SSブログ

THE HOME TAKEのYOASOBIを聴く [音楽]

yoasobi_200624.jpg

いまさら感はあるんだけど、少し前に車の中でFMを聴いていたら〈夜に駆ける〉が流れてきて、これっていいなあと思って、無限ループのようにして聴いていた。
wikiを引用すれば、YOASOBI (ヨアソビ) はボーカロイドプロデューサーのAyaseとシンガーソングライターのikura (幾田りら) による2人組の音楽ユニットである。オフィシャルサイトに拠れば 「小説を音楽にするユニット」 とも。
怖ろしいほどのYouTubeのアクセス数もそうだし (今日現在でオリジナルが2790万回再生、下記THE HOME TAKEが1870万回再生)、TVの情報番組でもとりあげられていて、だからいまさら感といってしまうのだが、でも一応書いておこうと思う。

YouTubeに THE HOME TAKE あるいは THE FIRST TAKE というコンテンツがあって、コロナ禍から生まれた動画だと思うのだけれど、ごくシンプルに歌をリスナーに届けるというシステムで、つまり裸になった歌という意味あいもあって、動画でありながらそんなにヴィジュアルに頼らない、音楽を聴くという行為が結構シビアで、それゆえに美しい。
それで、オリジナルの動画でなくTHE HOME TAKEの動画を下記にリンク。さらに《あさイチ》という番組に出演した動画はTV画面を撮影したものらしいので画質も音質もちょっと悪いけれど、それもリンクしました。

メロディラインにある跳躍進行はいかにもボカロPっぽいけれど、全体を流れている哀しみがいい。実は日曜日の夜、TVで《関ジャム》を観ていた。川谷絵音の以前の回のほとんど再放送みたいなのだったのだが、これも面白かった。9thや11thをやたらに使うのとか (即興での曲づくりという企画なのだが、川谷の弾くギターのコードを、ちゃんMARIが即座にコードネームにしてホワイトボードに書き出してしまう)、ビザールなギターとか、そして川谷絵音もボーカロイドを使っていたみたいで、時代の流れはそういうものなんだなぁと思う。かつての〈初音ミクの消失〉に象徴されるような、機械でなければ歌えないような曲構造が変化しフィードバックして人間の歌唱に影響しているように感じられる。

〈夜に駆ける〉はその真ん中へんで出てくる歌詞、すっと暗くなる表情で歌われる 「君が嫌いだ」 あたりが心に沁みる。そして 「それでもきっといつかはきっと僕らはきっと」 という 「きっと」 の連鎖が続く。「分かり合えるさ信じてるよ」 と言われてもそれはきっと信じられなくて、あまりにストーリー性がありすぎて、確かにそれは小説を音楽にしていることなのかもしれなくて、でもそれが重い。

 君にしか見えない
 何かを見つめる君が嫌いだ
 見惚れているかのような恋するような
 そんな顔が嫌いだ

 信じていたいけど信じれないこと
 そんなのどうしたってきっと
 これからだっていくつもあって
 そのたんび怒って泣いていくの
 それでもきっといつかはきっと僕らはきっと
 分かり合えるさ信じてるよ


YOASOBI/夜に駆ける THE HOME TAKE
https://www.youtube.com/watch?v=j1hft9Wjq9U

幾田りら/夜に駆ける (弾き語り)
https://www.youtube.com/watch?v=ABFoxSfwksg

YOASOBI あさイチ生出演 2020.06.05.
https://www.youtube.com/watch?v=h2ayuzSxyo4
nice!(84)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

nice! 84

コメント 2

末尾ルコ(アルベール)

動画、視聴させていただきました。
YOASOBI、知りませんでした。
初めての視聴ですので、しっかりした感想を述べることはできませんが、すっと歌っているような中に独特の深さや怖さがあるのかな・・・と。
しかしそれは今夜のお記事を拝読した上での感想なので、わたしがこの歌を偶然耳にしてそう感じるかどうかは分かりません。
ひょっとしたら、(ふ~ん、気持ちのいい歌だな・・・)くらいに感じていたかもしれません。
本当に、いつも「音楽を聴くという可能性」を広げてくださってます。

例えばわたし、GLIM SPANKYをlequiche様のお記事を拝読するまで知らなかったのですが(とほほ)、今ではすっかり大ファン。
と言いますか、この前もWOWOWで特集された、昨年のROCK IN JAPANのステージを観たのですが、もうカッコいいのなんの!
赤のドレスに金髪、そして概ね無表情で歌う松尾レミさんのその姿にもう惚れ込んじゃいましたよ!!

