ハルノ宵子『隆明だもの』 [本]
(画・ハルノ宵子/幻冬舎Plusサイトより)
一応解説しておきますと、ハルノ宵子は吉本隆明の長女で文筆家、マンガ家。妹は吉本ばななである。
『隆明だもの』は晶文社から刊行中の『吉本隆明全集』(まだ完結していない) の月報に連載されていたものに姉妹対談などを追加してまとめた内容である。タイトルからもわかるとおり、吉本隆明の家族としてその思い出を描いたエッセイです。万一、吉本隆明って誰? という場合はWikipediaなどで調べてください。
最近話題の本で、鹿島茂もとりあげていたので早速読んでみました。えぇと、こんなに書いちゃっていいのかなとも思うのですが、某書店では吉本全集新刊が出ると月報だけ立ち読みして帰ってしまう客がいたとかいないとか。
一番面白かったのは次の場面。しょーもない父親 (=吉本隆明) についにキレてしまったハルノ宵子 ——
「う〜ん、ダメかねぇ」 と父。キレた私は止まらない。「私にことわった
ってダメだよ! この家は私の物じゃない。私は関係ない。対の相手は
お母ちゃんだろう!」 ああっ、イカン! 本家を前に『共同幻想論』ま
で持ち出してしまった。「う〜ん…じゃあお母ちゃんに、ことわりゃいい
んだな」 と、父は2階の母の所に行こうと、立ち上がりかける。(p.100)
『共同幻想論』がわからない場合はWikipediaなどで調べてください。
ハルノ宵子は猫好きで、近所の猫にエサをやったりしながら様子を確かめる猫巡回というのをずっとやっていたそうで、その結果、父親の死に目に会えなかったのだという。「シュレディンガーの猫」 も、なぜ猫なのか、ネズミだっていいだろ、とも書く。
また吉本の著作方法について、
父の場合は、ちょっと特殊だった。簡単に言ってしまえば、“中間” をす
っ飛ばして 「結論」 が視える人だったのだ。本人は自覚していなかった
にしろ、無意識下で明確に見えている 「結論」 に向けて論理を構築して
いくのだから “吉本理論” は強いに決まっている。けっこうズルイ。
(p.55)
というのは、ああなるほどと納得してしまう。サヴァン症候群的な傾向があったのでは、ともいう。
他にも両親の関係性とか、数々の引っ越しとか、例の水難事件とか、面白さこの上なしなんだけど、ホントにいいのかなぁ。もっとも北杜夫も父親のことをしょーもないとよく書いていたのを思い出す (念のために書いておくと、北杜夫の父親は斎藤茂吉です)。
でもこうした話の数々は、つまり愛情があるからこそ書けるのでしょう、ということにしておきたいです。面白おかしく書いていますけど、要するに両親の介護日記でもあるのです。介護というと重いし、実際には重いことも数々あったのでしょうけれど (それは姉妹対談でも語られている)、それをこのように書けるのは文才以外のなにものでもないのです。
私は昔、吉本隆明の講演を聴いたことがありますが、ちょっと訥々としているのが次第に流麗になり、どこまで行くのかという話の持って行き方が素晴らしいと思ったのですが、内容は全く覚えていません。折伏されただけかも。
ハルノ宵子/隆明だもの (晶文社)
吉本隆明/共同幻想論 (KADOKAWA)
吉本隆明の講演を聴いたのですか。凄いですね。特別なオーラといったもの、お感じになられたでしょうか。わたし多くの有名人を直接見たわけではないですが、ステージに現れたピナ・バウシュの強いオーラが印象的でした。
吉本隆明にハルノ宵子という長女がいること、今知りましつ。ばななは一時集中的に読みましたが、最近はご無沙汰です。
『吉本隆明全集』の月報に連載されていたのですね。そのての月報って、つい読みたくなりますよね。立ち読み可能な仕様だったわけですね。
吉本隆明の著作は僅かしか読んでません。あらためてチェックしましたが、さすが膨大な執筆量ですね。10代の頃、当時の友人が栗本慎一郎との「相対幻論」を読んで天下を取ったような雰囲気を漂わしていた姿がいまだ記憶に新しいです。
