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野呂邦暢『愛についてのデッサン』を読む [本]

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野呂邦暢『愛についてのデッサン』を文庫本で読む。芥川賞作家とのことだが知らなかった。なぜ読んだのかというと古書店主が主人公の小説だということだからである。古書店は現在、すでに時代遅れの存在になっているのかもしれないが、そのように思わない人のための話としてはうってつけである。

主人公・佐古啓介は古書店主というとついイメージしてしまうような老人ではなく、25歳の若者である。父親の遺した古書店を引き継いだのである。古書店は阿佐ヶ谷にあって、間口一間のごく狭い店舗という設定になっている。
店には本ならなんでも置いてあるわけでなく、小説・歴史・美術関係の本しかなくて、しかも自分の好きな作家だけを選択するという、ある意味わがままな方向性の古書店である。オリジナルは1979年に刊行されたとのことだが、その後、古書店も次第に変貌し、たとえば絵本だけの古書店とか、住宅街の中にぽつんとある店舗とか、それまでのイメージとは異なる古書店も出現してきたということもあって、なかなかやるじゃん! と思ったのだが、さらにその後、古書店に限らず町の中から新刊書店も消えつつあるというのが、昨今の嫌な情勢である。

表題作の 「愛についてのデッサン」 は6つの短編の連作になっていて、ややミステリー風味なのだが、でもミステリーではない。古書の話と旅の話が絶妙にからみあっていて、しかもとても読みやすくてそれでいて格調の高い文章で、作家の技倆の高さが感じられる。
詩集が、それもあまり知られていない詩人の詩集がストーリーの重要なアイテムとなっていて、そして自筆原稿という、もっとマニアックな部分に話がおりて行く。けれどそれだけでなくて、父と息子の関係、それぞれの過去の話、恋の話などが語られるのだが、そして最後に父の歌集に辿り着くのだが、それらは錯綜することなく整然とした静謐な美学に満ちていて、解説者の岡崎武志は、野呂を 「梶井基次郎の後継者」 と評しているがそういう見方もできるのかもしれない。

「愛についてのデッサン」 以外に幾つかの短編が収録されているが、「隣人」 という作品はブラックなポトラッチで少し笑う。好きなのは 「恋人」 という短編で、この冒頭は非常に美しくて、かつ技巧的で、分析しようかと思ったがそんなことをしたら、かえって下品なので思いとどまった。一種の懐かしさのような、その時代を如実にあらわしている書き方で、それでいて古くなっていない。不思議な作家だなとも思う。42歳で亡くなってしまったのが惜しい。

歌集といえば最近は川野芽生の『Lilith』、そして穂村弘の『シンジケート』の新装版を買った。川野芽生の帯には山尾悠子の推薦文がある。そして装幀の色彩が早川書房から出たヴァージニア・ウルフの『波』新訳版と雰囲気が似ている。この前、書店でみたら『Lilith』は再版になっていた。
穂村弘の新装版はマテリアルが今過ぎて、でもプラスチックは劣化するぞ、といらぬ心配をしてしまう。サイン本でした。ヒグチユウコの絵、帯の言葉は大島弓子。


愛についてのデッサン——野呂邦暢作品集 (筑摩書房)
愛についてのデッサン ――野呂邦暢作品集 (ちくま文庫)

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末尾ルコ(アルベール)

野呂邦暢『愛についてのデッサン』、おもしろそうですね。時々歴代芥川賞受賞者のチェックをしてまして、なので野呂邦暢の名も見たことあるはずですが、記憶には留まってませんでした。

>自分の好きな作家だけを選択する

本来古書店、だけでなく、普通の書店もそんな個性があってしかるべきだったのですが、今は昔ですね。高知でもそんな感じの書店、近所にさえいくつかあったんですけどね。

>「梶井基次郎の後継者」

へえ~。わたし梶井基次郎大好きですから、こりゃあ読まなきゃという気が俄然してきました。梶井基次郎、折に触れ紐解く作家の一人です。
和歌・短歌には明るくないですが、穂村弘は何冊となく読んでます。ただわたしにとってはややもたれる感じがあるかな。(大好き!)とまではいきません。寺山修司の歌集を持ってますが、これは文句なしに凄いですね。

・・・

>顔が卑しいですね。

ですよね。
この「卑しさ」という人間性、もっと広範に周知されるべきですが、政界や財界、あるいはメディアの方々の少なからぬ人たちが自らの「卑しさ」を無意識に自覚しているからなのでしょうか、
まあこの言葉は下手に使うと差別になりかねませんので慎重な運用が必要にはなりますが、「卑しい」という言葉や概念はもっと膾炙させるべきだと思いますね。「卑しい」という言葉を知っているからこそ「卑しくなりたくない」という意識が生まれますから。「自分は馬鹿だから」と平気で言えても、「自分は卑しい人間です」とはなかなか言い難いでしょうからね。意味を知っていれば。
それにしても「卑しい」という言葉(だけではないですが)が現状のように実に稀にしか聞かない・見ない言葉になっているのは、世の中にそれだけ「卑しい人間」が増えてしまったからかもしれないなと、エビデンス(笑)なしに想像しています。

