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巖本真理のショスタコーヴィチ [音楽]

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巖本真理 (巖本メリー・エステル、1926.01.19−1979.05.11) は日本の弦楽四重奏曲演奏の黎明期における最も重要な人である。
彼女は日本のヴァイオリン教育者として著名な小野アンナ (アンナ・ディミトリエヴナ・ブブノワ、1890.03.14−1979.05.08) に学び、若くしてその才能を開花させる。小野アンナはレオポルド・アウアー (1845−1930) の弟子であり、彼女に学んだヴァイオリニストには諏訪根自子、前橋汀子、潮田益子などがいる。日本のヴァイオリニスト (特に女性) の系譜は小野アンナから始まったと言っても過言ではない。

その巖本真理弦楽四重奏団のCDが3セットリリースされた。バルトークの全6曲、それにベートーヴァンのラズモフスキー第2番を含む6曲、モーツァルトの狩を含む3曲とメンデルスゾーンの第1番というセットであり、各2枚組である。
音源はニッポン放送の 「フジセイテツ・コンサート」 という番組のために録音されたライヴで、ニッポン放送開局65周年記念新日鉄コンサートシリーズとして出されたものとのことである。AM放送なのでモノラルであるが、その歴史的価値は大きい。
このシリーズには弦楽四重奏曲以外にもハイドンのコンチェルト第1番、そして諏訪根自子によるバッハのドッペルコンチェルトで巖本が2ndを弾いている1957年の録音があり、これらはすべてキング・インターナショナルという発売元でmade in Japanなのであるが、CDショップではなぜか輸入盤扱いとなっている。

巖本真理は1966年に常設の弦楽四重奏団である巖本真理弦楽四重奏団を結成し、定期的な演奏会を続けたが、その頃、弦楽四重奏というのはかなりマイナーで地味なジャンルであって、それをレギュラーで継続させたのは驚くべきことであり、弦楽四重奏曲へのシンパシィが感じられる。
たとえば1960年代から70年代の頃のバルトークに対する評価は、まだ前衛音楽であり、つまり現在ほどの理解は得られていなかったはずで、評価も当然ながら確立していなかったのではないかと思われる。バルトーク・ピチカートとして知られる第4番も、こうした公開のコンサートで演奏したのはこの弦楽四重奏団が初めてだったとのことである。

そのキング・インターナショナル盤の巖本真理なのだが、まだ感想を書けるほどには聴き込んでいないので、その前に少し違う話題を書いてみることにする。それはYouTubeにあるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第15番である。第15番 es-mollはショスタコーヴィチが書いた最後のクァルテットであり、作品番号も144となっている。全楽章がほとんど変ホ短調であり、速度もすべてアダージョもしくはアダージョ・モルトであり、すべてアタッカでつながっていて、やや異様な表情を備えた作品である。初演は1974年であり、ショスタコーヴィチは翌1975年に亡くなった。このような作曲家晩年の作品には、死を予感させる何かが時として宿っていて、この曲もそのように聴こえるといったらそれは思い込みに過ぎるのだろうか。
YouTubeに書かれているデータによれば巖本真理の演奏は1977年のエアチェックと記載されていて、ショスタコーヴィチの評価も当然、現在のようには定まっていなかったはずであり、そうした中でこの曲を取り上げたことに同時代的意識が感じ取れるのは確かである。そして巖本真理はその1977年に癌のため53歳で亡くなっている。彼女が亡くなったのは小野アンナの亡くなった日の3日後であった。

巖本真理弦楽四重奏団のセッション録音は少ない。それは単純に時代がまだ熟成していなかったこともあるが、何よりも弦楽四重奏曲に人気がなかったこと、だからレコードを出してもそんなに売れなかっただろうと思えること。そして彼女自身がナマで演奏することに重きを置いていたのではないかと感じ取れることにもある。音楽は一回性のもので、二度と還っては来ないという楽曲演奏への覚悟がそこに存在する。


巖本真理弦楽四重奏団/バルトーク:弦楽四重奏曲全集
(King International)
バルトーク : 弦楽四重奏曲全集 / 巌本真理弦楽四重奏団 (Bartok : The Complete String quartets / Mari Iwamoto SQ) [2CD] [ステレオ] [日本語帯・解説付] [国内プレス] [Live Recording]




