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森山大道の撮る木村拓哉 [アート]

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木村拓哉/撮影・森山大道 (エル・ジャポン)

前記事の《SONGS》の放送の中で、新宿ゴールデン街に立つ木村拓哉を撮影する森山大道の姿が一瞬だけ映った。撮影された写真は雑誌『エル・ジャポン』に掲載されるとのこと、そこで早速ELLEの最新号を買ってみた。

『ELLE』とか『VOGUE』といったハイファッション誌は、時代の潮流とはほとんど無関係なままだ。景気が良いとか悪いとか、今のトレンドはとかいう現実は無視される。本来のハイファッションとはそういうものであり、それゆえに存在理由がある。
たとえばFrench Chic is Forverという特集記事の中のメゾン・マルジェラのニットには次のような解説がついている。

 ストリートでいくらビッグサイズが流行っていたとしても、パリジェン
 ヌが手に取るのはスモールサイズ。なぜならビッグサイズは 「体のライ
 ンが美しく見えない」 と考えているから。(中略) 太ったら隠すことがで
 きないという緊張感が、自然とエレガントなアチチュードを生み出して
 くれる!? (P.113)

マルジェラのニットを買える人がどれだけいるのだろうというような疑問はさておいて (いや、たくさんいるのかもしれないが)、こうしたコメントは昨今のルーズなトレンドに対する叛逆であり、フレンチ・シックの矜恃である。ファッションとはdiscriminativeなもの、というよりindividualisticなものであって、誰もが同じような服装をしてそれをトレンドというのならば、フレンチ・シックな思考はそれと正反対なポリシーを持つ。他人とは違うファッションを着たい、これがフレンチ・ファッションの基本なのだ。それはこの直後の記事がファッション・アイコンとしてあいかわらずのジェーン・バーキンが登場することによってもあきらかである。
バーキンの言葉として記載されている 「そのへんのものを適当に着ていたの」 というのはたぶん本当で、それはたぶん適当に書いていた歌詞がぴたりとハマってしまうゲンズブールの方法論に似る。

というようなステージにおいて、森山大道の写真はどのような見え方をするのだろうか。ELLE meets TAKUYA KIMURAとタイトルされた雑誌末尾に近いページは、しかし見事に森山大道だ。モノクロームでうつし出される新宿ゴールデン街。無秩序で雑多な、全く美的でない建物が林立する飲み屋街。とりどりに主張する看板。無造作に取り付けられたエアコンの室外機の群れ。積まれたビールケース。そうしたさまざまな物体がひしめき合っているさまを、カメラはすみずみまでパンフォーカスですくい取る。曖昧なものはどこにもない。

コマーシャルなファッション写真とは、限りなく完璧に造形されたものをさす。たとえば戎康友が三吉彩花をモデルに撮ったグッチ—— 「フェミニスティのその先へ」。(P.178)
すべてがかっちりとライティングされ、どこにも瑕疵はなく、商品もモデルの全身も最大限の美しさに輝いている。アイコニックなGGパターンのパンツスーツというのはあまりに造形的すぎて、これが唐草模様だったらギャグになるかもという限界点に達しているが、でも伊勢丹柄のスーツを着たお笑いもいるよなとは思うのだけれど、伊勢丹とグッチでは何かが違う。ともかく、ファッションでも建築物でも自動車でも、そのように撮るのがコマーシャルなフォトの定石である。
あるいはまた、この雑誌の表紙はスカーレット・ヨハンソンの顔だけで一杯に占められているが、右下にかすかに見えるリングがブルガリだったりする。その性懲りもないエグさもまたファッション・フォトのパターンである。

だが森山大道の写真はコマーシャルではない。だから木村拓哉の顔さえも、ジャニーズの商品として撮られている顔とは違う。妙に歪んで見えていたり、年齢を重ねてきた翳りや、本来なら見えてはいけない皺などもうつし出されてしまう。荒れた画質は、ときとして顔だけ増感したようにも見え、強くかけられたアンシャープマスクのような影響が服の輪郭にピークとなってフチ取りされ、まるでキリヌキされたかのような効果を出している。
それでいて、この写真全体から見えてくる美しさは何なのだろう。