あと、最近また「ルッキズム」という概念が広まってきた、もちろん人の容姿についての無神経な発言は控えるべきですが、しかしある言葉や概念がちょっと流行ると何でもかんでもそれを使って断罪しようとする単細胞が多いですよね。すべてはケースバイケースなのですが、その辺りの繊細な知的・精神的作業ができない人でいっぱいですね。

>名前は知ってるけれど単なる記号であって、中身は知らない。

>大いなる空虚です。

「中身なし」「空虚」、まさに今の日本を表現するのにぴったりですね。例えば最近では「映画を早送りで観る」人が増えているといいますが、それで「観たことになる」という貧しくも不遜な考えでよしとできるのが驚きです。それで言えば、スマホで映画全編を観て「観た気になる」というのも文化芸術に対する不遜であり毀損であると思いますし、紙の本に触れることなく電子書籍ですべて済まして満足している人たちの考えとも相容れることはできません。
そう言えば最近、安倍前首相が「五輪に強く反対する人たちは反日的」的な発言をしていて、まあその媒体が『月刊Hanada』では推して知るべしですが、それにしてもここまで幼児的な思考の人が長きに渡って首相を務めていたことにあらためて驚きます。またそれに同調する「識者」とか一般人とか多くいますからね。

1991年のヒット曲を見てみますと、この点では今の方がずいぶんよくなっている感もありますが、小田和正なんかはどのようにお感じになりますでしょうか。
わたしはちょっとなかなか無理なのですが(笑)。

>押しつけられるものは私は全て嫌いなので。

わたしもです。結局日本人の多くが(流行に乗らなきゃならない)的な行動をしてしまうのは、「自分で決断できない」、ひいては「自由の意味を理解してない」と究極的には言えるのかもしれません。「束縛されるの大好き」な日本人、多いですよね。    RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2021-07-05 02:55) 

mitu

読んでみたいです
絵本の古書店(というか、自宅で絵本文庫みたいな^^)をやってみたいなと。。。
by mitu (2021-07-05 06:44) 

U3

野呂邦暢の芥川賞受賞作は『草のつるぎ』です。
私は、長崎の原爆の夜の出来事を綴った自伝エッセィを読んだだけですが、とても印象に残るものでした。
by U3 (2021-07-05 08:53) 

きよたん

読んで見たい本です
探してみます
by きよたん (2021-07-05 09:38) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

書店というのは本来、自分の店で売る本を選択して
それを注文していたはずだったのですが、
取次がパッケージで小売書店に卸すようになってから
どこの書店も同じで個性がない状態になってしまったのだ、
ということらしいです。
取次にも問題がありますが、書店の安直な方法論にも
同様に問題があることはあきらかです。

梶井基次郎に関しては、私はやや違うかなぁと思います。
ただ、人により受け取りかたはさまざまですから
そのような印象でとらえることもあるのでしょう。

穂村弘は短歌だけでなく多くの方面で活躍されていますが、
本来の出発点である短歌の新装版というところに
ああなるほど、という納得感があります。
塚本邦雄の推薦文も併載されていますが、
穂村弘も川野芽生もそうですけれど、
基本的に塚本邦雄の現代短歌への影響力は大きいです。
極端にいえば塚本邦雄を読んでいないと
わからない部分というのは確実に存在します。

面白いことに廻船問屋はどこまでいっても廻船問屋なのです。
改心してまともな人間になるということは皆無で、
とても頑固で、柔軟な頭がありません。
「ルッキズム」 なる言葉は知りませんでした。
見た目は大事ですが、見た目が全てではありません。
確かにケースバイケースというのはありますね。

「映画を早送りで観る」 ってホントなんですか?
ギャグに近いですね。
もっとも 「本をななめに読む」 というような慣用句は
昔からありますから映画早送りもありなのでしょう。
スマホ信仰はどんどん拡大しているようで、
電車の中はスマホに拝謁している良き信仰者ばかりです。
食事をするときもトイレに入るときもスマホは良き友、
というよりは崇高なる神であって、
依存症であるのにもかかわらず誰も何も言いません。
不思議ですし、うそ寒いものを感じます。
スマホは依存症患者の 「安心毛布」 なのです。

オリンピックについてはスポーツ界だけでなく、
当然かもしれませんが経済界からも何の発言もありません。
沈黙して開催を待つばかりなのでしょう。
けがらわしいので、もう話題にもしたくないのです。

