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ショスタコーヴィチ《ヴァイオリン協奏曲第1番》— ニコラ・ベネデッティ [音楽]

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Nicola Benedetti

最近、ベルリン・フィルのYouTubeにハマっている。
The Berliner Philharmoniker’s Digital Concert Hallというタイトルになっていて、コンサートのハイライト・シーンをちょっとだけ数分間の動画にしてあるのだが (つまりサンプラーである)、その曲がどんなだったのかを確認するためには便利である。YouTubeを見ているうちに行き当たって、でもそのうち本来の目的から離れて、脈絡もなく次から次へと観てしまうので時間を浪費してしまい、きりがない。

実は最初の動機はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を参照したくて探していたのだった。そうしたらこのベルリン・フィルのPVであるバイバ・スクリデの演奏を見つけたのである。アンドリス・ネルソンス指揮の2015年ライヴ。ネルソンスは2020年のムジークフェラインのニューイヤー・コンサートを振っているが、スクリデとネルソンスはどちらもラトヴィア出身というところに共通点がある。
曲はもちろん終楽章の冒頭、ティンパニとともに特徴的な主題が出てくる最もスリリングな箇所である (a)。スクリデはショスタコーヴィチを得意としているのか、協奏曲第2番もこのDigital Concert Hallに収録されている (b)。第1番のCDは、2004年録音のミュンヘン・フィルとのごく初期の録音と、同じネルソンス指揮、ライプツィヒ・ゲバントハウスとの映像盤 (Blu-ray or DVD) があるが、私は古いCDの演奏きり知らなかったのでとても新鮮である。

スクリデは2001年のエリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で第1位になり、それがデビューのきっかけといってよい。その記録である《Queen Elisabeth Music Competition 2001》というCDがあるはずなのだが、入手しにくい。2001年のチャイコフスキーの協奏曲の動画もYouTubeにあり、雰囲気はよくわかるのだが、音にノイズが入っていて聴きにくい (c)。
2007年にバーミンガム市響との同曲のCDがあり、これはスクリデとしては比較的初期の録音であるが、この曲を振っていたのがネルソンスであった。
Digital Concert Hallにはヒラリー・ハーンの同じ第1番の演奏もあって、比較してみるのも面白い (d)。

だが、この動画探索のなかで一番楽しめた演奏はニコラ・ベネデッティの第1番である。
ニコラ・ベネデッティは1987年生まれ、イギリス出身のヴァイオリニストであるが、きっかけとなったのは2004年のBBC主催のコンクールでシマノフスキの協奏曲第1番を弾いて優勝したことである。このシマノフスキのCDもあるようだが、それ以降はいわゆるライト・クラシックの名曲集みたいな選曲とかウィントン・マルサリスとの共演といったような構成のCDリリースが多くて、もちろん名曲集が悪いとはいわないが、ツィゴイネルワイゼンばかり弾かされるのは新進ヴァイオリニストの試練みたいなものであり、でも次第に地歩をかためているようである。

YouTubeで聴くことができるのはスウェーデンのヨーテボリ (ゴッテンブルク) で収録された2017年のライヴである。そんなに広くないホールだが、とても雰囲気がよく、オーケストラと客席との一体感が音楽をより緻密なものへと変換する働きをしているように思える。指揮はトーマス・センデゴー。
ベネデッティの演奏はパッショネイトなのだが、暗く思い詰めるような曲想でなく、純粋に音楽の喜びを伝えてくれる力がある。ショスタコーヴィチが1948年にこの第1番を書いたとき、ソヴィエトではあのジダーノフ批判という悪霊が跋扈し始めた頃であり、彼は1955年までこの曲の発表を抑えていた。
つまりショスタコーヴィチの作品には常にそのソヴィエトという悪霊の翳がつきまとう。たとえば同曲の初演者であるダヴィッド・オイストラフの演奏は今、聴いても十分に優れているが、重厚感があって暗く、オーケストラにも華やぎがあまり感じられないし、演奏が終了すると 「難曲を弾いたぞ、どうだ!」 というような印象を受けてしまう (e)。だが、作品発表から60年以上が経ってしまい、当時の現代曲は今では比較的新しい時代の範疇に属する協奏曲として認知されているし、テクニック的にも音楽的にも難解ではなく周知のものとなっているから、もはや、ややスペクタクルな曲に過ぎず、ヴァイオリニストに気負いはない。そのことがショスタコーヴィチを身近にし始めているような気がする。

ベネデッティの演奏はヨーテボリのホールのインティメイトさにも助けられているが、とても暖かく、それでいて熱情的で、多少瑕疵はあるがライヴの一回性のはかなさを秘めている。カデンツァからアタッカで終楽章に入るスリル感の愉悦。そして動画で何度も映し出されるおそろしいほどに美しい杢目のストラド、ガリエル。カメラはきっとガリエルの美しさを捉えるために、このアングルからの撮影に固執したのに違いないと思えるほどで、その輝きがショスタコーヴィチを普遍的な音楽に変えてゆく (f)。


