、
素朴というよりも前近代的な感じもするのですが、
そういう歌詞であることが当時の平均的な歌曲なのだと思います。
ところどころに知らない単語が出てくるのも
かえって興味を引かれます。
でも逆に見るとルネッサンス期には英語はすでに完成されていて
そんなにブレが無いのだということもわかります。
ダウランドの生涯と日本史年表を対照すると、
日本では室町、安土桃山から江戸時代のはじめ頃で、
その頃の日本語の文章はもっとずっとわかりにくいはずです。

デビー・ブーンは何となく聞いたことがあるような感じもしますが
知らないといっていいです。
父親のパット・ブーンの〈Love Letters in the Sand〉というのは
スタンダード曲ですね。これは聞いたことがあります。
誰が歌ったヴァージョンなのかはわかりませんが。
ともかく〈You Light Up My Life〉もそうしたポップス曲の
延長線上の曲といってよく、そうしたなかでのケイト・ブッシュ、
相当に特異ですね。
色々な傾向の歌手が出ている音楽祭というのは
音楽的には未分化なのでしょうが、ヴァイタリティを感じます。

バレエの解説、ありがとうございます。
やはり有名なものなのですね。
ただケイト・ブッシュが自曲に映像として使う場合、
それはバレエそのものでなく、
あくまで一種のコラージュのアイテムとして
使っているように思います。
とはいってもそうした素材を持ってくるところに
鋭いセンスを感じます。
彼女の初期のPVはすごいといえばすごいですが、
日本人的感覚からすると美的な選択や構成が異質です。
そうしたことも含めてケイト・ブッシュにのめりこんだともいえます。

文章の書き方にはいろいろあって、
最初から到着点が見えていてそれに向かって書く場合と、
書いていくことによって次第にどこに着地すべきかわかる場合と、
大雑把ですが、その2つに別れるような気がします。
後者は書くことと平行して自分の連想力が試されているわけで、
そうした場合、常に幾つもの連想が生まれるので、
それをどのように取捨選択するのかによって流れが変わります。
この方法は失敗することも多いですが。
また私は一般常識的なことはわざわざ解説として書かない
というのがモットーですが、それは論理が飛躍していてわかりにくい
というふうにも捉えられてしまうこともあるようです。
でも、回りくどく一般常識を書いていると
最も重要で肝心なことを忘れてしまいそうなので、
この書き方はなかなか改められません。(^^)
by lequiche (2019-02-15 01:24) 

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