巖本真理弦楽四重奏団/ベートーヴェン:弦楽四重奏曲集
(King International)
ベートーヴェン : 弦楽四重奏曲集 / 巌本真理弦楽四重奏団 (Beethoven : String quartets / Mari Iwamoto SQ) [2CD] [ステレオ] [日本語帯・解説付] [国内プレス]




巖本真理弦楽四重奏団/モーツァルト&メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲集
(King International)
モーツァルト、メンデルスゾーン : 弦楽四重奏曲集 / 巌本真理弦楽四重奏団 (Mozart, Mendelssohn : String quartets / Mari Iwamoto SQ) [2CD] [ステレオ] [日本語帯・解説付] [国内プレス]




ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第15番変ホ短調
1977年10月31日(月) Air Checked
https://www.youtube.com/watch?v=Xn_Lp-KCOa8

*トップ画像は東芝音楽工業盤のレコードジャケット。
 10インチ盤で手書きのタイトルが当時の雰囲気を偲ばせる。
 このデザインのままで再プレスして欲しい (無理でしょうね)。
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末尾ルコ(アルベール)

巌本真理弦楽四重奏団のショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第15番変ホ短調』、視聴させていただきました。
いいですね。ずっと聴いていたいくらいです。特に今、秋の夜長が深まって来た時節、この曲はとても夢幻的かつ思索的、そして初演がショスタコーヴィチの死の前年ということで、確かに死の予感めいたイメージもあります。ちょっとそうですね、見当はずれを承知で書かせていただきますと、ドイツロマン主義絵画が頭に浮かんでもきました。
巖本真理についてはまったく知りませんでした。とても興味深く拝読いたしました。特にわたしは日本における外国文化受容史的なものに大きな興味があり続けていますので、巖本真理という方の「戦い」と称してもいいような小史として実に刺激的なお記事です。
どのような国においても同様なのかもしれませんが、特に日本に住んでいるわたしたちは外国文化について、なぜか「これは日本で受けているのに、これはぜんぜん受けていない」という状況を頻繁に目にします。時にその状況はわたしたちに大きなストレスや不満を生み出していて、特に昨今は(なぜこれが日本ではまったく受け入れられないんだ)という現象が目に付きます。「受け入れられてないもの」を受け入れられるように持って行くためには膨大なエネルギーと、その対象に対する愛が必要なのではと思います。
それだけに巖本真理の戦いは刺激的で、大きな勇気を与えてくれるものだと感じました。

・・・

FMで録画しておいたアリア・ジョアン・ピルシェのベートーベンを聴ききました。
わたしのクラシック音楽強要ではピルシュのピアノについて感想を言えるだけのものはありませんが、しかしその優美な音色にはうっとりしています。

坂本龍一の『エスペラント』は愛聴アルバムです。
坂本龍一のソロはほとんど追っていながら、細野晴臣は、『銀河鉄道の夜』は大好きなのですが、積極的に追わずに来たのは、やはりはっぴいえんどを聴いた時に感じた、いささかもっさりした感じ、やや土着的な印象が、未熟者だった(今でもそうですが 笑)わたしにはピンと来なかったのだと思います。
YMOを筆頭としたテクノムーブメントが来た時には、まず何とはなしに反発を感じたのですが、内心は「ライディーン」とか「テクノポリス」とかを(カッコいいな)と思ってました。これら楽曲は日本のチャート史でもいまだ稀有な、「インストゥルメンタルがチャートインした」例となっているようですね。
などと書いていて思い出しましたが、当時はこそこそとPモデルやヒカシューなども買って聴いてました。プラスティックスなんてバンドもありましたね。でもYMOの才能は巨大過ぎました。
坂本龍一と言えば以前はしょっちゅう『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲を、「ありゃ、ダメだ」といかにも気に入ってない風に言ってたのですが、その後同曲をいろんな形で演奏し続けていて、表向きに言っているのと本音が違っていたのか、あるいは年齢を経るにつれて考えが変わったのか、興味深いところでした。
わたしは『戦メリ』の曲はさほど好んでませんが(映画は好きです)、ベルトルッチの『ラストエンペラー』『シェルタリング・スカイ』、アルモドバルの『ハイヒール』の曲、あるいは作品的にはいただけないけれど『嵐が丘』の曲さえも、彼の作って来た映画音楽は大好きです。