Nicola Benedetti/Shostakovich, Glazunov (DECCA)
Shostakovich/Glazunov: Violin




Nicola Benedetti/Tchaikovsky&Bruch: Violin Concertos (DECCA)
Violin Concertos




Nicola Benedetti/Fantasie (DECCA)
Fantasie




(a)
Skride, Nelsons, Berliner Philharmoniker/
Shostakovich: Violin Concerto No.1 (4th movt)
Berlin Philharmonie, 30 October 2015.
https://www.youtube.com/watch?v=FV_Wb9Y3TV4

(b)
Skride, Slobodeniuk, Berliner Philharmoniker/
Shostakovich: Violin Concerto No.2
Berlin Philharmonie, 3 February 2018.
https://www.youtube.com/watch?v=796UqU39Mro

(c)
Skride/Tchaikovsky: Concerto, Reine Elisabeth 2001
https://www.youtube.com/watch?v=SNIGyf0kmGk

(d)
Hilary Hahn, Mariss Jansons/
Shostakovich: Violin Concerto No.1 (4th movt)
Suntory Hall, Tokyo, 26. November 2000.
https://www.youtube.com/watch?v=WSQuaor_PKw

全曲は
https://www.youtube.com/watch?v=8HZVQyD9rsY

(e)
David Oistrakh, Heinz Fricke/
Shostakovich: Violin Concerto No.1
Staatskapelle Berlin 1967
https://www.youtube.com/watch?v=qYQiXHqFi20

(f)
Nicola Benedetti, Thomas Søndergård
Shostakovich: Violin Concerto No.1
Gothenburg Symphony, Gothenburg April 2017
https://www.youtube.com/watch?v=bdlRnM9XOQE
(カデンツァは28’28”あたりから)

Nicola Benedetti/Szymanowski: Concerto pour violon n° 2
Karina Canellakis, En concert les 13 et 14 juin 2018
à la Philharmonie de Paris.
https://www.youtube.com/watch?v=7fopdSPj58c
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末尾ルコ(アルベール)

ニコラ・ベネデッティの演奏、堪能させていただきました。
黒のドレス姿での立ち姿があまりにも美しく、漆黒の人魚姫のようですね・・・という容姿に対する感想は自粛(笑)させていただきまして、やはりわたしにとっても馴染み深いショスタコーヴィチの曲だとすぐに入れて嬉しいです。
とは言えこの曲の演奏を映像で視聴したことはさほど多くなく、ベネデッティの演奏、素晴らしいものをご紹介くださったと感謝でいっぱいです。
それにしても彼女の左指の動き、凄まじく美しいです。

ショスタコーヴィチという音楽家が「ソ連」という巨大な幻抜きでは語ることのできない、あるいはひょっとしたら「ソ連」でなくて「ロシア」だったら違うショスタコーヴィチになっていたかもしれないと、クラシック音楽素人のわたしは漠然と想っているのですが、月日を経たのちに「曲」に対する「演奏家」のアプローチも大きく変わって来るというとても興味深い例を経験させていただいた感もあります。
もちろんわたしがそれをどれだけ理解できているかは甚だ怪しいと自覚した上でのことですけれど(笑)。

> ガリエルの美しさを捉えるために、このアングルからの撮影に固執

確かに感じました。
クラシック音楽に限らず、音楽の映像化はなかなか難しいところがあって、(なんでここでこのショットを・・・)というケースも往々にしてありますが、カメラマン、そして編集者の(演奏家が編集に加わる場合もあるのでしょうが)の、強く、しかし出しゃばらない美意識が必要なのではと想像します。

・・・

> 政治家や学者って、ある意味、そんなに頭が良くないのです。
> その本質が何かということのほうが重要だと思います。
> なぜなら村落共同体でcité以前だからです。(笑)
> 戦前の隣組信奉な帝国主義の亡霊はまだ顕在なのです。
> その一般常識のレベルがどんどん下がってきています。

納得、そして満足させていただけるご意見ばかりです。
何と言いますか、本当の知性って、堅牢さと柔軟性を併せ持っている境地と申しますか、知識はとても大切ですけれど、知識が知性を保証するものではないということを、やはり日本人の多くは村落共同体ですから(笑)理解できないのでしょうか。
それでは「知性とは何か」ということになりますが、まず「ものごとをより正確に把握する洞察力」なのだと思いますけれど、ではその「洞察力」はどう養われるか・・・と延々と続きますので、またしても今回は自粛(笑)させていただきます。