でもELLEがまるで引き下がったわけではない。木村拓哉の着ている服には2パターンあるが、コートはサンローラン・バイ・アンソニー・ヴァカレロ、凝ったパッチワークのような革ジャンはセリーヌ・バイ・エディ・スリマン (さりげなく見えているようでこの革ジャンは美しい)。木村拓哉はしっかりとハイファッションの人質にされている。

「裏窓」 という店名の書かれたドアの前に佇む木村拓哉。上には古く煤けた電球なのだろうか、丸い傘が見え、ガスメーターと郵便ポスト。まさに昭和の風景のような風景が今でも現存しているゴールデン街のすがたをうつし出している。
今、ネットの記事で一番流布されているのはキネマ倶楽部という店の前のショットだ。彼は店のエアコンの室外機に腰掛けている。背後にはベタベタとシールの貼られたガスの室外機。道のずっとむこうまで、あまりにシャープに見えるゴールデン街の風景にくらくらする。

森山が宇多田ヒカルを撮ったときも私は簡単な記事を書いたことがあるが (→2018年04月22日ブログ)、森山の撮る人物は普段見ていたその人のイメージと微妙にずれている。えっ? この人ってこんな顔だったの? というような。だがそれが訴えかけてくるパワーはすごい。なぜならそれが真実の表情だからだ。表面的な美学でないところを撮るために森山のカメラはあるのだ。


エル・ジャポン 4月号 (ハースト婦人画報社)
ELLE JAPON(エル・ジャポン) 2020年04月号

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末尾ルコ(アルベール)

『ELLE』はちょいちょい買って愛読しておりました。
と過去形になっているのはここ数年の貧乏生活でファッション誌までお金が回らなかったからですが、土地売却で当面(あくまで当面・・・)の余裕はできたので、また買い始めようかな・・・。
でも貧乏暮らしが長くって(笑)、500円以上の買い物はつい躊躇してしまうこの哀しさ。
もっともテレビは買いましたけれど。
やはり大きめの画面で観ると、家庭での映画鑑賞も愉しさが格段に違いますね。
前のちっこいテレビは、エアコンつけると音声も聴き取り難くなりまして。
ちなみにわたし、男性ファッション誌はほとんど買ったことがなく、女性ファッション誌ばかりです。
もちろん美しい女性モデルを観る愉しみが大きいですし、そもそも衣装もカラフルですし、記事も男性誌よりおもしろいものが多いです。

> 時代の潮流とはほとんど無関係なまま

いいですね~。
ハイファッションを購入する余裕はないですが(←お金の話が多い 笑)、わたしが常に志すのはこの境地です。

> フレンチ・シックな思考はそれと正反対なポリシーを持つ。

ですよね~。
こうした点はフランス文化、常に大いにリスペクトしておりますし、精神性においては日本文化よりも共感するところ大です。
とにかくわたし、(流行ってるからこれ来てりゃいいだろう)という感覚がどうにもダメでして、男性だから男に厳しい目を注ぐのかもしれませんが、前々から日本人男性の服装で気に入らない要素が多くありました。
まあそれと日本人の場合男性も女性も似たようなところがあるのが、まず(トレンドに合わせていればいい)という、いわば思考停止に怠惰な姿勢と同時に、トレンドに乗ってない人間を攻撃するケースが多々ありますね。
それは多くは「自分たちがトレンドに合わせるしかできない」ことに対する潜在的な不安や劣等感の発露なのではと思うのですが、「出る杭」を集団で打って安心したがる精神性はダメですね。
杭も出過ぎると叩けなくはなりますが。

> ジャニーズの商品として撮られている顔とは違う。

載せてくださっている一枚を見ただけでもそれは感じます。
おもしろそうですね。
またわたしも『ELLE』ライフ復活のモチベーションが高まってきました。
早速書店で手に取ってみます。

・・・

> 得てしてそういう時のほうが新しい発見があったり面白かったりするものです。

これはありますね。
テレビに限らず、勢い込んで予定して鑑賞するのではなく、何気なく何の期待もなく振れたものの中に生涯忘れ得ぬ出会いが・・・という展開。
こうしたものを単純に「偶然」と片づけるのではなく、いやもちろん偶然もあるのでしょうが、そして無理にこじつけることもなく、しかし少なくとも「何か」を感じるような感覚を持っていたいです。

