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高橋幸宏をめぐる話 [音楽]

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昨日のつづき、です。

『ミュージック・マガジン』の増刊号はかなり便利と書いたが、それは間違いで、ようするに過去記事の寄せ集めなので重複しているデータもあり、あまり便利ではなく大変読みにくい。拙速で出したのでこんなクォリティなのだろうけれど、それに過去記事をスキャンしているので古いフォントで画質の悪いページもあるのだが、それが面白いといえばそうなのかもしれない (最終的にはきちんとしたリストが欲しいものだ)。

ざっと読んだので気になった個所をピックアップしてみる。

幾つもの記事の中でやや異色なのがサエキけんぞう (2013年8月号から再録) で、それによるとサディスティック・ミカ・バンドの1stを制作する前、ロンドンで加藤和彦と高橋幸宏がスカやロック・ステディのかかるクラブに、マルコム・マクラーレンに連れられて行ったとのこと。マルコム・マクラーレンという名前がいきなり出てきたのにも驚くが、おそらくそうした人脈を加藤和彦は持っていたのだと思われる。
そして〈タイムマシンにおねがい〉のリズムパターンはストーンズの〈ブラウン・シュガー〉だということ。これは、う〜ん……そうなのかなぁ……よくわからないです。
それからアルバム《黒船》に先がけて新宿厚生年金会館で行われたDepartureというタイトルのライヴは高橋幸宏と林立夫のダブルドラムだったとのこと。こういうところにも林立夫なんて名前が出てくるのを見ると、その当時の音楽シーンがごく少ないミュージシャンたちの持ち回りでまかなわれていたように感じてしまう (このライヴ、正確には1975年9月14日である)。

でもいままで知らなくて驚いたのが、1976年の矢沢永吉の日比谷野音でのライヴ《THE STAR IN HIBIYA》(1976年7月24日) のバックバンドとしてサディスティックスが出演していたこと (サディスティックスはミカ・バンドからミカと加藤和彦を除いたメンバーによるグループ:高中正義、後藤次利、今井裕、高橋幸宏)。それに加えて相沢行夫、大森正治、ジェイク・コンセプションが参加していて、つまりこのライヴも大森正治と高橋幸宏のダブルドラムである。
ミカ・バンドは、矢沢永吉とはキャロル時代に一緒に全国ツアーをした仲だとのことだが、この異質さはすごい。というか、つまりこれもその当時の音楽シーンってそんなものだったのかと思ってしまう (「狭い」 という意味です)。
そしてその後、矢沢永吉のCMタイアップ曲としてヒットした〈時間よ止まれ〉(1978) のバックで演奏しているのは坂本龍一、後藤次利、高橋幸宏、斉藤ノブ、それに矢沢組の木原敏夫と相沢行夫である。もう何でもやっちゃうわけ。

加藤和彦のヨーロッパ三部作の最初のアルバム《パパ・ヘミングウェイ》(1979) はバハマのコンパス・ポイント・スタジオで録られているが、このスタジオはトーキング・ヘッズ《More Songs About Building and Food》(1978) やダイアー・ストレイツ《Communiqué》(1979/rec. Nov.〜Dec. 1978) がレコーディングされた有名なスタジオであり、そうした場所を早々にとらえている加藤和彦の慧眼に納得する。

田山三樹のインタヴュー (2006年9月号) では、1975年にミカ・バンドがロキシー・ミュージックの前座としてツアーをしたら、ロキシーよりウケてしまい、どの音楽雑誌を見ても表紙がミカ・バンドで、ロキシーのスタッフに 「ミカ・バンドをオープニング・アクトに選んだのは最大のミステイク」 だったと言われたのだとか。

坂本龍一のソロ1st《千のナイフ》(1978) のとき高橋幸宏は、まだヒッピー・テイストを引き摺っていた坂本龍一のスタイリングを担当してアルマーニのジャケットを着せたという話はwikiにも載っているが、坂本美雨はそのことを知らなかったとDearFriendsで語っていた。
だが、青野賢一の記事 (2013年8月号) によれば、ジョルジオ・アルマーニの名前が一般に知られるようになるのはポール・シュレイダーの映画《アメリカン・ジゴロ》(1980) の衣裳を担当してからで、それより前にアルマーニを選択している高橋幸宏の目利きを賞賛している。


Yukihiro Takahashi - My Bright Tomorrow (Live in '83)
https://www.youtube.com/watch?v=hndhoG65Fd0

Yukihiro Takahashi/Flashback (Live in '83)
https://www.youtube.com/watch?v=cRI5UKYPoOI

Tokyo Ska Paradise Orchestra ft Yukihiro Takahashi/
Watermelon
https://www.youtube.com/watch?v=75Unfom3Lwo

加藤和彦/San Salvador
https://www.youtube.com/watch?v=LQrt5Cn8FXE
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末尾ルコ(アルベール)

「タイムマシンにおねがい〉のリズムパターンが「ブラウン・シュガー」ですか。こうした情報がなければまったく意識できないですね。逆にこの情報を得た今は(そういえばそんな気も)という印象ができてきます(笑)。実にいい加減なわたしの耳(笑)。
矢沢永吉との繋がりは驚きですね。永ちゃん、わたしいつしか好きになってました。追いかけるほどではないけれど、「時間よ止まれ」とか、(いい曲だな~)と唸っちゃいます。歌詞も好きです。しかし坂元龍一とか高橋幸宏とか、それは驚きです。
なにせわたしがピンク・フロイド、クイーンからパンク・ニューウェーブへと移行していく中学高校時代、体育館で女子生徒がキャロル聴いていたりして、(こんなことではいかん!彼女らにピンク・フロイド聴かせねば)とか、高校の同級生が永ちゃんの「カバチ」とか盛り上がってる時に、その横でストラングラーズだのクラッシュだのPILだの聴きながら、「矢沢永吉とか、演歌じゃん」とかうそぶいて顰蹙買っていたファンシーな思い出もあります。ただ本当に矢沢永吉、わたしにとってはロックとしては聞こえてこなかったです。
それにしても加藤和彦の先見性は、知れば知るほど明らかになってきますね。
坂本龍一の服装に関しては、ラジオの番組の中でもネタとして話題になってました。高橋幸宏が「教授髪長かったよね」「(はにかみながら)そんなこともあったなあ」とか、この通りではないですが、こんな感じの会話が交わされてました。  RUKO      

by 末尾ルコ(アルベール) (2023-03-19 20:45) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

今と違ってその当時は、いわゆるスタジオ・ミュージシャンとして
何でもこなせる人はそんなにいなかったのだと思います。
ですからできる人は依頼が来れば何でもやるというか……
高橋幸宏のもっと初期の仕事はガロのバックですから。
〈学生街の喫茶店〉のガロです。
はっぴいえんどが岡林信康のバックバンドだったのは有名ですが
つまりそんな時代だったのです。

そしてその時代はフォークソング全盛ですから、
そのとき革ジャンにリーゼントっていうのは
異質でダサいという目で見られたりもしたはずで、
それにくじけなかったのがキャロル=矢沢永吉だったと思います。
キャロルはパンクではないですが、
でもザ・クラッシュよりも前なのだというのがすごいです。

ただ、キャロルのコンセプトを考えたのは
矢沢永吉ではなくジョニー大倉です。
デビュー前の矢沢はロングヘアだったのですが、
ジョニー大倉が革ジャンにリーゼントを提案したのです。
日本の音楽シーンの中でこのジョニー大倉と、
シャネルズ (ラッツ&スター) の田代まさしは
非常にすぐれたファッション・コンセプトを持っていたと思います。
by lequiche (2023-03-22 05:05)