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Good morning ― 鈴木さえ子《緑の法則》を聴く [音楽]

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懐かしさの法則には幾つかのルートがあり、それらはごく些細な 「しるし」 に過ぎないことが多い。たとえば何かの気配、幾つかの感触の残滓のようなもの、すべては脳のなかに残されたごく曖昧な記憶がありえない回路を辿って作用する。「しるし」 は小さなトリガーである。その関連性は不明なのだが、きっとそれはあのときのことなのだ、と鈍い直感が働く。人間に残されたごく少量の淡い動物的直感。
音楽でもそれは同じだ。好き嫌いのなかにひそやかに混じるのは、それが真実なのかそれとも偽造されたのか、どちらともしれない懐かしさや既視感 (既聴感?) であって、本来は極私的なものであり、マジョリティさとは無縁なところにある。

鈴木さえ子の3rdアルバム《緑の法則》(The Law of the Green, 1985) は〈夏休みが待ち遠しい〉から始まる。自転車のベルと口笛をメインにしたインストゥルメンタル。これをtr1に持ってきたこと、その空気感と軽快さに一気に引き込まれる。口笛はちょっとだけピッチをずらして厚みを加え、それにからむベルの音、軽過ぎるウォーキング・ベース。このアルバムのリリース日は7月21日と記録されているが、待ち遠しかった夏休みの最初の日だ。もしかすると人生のなかで、小学生のあの頃の夏休み以上の夏はないと思わせるそんな音だ。その曲想はルロイ・アンダーソンの〈シンコペイテッド・クロック〉のようで、何の深みもなく (これは貶しているのではない)、明るさに満ちていて屈託がない。

〈Good morning〉はイントロの4拍目に入るアクセントがいい。Good morningというつぶれたヴォイスのリフレインは、もちろんサージェント・ペパーズの〈Good Morning, Good Morning〉へのオマージュだろう。ときどき挿入されるマニアックな音、テープのリヴァースっぽいエフェクトもあるが、基本は単純でチープな音の数々のなかに流れるヘナチョコなギターもいい。最後はハウリングして終わる。鈴木慶一っぽい屈折が垣間見える。

《緑の法則》と次の4thアルバムの《スタジオ・ロマンチスト》(Studio Romantic, 1987/日本語と英語とではタイトルが微妙に異なる) ではどちらが良いのか、微妙なところだが《スタジオ・ロマンチスト》にはXTCのアンディ・パートリッジのプロデュースが加わっていることを考えても、私には《緑の法則》のライトな質感のほうが忘れられない。インストゥルメンタルに比重が高いのもその特徴をあらわしているし、それにジャケット・デザインが良い。

鈴木さえ子は桐朋でピアノを専攻しながら、ポップスではドラマー。いろいろなバンドやサポートメンバーとしてドラムを叩いていて、その頃の〈い・け・な・いルージュマジック〉という忌野清志郎+坂本龍一のユニットでの動画もあった。いかにも時代がかった映像であるのは仕方がないとして、音があまりにもスカスカで、こんなものでよかったのかと少し愕然とする。

だが、数え方にもよるだろうが鈴木さえ子のこうした志向のアルバムは4枚しかない。「ケロロ軍曹」 の大ヒット以降、彼女はそうしたフィールドでの音楽制作に移行してしまい、メインがコマーシャルになって、そのままである。80年代頃はシンセもまだ発展途上であり、そうしたなかで彼女のようなややマニアックでニッチな音楽スタイルでも存続できる余裕はあったが、次第にそうしたテリトリーは無くなっていったような気がする。

鈴木さえ子のコマーシャルな作品のなかで最も有名なのは日清食品のチキンラーメンCM 「すぐおいしい、すごくおいしい」 である。《緑の法則》の前年である1984年に作られたが、YouTubeで探した初期の音は随分斬新。南伸坊ヴァージョンのほうが穏健だ。新垣結衣の現在のCMでもいまだにバックに流れている息の長いメロディである。決めゼリフの、「買ってみて。食べなくていいから」 っていうのも、さすがアヴァンギャルドだ。

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鈴木さえ子/緑の法則 (midi)
緑の法則(紙ジャケット仕様)




鈴木さえ子/スタジオ・ロマンチスト (midi)
スタジオロマンチスト(紙ジャケット仕様)




鈴木さえ子/Good morning
https://www.youtube.com/watch?v=90N_c_aI4BA

鈴木さえ子/夏休みが待ち遠しい ― mon biclo
https://www.youtube.com/watch?v=FopId7bxsjM

鈴木さえ子/You're My Special
https://www.youtube.com/watch?v=ZYOeK-QT-O0

日清チキンラーメンCM (1984)
https://www.youtube.com/watch?v=JSRhAUUEIwU

日清チキンラーメンCM (1986)
https://www.youtube.com/watch?v=u2w4OGU4vls

日清チキンラーメンCM (2019)
https://www.youtube.com/watch?v=LDlJ84u54mQ
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sakamono

