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追悼・筒美京平を読む —『ミュージック・マガジン』12月号 [本]

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『ミュージック・マガジン』12月号の特集は 「追悼・筒美京平」 となっていて、なんとなくすぐに買わないでいたのだが、買って読んでみたら大変に詳しい内容で面白く読んでしまった。
インタビューなどの記事もあるのだが、一番没入して読んでしまったのが何人かの評論家によって紹介されている各年代のヒット曲の解説である。こんな曲やあんな曲というバラエティさで、それはまさに職業作曲家であった筒美の特徴だが、1967〜1974年という、筒美のごく初期の作品の解説など、俗な言い方をしてしまえばまさに驚愕の作品群と思ってしまう。

1968年の作品として当時大流行のグループサウンズ、オックスの〈ダンシング・セブンティーン〉が取り上げられているのだが、オックスのデビューから5曲はすべて作詞:橋本淳/作曲:筒美京平によってつくられているのだということを初めて知った。つまり〈ガール・フレンド〉も〈ダンシング・セブンティーン〉も〈スワンの涙〉もこのコンビの作品なのである。グループサウンズ (略してGS) とはすごく大雑把に言ってしまえば日本における最初にして最大のバンドブームなわけで、だがおそらくそうした音楽がもてはやされた背景には、世界的に流行していたビートルズやローリング・ストーンズからの影響があったのだろうが、その頃の日本の音楽的土壌の中で、GSがあっという間に日本の歌謡曲的テイストによって懐柔され変質していったととらえることもできるのであり、筒美もその首謀者のひとりであったというふうに見ることができる。これは決して筒美を貶めて言っているのではない。洋楽をいかに日本の音楽シーンの中に根付かせるかという素朴な動機があったのだと思う。だが同時に、売れなければ音楽ではないというような経済的思惑も働いていたのである。

このオックスの最初の3曲はすべて1968年にリリースされたシングルであるが、同年の12月25日に発売されたのが、いしだあゆみの〈ブルー・ライト・ヨコハマ〉である。おそらく筒美京平における最初の大ヒット作品であるが、「覚えやすいメロディながらAメロが9小節という破格の構成」 (p.45) と書かれている。これはこの前の《関ジャム》の筒美特集でも触れられていたと思う。しかもそれだけでなく、サビは10小節で、これもかなり異端である。つまり曲全体の小節数は9+9+10+9という構成なのだ (歌謡曲やポップソングは普通、12小節、16小節、24小節といった4の倍数の小節数であることがほとんどである)。そのイレギュラーさが問題なのではなく、イレギュラーさを全く意識させないように作られているということが驚きである。

これは翌1971年6月にリリースされた南沙織のデビュー曲〈17才〉でも同様なトリッキーさで展開されている。この雑誌の解説ではイントロが3小節とあるが、楽譜がどのように書かれているのか不明なのだけれど、イントロの最後の音は4小節目の1拍目なのだから、歌詞の 「誰もいない/(海)」 までを含めて4小節と考えるのが妥当のように思える。すると 「〜海/二人の愛を」 以下の繰り返しの部分が9小節、サビが 「(走る)/水辺のまぶしさ」 から数えて11小節、そして最後の 「(私は)/今/生きている」 が4小節ということになる。〈ブルー・ライト・ヨコハマ〉と似たポップスらしくない凝り方なのであるが、それをこの時代にわざわざ作ったというところに、筒美の気負いを感じるのである。

1985年12月発売の少年隊のデビュー曲〈仮面舞踏会〉(作詞:ちあき哲也、編曲:船山基紀) はジャニー喜多川から 「100万枚売らないといけない存在」 (p.72) と言い渡され、筒美にとってもすごいプレッシャーだったと書かれている。5拍子で始まるイントロは船山がキーボード奏者の大谷和夫に弾かせたものだとのこと。全体的な編曲は派手でその当時の最新の電子音が散りばめられているという感じなのだが、今聴くとベースのリズムはチープでスカスカである。流行の音というのは必ず陳腐化する見本のようで、逆にそれがその時代を象徴しているようで空虚な美しさに満ちている。
だがこのリストを見ていると、この辺りを境にして、それ以後1980年代の後半にかけ、筒美作品は次第にしぼんでゆく。もちろん佳作品はいくつもあるのだが、歌謡曲としての需要の方向性が次第に変わっていったのではないかと感じる。いわゆる渋谷系の擡頭があり、そうした中で筒美も小沢健二やPIZZICATO FIVEに曲を提供しているが、「大きな潮目の変化を感じざるを得ない時代」 (p.77) になってしまったのは否めない。
つまり60年代の終わりから80年代の終わりにかけての約20年間が、筒美京平の最高潮だった時期というふうにとらえることができると思う。


