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穐吉敏子〈Memory〉 [音楽]

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穐吉敏子 (1978/wikipediaより)

別件でYouTubeを探していたら偶然、穐吉敏子の2008年の録音を発見した。それは長崎県のアートクロウジャズアンサンブルというアマチュアのビッグバンドに穐吉が客演したときの演奏である。
解説を読んでみると、バンドリーダーであったトランペッターの内田真嗣さんというかたが昨年末に亡くなられて、その追悼として上げられた音源とのことである。内田真嗣さんは穐吉敏子のファンで、穐吉作品をやるためにビッグバンドを立ち上げたそうだが、そのバンドに穐吉さん本人を招いて演奏した最初がその2008年の録音とのこと。
動画 (といっても音のみだが) を作成してYouTubeにあげたのは同バンドのサックスプレイヤーである遠藤理史さんだと思われる。

YouTubeで聴けるのは〈Memory〉だが、この曲は穐吉のビッグバンドの最初のアルバムである《孤軍》(1974) のA面2曲目に収録されているヴァージョンではトランペットが非常に重要な役割を果たしている。というよりほとんどトランペットソロのためのヴァージョンといってよいが、その構成を踏襲している。
ネットを探すと長崎県音楽連盟というサイトの2008年08月14日の記事にコンサート開催の紹介記事があり、それによればコンサートは2008年11月3日に長崎ブリックホールの大ホールで行われたようである。

〈Memory〉という曲は悲哀を帯びたメロディラインが印象的であり、《孤軍》では音楽に被せられた声が愁いを濃くする効果を担っていた。アートクロウジャズアンサンブルのライヴでは重ねられる声はもちろん無いが、その悲哀の深さは変わらない。そしてそれを吹いていた人の追悼として聴くと、Memoryというタイトルがあまりに痛切な意味をもたらしてくれているように思える。


〈エレジー〉という曲について、と2016年のリンカーン・センター・ライヴについてはすでに下記の記事に書いた。

エレジー — 穐吉敏子に
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2012-02-17

リンカーン・センターのライヴ — 穐吉敏子・1
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2021-05-08


Art Crow Jazz Ensemble
Shinji Uchida (tp) with Toshiko Akiyoshi (p)/Memory
live in Nagasaki Brick Hall 2008.11.03
https://www.youtube.com/watch?v=hFLy_uPQYQM

Toshiko Akiyoshi-Lew Tabackin Big Band/Memory
アルバム《孤軍》A-2
https://www.youtube.com/watch?v=kQGFYErcZTo

長崎県音楽連盟
2008.08.14 Thursday
穐吉敏子in長崎 withアートクロウジャズアンサンブル
http://web.n-rond.jp/?eid=1108633
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末尾ルコ(アルベール)

別件でYouTubeを検索していると、視聴したくなる動画候補が多く出てきて困りますよね。
穐吉敏子は最近新聞にエッセイ的な記事が掲載されてまして、若き日、米国時代の経験などを語っておられました。その時代、「女性」でしかも「アジア人」である彼女がいかに大きな苦難と対峙していたか、その一端の分かるお話でした。
「Memory」、聴かせていただきました。静けさの中からエモーショナルな気持ちが沸き上がってきました。遠くへ遠くへトランペットの音を届けるようにと、そんなパッションも感じられました。穐吉敏子の音楽、もっともっと聴きたくなりました。

YMOの武道館ライブ、皆カッコいいですが、特にわたし、矢野顕子に魅せられてます。あの動き、あの表情、どうにもロックでパンクに感じちゃうんです。
高橋幸宏の「粋」というの、納得です。かくいうわたしも10代の時期はそれが理解できてませんでした。どうしても細野晴臣と坂本龍一の、天才・異才オーラに気が行ってしまい、高橋幸宏の軽快さの凄みが分からなかったです。
それにしてもバート・バカラックですか。わたしなんて『明日に向かって撃て』の名シーンに感動してるのに(今でも観ると感動です)、バカラック、それだけで止まってますから。いやいや、今後愉しみにバカラック、聴いていきたいです。
バカラックの曲との関連だったか明確ではないですが、何らかの洋楽曲との類似についてピーター・バラカンが高橋幸宏に、「こんなんじゃダメですよ」と指摘すると幸宏さん、「誰も分からないからいいんだよ」的に応じたというやり取りを記憶しています。
それと細野晴臣、『スイッチインタビュー』で小林信彦との対談が放送されました。小林信彦は90歳なんですね。後編もおもしろそうです。                    RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2023-01-26 20:43) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

すみません。この穐吉敏子の記事は後半があるのですが、
時間がかかるのでとりあえずこれだけで上げてしまったものです。
新聞にエッセイが掲載されていたのですか。
穐吉の『ジャズと生きる』という岩波新書があったのですが
現在は品切れのようです。
その本には女性であること、そしてアジア人であることについて
数々の差別や迫害を受けたことが書かれていました。
日本人女性にジャズなどわかるわけがない、という偏見です。
最近は挾間美帆のようなビッグバンド・ジャズへのアプローチも
やっと出てきましたが、そもそもビッグバンドというのは
日本ではあまり好まれないようなので
それで押し通すのはなかなかむずかしいです。

矢野顕子、カッコイイですね。
この時期の6人で演奏しているYMOが私もベストだと思います。
このYMOファミリーに関しても続きがあるのですが
とりあえず幸宏さんのことだけで書いてしまいました。
幸宏さんの1stアルバムは《サラヴァ!》(1978) ですが
サラヴァ (Saravah!) という名称はもちろん
ピエール・バルーのレコード・レーベルをあらわしています。
そしてバルーがサラヴァを設立した動機は
ブリジット・フォンテーヌを世に出すためでした。
サラヴァからの2枚目のフォンテーヌのアルバムが
あの《ラジオのように》(Comme à la radio/1969) です。
幸宏さんの1stアルバムがリリースされた頃の
フォンテーヌのアルバムは《Vous et Nous》(1977) で
情熱は少し低下し、サラヴァ自体の経営もあぶなかったときで、
そこにあえて《サラヴァ!》というタイトルを持ってきたところに
幸宏さんの気概を感じます。

スイッチインタビューですか。
面白そうですね。ちょっと探してみます。
by lequiche (2023-01-28 00:54)