コンセルトヘボウのアンナ・フェドロヴァ [音楽]
Anna Fedorova (interartists.nlより)
アンナ・フェドロヴァ (Anna Fedorova, 1990−) のラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集がChannel Classicsから昨年リリースされていて 「欲しい物リスト」 にずっと載ったままだったのだが、先日、ウルトラ・ヴァイヴの廉価盤シリーズと併せて購入してみた。レザー・ジャケットを着た彼女がやや異質で目を惹く (ちなみにウルトラ・ヴァイブ盤でとりあえず欲しかったのはあがた森魚の《バンドネオンの豹と青猫》である)。
ラフマニノフのPコンは昨年の同時期にユジャ・ワンのコンプリート盤がリリースされて、そのときはすぐにそのことを書いたのだが (→2023年09月19日ブログ)、フェドロヴァ盤については食指がなかなか動かなかった。なぜなら一時期、ラフマニノフといえば耽美と形容してしまうような不倫ドラマの見過ぎみたいな風潮があって、その嗜好に対する拒否感が私のなかにあったからに違いない。
そこで思いついたのがフェドロヴァとユジャ・ワンの聴き較べだった。
今回のフェドロヴァ盤は2019年から2022年の録音で、オケはモデスタス・ピトレナス/ザンクト・ガレン響であるが、YouTubeにはもう少し前のライヴ映像しかない。2番は2014年のコンセルトヘボウにおけるライヴで、これはかなりの再生回数がある評判の動画である。同時期に録音されているBrilliant Classics盤があるが未聴だし、おそらく内容的には違うと思われる。
だがこの2番のフェドロヴァは私には少し重苦しく感じられたので、これはパスして、第3番を選択してみた。
3番のオケはヘラルド・オスカンプ/北西ドイツ・フィルでホールは2番と同じコンセルトヘボウである。一方のユジャ・ワンのライヴは複数に存在するが、チョイスしたのは2019年のエネスク・フェスティヴァルにおける演奏で、オケはチョン・ミョンフン/シュターツカペレ・ドレスデンで、会場はルーマニアのサラ・パラトゥルイという近代的なデザインのホールである。
DG盤のユジャ・ワンのオケはドゥダメル/ロサンジェルス・フィルであり、録音もロスのウォルト・ディズニー・コンサートホールだからまさにアメリカ的であるし、それはチョン・ミョンフンの場合も、ドゥダメルほどではないが明快な解釈ということでは似たものがあるように感じられる。
ユジャ・ワンの演奏もクリアで、速いパッセージも楽々と通り過ぎるし、その音の粒立ちの美しさは比類がない。なにより彼女の演奏から聞こえるのは耽美とか憂鬱さとは別種の感触である。
一方、フェドロヴァの場合は、ある意味、ラフマ弾きといってもよいほどにラフマニノフに関してはオーソリティであり、決して重くはないのだが芯の通ったような意気込みがあり、それはラフマニノフに対するシンパシィといってもよいのだろう。フェドロヴァはウクライナのキーウ出身であり、現在のロシアとウクライナの関係性から見て、ロシアの音楽は演奏しないとする演奏家も存在する。しかしフェドロヴァには国の対立と音楽とは違うものだという確信があるのだ。ラフマニノフに対する尊敬があり、自分にとってラフマニノフは重要だから演奏する、それは国籍とか政治とは関係がないと主張するのだ。
私の個人的感想を述べれば、ロシアという国が文化的に最もすぐれていたのは帝政ロシアのときであり、ソヴィエトになり、再びロシアになったけれど、国の組織が変わるたびにその文化程度は劣化するばかりだとしか思えないのが悲しい。
そしてこの演奏において重要なのがアムステルダムのコンセルトヘボウという歴史あるホールである。単純に美しい建築物というだけでなく、ホール自体がそこで演奏される音楽にプラスアルファを付加する——それがコンセルトヘボウというホールの魔術である。
Anna Fedorova/Rachmaninoff: Piano Concertos
& Other Works (CHANNEL CLASSICS)
Yuja Wang/Rachmaninoff: Piano Concertos
& Paganini Rhapsody (Universal Music)
Anna Fedorova,