ミュージック・マガジン2020年12月号
(ミュージック・マガジン)
ミュージック・マガジン 2020年 12月号




いしだあゆみ/ブルー・ライト・ヨコハマ
https://www.youtube.com/watch?v=XKhsCLh86Dg

南沙織/17才・他
https://www.youtube.com/watch?v=fapJ3BNYTLI

少年隊/仮面舞踏会
https://www.youtube.com/watch?v=87Ns9QIcRSA

PIZZICATO FIVE/恋のルール・新しいルール
https://www.youtube.com/watch?v=t4Jo26CQfR0
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コメント 10

song4u

京平さんのご逝去は、本年最大のショックでした。
“職業作曲家”という表現は、ひょっとしたら京平さんが
一番喜ぶもののひとつかもしれません。
色々な才能を持つ作曲家は今後も続々登場すると思いますが、
京平さんのような極めて幅の広い作家は不世出と思います。

by song4u (2020-12-12 10:48) 

kick_drive

こんにちは。2~3日前偶然ですがYou Tubeで若いころの
いしだあゆみさんの動画観ました。メチャクチャかわいかったです。

昔いた会社に筒美京平さんが好きな先輩がいました。
その先輩は筒美京平さんの作曲した楽曲なら誰のでもレコードや
CDを買うと言っていました。
実際に「えっこれも?」という楽曲がありすぎて本当に驚きますよね。

by kick_drive (2020-12-12 14:39) 

lequiche

>> song4u 様

どういうふうにでも作れて、かつ売れるという自信が
筒美京平のプライドだったのだと思います。
ただ時代がだんだんとそうした作曲家を
必要としなくなってきたのも事実です。
これだけの多彩さを持つ人は、もう出て来ないでしょう。
by lequiche (2020-12-12 23:02) 

lequiche

>> kick_drive 様

筒美先生の大ファンという人、たくさんいるんでしょうね。
え、これも? というので一番驚いたのはもちろん
〈サザエさん〉です。いまだに使われているのですから。

いしだあゆみは〈ブルー・ライト・ヨコハマ〉も良いですが、
その前の〈太陽は泣いている〉が好きです。
懐かしさを感じてしまうメロディラインって何なんでしょうか。

いしだあゆみ/太陽は泣いている
https://www.youtube.com/watch?v=7KO_mDMqPnE
by lequiche (2020-12-12 23:03) 

英ちゃん

私は、筒美京平作品で育ったと言っても過言ではありません(^▽^;)
まぁ、私等の年代の人は皆そうだと思うけどね(;^ω^)
特に、私は岩崎宏美さんのファンだったので岩崎宏美さんの初期の頃は大変お世話になりました(;'∀')
筒美京平さんが亡くなられたのは非常に残念ですが、筒美京平作品は永久に不滅です(^-^;
by 英ちゃん (2020-12-13 01:48) 

末尾ルコ(アルベール)

