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薔薇色の脚と偽の夜空 ― 山尾悠子 「夢の棲む街」 を読む [本]

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中川多理人形展 Fille dans l’histoire より

話題があったのに触発されて山尾悠子の『夢の遠近法』を読んでみた。ちくま文庫では『増補 夢の遠近法』というタイトルになっている。日本の幻想文学においてカルト的人気を持つとのこと。

この本の冒頭に収録されている 「夢の棲む街」 は山尾悠子の最初の作品で、『SFマガジン』1976年7月号 (第212号) が初出である。第212号は手元にあるのだが読んだ記憶がない。というか読んだのだとしても、すでに忘却の彼方である。

作品構造は非常に明快で、描写は絵画的であり暴力的だが美しい。主人公あるいは狂言回しと思われるのは街の噂の運び屋〈夢喰い虫〉のバクである。〈夢喰い虫〉は街に噂を流さなければならないのだが、バクの所属していた劇場は閉鎖されていて、噂の出所が無い。それなら他の場所に移ればよさそうなものなのだが、バクはまだ劇場に固執しているようなのである。
劇場はフリークスの坩堝で、演出家が育て上げる〈薔薇色の脚〉とは脚へのフェティシズムが肥大化した脚だけが発達した畸形であり、それら脚たちの元は乞食や浮浪者や街娼であるという。このへんの設定は寺山修司の天井桟敷的である。

フリークスはそれだけにとどまらず、籠の中の侏儒や、娼館に棲息する白い翼の天使たち、しかも天使たちは不潔な環境の中でひしめきあっていて、増え過ぎてシャム双子のように接合していたりする。
街の夜空はプラネタリウムのようで、実際の夜空でなく、作られた夜空のようである。そして街の造型そのものが幾何学的で人工的である。その中心となるのが劇場なのである。星座は 「街を中心とした巨大な半球型の空の平面上に属するもの」 (p.33) なのだ。
さらに空から大量の羽が降ってきて窒息死したり、性的な暗喩を持った人魚の存在があきらかになったりする。
最後のシーンでは劇場に街の全ての人々が集められ、そこで壊滅的な騒動が生起し、そして沈黙が支配するときが来るのだが、提示されるイメージはクリアで、かつ何らかのカリカチュアとも解釈できる。でもそう考えないほうがよいのだろう。

劇場という空間は独特の幻想を醸し出す。それはたとえば高野史緒の『ムジカ・マキーナ』(1995) でもそうだったし、トマス・M・ディッシュの『歌の翼に』(On Wings of Song, 1978) でもそうだし、さらにやや外れてしまうかもしれないがエラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』(The Roman Hat Mystery, 1929) もそうである。しかし 「夢の棲む街」 では劇場もまた幾何学的舞台設定としてのアイテムのひとつであって、短編でもあるため、高野やディッシュ作品のような膨らみを持たない。持たないゆえに、より絵画的でありシュルレアリスティクである。(高野史緒に関しては→2016年05月29日ブログ、ディッシュに関しては→2014年02月01日ブログを参照)

フリークスのイマジネーションが最も効果的に描かれた小説として、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』(El obsceno pájaro de la noche, 1970) が挙げられるが、1976年時点でドノソは日本では翻訳されておらず知られてもいないので、山尾の幻想は独自の感性から醸し出されたものである。(ドノソに関してはONE PIECE展の記事の中に少し書いた→2012年06月12日ブログ)

こうした奇矯な幻想は、稲垣足穂の幻想がごく優しい雰囲気と思えてしまうほどに刺激的で強烈であるが、ただ、偽の夜空を出没させるような空間認識には足穂の影響もあるのかもしれない、と思わせる。また全てが幻想の中で、フラムスティードの星球図譜 (Atlas Coelestis, 1729) だけ具体的なのが面白い (足穂の全集を比較すると現代思潮社版1969-1970と筑摩書房版2000-2001では、筑摩版は柔和過ぎる装丁のような気もする。時代の変遷がそのような変化をもたらしたのかもしれないが)。
世界そのものが書き割りであるという幻想はSF作品にはよく見られるが、書き割りの中心が劇場というのは二重の意味での偽りを意味する。

バクという主人公は〈夢喰い虫〉だから、夢を食う〈獏〉というネーミングなのだろうが、別役実の1972年の戯曲に〈獏:もしくは断食芸人〉がある。末木利文演出で五月舎による公演が行われたという記録がある。断食芸人はカフカのそれであり、カフカの原作から触発されたと思われるこの戯曲自体を私はよく知らないのだが、カフカと獏というこの魅力的なタッグのタイトルを山尾が知っていた可能性はあるかもしれない。

山尾は1985年以降には一時作品の発表が途絶えたため、伝説的な作家となったとwikiの記述にあるが、同じ頃に出現し同じ頃に不在となった少女マンガ家に内田善美がいる。内田は1974年にデビューし、1986年に上梓完結した『星の時計のLiddell』でその活動がほぼ途絶えている。山尾と内田には何の関連性もないのだが、1975年~85年あたりに、傾向は違うけれどどちらもカルトな作品が出現していた暗合の不思議を思うのである。


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山尾悠子


山尾悠子/増補 夢の遠近法 (筑摩書房)
増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)




ホセ・ドノソ/夜のみだらな鳥 (集英社)
夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))
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トマス・M・ディッシュ/歌の翼に (国書刊行会)
歌の翼に(未来の文学)

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