> Uruの声は一瞬、ソフトヴォイスかと思いますがそうではありません。

それはわたしも感じました。
極めて繊細に歌っている。
しかし極めて繊細に歌うためには、強靭な技術や精神性が必須である。
そんな感じを受けました。

ミュージカル歌手がこのところ歌番組によく出演していて、わたしもミュージカルは嫌いではない、と言うか、かなり好きなのですが、彼らの歌唱を(ポップス歌手とは格が違うぜ!)とばかりに誉めそやすのはまったく違うと思ってます。
でもなんかそういう単細胞な人って多いですよね。
ミュージカル歌手とミック・ジャガーを比べて、「やっぱりロック歌手は歌唱力がないぜ!」なんて言うのと同じことだと思いますが(笑)。
まあミュージカル歌手の歌は、しょっちゅうは聴きたくないです。

映画はトーキーになった時点で「堕落した」と言う人もいるし、カラーになった時点で「終わった」と言う人もいて、確かに最盛期という観点から言えば、とうに過ぎているのだと思います。
CG満載の映画はその意味では堕落の極致だとも言えますし。
まあそんな中でも映画のいろんな要素は愉しいですし、過去作も未鑑賞の作品は無数にありますし、わたしとしては(愉しみは尽きないな)という感覚です。
家のテレビも大きくなりましたし(笑)。  RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-03-05 02:35) 

きよたん

一目瞭然
確かに木村拓哉イメージが違っていますね
まさに森山大道の写真って感じです。
by きよたん (2020-03-05 08:43) 

kome

東京は再開発が進んでいるので、大道さんが撮りたいような場所は減っていくと思われます。
そうなると、台湾とか?(笑)
宇多田さんの、かわいいですね。
by kome (2020-03-05 12:23) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

テレビに較べれば雑誌は安いですから、
たまには買ってください。(^^)
あ、でも毎月買っていると意外に大変かもしれないです。
私も毎月買う雑誌というのはほとんどありません。

ハイファッションは文化出版局の『high fashion』
という雑誌が大変優れていたのですが、
結局なくなってしまいました。
時代の流れですから仕方がないですが。

流行というのはむずかしいです。
時流に乗っていればいいというのが一般的な感覚で、
今年はこれ、という提示があると皆それに従ってしまう。
それは単なる売り手側の思惑に過ぎないのですが
そういうのを隠蔽するというのが日本人は得意ですから。(笑)

トレンドに合わせなければならないというのは
一種の強迫観念で、日本人は横並びが好きだという証左です。
潜在的な不安や劣等感の発露というのはまさにそうですね。
美的観念が無いとそうなります。
それはファッションだけに限らないので、
音楽でも同様なことが生じています。
ですからJ-popですべてがまかなえられてしまうのです。

木村拓哉をこういうふうに撮ったという結果を
誌面に載せてしまって、でもそれは成功していると思います。
つまりELLEはハイファッションの紹介であるだけでなく
アヴァンギャルドな一面があるのだと感じます。
ですから普通の専門的な雑誌、たとえば音楽誌に載る記事より
こうしたファッション誌に載っている紹介記事のほうが
的確で面白かったりするのです。

たとえばある目的を持って書店に行くとします。
これとこれを買わなくちゃ、と思うと、
それを探すことだけに集中して視野が狭くなってしまいます。
目的もなくぼんやりと見ていると普段気がつかないような
こんな本があったじゃない、という発見があります。
人間の感覚というのは天邪鬼なものなのかもしれないです。

Uruの声は癒される声とは違うのです。
こういうのはちょっと新しいな、というのが
最初に聴いたときの直感でした。
テクニック的にもすごいですね。
あくまでも私の好みですが、
尾崎豊のカヴァーもUruのほうが優れているように思います。