歌謡曲を積極的に聴いていたわけではないので、筒美京平についても漠然とした感想となりますが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」がそのような構成を持った曲だとはまったく気づきませんでした。
「ブルー・ライト・ヨコハマ」はわたしが物心ついた自分には既に「名曲」扱いの有無を言わせぬ雰囲気が感じられていたです。一度聴いたら忘れられないこの歌、いしだあゆみをそれほどテレビで見た記憶はないし、この曲を知ったのはリリース後ある程度の年数を経ていたはずですが、それでも1番は歌えてましたし、今も覚えてます。
と書きながら曲を思い出すにつれ、(確かに変わった構成だなあ)と感じ始めました。今後じっくり聴いてみます。
そこで筒美京平の作品を振り返ってみましたが、好き嫌いと言うよりも印象に残っている曲を挙げますと、「おれは怪物くんだ」・・・どうも「アニメ、アニメ」の日本の現況がどうなのかと思っているわたしですが、こども時代はシンプルなアニメをよく観ていました。でもあらためて年表を見ると、このアニメも再放送を観ていたようです。「また逢う日まで」・・・このスケールの大きさは、日本の歌謡曲の中では出色ではないかと。ロマンティシズムも横溢していました。「わたしの彼は左きき」「花とみつばち」・・・子ども時代、郷ひろみは(気持ち悪い)と感じてました。最近「花とみつばち」というタイトルを知り、これも昨今にはない感覚だとおもしろく感じました。「ロマンス」・・・岩崎宏美の髪の毛がキューティクルで輝いてました。子どもには魅力的でした。これを宮本浩次がカヴァーしていて、とてもおもしろいです。「セクシー・バス・ストップ」・・・この曲を歌う浅野ゆう子を知っているわたしは、「女優浅野ゆう子」にはまったくノレませんでした。「最後の一葉」・・・とても物語的で、確かOヘンリーの短編をモチーフにしていたと思いますが、印象的な歌でした。「魅せられて」・・・これはハマりました。振付付きでよく物真似してました。宮本浩次に歌ってもらいたいような、怖いような(笑)。「セクシャル・バイオレット No.1」・・・桑名正博は歌詞の合間に「ボビエー!」と叫ぶんです。いまだこの「ボビエー!」って何だったんだと不思議です。「デカメロン伝説」・・・当時としては曲もアクションも特別感がありました。少年隊はジャニーズ新時代という印象でしたね。

> 空虚な美しさに満ちている。

この「空虚な美しさ」というフレーズ自体があまりに美しい!
でも日本の文化って、けっこうそのような要素が多いような気も。宝塚なんかも「美しい」と言い切るのには躊躇しますが、「空虚な美しさ」・・・う~ん、このお言葉がとてもフィットするような。

そして確かに90年代からの筒美京平、知ってる曲自体グッと少なくなりました。

・・・

> こういう時期だからこそ服を作らなくてはならない

きっとそうなのですよね。
東日本大震災の時にも「こんな時エンターテイメント(あるいは芸術)は何の意味があるのだろう」と多くの表現者の人たちが悩んでました。
でもエンターテイメント・・・と言いますか、芸術はわたしの認識では「人間が最も窮地に陥っている時こそその真価を発揮するもの」なのでして、そもそも「余裕のある時だけのたのしみ」ではないと思ってましたから、少々意外な状況でした。
表現者の方々には、どん底から湧き上がってくるような精神を持っていただきたいと望むのです。

> 藤圭子的な演歌のテイスト

なるほどです。
わたし日本のフォークの一部には子どもの頃から演歌的な曲想や精神性を感じていました。
と言いますか、売れ線のフォークに特にそうしたテイストが多かったと感じてました。
ユーミンはまあそういうのとは最初からぜんぜん違ってましたよね。
そう言えば今ふと頭に浮かびましたが、中島みゆきって、梶芽衣子の『女囚さそり』シリーズな、「パワフルな怨念とグロな美」的雰囲気もあるかなあと。
これはわたしの深夜の思いつきに過ぎませんが(笑)。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2020-12-13 02:26) 

lequiche

>> 英ちゃん様

岩崎宏美、そうなんですか。
リストを見ると初期の曲はすべて筒美京平ですね。
特徴のある声をいかに効果的に出せるかということにおいて
完璧な曲づくりだったと思います。
筒美全作品のシングル売上げでも第5位ですね。
これはすごいです。
その時に流行している音楽をうまく取り入れる
ということが職人的に上手かったということですが、
洋楽と伝統的日本のメロディとのミックスが
とても上手かったというふうにも言えます。
by lequiche (2020-12-14 05:05) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ブルーライト・ヨコハマのイレギュラーさについては
私も全く知りませんでした。
それを知ったのは、ついこの前の《関ジャム》の中での指摘で、
小節数を早速数えてみたらその通りで、愕然としました。
でも、音楽とはそういうものなのです。
シンプルにわかりやすそうに見えてもその裏に
必ずいろいろ仕掛けがあったりして、いじわるなのです。
麻丘めぐみも〈わたしの彼は左きき〉の中で
「いじ、わる、い〜じ〜わるなの〜♪」 と歌っていますし。(笑)