「女優志願」、思い出しました。
それと大貫妙子の曲も有難うございます。
愛聴していたのですが、タイトルとかは忘れちゃってました(笑)。


オリンピックに関しても同感です。
そもそも今回の東京に限らず、もうずっと前からオリンピックには目を背けておりました。
これでも10代くらいの頃はけっこう熱心に観ていたのですが。
今でもスポーツ自体に、競技にもよりますが敬意を持っていますし、例えばテニス(テレビ)観戦はわたしにとって最上の愉しみの一つです。(もちろん現在、他のスポーツと同様に、いつ再開できるかまったく分かりませんが)
しかしいつ頃からか、特に日本のテレビが関わる特にオリンピック、あるいはその他日本国内での人気スポーツの伝え方がもう耐えられないほどに感じられるようになってきたのです。
それはつまり、「スポーツ」と称してスポーツとはまったく異なる内容を放送(報道)することでもあり、その内容が嘘まみれであるということでもあり、さらにそうしたメディアに乗っかっていくオリンピック選手たちの自意識が垣間見えるということでもあるのですが、そもそもオリンピックでここまで盛り上がろうとすること自体、まともではありません。
ただ今回、IOCなる組織の実態を多くの日本人がある程度知ってしまったのはよかったと思います。
「理想」などというものとは対極の組織・・・シンプルに五輪をたのしみにしている方々には申し訳ないけれど、「廃止」大賛成です。                     RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-04-26 02:20) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

早速のコメントありがとうございます。
そう言っていただけると嬉しいです。
何気なくこのニコラ・ベネデッティの動画を見つけたのですが、
何度も繰り返し観て、カデンツァから終楽章の最後までは
もう10回くらい観てしまいました。
私が最も偏愛するのはスクリデですが、
スクリデはこの中では一番正統派、
ハーンは線が細いですがその繊細さがいいですし、
そしてベネデッティはその追い詰めかたがすごいです。
それぞれのショスタコーヴィチへの解釈があって、
ショスタコがこれだけ人口に膾炙してきたのかという
感慨みたいなものがあります。

オマケとして最下段にリンクしたシマノフスキがありますが、
Orchestre de Parisの動画で、
雰囲気がとてもカジュアルな感じで楽しいのですが、
このシマノフスキを指揮しているカリーナ・カネラキスも
なかなか良いです。今年9月からロンドン・フィルの
主席客演指揮者とのことです。
https://m-festival.biz/13022

さらにこのOrchestre de Parisの動画には
リサ・バティアシュヴィリのショスタコの短い動画もあります。
指揮はヤルヴィ。
Lisa Batiashvili/Chostakovitch: Concerto pour violon n°1
https://www.youtube.com/watch?v=P7VF54PI9dY

バティアシュヴィリのことも以前書いたことがありますが、
好きなヴァイオリニストのひとりです。
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2017-01-05

さらにこのバティアシュヴィリがNYフィルの動画で
アラン・ギルバートとリハーサルしているのも見つけましたが
https://www.youtube.com/watch?v=1cWEuNLQxxk
どんどん話題からそれていってしまうので、もうやめておきます。(笑)
アラン・ギルバートはカリーナ・カネラキスの師匠です。

ソヴィエトが存在しなくてロシアのままだったら
ショスタコーヴィチがどうなったかということを
SFの題材として考えると興味深いものがありますね。

ヴァイオリンは表面材がスプルース、
側面と裏面材がメイプルです。
木材そのものは縦方向に使うのですが、
メイプルはその方向と直角にもやもやとした杢目が出ます。
トラモクなどとも言いますが、
映像を見るとネックの裏側にも強い杢目が出ていますね。
日陰で育ったメイプルはなかなか成長しないので、
真っ直ぐに伸びずに虐げられて少しずつしか伸びず、
結果として緻密になります。
その木材を使うとこのような杢目が出てくるのです。
ですからメイプルは日陰で成長した木が良材なのです。
ギブソンのレスポールというエレキギターが
表面材にトラモクを使ったのは
このヴァイオリンからヒントを得て真似たものです。
でもレスポールは表面材に 「どうだ!」 とトラモクを使うのに対し
ヴァイオリンは裏側にひっそりと使っているのが
奥ゆかしいですね。

知識と知性の違いが如実に出ていたのが、
一時流行していた漢字検定です。
難しい漢字をいくら知識として蓄えていたとしても
それは単なるクイズの延長線上でしかなく、
その難しい漢字をいかに使えるのかが問題となります。
知性がないと適切に漢字を使うことはできません。
応用力がいかにあるか、です。

現在の世界的疫禍の状態から考えると、
おそらく来年になってもオリンピックは開けないでしょう。
しつこく延期するかもしれませんがやめたほうがいいです。
でもそうなったらIOCは存続できないかもしれません。
広告収入によって成立していた組織ですから。
IOCはいわばオリンピックという身体にとりついていた
寄生虫なのです。
なぜそのようにシステムが歪んでしまったのか、
全ての原因は経済優先の政策にあります。
日本は強引にオリンピックを開催しようとしていましたが、
それは経済界からの強引な要請で
何としても開催したいという意図があったからです。
そして中国やアメリカに勝手に遠慮して水際に気をつけず、
その結果、疫病が蔓延してしまったのです。
でも為政者はそんなことに頓着していません。
国民なんか多少死んだっていいと思っています。
国民の命より自分の利益のほうが大事なのです。
むしろ自分の醜聞が揉み消されてこれ幸いと思っているのかも。
いや、醜聞ではなくてすでに犯罪、でした。
わざと愚鈍を装って判断を遅らせ、
混乱が拡大させよう、と考えているふしもあります。
オリンピックはすでに形骸化しているので
もう終わりにしましょう、というのが健全な考え方です。
by lequiche (2020-04-26 05:01) 

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