わたしずっと前からシモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」などを座右の書の中に入れてまして、吉本隆明がヴェイユについて書いた文章、あらためて読みたいなと思いました。RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2024-06-07 10:18)
『隆明だもの』は未読ですが、『それでも猫は出かけていく』(2014)、『猫だましい』(2020)、『猫屋台日乗』(2024)などは読みました。
乳がん(片乳全摘出)、大腿骨骨折(人工股関節置換手術)、大腸がん(腹腔鏡手術)、脱腸で入院しても動じない、七転八倒というか抱腹絶倒の最強(猫・病・食)エッセイです(少女マンガも読んだことがあります)。
「ま◯こからう◯こ」 なんて、ハルノさんにしか書けません。
・折々のねことば 042
「イヤ! お母さんは出ていかなくていい。私がこのコを連れて出ていくから」ハルノ 宵子
ある夏の月夜、著者は隣の墓地で真っ白い子猫を拾う。「馬尾神経症候群」 という障害を持っていた。尻尾の脊髄損傷は先天性のものではなく、何らかの事故によるものと思われた。自由に動き回れるけれど、排泄のコントロールが出来ない。「おしっこ・ウンコタレ流し!」 だった。父親(吉本隆明)は「いや〜‥‥オレも尿モレだから、捨てろとは言えないなぁ」と容認するも、潔癖性の母親は猛反対。猫を飼うのならば出て行くと、常套手段を繰り出した。"支配する母" には長女も父親も屈服せざるを得なかった。今まで幾度となく挫折して来たが、この時は未知の力に押されるように、思いもよらぬ言葉が口を衝いたという。少女マンガ家の猫エッセイ『それでも猫は出かけていく』から。
by sknys (2024-06-07 20:46)
>> 末尾ルコ(アルベール)様
吉本隆明の講演を拝聴できたのは、
まだ私がごく若い頃でしたから、
そもそも吉本がどういう人なのかも知らなかったので、
今となってはその印象はほとんど忘れてしまっています。
全集は勁草書房版を何冊か持っていますが、
きちんと読んだのかというと心許ない限りで
理解ができているか否かといえばわかっていないでしょう。
『共同幻想論』は以前のNHKの100分de名著で
とりあげられていました。ということはすでに古典の一種です。
ただ、吉本隆明という人は私の勝手な印象からすると
60年安保の頃のカリスマであって、
しかし『共同幻想論』とはその時代の期待とは少し違うところで
突然出現してきたような内容ではないかと思います。
つまり、吉本的には 「わざと外した」 のです。
あの時代に、なぜ共同幻想という提示をしなければならなかったのか、
そのへんがよくわかりません。
などと描いたら吉本信奉者からあきれられるのかもしれませんが、
これが私の認識です。
by lequiche (2024-06-10 03:18)
>> sknys 様
ハルノ宵子をよくお読みになっているんですね。
『猫屋台日乗』というタイトルは『断腸亭日乗』みたいで
カッコイイです。
宵子さんは猫好きみたいなので他の本も読んでみたいです。
ご自身の病気のことはこの『隆明だもの』にも書いてあって
ガンに対しても動じないとのことですが、
すごいなあと思います。
『それでも猫は出かけていく』というタイトルは
大島弓子を連想しますが、
ばななさんも大島弓子からの影響がありますし、
猫好きということで括ってしまえば簡単ですけど
それだけでは語れないような深さがあるように感じてしまいます。
「支配する母」 ←なるほど、確かにそうですね。
というかこの母親がどういう人なのかということに対しても
いろいろと興味があります。
by lequiche (2024-06-10 03:18)