ミュージカル歌手というのは広い会場で
観客を圧倒しなければならないですから、
大きな声、よく通る声が最上とされます。
それは需要として仕方がないのですが、
音楽は必ずしもそれだけではないわけで、
それはつまり映画がハリウッド映画だけではない
というのと同じです。
ひとつのヒエラルキーしか持たない人は、
ミュージカル歌手のような歌声が最上位ですし、
ハリウッド映画が最上位となるわけです。
でもヒエラルキーはいろいろあるのだ、
つまり山はいくつもあるのだ、
ということに気がついていただけるといいのですが。

私は映画に関しては詳しくないので
的確なことがいえないのですが、
大きな画面で観るというのはやはりいいですね。
もともとの映画はもっと大きな画面で観るものですから、
せめて小さいTVよりは大きいTVで、
と思います。
by lequiche (2020-03-06 00:36) 

lequiche

>> きよたん様

ちょっとイメージが違いますよね。
逆にいうと森山大道がその違ったイメージを引き出した
というふうにも捉えられます。
そしてそうした試みに耐えられるだけの資質を
木村拓哉は持っているわけで、
そのへんはさすがだな、と感心しました。
ミーハーな人は、同じ場所に行って自画撮りするんじゃないか
という予感もします。(^^)
by lequiche (2020-03-06 00:36) 

lequiche

>> kome 様

あ、それは確かに言えてますね。
でもまだまだ、こうしたカオスな情景ってあると思います。
今回の木村拓哉の表情も、宇多田ヒカルの表情も、
カメラマンによってこういう顔が出るんだな
と思います。
宇多田ヒカルは表情がいいだけでなく、
全体の光とか質感が素晴らしいです。
by lequiche (2020-03-06 00:36) 

英ちゃん

キムタクが一瞬、外国人に見えた(゚□゚)
新宿ゴールデン街は、私も街並みの写真を撮りに行った事があるよ。
by 英ちゃん (2020-03-07 01:59) 

lequiche

>> 英ちゃん様

一見すると、えっ? という感じがしますね。
写真って面白いなと思います。
ゴールデン街はやはり特徴的な被写体なのかもしれないです。
by lequiche (2020-03-08 01:10) 

JUNKO

見たいです。キムタクのどんなところに興味を感じたのでしょう。
by JUNKO (2020-03-08 20:54) 

lequiche

>> JUNKO 様

これは一般論になってしまうかもしれませんが、
木村拓哉に限らずジャニーズに対しての反応は、
きゃー! ステキッ! というファンと
フン、ジャニーズは嫌いだから、という否定論者とに
二分されると思います。
ジャニーズはおしなべて嫌いと言ってしまうのは
一種の脊髄反射でしかなくて、
私はそういう視点はとりません。
その時々で個々に見ていかないといけないと思います。
正直に言ってしまうと私は木村拓哉にもB'zにも
そんなに関心はありません。
でもこうしたドキュメンタリーを見ると、
彼の方向性も次第に変化しているように感じますし、
稲葉浩志の禁欲的な姿勢も見習うべきことがある
と思います。

前記事の《SONGS》は一読、
木村拓哉のことを書いているようにみえて、
内容的にはUruのイチオシになっています。
しかしUruの曲を歌おう、と木村拓哉が決めたところに
彼の新しい一面を見たような気がするのです。

森山大道のカメラは厳しいです。
そのままモデルとして撮られていればいい
というものではないです。
それが宣材写真と最も異なる面です。
下手すると森山大道のカメラの目に負けてしまう。
それに対抗する一種の強さが必要で、
それは誰にでもあるものではありません。
ELLEは現在書店で販売されている雑誌ですので、
お時間があったら立ち読みでもしていただければ、
と思います。
by lequiche (2020-03-08 23:01) 

ぼんぼちぼちぼち

さすが大道先生、キムタクをアイドルとしてではなく街の一モチーフとして撮られてやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-03-10 15:20) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

その通りです。
木村拓哉も今までこういうふうに撮られたことは
なかったのではないでしょうか。
でも森山大道先生、すごく力が入っていたというか
この撮り方はすごいと思います。
昨年、ハッセルブラッド国際写真賞を受賞されましたが
ハッセル・ファウンデーションのサイトに
簡単なインタヴュー動画があります。

Hasselblad Award Winner 2019
https://www.youtube.com/watch?time_continue=220&v=pAbhkLxhn40
by lequiche (2020-03-11 04:22) 

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