ルコさん、アニメの主題歌など随分お詳しいですね。
何曲も筒美作品をあげていますが、私は全部知りません。
実際に聴いてみればわかる曲もあるかもしれませんが。
〈最後の一葉〉という曲はYouTubeで探してみましたが
初めて聴きました。
wikiにはヒットチャートに入った曲だけで500曲とありますが、
全部で何曲くらい書かれたのでしょうか。
もうホントにありえない曲数のように思います。

音楽は、特にこうした流行歌というものは、
その時代に合わせたものですから、
時代を超えて聴くと違和感があったり陳腐だったりしますが、
その時代には必然だったのです、たぶん。
ですからそれを後の時代の価値観で推し量っては
なんか違うものになってしまうような気がします。
ですから中身が空っぽのように思えてしまっても、
それは今見るからそのように思えてしまうだけなんですね。
その時代には中身はいっぱいでパンパンだったはずです。
それで 「空虚な美しさ」 と書いてみたのです。

宝塚は歌舞伎の裏返しというコンセプトなわけで、
そうしたやや異形の美学はそもそも日本の伝統のように感じます。
坂道アイドルだって、今はもてはやされていますが、
あと何十年か経ったらどのように評価されるのかはわかりません。
一種のフェイクであり、もっといえばフリークスのテリトリーに
ひっかかってしまうのかもしれません。
ジャニーズもそうです。ジャニーズは歌舞伎と同列なのでなく、
宝塚のさらに裏返しなのだと思います。
そしてなにが正当でなにが異端かはその時代によって変化するのです。

川久保玲が決してくじけてはならないと言っているように、
たかがウイルスにひれ伏していてはいけないのです。
ボブ・ディランも、ブルース・スプリングスチーンも、
ポール・マッカートニーも次々にアルバムをリリースしましたが、
それはこの年の災厄に負けないという意思表示だと思います。
実際にものづくりの時間がありましたし。

フォークソングというジャンルは
もともとトラディショナルな音楽を示していますが、
それは西洋音楽におけるトラディショナルなのであって、
日本の伝統音楽というか、もっと正確にいえば
日本古来の民衆における音楽は西洋フォークとは違います。
さらにそうした和洋の混在するなかに
ニューミュージックというような曖昧な概念があって、
その区別をよりわかりにくくしているようです。
すごく簡単にいえば日本の素朴な、というか
わかりやすくいえば土俗的な領域における
日本の本来の音はヨナ抜きで、いわゆるペンタトニックですが、
でも西洋のペンタトニックとはやや違うと私は思います。
そして同じフォークというジャンルの中でも
日本的なのか西洋的なのか、そのどちらでもないものも含めて、
音楽性の異なった人たちとその曲が混在しています。

梶芽衣子という人を私は知らないのですが、
なんとなくその雰囲気というのはわかります。
たぶん同じフォークというジャンルの中でも
日本的あるいは非日本的なものとがあって、
中島みゆきは日本的な音構造を基本にしているのではないか
というふうに思います。
by lequiche (2020-12-14 05:06) 

ぼんぼちぼちぼち

ええっ!オックスのデビューから五曲は筒美さんの作品だったのでやすか!
オックスもけっこう好きで、先日、ファーストアルバムのCDを買ったところでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-12-15 21:47) 

lequiche

>> ぼんぼちぼちぼち様

はい。GSはグループ内で作曲しているのではなく
ほとんどは与えられた楽曲です。
オックスは筒美京平ですし、
タイガースはすぎやまこういちですね。
つまりグループサウンズの楽曲というのは
ほとんどが歌謡曲の変形と考えることができます。
その中でスパイダース、テンプターズは
メンバー自身の曲がやや入っていますので
その当時の時代背景を考えますとかなり評価できます。
ブルー・コメッツとワイルド・ワンズは
メンバー内の作曲ですが、井上忠夫、加瀬邦彦は
職業作曲家といってもいいので、除外です。

オックスは有名GSの中ではカルトですね。
アルバム収録曲には
レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザーや
ホリデイのカヴァーがありますが、
聴いているとこそばゆい感じで (笑) なかなかです。
赤松愛の弾いていたオルガンはヤマハのA-3という機種で
当時、この手のコンボオルガンは
ほとんどこれしかない、という状態だったらしいです。
by lequiche (2020-12-16 02:26) 

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