「ケロロ軍曹」、ずっと見ていたけど、音楽のコトは全然気にして
いませんでした。主題歌はいろんな人が歌ってましたよねぇ。
「すぐおいしい、すごくおいしい」も?
南伸坊の顔が思い浮かびます^^;。
by sakamono (2019-03-28 23:40) 

末尾ルコ(アルベール)

鈴木さえ子という人は知っておりましたが、このような活動をしていた人だとは知りませんでした。
リンクしてくださっている動画、視聴させていただきましたが、ややですが、大貫妙子との共通点がありかなと、一聴して感じたのがそれです。

>小学生のあの頃の夏休み以上の夏はない

なるほどです~。
わたしなど、夏休みの感覚とか、まったく忘れておりますから、こうしたお話に触れるだけでもある意味新たな感覚を得るような気分です。

>XTCのアンディ・パートリッジ

XTCは音も好きだったのですが、MVがこう、英国のルイス・キャロルなどのロマンティシズムを感じさせてくれて、大好きでした。
パンクだった割には、英国の絵本なども大好きだったのです。

>「い・け・な・いルージュマジック」

このような曲でも忌野清志郎のヴォーカルは秀逸でした。
YMOは「君に、胸キュン。」とか、なかなかおふざけやってましたね。
「君に、胸キュン。」の後には「過激な淑女」なんて曲を出したりして。
さらに明石家さんまと島田紳助が、「い・け・な・いお化粧マジック」という曲を出したのですが、とても醜悪でした(笑)。

鈴木さえ子は『ケロロ軍曹』の音楽をやっているのですか。
実はわたし一時『ケロロ軍曹』にはまっておりまして、映画版は観てないのですが、漫画、そしてテレビアニメも少々観ておりました。
漫画の方がですね、これはギャグ漫画によくあるパターンなのですが、初期から中期までのラフな時期がとても愉しめたのですが、その後画力が上がるに従って内容は煮詰まってきておもしろくなくなってしまったんです。
まあこれは紛れもなく余談ですが(笑)。

・・・

イブラギモヴァもそうですが、ロシア系の演奏家がお好きなように窺えますけれど、やはり他国とはその歴史などを含めて大きく違うものがあるのでしょうね。

>バッハ、バルトーク、イザイの無伴奏ソナタをどのように弾く

なるほどです!
と書きましたけれど、今後徐々に理解すべく頑張る所存でございます。

>フランクのヴァイオリン・ソナタは突出した名曲で

了解いたしました!(←元気よく 笑)

>バレエは視覚に訴えるものですから具体的な物語のほうがわかりやすいのだという心理はありますね。

そうですね。
わたしとしてはストーリーがあっても、チャイコフスキー3大バレエや、あるいは神話を題材としたものなどであればすっきり鑑賞できるのですが、あまりパントマイムなどでくどくど物語ってほしくないなというのはあります。


>文学作品を品詞分解して語る人はいないと思います。

あ~、言語学者さんたちの物足りないのはその辺りですね。
言語のプロ中のプロなのに、ショボい語り口しかできないとか、わたしそういうのに対していつも(ちょっと、いやかなり違うな)と感じてるのです。


>つまりフェイクというか 「いかさま」 っぽいような気がします。

ニューロマンティックについては、わたしはそういう認識でした。
つぶさに聴いていたわけではなので中にはいいのがあるかもしれませんが、(何やってるんだろう、この人たちは・・・)という感覚です。
まともに相手にできないな、とか(笑)。

>そういう視覚に慣らされてしまう精神は鈍感だと思うんです。

もう大同感でございます。
ネットもテレビも現在のほとんどの流れが、人間の大切な感覚の愚鈍化、愚劣化へ向けられていると思いますね。  RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-03-29 17:22) 

lequiche

>> sakamono 様

それはすごいです。
私はチラッと見たことはあるかもしれませんが、
基本的には知らないですから。
ジャンルのフィールド自体、かなり広いですし。

南伸坊のは、たぶん上にリンクした1986年みたいなのですね。
実は私はこれも初めて見ました。
単に記憶が無いだけなのかもしれませんけれど。(^^;)
by lequiche (2019-03-31 17:18) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

鈴木さえ子はCINEMAのメンバーで鈴木慶一のプロデュースであり、
後には鈴木慶一と結婚もしていますから、
一番強い影響があったのは鈴木慶一ですので、
大貫妙子などmidi関係の交遊はあったと思いますけれど、
音楽性はやや異なると思います。
大貫のようなしっとりとした情感がありません。
それは情感が無いのでは無くわざと出さないのだと思います。
でも大貫のツアーにドラムで参加していたこともありますから
すごく大雑把に括ればYMO一派ということにもなります。

過去の記憶というのは人それぞれですね。
私にとっての過去の楽しい記憶は小学校4年生までで、
それ以降、楽しい思い出というも                                                  のは存在しません。