小田和正ですか。よく知りませんのでなんとも言えません。
ただ、これはそのうち書こうと思っているのですが、
日本の音楽は思ったより進化していないのです。
それは主にリズムなのですが、
まだそれをうまく言葉にできないでいます。
結局、日本人のリズム感覚のルーツは民謡なのです。
これは意外に深い意味を持っていて、
最近の流行の最先端である音楽、
たとえばヒゲダンのようなものまで含めて、
連綿と続く共通項があるのに気がつきました。
これは民族的資質の持つ限界なのかもしれません。
by lequiche (2021-07-07 05:00) 

lequiche

>> mitu 様

絵本の古書店、良いですね。
かなり需要はあるのではないかと思います。
絵本文庫というのも良いですね。
MOEが売れているのもなるほど、と頷けます。
by lequiche (2021-07-07 05:00) 

lequiche

>> U3 様

なぜ自衛隊なのかという、
彼の本来の資質と遠い関係性に不思議さを感じます。
それには長崎という土地のいわゆる特殊性も
あるように思えます。
by lequiche (2021-07-07 05:01) 

lequiche

>> きよたん様

6月に発売されたばかりの文庫ですので、
大きい書店なら平積みになっているはずです。
是非読んでみてください。
by lequiche (2021-07-07 05:01) 

coco030705

こんばんは。
これは面白そうな本ですね。lequiche さんのご紹介が行き届いているので、読みたくなりました。ぜひ買ってみます。
コロナ禍で、アマゾンでたくさん本を買ってしまい、ツンドクがいっぱいです。lequiche さんは読書の速度は速いのですか。
by coco030705 (2021-07-08 01:07) 

リュカ

興味が湧きました^^
図書館をチェックしたら「愛についてのデッサン-佐古啓介の旅-」っていうタイトルを発見。借りてみます。
by リュカ (2021-07-08 13:16) 

lequiche

>> coco030705 様

あくまで私の好みですので、
お口に合うかどうかはわかりませんが、
よろしければ読んでみてください。

本は買っておかないと
手に入らなくなってしまうことがありますので
私も買うようにしています。
出版業界を助けるためにもできる範囲で買わないと、
と思っていますので。(^^;)
本なんてほとんどツンドクですよ。
買ったうちの3割くらいっきり読みません。
あとは、いつか読むかもしれないという本だったり
資料としてとりあえず買っておく本だったりします。

読書スピードは本によって違うかもしれません。
楽しく読みたい本は、じっくりと時間をかけてしまいますから。

あと、音楽業界のためにもと思ってCDも買っています。
買い過ぎて未開封のCDがあったりします。(恥 ^^;;)
by lequiche (2021-07-09 03:25) 

lequiche

>> リュカ様

この文庫は再刊本ですので、
以前に出された本なら同じだと思います。
野呂邦暢は今、現役で出ている本が少ないらしいので、
図書館にあるのならそのほうがラッキーですね。
by lequiche (2021-07-09 03:25) 

うりくま

ブログを拝見し、ちくま文庫の「愛についてのデッサン」
を読みました。作中に出てくる作品(「測量船」「万延
元年のフットボール」等々)も好きなものが多くて・・
佐古書店が阿佐ヶ谷に実在したら挙動不審な客として
度々立ち寄ったのではないかと思われます。(万引き
ではなく、買わずに立ち読みばかりする迷惑な客?)

静謐さ、ある種の憂鬱さ、仄暗い情熱等、作品のトーン
や言葉の選び方も扱う書物と共通するように感じられ、
言われてみれば梶井系列という気もしました。

もう少し読んでみたくなり「落城記」収録の「小説集成
5」と迷った挙句、文芸春秋「野呂邦暢作品集」(中古)
を追加購入しました。「白桃」「草のつるぎ」「壁の絵」
「諫早菖蒲日記」やエッセー等が収められているもので
すが、ご紹介頂かなかったら一生手に取る機会はなかっ
た本です。なかなかの掘り出し物、有難うございます!
by うりくま (2021-07-11 23:56) 

lequiche

>> うりくま様

他の著作までお読みいただいているようでおそれいります。
私も読まなくてはいけませんね。(^^;)

中に出てくる他の本のタイトルはこの小説が書かれた当時の
著者の嗜好とかその時代に求められた本がどんなだったか、
ということがわかるようにも思えて、
別に古くさいとかではなくその時代を反映しているのが
ノスタルジイを刺激します。

先日、通りすがりに見知らぬ古書店を発見し、
入ってみると異空間的な味わいがあり面白いのです。
でも、これだ! という本は意外になくて
買わずに帰ってきたのですがあらためて行ってみたい
というような気持ちがあります。
古書店のほうが本に対する好奇心を満たす要素が
まだ多く残っているような気がします。
by lequiche (2021-07-12 14:01) 

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