YUKI《こぼれてしまうよ》 [音楽]
YUKI
新宿御苑のほうにちょっと用事があって、行きは丸ノ内線を使ったが、帰りはずっと歩いて戻って来た。土曜日の新宿の夜は喧噪のなかにあって、世界堂のショーウィンドウの下縁に腰掛けている人たち、ラーメン店に並ぶ人の列、意味もなく大声を発する若い男たち、すべては初夏の気候のせいなのかもしれない。
タワーレコード新宿店は南口すぐのビルの上階にあり、以前は4フロアだったのが2フロアになってしまったけれど、週末になるとイヴェントがあったりして、よくわからないコスプレ風の客で混雑していたりする。レジに並んでいても、英語、中国語、韓国語ならよく聞く言葉だが、今日はどこの言語だかわからない会話が聞こえてきた。女性の二人連れ。ひとりがあれを買おうと言ったらしくて、もうひとりが商品を探しに行く。持ってきたのはテイラー・スウィフトの《Midnights》のLPだった。《The Tortured Poets Department》をのLPを持ってきたらすごいと思うのに。
9階のポップス売場にYUKIのシングルCDがあったので思わず買ってしまう。シングルCDなんて滅多に買わないのだが、全体的に暗いジャケット写真がカッコイイと思ってしまったから。
ジュディマリの頃の少女の雰囲気から次第にオトナになっていって、ソロで歌っている今の彼女は成熟とは違うけれど何かしっくりくるものがあって、ときどきCDやレコードを買っていたりする。
〈こぼれてしまうよ〉はリアル過ぎる歌詞だ。「音楽は聴くよりも やる方が好きなんだよ」 と具体的な日常性のことごとを歌っていきながら、ところどころにさりげない言葉が混じる。
でも ずっと深いスリットが入ってる スカートの隙間から
ちらちら見え隠れする傷跡 暴れたがっている
それは何のメタファーなのか。そして、
探し続けてた自分なんて 最初からいなかったよ
あるがままさ ありのままさ
ありのままなのならアナ雪だと思うよな、というくだらない思考がよぎる。そうしたギャグを考えてしまうほど言葉はシビアで重い。重いけれどそれに負けていないのだ。負けてはいけないのだ、と言ってもよい。
何がこぼれてしまうのか。この言葉には主語がない。こぼれてしまうのは注ぎ過ぎたビールでも、作り過ぎたポップコーンでも、あふれる涙でもない。それではフィリップ・K・ディックになってしまう (Flow my Tears, the Policeman Said)。このやりきれなさと諦念にも思えるような喪失感を歌うYUKIの声はいつものように強くてやさしい。
YUKI/tonight (MVより/2015.09.07)
tonightは29thシングル。8thアルバム《まばたき》(2017) に収録
YUKI/こぼれてしまうよ
(ソニー・ミュージックレーベルズ)
YUKI/こぼれてしまうよ (MV)
https://www.youtube.com/watch?v=jpr7WS1_CQ4
YUKI/tonight (MV)
https://www.youtube.com/watch?v=ceMg9RNHgWE
2024-05-12 03:00
nice!(70)
コメント(2)
コスプレで盛り上がる人たちって多いのでしょうし誰がどんな趣味を持つのも自由ですが、コスプレはわたしには理解不能なもののひとつてす。昨今は自治体も絡んでコスプレイベントやってますからね。
「こぼれてしまうよ」ジャケット、カッコいいですね。これは部屋に飾りたくなります。歌詞もじっくり読んでみました。YUKIも50歳を越えてるんですね。ランボーやラディゲなど歴史に現れた若き悪魔的天才たちの魅惑は尽きませんが、最近わたし、年輪を重ねているからこその境地に凄く興味があります。「こぼれてしまうよ」の歌詞も人生の日々を真摯に重ねてきたからこその内容なのだと感じます。歌唱の方も艶を増して素晴らしいです。
「未来派野郎」のお記事についてまたですが、ひとつのお記事で、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ 、ケイト・ブッシュ、ピエト・モンドリアン、ディック・ブルーナ、
パブロ・ピカソ、ジョージ・オーウェル、フィリップ・K・ディック、ルイジ・ロッソロ、ジャチント・シェルシ、ガブリエーレ・ダヌンツィオ、ルキノ・ヴィスコンティと、これだけの魅惑的な名前が出るなんて、嬉しく幻惑されてしまいます。ここが坂本龍一の重層的な凄みであり、lequiche様の凄さであるとあらためて感服しております。
わたし今回「エスペラント」を聴いて、1本の優れたSF映画を観ているような感覚を味わいました。たとえば、「アルファビル」のごとき。RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2024-05-12 12:20)
>> 末尾ルコ(アルベール)様
コスプレにはいろいろなとらえ方があるでしょうが、
好きな人 (たとえば芸能人) と同じ服が着たい、
というような願望の変形と考えることもできます。
また好きなキャラクターへの同化願望でもあって、
黒と緑の市松模様というような設定のわかりやすさが
《鬼滅の刃》のブレイクの勝因のひとつとも言えます。
YUKIの作詞にはジュディマリの頃から
ある種のわかりにくさがあって、それが魅力でしたが
ソロになってからさらに練れてきたような気がします。
俗な言葉を重ねて使いながらその収斂するところは
意外に抽象的なものを感じさせる部分があって、
それを意図して書いているのならすごいなと思います。
《未来派野郎》に関する私の記事は
単に坂本龍一の発言などをトレースしただけですから
私には何の力もありません。すべては坂本龍一の功績です。
《音楽図鑑》《エスペラント》《未来派野郎》は
順に1984年、1985年、1986年にリリースされたアルバムですが、
ここは坂本のひとつのピークだったと私は思います。
特に《音楽図鑑》を出した1984年には
デヴィッド・シルヴィアンの《Brilliant Trees》や
矢野顕子の《オーエス オーエス》にも関わっています。
そして坂本龍一は何かのインタヴューで
音楽家以外だったら何になりたかったか、と問われて
ゴダールになりたかったと答えています。
《アルファヴィル》のレミー・コーションは
一種のカリカチュアでありアレゴリカルなパロディでもあります。
そうしたシニカルさがわかっていなければ
ゴダールになりたかったという発言は出ないと思います。
by lequiche (2024-05-14 03:41)