XTCも私はほとんど知らないのですが、
ニッチな音作りであり、そのへんが
鈴木慶一などとの共通点でもあると思います。

忌野清志郎という人は日本人としては特殊で、
こういうふうな声質とテクニックを持っている人は
他にはいないといっていいです。
YMOの一番面白いギャグはSETのコントの入っている
《SERVICE》だと思います。これ、随分笑いました。

https://www.youtube.com/watch?v=jJHxGskufww
https://www.youtube.com/watch?v=EmaCrQEq50k

ケロロ軍曹はsakamonoさんも書かれていますが、
随分有名なんですね。
アニメより原作のほうが良いというのはよくあることで、
《ワンピース》も基本はマンガ原作です。
アニメは動きますしきれいですけど、やっぱりねぇ。

ロシア系はたまたまなのかもしれませんけれど、
特にヴァイオリニストにおいてロシア系は重要です。
バッハとバルトークは全く違うように聞こえますが、
実はそうではないのです。それはイザイも同じです。
でも結局、バッハはあまりにも高峰で
誰も越えられないのです。
フランクは、そのソナタは確かに名曲なのですが、
でもバッハのようにどの曲もすごいというほどではありません。
バッハは、もしそれしか演奏できないという制約があっても
たぶん一生それだけで生きていける音楽です。

そもそも音楽とは言葉で語り得ないから音楽なので、
それを言葉で語ろうとしても語る得ません。
しかし語り得ないゆえに語るのです。
なにかの特徴をとらえて語るのはとっかかりではありますが、
その全体像ではありません。
音楽作品のコード進行が美しいと感じるのも、
小説の主人公のこの言葉に魅力があるのと思えるのも、
それは群盲のパターンであって表象の一端に過ぎません。
問題はその先なのです。

音楽というのはある程度その時代の潮流というか
時代の雰囲気を敏感に感じ取っているように思います。
ニューロマンティックが流行ったのも時代が要請していたから、
それはパンクでもユーロでも同じです。
現代の日本にほとんど音楽が存在しないのは、
驚くべきことに、時代からの要請が無いからなのです。

私は駅の発車ベルの音楽が耐えられないんですが、
誰もそういう人はいないみたいで不思議です。
シンセサイザーの音楽は普通に聴けますが、
あの発車ベルのメロディの単純で俗悪な繰り返し、
しかもほとんどが偽終止だったりして、
耳に刺激的過ぎるチープな音色で作られています。
あの手の電子音って、なんであんなに強権的なのでしょうか。
昔の駅の発車ベルや電話のベルの機械的な音ならよいのですが、
電子音の電話が鳴るたびに、ぞっとします。

ここにひとり、同じようなことを考えているかたが
いらっしゃいましたのでリンクしておきます。
http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/RailwayMusic.html

もっといえば公共の建物や書店のなかでBGMが流れているのは
何のサーヴィスでもないと私は思います。
特に書店は無音であるべきです。
by lequiche (2019-03-31 17:19) 

うりくま

視覚・聴覚に対する過剰な刺激が耐え難くて街中でも
サングラスやヘッドホンをする人もいますね。自分は
過敏な所と鈍感な所が混在しているので気をつけたい
と思います。また、レイアウトの不具合から拙ブログを
一時的に閉鎖・移行した際、アイコンやニックネームが
変って(以前放置していたのをそのまま使ったため)
紛らわしくなってしまい失礼致しました(m--m)。
先日、「宮沢賢治の真実」と「銀河鉄道の父」を続けて
読み、賢治の姿が立体的に立ち上がってくる様な衝撃
を受けました。文学作品を読む時、必ずしも著者の真実
を知る必要はないと思いますが、TVで取り上げていない
事も多くて興味深く、お薦めできる力作でした。
「夏休みが待ち遠しい」忘れていた響きが新鮮です。。
by うりくま (2019-03-31 23:53) 

lequiche

>> うりくま様

あぁ、サングラスにヘッドホン。
でも歩きながらのヘッドホンは周囲の音が聞こえませんから
危険だと思うのですが。

アイコンやハンドルは全然問題ありません。
すぐにわかりましたので。(^.^)

宮澤賢治に対するそういうアプローチもありますね。
作品が全てという見方もありますし、
その人となりを知ると、より理解が深まるという見方もあります。
どちらの方法論もそれなりに説得性があります。
入澤康夫に
『宮沢賢治 プリオシン海岸からの報告』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480822901/
という本があり、これは作品だけが全てという観点からの評論で
大変面白く読みました。
入澤康夫は校本全集の編纂者のひとりです。

鈴木さえ子は基本がインストゥルメンタルですので、
歌詞があってもさらさらしていてソフィスティケイトされています。
You're My Special のような曲にも乾いた抒情を感じますが、
まつわりついてくることがなくて、湿度が低いです。
まさに何も知らなかった頃の夏のように、です。
そしてこの夏への想いは
南佳孝の《忘れられた夏》↓の続篇ともいえます。
https://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2019-02-02
by lequiche (2019-04-01 15:28) 

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