ブライアン・イーノのプロフィールを振り返ると、その作品群は膨大ですね。一つずつ聴いていきたい気持ちにかられます。
デヴィッド・バーンとコラボした『My Life in the Bush of Ghosts』なんかも大好きです。
ブライアン・イーノはもちろんその筆頭的存在ですが、シンセサイザーの音も優秀なミュージシャンの作曲そして演奏であれば、とても深く意味深く、時に人間的に聴こえてきます。ところがショボいミュージシャンの演奏だと実に安っぽく聴こえてくるのですよね。これが才能の違いというものかもしれませんが。  RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-09-22 05:36) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

1977年におけるショスタコーヴィチは
アップ・トゥ・デイトな作品であったというだけでなく、
当時のソヴィエト政権への迎合的作曲家というレッテルが貼られていて
イメージとしてあまり良くない印象だったはずです。
しかもこの第15番は聴き方によっては晦渋で、
ベートーヴェンの後期とは異なった意味でしんどさもあります。
そうしたショスタコーヴィチやシェーンベルクといった作品を
当時、演奏プログラムに載せてしまうのは
今よりもかなりリスクがあったように思えます。
巖本真理には日本の現代曲のアルバムもあるのですが、
入手しにくいものが多く、まだその全容が把握できません。

巖本真理は日本人とアメリカ人のハーフですが、
戦時中の反米感情を避けるために日本語名に改名しました。
師匠である小野アンナは結婚したため小野姓ですが、ロシア人です。
つまりヨアヒム→アウアー→小野アンナ→巖本真理
という系譜が存在します。
私はヴァイオリニストの師弟関係の系譜を
比較的重要視していますが、この系譜は最強です。
尚、オノ・ヨーコは小野アンナの姪です。
小野アンナは帝政ロシアのサンクトペテルブルク生まれですが、
ロシア革命を逃れて日本人と結婚し日本に来たというような
解釈もできます。
音楽やバレエにおいてロシアが重要な位置にあることは
ルコさんならご承知でしょう。
つまり小野アンナ→巖本真理という系譜においては
純粋な日本人とはやや異なった音楽に対するアプローチが
あったかもしれません。

ピリスのベートーヴェンはショパンやモーツァルトに較べて
あまり話題になりませんが、彼女のベートーヴェンは
独特の香気があると思います。
エラート盤のベートーヴェンは愛聴しております。

坂本龍一のエスペラントと細野晴臣の銀河鉄道の夜は
ともに1985年のリリースです。
銀河鉄道の夜はタイトルがエスペラント語で書いてあり、
この時期、2人にエスペラント語とそれにまつわる何かへの
憧憬があったのではないかと推察できます。
細野晴臣はアシッドなものから現代音楽に近いものまで、
そのテリトリーが広いので一面だけで評価できません。
アンビエントな作品を聴き直してみると
いままで気がつかなかった構造がわかってきます。
それと坂本龍一より歌がうまいのが強みです。(笑)
YMOの曲の場合も、ライディーンは高橋幸宏、
テクノポリスは坂本龍一ですが、
細野晴臣はというとインソムニアという感じで、
三者三様の個性が透けて見えます。
細野晴臣のYMO散開までの時期の提供曲には
スターボーの1曲目 (1982) とか、
松田聖子のピンクのモーツァルト (1984)、
そして風の谷のナウシカ (1984) などがあって、
どういうふうにも合わせて変わっていける人なんだ、
と驚きます。

坂本のベルトルッチのサントラは良いですね。
もはや巨匠芸です。
ただ私はモリコーネのいかにもイタリアな味が好きで、
あまり評価されないですけれどルナとか
ベルトルッチっぽいと感じます。

シンセというとその音色とかテクニックで
語られやすいですが、音楽というのは
結局センスとかポリシーで決まるのだと思います。
シンセは単なるツールに過ぎません。
シンセでやってもいいし、他の楽器でもいいのです。
by lequiche (2020-09-26 05:05) 

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