お話、横道に逸れましたが、YOASOBIの活動も、今後注目していきたいです。


・・・

> やはりフィルムの映画とデジタルとは違う

そうですね、ざっくりした印象ですが、デジタルはよりクリアで、そのクリアさが逆に物足りないと言いますか、(こんなにクリアでいいのか?)という気分になります。
フィルムは状態に大きく左右されますが、「闇」とかもより生物的に深いと言いますか、とても抽象的な言い方ですが、やはりより深く味わえます。

> 奇巌城は L’Aiguille creuse を日本語に翻案したタイトルです  が、私にとっては初めて覚えたフランス語の単語です。

へえ~、おもしろいですね。
わたしは何だろう・・・子どもの頃は今と違って街中やスーパーのお菓子コーナーに怪しいフランス語が氾濫している状態ではなかったですから、ひょっとしたら高知駅近くのレストラン名「エスカルゴ」かもしれません(笑)。
ごく初期に覚えたフレーズは、「お水をください」でした(笑)。
NHK教育の『フランス語講座』であったんですけどね。

モーリス・ルブランは原書に挑戦したことありませんが、ミステリ系ではジョルジュ・シムノンを何冊か持ってまして、けっこう分かりませんでした(笑)。
当然のことながら、新聞記事とか分かりやすいですよね。
文学は原書で読むの、難しい。
日本では『シンプルな情熱』で知られているアニー・エルノーもけっこう好きで原書を何冊か持ってまして、この人の文章は簡潔で分かりやすいです。

> いつまでたってもオコチャマから脱出できませんから。

ですよね~。
子どもの頃に無理してそういうのに触れていて、本当によかったと思ってます。
同じく、子どもの頃から妙にフランス好きだったのもつくづくよかったと。
日本には、「日本と米国(あるいは英語圏)中心」という見方しかできない人が多いと思うのですが、わたしにとっては米国が世界の中心だったことは一度もなくて、「フランスについても知っている強み」のようなものは、特に大人になってから感じることが多いです。

今は(わたしにとっての)原点に戻って、堀口大學のランボーとボードレールを読んでます。
それと岩波文庫の『上田敏全訳詩集』ですね。
(何、この訳??)というのが多くあって、何度でも愉しめます(笑)。
でも一度読んだら忘れません、あそこまで凝りに凝った文にされると。
(詩っていいなあ~)と、最近またつくづく感じてます。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-06-24 04:11) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

このような畳みかける歌詞って、
歌の無窮動と言ってもいいのかもしれません。(笑)
ただ、いくらTVで取り上げられたといっても
興味本位がほとんどですし、
音楽として評価されているかどうかは未知数です。
いや、ずばり言ってしまえば興味本位だけでしょう。
ですからGLIM SPANKYにしてもUruにしても
そんなに簡単には正当に評価はされないのです。
それは仕方がないと思うのです。
メディアを含めた一般的な視点とは保守的なものですから。
そのジャンルだけで判断して脊髄反射するのがほとんどです。
パンクだからダメ、オカマっぽいからダメ、
あるいはジャニーズだからダメ、アイドルだからダメetc.。
最初からジャンル分けで固定化した先入観の視点しかないので
個々に判断することをしません。
というか、既成概念でしか判断できないのでしょうね。
私はこれがいいと思ったものに対して差別しません。
その結果として、ハズレもあるかもしれません。
でもそれでもいいのです。
YOASOBIにしてもこの曲は確かに良いと思いますが、
これが継続するかどうかはわかりません。
そして継続だけではそのうち飽きられてしまいます。
たとえばPerfumeには相変わらず大きな支持がありますが、
少しステロタイプに陥っていると私は見ています。
また、正直言ってしまうと
私はボカロをそんなに評価していません。
一種のギミックとしては面白いかもしれませんが、
まだ未完成な状態だと思っています。
ただ未来的にはそういう方向性なのだろうとは感じます。

映画に限らず、フィルムカメラとデジタルカメラは違います。
レコードとCDは違いますし、
デジタルとアナルグの差異ではありませんが、
三日月堂で話題にしたように、活版とオフセットだって違います。
世界はデジタル万能主義でデジタルが最上位だとされます。
でもそれはどうかな、と私は思うのです。

あ〜、エスカルゴ。なるほど、フランス語ですね。(^^)
でもエスカルゴって貝を摑む器具が使いにくいですし、
ニンニク食べてるだけのような味ですし、
一度食べればもういい、って思ってしまいます。
どんな言語でもそうですが、
やはり芸術とか抽象的な概念を扱う場合の言葉は難しいです。
即物的なことだったらわかりやすいというのはありますね。

昔の翻訳というのは翻案というか、
もっといえば多分に味付けしてしまっている部分があります。
上田敏までいくとほとんど創作とも言えます。
そういう方法でも良くて、むしろ歓迎されていたらしいのは
ある意味、自由ですし面白かった時代ということです。
その極端な例が日夏耿之介ですが、
それについてはそのうち書こうと思っています。
by lequiche (2020-06-26 02:06) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。