Gerard Oskamp, Nordwestdeutsche Philharmonie/
Royal Concertgebouw
Rachmaninoff: Piano Concerto No.3
https://www.youtube.com/watch?v=1TJvJXyWDYw
Yuja Wang,
Myung-Whun Chung, Staatskapelle Dresden/
Sala Palatului, Bucharest, Romania
September 8, 2019, George Enescu Festival
Rachmaninoff: Piano Concerto No.3
https://www.youtube.com/watch?v=VHre-G8wlb4
あがた森魚、お話に出してくださってるので久々に聴いてみました。いや、カッコいいっスねえ。またちょいちょい聴きます。
ユジャ・ワンはしょっちゅう聴いてます。ユジャ・ワンは1987年生まれ、アンナ・フェドロヴァは1990生まれとほぼ同世代なんですね。今回のような同じ曲での比較、わたしのようなクラシック音楽未熟者(笑)にとってはわかりやすくて嬉しいです。と申しましても未熟者の哀しさ、わかるレベルは限られておりますが。ユジャ・ワンは厳格にラフマニノフに対峙する姿、アンナ・フェドロヴァは彼女の体内にラフマニノフをすまわしている、そんな印象を受けました。
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スマホの件です。
〉常軌を逸した使い方
たとえば男子用トイレに行くと(びろうなお話でスミマセン)、立位で用を足しながらスマホやってる手合いがいるんです。(アホ!)と思っちゃいます。
〉重要な情報がこの世界に存在するのか
ないですね(笑)。そもそもネットで意味ある情報を得ようとする人は歩きスマホしないと思います。やってるのは、「重要」という言葉の意味さえわかってない人たちでしょうね。しかし本当に、いつも車椅子を押している身としては、歩きスマホ、心底ムカつきます。
煙草の件です。
〉アタマが腐っているとしか思えません。
本当に幼稚と言いますか、ヒステリック、病的とさえ感じられます。結局こうした人たちが、焚書なんかに加担してしまうのでしょうか、当人らにその自覚がまったくないのがまた怖いですね。RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2024-09-15 14:01)
>> 末尾ルコ(アルベール)様
あがた森魚の場合、アルバムとは単なる楽曲の羅列ではなく、
常にコンセプト・アルバムなのかもしれません。
ユジャ・ワンやアンナ・フェドロヴァとの同世代というと
アリス=紗良・オットがいます。
また、ソヴィエト連邦だった頃のピアニストは
実はウクライナとかジョージアのようなかつての連邦国出身の
ピアニストも多かったようです。
ラフマニノフはあまりにも表面的な楽想でとらえられて
官能とか頽廃的というレッテルが貼られていますが
それはちょっと違うよなぁ、と以前から思っていました。
ユジャ・ワンの弾き方にはそういうイメージを払拭するような
新しい視点が感じられます。
わからない言葉があるとすぐにスマートフォンで検索する
という行為は探究心が旺盛なのではなくて
無知であることを周囲に公開しているのに過ぎません。
わからない言葉があってもそのときはわかったフリをして
後でこっそり調べるというのが昔からのセオリーでしたが、
今はすぐに調べることに対しての羞恥がないのです。
もうひとつの利用法は延々と繰り返す世間話ですが、
ひとことで言えば時間の浪費です。
iPhoneを発表したときのジョブズは
得意の絶頂だったのでしょうが、
あえていうのならば、彼の遺した白痴的製品であり、
最後の汚点です。
タバコ広告のすべてを抹殺したい、
と思っているのでしょうが短絡的思考で幼稚です。
それよりももっと抹殺すべきものが
他にも多数あるのではないでしょうか。
ただ、幼稚な思考のほうが世の中には認知されやすいのです。
コロナ禍のときの 「マスク警察」 といわれるバッシングが
良い例です。
by lequiche (2024-09-17 02:13)